手鏡で作った、最高のギフト
脳梗塞を発症して、ほぼ、動けなくなり、コミュニケーションも取れない。そして、飲み込むことが出来ないと、胃瘻になり、その後、施設入所された方でした。表情なくとも、本当に美しい方。色白で、少し白髪が混じる程度の艶々の髪。
そんな彼女には、毎日面会に来て下さる、90近い旦那さんがいました。お昼過ぎに来て、個室のテレビをつけます。そして、彼女の髪を丁寧に丁寧にとかし、化粧水をつけ、リップクリームを塗ります。一応、テレビが見えるように、彼女の体勢を整えて、後は、手を繋いで一緒にテレビを見て、二時間ほどで、帰っていかれます。週に一度ぐらいは、そこに、息子さんファミリーや、娘さんが加わり、ワイワイ話していかれました。彼は、今、一人暮らしらしく、皆さんがいらした時は、お父さんへの食事の差し入れでしょうか、いい匂いがします。
私は初め、その無表情なお顔から、まったく感情を失くしてしまった方だと思っていました。けれど、痛い時には、顔をしかめるし、話しかけると、なんとなくですが、困った顔をされる。又、自分で自分の鼻を掻いているところを見かけました。手を握っても、何の反応も無いというか、握り返してはくれません。それなのに、無意識では動かせる!
七夕飾りに、彼女の名前で「お父さんが、いつまでも元気でいてくれますように」と、書かれて、下げられていました。スタッフの誰かが、彼女の心情を代弁して書いたのでしょう。
「そうだよな~旦那さんもいい歳だから、先に逝ってしまうことも、十分あり得るよな~そしたら、この方は、どうなるのだろう?何の為に、生きていくのだろう?」
そう思った時、
「今、彼女が、彼の為に、出来ること、何か、あるだろうか?」
と、考えました。
今、こうして生かされていることを、肯定的にとらえていると、伝える手段。
きっと、彼は、彼女を、ただ、失いたくなかった。だから、胃瘻を選択した。でも、今、彼女が、どう感じているのか、わからない。それは、辛いことでもあります。もしも、そのことで、彼が負い目を感じているとしたら……もう、直接言えない「ありがとう」を、何とか伝えられればいいのに。
それは、すでに彼女の考えでは、ありません。もう、きっと、そのような思考は存在しないのです。でも、こんなにも愛されているのですから、きっと、彼女にとっても、彼は、大切な人だったのでしょう。もうすぐ、どちらかから、この日常が破綻します。その前に、伝えてあげたいと、
「途切れてしまった脳細胞のシナプスも、刺激すれば、又、繋がっていく可能性がある」と、テレビで見たのを思い出し、練習することにしました。それは、手を握り返すことと、笑顔をつくることです。
まず、声を掛けながら手をマッサージして、「握手」と言いながら、手を強く握ったり、離したり。少しでも手が動けば、「そうそう、握手できたよ」と、身体をさすって、私が喜ぶ。そんな毎日の繰り返し。
少しずつですが、なあんとなく反応してくれてると感じて来た、二週間ほどたった時、お部屋から
「え~分かるのかい?」
と言う声が聞こえました。私は小さくガッツポーズです。
次に、笑顔。口角をあげてもらおうと、指で口元を引き上げても、口を硬く閉じてしまいます。笑わせようとしても、言葉の意味を理解してもらえない。変顔しても、ただ、ポカーン……そこで、
「いつも、旦那様が綺麗にして下さっているので、そのお顔を、本人に見てもらいたいので」
と、ご家族に手鏡を持って来てもらいました。その手鏡にお顔を映しながら、
「笑顔は、こうですよ」
と、私の真似をしてもらえるように、彼女を刺激しました。ほんの、口元がゆるむ程度の微笑みですが、美しいお顔が、より一層輝きました。
手を握り返すことと、笑顔のおかげで、旦那さんからの話声は増えました。そして何より、彼女自身、普段も柔らかい表情に変わったように思えたのです。
私はその職場を離れたため、二人がその後どうなったのかは知りません。でも、あんなご夫婦って、いいな~と、今でも思い出します。お互い、お互いを支え合っていました。胃瘻になっても、相手を支えてあげられる……それならば、それもいいのかと……
次も、胃瘻の方の、ちょっと素敵な話を