隣の、おじいさん
看護師として、働いていると、一般の方より、「死」と向き合うことが、多くあります。皆さん、「死」を、知らないのではないですか?「一人で死ぬのは、怖いから、寂しいから、一緒に死んでください」って、おかしくないですか?人間は、ほとんど一人で産まれて、一人で死ぬものです。病院でも、施設でも、もちろん、自宅でも、誰にも気づかれずに亡くなる方、結構多いです。「そろそろかな~」と、マークしても、心電図モニターを装着しても、「その時」に、誰かがいるとは、限らないのです。家族も、ずっと見ている訳には、いきません。たとえ、看取られている内に亡くなれたとしても、一人で逝きます。「誰かと一緒に」って、たとえ、せーので死んでも、一緒にどこかへ行くのでしょうか?ただ、この世からいなくなっただけ。一緒に死ぬ意味、あるのですか?
一人で死ぬのが、怖いならば、何も、死ななくていんじゃない?
もっと、他のことを考えようよ、別に、楽しいことじゃなくとも……と。
で、少しでも、「死」を知ってもらえたらと、リアルな「死」について、書こうかと。
個人が限定されないように、背景を変えてありますが、これは、私の「星」の物語です。職場から疲れて帰って来る夜、見上げた夜空に輝く「星」。私に看取らせて下さった方、最期を共に過ごさせて頂いた方、「明日も、頑張れよ」と、応援して下さる、その「星」の……
看護学生の時の物語です。
実習先の病院で、受け持ち患者さんの隣のベッドにいたおじいさん、必ず声を掛けて来る、というか、ずっと、話しかけて来る。学生なので、どう対応していいか困っていたら、指導者の看護師さんが、
「寂しいのよ、面会もほとんどないし、時々でいいから、傍に行ってあげてね」と。
でも、処置に回っている看護師さんのお尻を触っている……「キャーキャー」言うのが、楽しいようで。それが、いざ自分の番になると、今度は、「ぎぃえー」と、悲鳴を、あげて。私は、「まったく~」と、思ったけれど、包帯でグルグル巻きになっていたおじいさんの両脚は、それを剥がし、薬を塗るのがとても痛そう。なにしろ、真っ赤にただれて、強烈な臭気を出していましたから。
そんな光景を、三回ほど見た、次の日です。今までなかった、心電図モニターを付けられて、おじいさんは、眠っていました。
私には、おじいさんの病状は分かりませんでしたが、状態が良くないことは、見て取れました。
受け持ち患者さんが、眠ってしまい、退室しようとした、その時です。眠っていたおじいさんが目を覚ましました。顔色も悪かったので、触られることもないだろうと、傍に行き、顔を覗き込むと、
「大きくなったな~」と、急におじいさんが話しかけてきたのです。
「誰かとまちがえているんだな」と、思いましたが、それを伝えてもしょうがないと思い、
「そうでしょ、大きくなったでしょ」と、答えました。
すると、
「うん、うん、大きくなった」と、震えながら、布団の中から手を差し出してきたのです。
ちょっと、ためらいましたが、意を決して、手を握ると、おじいさんの目から、涙が流れ出しました。次から次へと、嗚咽をしながら、涙は流れます。私は、心電図モニターが何か変な音を立てないかと、ひやひやものでしたが、たぶん、ほんのわずかな時間だったと思います。おじいさんは、又、眠りにつき、手から力が抜けました。私は、その手を布団の中に戻し、病室を後にしました。
翌朝、病室を訪れると、隣のベッドには、誰もいません。部屋が変わったのかしらと、看護師さんに尋ねると、昨夜亡くなったこと、教えてくださいました。
「もう、あの痛みを感じなくて済むわね」と。
あの時、私は、誰だったのでしょうか?
おじいさんは、なぜあんなにも、成長を喜んだのでしょうか?
そして、
もう、あのおじいさんに会えないのだということに、私は、愕然としました。
看護師として、初めての「死」でした。
いつ命が尽きるかもしれない入院患者さん、明日もお会いできるとは限らないという現実を、突き付けられた瞬間でした。
だから、同じ時間を共有している者として、ちゃんと関わりたい。
おじいさん、あんな答えでよかったの?