簡単には、死ねません。悪しからず
「死にたい」と、面と向かって言われたことが、ありますか?
私は、何度となく、あります。それは、お世話をしている高齢者から。この、「お世話をしている」と、介護者が思うこと、それが、このような言葉になってしまう……そう、最近思えてなりません。
勿論、痛い所がある、思い通りに身体が動かない、食べたい物が食べられなくなった、行きたい所に行けない、等々の不満から、愚痴として「もう、死にたい」と言われることも、あります。そんな時は、
「ごめんなさいね、順番が回ってくるまで、もうしばらくお待ちください」
と、伝えます。
「只今、大変混雑しております。もうしばらく、この世を楽しんで頂けるように、こちらも努力致しますので」
と。一時的でも、笑ってもらえれば、大成功です。
人間、痛みを抱えて生きていくことは、辛いものです。ただ、痛み刺激は、意識しなければ、ほとんど感じません。何かもっと、気になることや、楽しみがあれば、忘れることも出来ます。痛みを紛らわす……です。
その反対に、「どこか悪い所はないだろうか?」と、暇に任せて心配すれば、どこかしら不調の箇所を見つけることとなります。何にもすることなく、ポツンと車椅子に座らされていては、自分の身体のことばかり考えてしまいます。痛い、痒い、痺れる……仕方がありません。
でも、ぼそっと、「死にたい」なんて言われると、ほんと辛いです。
夜中、10分と間を開けずに、ナースコール。
「体の向きを変えて下さい」
「腰がいたいので、痛み止めを塗って下さい」
「体の向きを変えて下さい」
「足が冷えてきました」
「体の向きを変えて下さい」
「背中が痒い」
「体の向きを変えて下さい」
「頭が痛い」
等々。
やっと、朝を迎えて、こちらも疲れ切っている所で、
「死にたい」
と、つぶやかれる。
「なんで~、こっちのセリフじゃ!」
と、言いたくなる気分。いくら、要求されたことをこなしても、その方の何の助けにもならないなんて、悲し過ぎます。
生きている意味を、見いだせないでいるのです。
「なんで、こんなに体が辛いのに、生きていかなくてはならないのか?」
「私は、生きていても、何の楽しみもない。私に生きていて欲しいという人は、いるのだろうか?」
「介護されなければ、もはや生きていけない身体。お世話されるだけ……それって……」
「死にたい」と言える方は、まだいいのかもしれません。意思を伝えることも出来ないで、横たわっている方々も、たくさんいらっしゃいます。意思そのものが、もう「無い」と、みなされて……
「死にたい」と言わさない介護。考えていくことは、とても大切ですが、「出来る」なんて、思ってはいけないと……それは、そもそも、介護されるところから、始まっているのですから……




