桜を愛する、美人さん
八重桜の頃になると、思い出す方がいます。
シムラさんは、胃瘻になってから施設入所して、もう、三年ほど、過ごしていらっしゃったでしょうか。私がお会いした時は、すでに話せないし、ほとんど目も開けず、時々、意味もなく手足を動かすだけの方でした。ただ、夢を見ているのか、何とも言えない笑顔を浮かべられます。エビス様のような、あったかい笑顔です。きっと、お人柄なのでしょうか。カルテには、病気の既往歴しか、記載されていませんので、知る由もありません。
月に一度ぐらいは、娘さんたちが、代わる代わる面会に来て下さるので、その内、どんなお母さんだったかを、お聞きしたいな~と、思っていました。何しろ、胃瘻に栄養をつなげるだけでは、人間としての関わりが出来ない……虚しくなってしまうので。
そんな中、シムラさんが、高熱を出しました。
ほぼ、外部との接触がないため、感染のリスクは低いし、水分も、しっかり入っているので、脱水症による発熱は起きません。掛物調節も、こちらでしているので、籠り熱:発汗などの体温調節が出来ない人へ、布団の掛け過ぎ、などもありません。そこで、
まず、尿路感染症。
オムツの方や、女性に多い病気で、便に含まれる大腸菌などが、膀胱に逆流して、高熱を出します。膀胱留置カテーテル:尿を自然に出せなくなってしまった方に、尿道口から膀胱に管を通して、尿をパックにためる処置をしていると、リスクは高まります。なのに、「オムツ交換が大変だから」と、カテーテルを入れられている方も……残念です。
次に、誤嚥性肺炎。
胃瘻で、口から食べていないのに、誤嚥?と、不思議に思われるかもしれません。高齢者の筋力低下は、内臓にも及ぶのです。例えば胃。胃には、消化している間、食べ物がとどまっていられるようにと、その上下に、筋肉でギュッと閉める「門」があります。高齢者は、それが緩むものだから、簡単に吐いてしまいます。又、その吐物を口から吐き出すことも、気道に流れ込んで来るのをむせ込んで阻止することも、筋力や反射力の低下により、困難になっています。
又、たとえ吐かなくても、誤嚥は起きます。それは、口の中で増殖した菌が唾液と共に「なんとな~く」気道に流れ込むことで起きます。ですから、胃瘻の方でも、口腔ケアはとても大切です。
その他にも、皮膚疾患など、高熱の出る病気はありますが、大抵はどの場合も、まずは、抗生剤の投与を、おこないます。尿が臭うとか、聴診して、肺に雑音があるとか、皮膚に発赤があるとか、医師の診察により、効きそうな抗生剤を選び、効かなかったら、次。
一度目は、抗生剤が上手く効いて、ご家族に連絡する前に、解熱されました。しかし、二度目の発熱は、なかなか引かず、たぶん肺炎だろうということで、栄養を流さず、白湯のみで様子を見ることとなりました。そのため、ご家族に連絡すると、次々と娘さんがいらして、お嫁さんを含めて四人の女性が集まったのです。いつも一人ずついらしていたので、私は、何人の娘さんがいるのか知りませんでした。
四人集まると、いきなり枕元で、葬儀の話を始められたので、
「聞こえますから」
と、別室を勧めました。私達は、「お母さんに聞こえる」と、伝えたつもりでしたが、娘さん達は、「スタッフや他の面会者に聞こえる」と、解釈した様子でした。
口腔ケアが終わった頃、お話合いが済んだのか、枕元から四人が、神妙な顔をして、お母さんのお顔を覗き込んでいました。
「眠っているようでも、耳は聞こえていらっしゃると思いますよ。今日の朝も、声を掛けると、顔を向けるように動かれたので。どうぞ、お声をかけて下さい」
と、伝えると、
「そうなんですか。眠っているのを邪魔してはいけないと思っていました」
と、急に女子トークが始まりました。
今迄、あまりお互い会っていなかったようで
「こうして会えたのも、お母さんのおかげ」
と、
「今度一緒に、旅行しましょうよ」
と、盛り上がっていました。
11時過ぎ、胃瘻に流す時間、端からつなげていきます。シムラさんは、薬を入れるだけですが、ご家族の前で、胃瘻に注入するのは、何となく嫌だな~と思いながらやっていると、さっきまでなかった桜の写真に気づきました。
「綺麗な桜の写真ですね」
と、言うと、
「母は、桜が大好きで、よくみんなで花見に行きました。とっても明るくて、お酒が飲めないのに、宴会も好きで……私達の為に、本当に良く働いていました。それなのに、残酷なものですね、私達は、母に何もしてあげれなかった……」
「ああ、だから、あんなにも素敵な笑顔なんだな。シムラさんは、ご家族を愛して、ご家族に愛されて、暮らしていたんだ。そして、今も。私の知らないシムラさん、こうなる前を知っていれば、もっと話しかけれたのに」
と、思いました。そして、今日物干しから切ってきた八重桜を思い出したのです。
「庭の桜を持って来ています。取りに行くので、ちょっとお待ちください」
娘さん達の反応を確かめることなく、部屋を出ました。
「シムラさん、見えますか? どうか、見せてあげて下さい」
と、長女さんに渡すと、少し自信なさそうに受け取られて
「わざわざありがとうございます。ほれ、チエちゃん、桜だよ、チエちゃん、見えるか」
と、なぜかちゃん付で、大きな声を出して呼びかけられました。
「わあ~目で追っているよ!見えてるんじゃない?チエちゃん、ほら、ヨシコだよ」
代わる代わる覗き込んでは、自分の名前を連呼します。
私は、目が動くならば、手も動くかもしれないと
「八重桜なので、花びら丈夫ですから、触って頂いたらいかがですか?」
と、促すと、
「チエちゃん、ほれ、触ってみ~」
と、シムラさんの手をタオルケットから出して、桜の花びらに触れさせると
「動いた、動いたよ!チエちゃん、握手してよ……なんか、ちょっと、うん、力が入っているよ!」
それからというもの、両手はもちろんのこと、シムラさんは、足の裏までくすぐられて、四人の歓声が続きました。すでに、肩呼吸していたのに、心なしかシムラさんの口元も、笑っているように見えました。
お昼時になり、三人の方々が外に出られ、お嫁さんだけが、残りました。
「時々、夢を見ているのか、にっこりされるのですよ、どんな方でしたか?よかったら、少し教えていただけませんか?」
と、尋ねてみました。
「私は、嫁ですが、実の娘のように、可愛がってもらいました。お母さんは、洋裁が得意で、私は、コートまで縫ってもらったんですよ。良い布を使って、ほんとに嬉しかったわ。お母さんの怒ったところなんて、見たことない。みんなに優しかった」
と、涙ぐまれました。
「素敵な女性だったんですね」
「そうですよ……」
と、色々なエピソードを語って下さいました。それはきっと、私だけではなく、シムラさんも又、聞いていらしたと思います。
口を半開きにして、舌を出して、よだれを流している。目の周りは窪んでしまって、顔のお肉は、重力のままに、垂れ下がっている。
そんなシムラさんが、お嫁さんの話を聞いている内に、素敵な女性に見えてきました。
「本当に素敵なお話、ありがとうございました。シムラさんが、とっても美人に見えてきました」
と、もらい泣きしながら、伝えると、
「チエちゃん、美人だって!褒められちゃったよ」
と、私に、涙の痕のある顔で、精一杯の笑顔を向けて下さいました。
シムラさんは、その後、少し呼吸状態が回復しましたが、栄養を入れることなく、三日後に亡くなりました。きっと、最後まで聞こえていたのだと思います。なぜならば、ちゃんと四人の声がする時を選んで、息を引き取りましたので。えこひいきなく……