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人差し指の思い出

  色が白くて、マシュマロのような方でした。

 歩けなくなり、言葉も不自由になってから入所の為、元気な時をイメージ出来ません。が、おっとりした、優しい方だったのだろうと、その笑顔から感じられます。

 朝食前、私の出勤時間には、車椅子で廊下に待機させられています。そのふわふわの真っ白い手を取って、

「おはよう、みっちゃん」

と言うと、ほんとにかすれた声で、

「おあよう」

と、答えてくれます。その時の、くちゃくちゃな笑顔が、私は大好きでした。


 お会いした時は、まだまだ食事をスプーンで食べることが出来ました。それが次第に、食べ物を認識すること自体、難しくなってきたのです。空のお皿をいつまでもすくっている、お盆を眺めているだけで、手を膝掛から出さない……声掛けをして、少し手を添えると、動き出すこともありますが、全く反応のない時は、食事介助になってしまいます。それが、毎日になりしばらくすると、今度は口に溜めたまま、飲み込んでくれなくなりました。頬を刺激したり、再度スプーンを口に入れたりして、時間をかけて介護員さん達は、頑張っていました。


 そんなある日、食事介助中

「むせ込んで、顔が真っ白です!」

と、リクライニング車椅子を、走らせて、医務室に運び込まれました。ソフト食を吸引して、事なきを得たのですが、

「もう、食事介助をするのが怖いです」

と、静養室に移りました。呼吸が落ち着いてきたら、又、少しずつ食事を再開する予定でしたが、水分補給も難しくなり、とうとう発熱してしまったのです。


 脳に問題を抱えていると、体温調節が難しくなります。更に、体内の水分量が減少すると、汗をかいて体温を下げることが出来ません。高齢者は、脱水の為、しばしば高熱を出してしまいます。

 病院へ行って、点滴で、水分を入れることは出来ます。けれど、次第に落ちてきた飲み込みが、改善するとは考えられません。ご家族に連絡して、病院に行って延命するか、このままお看取りにするか、決めて頂くこととなりました。


「母さん、ごめん、久しぶりだね」

と、長女さんが、すぐ来てくださいました。

「こないだ、三ヶ月ぐらい前かしら、プリン持って来た時、なんだか眠いのかな~と思ったけれど。食べられなくなってきていることは、私も気付いていました。でも、お母さん、お腹空いていないのかしら?」

 最近の様子を説明して、すでに<欲>はもちろんのこと、身体も欲していないと思いますと、又、とても穏やかにされていることを伝えました。

「そうですね、もう、飲み込めない。でも、なんか、にこにこしているし、手を握る力もあるし、辛そうには見えませんね」

「そうですね、ねえ、みっちゃん。あ、すみません。いつも、みっちゃんって呼ばせていただいていたので」

慌てて、私が言うと

「ありがとうございます。みっちゃん、あら、可愛い!声をかけて下さっていたのですね」

と、笑って下さいました。


 やがて、次女さんもいらして、姉妹で相談された結果

「毎日面会に来ますので、宜しくお願い致します」

と、ここでのお看取りを希望され、帰って行かれました。


 それからは、なるべく身体に負担をかけないように、少しでも快適に過ごして頂けるように、又、寂しくないようにと、スタッフ一同ケアをしていきました。口の中も、清潔にする為に、口腔ケアをしていきます。ガーゼを湿らせて、指に巻いて口の中をぬぐうのですが、みっちゃんは、歯の無い歯茎でパクパクしたかと思うと、やがて、ちゅっちゅと、凄い吸引力で、吸い始めました。

「あら、喉が渇いているのかしら」

と、姿勢を整えて、水分ゼリーを試みたのですが、残念ながら、やはり呑み込めませんでした。


 翌日、面会に来て下さった時、

「聞こえていますので、お声をかけて下さいね、手を握ったり、足を擦るのも、喜ばれますよ」

と、お伝えして、ご家族で過ごしていただきました。優しい時間が過ぎていきました。

「そう、口腔ケアもしていただけませんか?」

と、言うと

「え、いいのですか?」

と、

「もちろんですよ、硬く絞ったガーゼならば、危ないことはありません」

と、手袋をはめた手に、ガーゼを巻くやり方を伝えました。

 次女さんが、恐る恐る指を口に入れると、みっちゃんは、じーと顔を見てから、やはり凄い勢いで指に吸い付きました。

「きゃ、お母さんたら~お姉ちゃんもやってみて!」

と、

 しばらく二人、代わる代わる笑いと涙で、盛り上がっていました。それを、優しいまなざしで、みっちゃんがのぞき込んでいたのを、私は、忘れられません。


 最後の息を引き取る時に、お二人とも傍にいることが出来ました。これもまた、みっちゃんの人徳だと思います。


 お別れの時、最後に次女さんが、私達へ

「おかしなものですね、お母さんとの思い出はいっぱいあるはずなのに、今思い出せるのは、この指の感覚ばかりです」

と、左手で右手の人差し指を擦っていらっしゃいました。

 

 それは、きっと、みっちゃんからの、愛する娘達への、最後の贈り物です。

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