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四分の一のシュウマイ

「おい、この人が、二回も私を助けてくれたんだぞ。命の恩人だ」

と、手招きをして私を傍に招くと、ご家族みんなに、そう、私は、紹介されました。

 私は、助けたのは医師であることを伝えてから、ちょっと困った顔を加藤さんに向けて、その場を離れた、そう、二回、三回目は間に合いませんでした。


 加藤さんは、元々肺に疾患を持っていて、酸素を上手く取り込めません。それが、風邪をひいてしまい、急激な酸素不足に陥り、入院された方です。何度となく、同じ状況で入院しているので、今回も又、落ち着けば退院と、誰もが思っていました。七十半ば過ぎ、今迄のようには、いきませんでした。


 一回目は、私達のお昼休みに起きました。

 昼食を取る状況を確認してから、早番は休憩室に入り、遅番がナースステーションや食事介助をする方の部屋へ行きます。その日私は、早番で、お弁当を食べていて、急に

「じゃあね、と言って、丸を作ったのに、返してくれなかった」

と、思い出したのです。


 加藤さんは、とても気難しい感じの方でした。

 新人の私がバイタル測定…体温や血圧、酸素濃度などを測りにいくと、一言も話をしてくれません。ちょっと気に入らないことがあると、言葉を荒げるとか、やたら、説明を求めるなど、あまり看護師からは、良く思われていない……入院が思ったよりも長引いていることに、イライラしていたのだと思います。

 私は、早く退院したいという、彼の気持ちに添えるように、酸素濃度を測る時、いい値が出ると、大きく腕で丸を作って、

「いいですよ~やったー!」

と。

 最初は、きょとんとしていらっしゃいましたが、次第に同じ動作を返してくれるようになったのです。腕をあげる動作は、胸を開くので、きっと、呼吸に良い影響を与えてくれるのではないかしら、と、そんな願いもあり。それが、バイタル測定だけでなく、私達の挨拶になりました。が、

 「お昼休みの前、して下さらなかった」と、思い出したのです。


 私は、ちゃちゃっとお弁当を食べ終えると、彼の病室へ行きました。


 加藤さんは、ベッドの上で、息絶え絶えです。食事のために外した酸素マスクが、そのままテーブルに置かれています。しかも、ベッドはフラット、真っすぐなままにして、横になっています。横になる時は、ギャッチアップ、頭の方をあげているはず、その方が、重力で横隔膜が下がり、肺が広がることで、呼吸しやすくなります。それが、フラット。

 蒼くなった指を震えさせている彼を見て、まず、酸素マスクをして、酸素濃度を測ると56%。99%がマックスで、94%を割ると、普通の人なら息苦しさを感じます。常に酸素濃度の低い人でも、80台では、かなりキツイ。それが……

 私は、慌てて、ナースステーションに走って行きました。私がしたのは、ここまでです。

 先輩が医師に連絡をして、指示をもらい、酸素流量をあげるなどの処置をして、彼は助かりました。


 二回目は、夕方です。その日私は、夜勤でした。日勤の方から申し送りを受けていると、加藤さんに「ポータブルトイレに出血あり」と、送られました。ここの所、便秘しているので、痔出血かしらと、本人に聞いて、下剤を勧めようかなと、その時は思いました。


 申し送りが終わると、端の部屋から挨拶に回ります。夜勤の間、特変がありませんようにという、願いを込めて。また、直接会って話すことで、マークすべき人を、絞っていきます。


 加藤さんの部屋に入ると、なんかカーテンの中から、匂いがします。そう、血の臭いです。申し送りがあったので、確認しようと、お声をかけてカーテンを開けると、加藤さんは、ポータブルトイレに座っていました。そして、私に気づくと、手をあげようとして、挨拶をしようとして、バランスを崩してしまったのです。

 その時、一瞬、ポータブルトイレの中が見えたのか、強い臭いがその隙から溢れたのか、とにかく想像が出来て、私は、彼を支えながら、その中を確認しました。

 真っ赤でした。尋常な量では、ありません。私の方が、血の気が引くような量。


 この時も、私は、発見しただけ。後は、先輩方が対処してくださいました。

「これだけの出血、意識を失って、倒れるかもしれないでしょう。あなたは、こっちに来ないで傍にいて、ナースコールを使って呼ぶのよ。今日の所は、倒れずに済んだけれど、今度からは慌てずに、ちゃんとしなさいよ」と、注意を受けてから、

「でも、私なら、ポータブルトイレに座っている時は、後で挨拶しようと、スルーしてたかもね。もう少し発見が遅れていたら、亡くなっていたわよ」

と、教えてもらいました。


 加藤さんは、輸血をして、事なきを得ましたが、その原因から、退院は、叶わなくなりました。


 三回目、私は、間に合いませんでした。私が朝、病棟に着くと、バタバタ慌ただしい様子で出入りしている部屋は、加藤さんの病室です。

 私は、加藤さんの家族ではありません。それでも、看護師として、応援に行くことは出来ると、意を決して向かうと、あっけなく断られました。

 加藤さんは、挿管、口から硬い管を入れられて、呼吸をコントロールされていました。お顔は、真っ白です。ご家族も駆けつけて下さいました。その、ほんの僅か後だったと思います。静寂があり、その後、ご家族の嗚咽が響きました。


 私は、エンゼルケア、最後の清拭をするように言われて、先輩と初めてのケアに臨みました。いつも、丁寧に髭を剃っていらっしゃったのに、ここ何日も、それが出来ないでいた。

「お髭を剃りたいのですが」と、先輩に言うと、

「シェービングフォームがあるから、使いなさい、でも、亡くなった方は、傷つけると、血が止まらなくなるわよ」

と、脅かされました。

 怖々、髭を剃り、お身体を拭き、ご家族から渡された服に着替えると、加藤さんは、一患者ではなく、お父さんであり、夫である<加藤さん>になりました。


 私にとって、亡くなった三日前の昼食が、加藤さんと話した最後になりました。

 あんなにも、食欲だけはあったのに、さすがに倒れるほどの下血をされてからというもの、食事量が減っていきました。それでも何とか食べていらしたのに、そのお昼は、手を付けようとなさいません。

「あら、大好きなシュウマイじゃないですか」

と、声を掛けてみました。

「高校野球を応援しながら、崎陽軒のシュウマイで一杯やる、これが一番」

と、良く言われていたのを、思い出したので。

「崎陽軒ではありませんが、一ついかがですか?」

と言うと、私の方を振り向き、なんと、口を開けるではありませんか……

私は、

「もう!一回だけですよ」

と、シュウマイを箸で四等分して、その一つを彼の口に運びました。

 美味しそうに食べてくれて、大きく腕で丸を作ってくれたのを見て、私は、大丈夫と、そのまま退室しました。


 気になって見た配膳表には、(0:1)と、主食0に副食1割と書かれていました。

「ああ、シュウマイ、一つは食べられたのかな~」

と、下げられたお盆を確認すると、四分の一に割ったシュウマイの、残り三個が、残っていました。申し訳なさそうに……


 帰る前に、もう一度加藤さんに会うつもりでしたが、何だか他の用を済ませている内に、結局、会わずに帰ってしまいました。


 そして、二連休の後、加藤さんとのお別れが待っていました。


 あの時、加藤さんは、精一杯のから元気で、わたしを送ってくれたのだと思います。苦しいとか、辛いとか、このまま死にたくないとか、そんなこと言われても、当時の私には、何にも出来ない。それを知っているから、ただ、笑っていてくれた……そう思うと、情けないです。でも、私といる時、彼は、笑えた……それもまた、事実です。


 あれから、沢山の「死」に向き合いました。加藤さん、結局、「死」から救うことは出来ません。でもね、苦しい気持ちに添うこと、傍に居続けることは、学んできています、あなたのおかげで

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