胃瘻を知っていますか?
<胃瘻部屋>というものが、ありました。
頭の方を、サイドの壁にそれぞれ向けて、四人ずつ並んでいます。話せる方も中にはいらっしゃいますが、約半分は、まったく意思疎通出来ません。そんな中で働いていると、栄養を流す時、まるで花に水をあげているような感覚に陥ります。
私は、サボテンに週一回水をあげる時、色々話しかけます。それと同じ……けれど、残念ながら、この方々は、これから新芽が出ることも花が咲くことも、ありません。
胃瘻について、お伝えします。これは、私が聞きかじった話や、現場にいて感じたことであり、すべて正しいとは、言えません。もし、興味があれば、詮索してみて下さい。
胃瘻は、おへその上の所に、皮膚から胃までの穴を開けて、そこに管を通し、水様性の栄養や水分を入れていく医療技術です。管が抜けないよう、胃側の管の先に、バルーン:水が入る風船や、バンパー:つっかえ棒が、ついています。ピアスのようなもので、管を抜けば塞がり、継続して使う為には、3~6ヶ月ごとの交換が必要です。
胃瘻は、先天的に、又は、疾患により、口から食べることの出来ない子どもや成人の為に、開発された技術だと聞きます。一般的な、細い血管への点滴では、多くのカロリーや、栄養素を流すことは出来ません。すなわち、長く生命を維持することが出来ないのです。その点、身体の奥の太い血管へ直接高カロリー点滴液を入れることで、生命維持に必要な栄養を流すことは可能です。しかし、血管へのアプローチでは、消化管を使えない。消化器官を使わないと、免疫機能が落ちてしまう。そこで、胃瘻です。画期的な技術でした。が、
なぜか、日本だけが、この技術を高齢者に使いだしたのです!
そもそも、高齢者が、口から食べられなくなるということは、どういうことでしょうか?
老衰によって、筋力低下、食欲不振、すなわち、死ぬ準備をしているか、脳梗塞後遺症や認知症によって、食べ方や食べることを忘れている状況だと思います。そこに、有無をも言わさず、栄養を入れて、死なせない!
「誤嚥:食べ物が、間違って食道ではなく気道に入ること、によって罹った肺炎は、治りました。しかし、口から食べれば、又、誤嚥性肺炎を起こすでしょう。もう、食べることは難しいのです。このまま、餓死させますか?それとも、胃瘻にしますか?」
医師から問われるのは、家族。意思表示が出来る本人では、ありません。
想像してみてください。意思を伝える手段の無い状況で、ベッドに寝たきり。オムツ交換と、体位変換、口腔ケアと称して、無理矢理ブラシを入れられて、吸引器で痰の吸引。後は、お腹のチューブに栄養を繋げられ、外されるだけの毎日を。見えるのは、ポタポタ落ちてゆく栄養剤と、天井だけ。
どこに、QOL:生活の質や、生き甲斐とかあるのでしょうか?
意思表示が出来なくなった方は、生きていてもしょうがないと言っているのではありません。ただ、私は、堪えられない……
その時には、「嫌だ!」という感情すら、無くなっているのかもしれません。けれど、心地良い時間もなく、しかも、もし、誰にも望まれてもいないのに、ただ、生かされているのだとしたらば……それって、虚し過ぎませんか?
歳を取ると、誰でも、どこかしら痛くなってきたり、身体が硬くなるものです 。脳梗塞で倒れられた方は、それが顕著に出て来ると感じます。特に拘縮:筋肉や神経の不具合で、関節が自分で動かせないだけではなく、固まってしまって、介護者が力を加えても、動かない状態になります。それは、手足が突っ張ってしまって、曲げられないとか、反対に、関節が曲がったままに、しかも、力を抜くことが出来ずに、強く曲がっていくというものです。そうなると、着替えのたびに、痛い思いをしなくてはなりません。手が身体の下敷きになっても、どうすることも出来ない。同じ所に体圧がかかり、褥瘡:床ずれができるかもしれません。曲がっていく脚は、胸の近くにまで達して、呼吸を妨げます。曲がっていく腕は、自分の手で、自分の喉を押さえつけます……
それでも、生きていかなくてはならない。
これって、今普通に過ごしているこの時、どう思いますか?
嫌なことがあったから、将来に求めるもの、夢がないから、「死にたい」……でも、もう、死ねないのです。食べることを拒否しても、もう、死ねないのです!
悲しい話ばかりでもありません。
次回は、胃瘻となって生きていらっしゃって、きっと、きっとですが、「良かった」と思っていたであろう事例を、お伝えします。