「ここが痺れている、痛いんだよ~」
もう、イネさんが亡くなって、数年経ちます。
自分の身体に不調が出てきた時、肩が凝ったとか、手がなんとなく、痺れる……そんな時に、ふっと、思い出す方です。
私がお会いした時には、既に車椅子生活のもうすぐ100歳。それでも、車椅子自走し、トイレにも自分で移れるし、寝たい時には、ベッドへ……もちろん自分で食べ、お話も出来ていました。
まあ、体重がありましたので、そこはマイナスポイントですが、取りあえず、自分のことは自分で出来る。それなのに、介護員さん達から、かなり嫌われていました。
入職して間もなくの頃、イネさんに声を掛けてもらい、嬉しかったのを覚えています。なので、イネさんから身体痛の訴えを聞くと、ボディーチェックをして、可動域を調べて、良かったと安心して、シップを貼る……ところが、なんとなく、周囲との温度差があることに、気づきました。
介護員さん達が、その様子を見ていて、笑っているのです・・・
介護員さん達とお話が出来るようになって(笑)、その理由がわかりました。
日中は、訴えも可愛い物なのですが、夜勤帯は、悪魔になるのだそうです。
「痛いよ~痛いよ~何で助けてくれないんだよ!」
と、コール頻回。それで、ちょっと行くのが遅れると、眠前薬を飲んでいることもあり(でも、寝ない)日中よりも動きが悪く、転倒・転落必須……夜勤帯は、声もでかく聞こえてしまう。そのせいで、他の方まで起き出す始末。
仕方がないので、車椅子に乗せて、一緒に行動するしかない。その間も、「痛い、しびれている、苦しい」と、肩や腕を擦りながら、泣きを入れてくる……
骨折はしていないし、血行を良くする薬、神経過敏を抑える薬、抗不安薬等々処方されるも、一向に治まらない。痛くない、というか、訴えない時もある訳なので、
「かまってもらいたくて、騒いでいるんじゃない?」
とか、
「嫌がらせだよ、こっちが忙しい思いをするのを、楽しんでいやがる」
とか、誰もその痛みを、現実とは思っていないような、そんな空気が流れていました。
イネさんは、エンドレスショートステイ……ショートステイしているうちに、帰れなくなった?方です。帰る家はあります。家族もいます。ただ、ショートステイで家に居ないというのが、家族にとって、とっても都合がいいというか、帰ってきてほしくなくなったというか、引き取ってもらえなくなりました(>_<)
面会には、それなりに来てくれていました。実はそれが、問題で……イネさんは、家族が来るたびに「帰れる!」と、期待してしまうのです。ところが、やっと迎えに来たはずの家族が、自分を置き去りにする。明らかな認知症ではありませんが、既に100歳、いえ、理解力の低下だけではない、イネさんの心が、その現実について行かれないのです。
身体の片側だけが、しびれて痛い。きっと、神経とかに障害があったのかもしれません。でも、動くので、どこがどうとかいうことではなく、「歳だから……」と、病院でも言われ……
「あれ~いつもと反対側を痛がっている!やっぱり嘘なんだ、ほら、こっちでしょ」
と、言われたり……(これが、100歳に言う、言葉遣いか?)
湿布薬や塗り薬、時には、ギュッと抱きしめたりと、色々やっても、訴えは続きます。
とうとう、介護員さんからの強い希望で、精神科の受診となりました。
「帰って来なければいいのに」
という、皆さんの期待は叶わず、100歳が飲むには相応しくない程のお薬を処方されました。
そして、少しずつ、動きが悪くなっていきました。
車椅子自走も難しくなり、Pトイレを自力では使えなくなり、食事もゆっくりに……薬のせいだけではなく、年齢的に、ADLが落ちてきたのだと思います。痛みの訴えは、相変わらずあるのですが、その迫力がなくなりました。無視できる程度に……
やがてイネさんは、自分からなかなか食べなくなりました。痛がっている時の表情が、顔に固定されてしまい、どう贔屓目に見ても、可愛くない老婆……頑固な所もあり、食事介助拒否すると、これ幸い、みんな構おうとしません……が、しだいに認知症が進んできたためか、性格も丸くなり(笑)、102歳、最後の一か月は、食介され、薬は、食べれなくなると並行して、中止していきました。
そして、急に熱を出し、家族が、病院へ
一週間、持ちませんでした。
たとえ、ストレスから痛みや痺れが起きたとしても、本当にそう感じていたのだと思います。
確かに、痛みは、あったのです。
私も、自分が痛い辛いと感じても、それを上手く伝えることは、出来ません。
「気のせい」
と、言われることだって、あります。
身体に痛みを感じると、ふっと、イネさんを思い出します。
「ごめんね、役に立てなかった」
と・・・




