第二十四話 忌むべき魔物と、建国の風雲児
そこは、唯一無二の独特な閉鎖空間だった。
直径100mはあろう円形、天地は50m以上の高さ。天井にあたる場所には大きく穴が口を開け、太陽光が豊富に降り注ぐ。
まず平らにならされた平坦な場所が円形を描き、その外側に一段高い場所が取り囲むように設けられている。
取り囲むそれは簡易ながら観客席、囲まれる円形部は闘いの場所――そう、ここは「コロシアム」だ。
特筆すべきは、構成する床、観客席、壁などの全てが、「樹木」であることだった。
木材、ではない。むき出しの樹の幹のような質感――。
ここは、首都バレンティン、インレスピータ宮廷地下。その大地を構成する巨大な樹の、空洞を利用したコロシアム兼訓練場なのであった。
その中央に佇む、爪先から頭までがほぼ黒一色の、一つの影。
男性だ。そのシルエットは岩のようにゴツゴツと固く、大きい。全身を包む超筋肉ゆえだ。
長い髪に半分が隠された凶悪極まる人相の貌は、両眼も口も固く閉じられ引き結ばれている。
そしてシルエットの中で一際異彩を放つ、両の手の黒き大剣。
長さ120cm,重量80kgはあるであろう金属塊を片手ずつで保持し、1mmの身体の動き、ブレもなく彫像のように静止していた。
異様で「魔」を感じさせる容姿とは裏腹に、現在は殺気も、生命活動すら感じさせないほどに穏やかな空気を漂わせている。
その男――「剣帝」の尊称で呼ばれるサタナエル“剣”ギルド将鬼、ソガール・ザークの脳裏には、己の過去の情景が思い出されていた。
*
ソガール・ザークは、エストガレス王国の衛星国の一つ、エグゼビア公国内のある農村にその生を受けた。
旧態依然の身分差別が色濃く残るエストガレス王国であるが、その分家の中でも特に傲慢で身分制に厳しいエグゼビア公爵家を戴くその国では、末端身分の者は地獄の生活を強いられた。
ソガールの家は、最下層にあたる身分。下農の家から足蹴にされながら労働を強制され、劣悪な環境に押し込まれ、生きていくのがやっとのおこぼれの食料に預かる奴隷同然の立場だった。
ソガール自身は幼少の頃より異常な体格と筋力を誇り、労働力としては重宝された。が、病的な癇癪持ちであり、たびたび逆上して家族や同胞を傷つけ、人間としては周囲から疎まれる存在だった。
また異常なまでのプライドの高さを持って生まれた彼は、卑屈な父母や同胞たちを常に嫌悪して育った。同時に非情な残虐性を生まれ持ち、傲慢な下農たちや、そのさらに上を行く嗜虐性をもつ公国兵に対し殺意を抱き続け、動物を殺し切り刻んではその鬱憤を晴らしていた。
やがてソガールが15になったとき、事件は起きた。村を訪れ、虫けら同然に自分を扱った上に平伏した頭を足蹴にした公国兵に対しついに最後の糸が切れ――。彼は激昂し反逆したのだ。
その頃すでにソガールの肉体は、最早人間と呼んで良い範疇のものではない超肉体となりつつあった。素手で公国兵の脚と腕を引きちぎり、武器を奪うとその場にいた20名もの兵士を蹂躙し殺し尽くした。命乞いをする者も容赦なくなぶり殺した。
その勢いで、支配者たる下農や、己に酷い仕打ちや嘲笑を投げかけた者に刃を向け、残らず皆殺しにした。そして震え上がる家族や同胞に対してさえも――刃を向けた。己の所業を目撃したゆえに。
村を去ったソガールだが、この虐殺を命からがら生き残った者に告訴され、国軍を上げて追われる身となった。
しかし同時にこの話を聞きつけた――サタナエルの者が現れ、ソガールを組織にいざなったのである。
彼の生まれ持った超肉体や才覚、病的なストイックさ、獣というも憚られる残虐性は、サタナエルという殺人者集団において水を得た魚のごとく機能した。彼は瞬く間に組織でのし上がり、19という若さで将鬼の座についた。
以来20年近く――。剣術において我流派「黒帝流断刃術」を大成し、大陸で並ぶ者のない最強の剣士にまでなり、息をするように人を殺し幾万の屍を築いてきた。だがその底なしのプライド・残虐性が満たされることは決してなかった。
常に飢え渇き、さらなる犠牲者を求め続ける人ならざる魔物はこうして誕生し、それを止められるものも現れず世に解き放たれたまま、世界に流血と死をまき散らし続けているのだった――。
*
現在――。バレンティンのコロシアムにおいて面会相手を待つソガール。
その両眼が突然カッと見開かれた。同時に消されていた殺気と剣気が猛烈に吹き出し、瞬時に構えに移行した。
両の大剣を交差させて水平に振る体勢――彼が「黒帝流断刃術」の中で最もよく用いる技「氣刃の参」を放つ前の型だ。
「ハアッッッ!!!!」
裂帛の気合とともに、大剣を水平に振り切る。その剣先が描く軌跡から、昼光色の巨大な光の刃が発生し、前方に放射状に広がっていく。
そして、前方30mの位置に放射状に配置された直径2mの鉄柱5本にまでそれは届き――。
1本も残すことなく上下に両断。崩れる積み木のようにそれは静かに地に落ち、重い音をコロシアム全体に響かせた。
それを見届けると――ソガールは首だけを振り向かせ、低く重い、それでいて鋭い言葉を発した。
「遅いぞ……ソルレオン。うぬを待ちきれず、我はすでに鍛錬に移行せり。何をしておった?」
その言葉が向けられた相手は――いつの間にか観客席に一人の連れを伴って現れていた。
「おおぉ~悪い悪い! なにしろこちとら、エストガレスからの国賓の方々をお迎えする準備で大わらわでなあ! すっかり遅くなっちまった。
それにしても――それだけバケモンみてえな強さを身に付けておいて、飽き足らずにまだ強くなりたいかね? また、自慢の『氣』の射程距離が伸びてるように見受けられるがな!?」
大仰な身振りで両肩をすくめるその男。
年の頃は50代半ばと見えるが、身体的特徴は比較的若々しい。190cmを超える長身で、筋肉質ながらスリムに締まった肉体。それを瀟洒で豪華な白の礼装鎧、マントで覆っている。
髪は白いものが混じりつつも大部分は黒々として豊かであり、オールバックにして撫で付けている。顔立ちは際立って端正でダンディズムを漂わせる。目はやや目尻と眉尻の下がった優男風、鼻梁の通った高い鼻、綺麗に剃り整えた口ひげ、笑みをたたえた口元。
明らかに――ホルストース・インレスピータと共通した身体的特徴をもつこの男こそ、インレスピータ族族長にしてドミナトス・レガーリア連邦王国の創始者、建国王たるソルレオン・インレスピータⅠ世その人であった。
傍らには、禿げ上がった頭、皮肉を貼り付けたような冷笑を貌に浮かべる同年代の盟友、ゴグマゴグ族長ネイザン・ゴグマゴグが腕組みし顎ひげをなでながら随行していた。
ソガールは彼らの貌をそれぞれ一瞥したあと、目を逸らし自らの型の確認と素振りに移行しつつ言葉を発した。
「ふん、強さを究る道に終わりなどない。以前から要求しておるが、生きた人間を供給してくれれば尚良いのだがな」
「まだ諦めてねえのか? 云ってるだろ、そいつは無理だって。流石に人道に外れるし、たとえ相手が犯罪人や反逆者だとしても、正当な裁きを受ける権利が一応はある。
まあ、それはともかく今日面会を希望したのは――お前に云っときたいことがあるからだ」
「何だ?」
「先程も云ったとおり、我が国は二人の国賓を迎える。そのうちの一人、エストガレス王国第一王女オファ二ミスは――。大のサタナエル嫌いゆえ、会談を成功させるためにもその間、サタナエルを御目に触れさせないようにとの――もう一人の国賓ダレン=ジョスパン公爵からのお達しだ」
「その間我らに身を隠しておけ、とでも云うのか? ふん、まったく下らぬ話だが、了解はした」
「ほお――やはり、元奴隷の身として虐げられた祖国、その宗主国の支配者に対してはお前も含む所があるというわけか?」
「それこそ下らぬ。過去の出生身分やそれにまつわる小事など、今の我には毛ほども関わりがない。我の関心はただひたすら、道を究め己の渇きを癒すこと。それ以外にはない」
「ならいいんだ。――あとそれともう一つ、云うべきことがあってな。
以前聞いた、レエテ・サタナエルの件だ」
ソガールは――ソルレオンの口から出たその名を聞いた瞬間、素振りの手を止めた。
すでに振り抜きかかっていたにも関わらず剣を急停止し、床に突き刺す。
その重量ゆえに、重々しい振動が観客席にまで伝わる。相変わらずの怪物的膂力だ。
「レエテ・サタナエル抹殺の命を下してほしいと、以前云われたときは俺も動機がなくて気乗りせず断った。が、今は事情が違う。
国賓が来訪してるときに飛び込んで来られてお前らサタナエルと衝突するなんてことがあれば、バレンティンは混乱し貴人を危険にさらす。そうあっては国の名折れだ。
晴れて俺から抹殺の依頼を下すから、できるだけ隠密にレエテ・サタナエルを殺せ。
色々聞こえてくる情報からすると、反乱軍の連中も絡んできてるらしく、そうすると俺の『不肖の息子』まで出てきていよいよ事態がややこしくなりそうだしな。そうなったらこれも始末を頼む」
これを聞いたソガールは――。
二イィィ――! と、背筋も凍るような不気味な笑いを貌に貼り付けた。
そして剣を持っている左手を横一閃に振り、その剣先から「氣」を放射状に発した!
氣は一直線に、10mほど先にあった観客席下の壁面を直撃し、巨大な振動と――粉塵と、巨大な傷を樹の細胞壁に刻んだ。
足下に攻撃をくらったソルレオンとネイザンは体勢を崩しかけるが、持ちこたえた。
自分たちの方向に攻撃を発し、確実に危険に晒したにもかかわらず、ソルレオンらは動揺することも怒ることもなく平然としていた。これは彼らが肝が据わっていること以上に、ソガールが感情の発露とともにこのような極端な行動を取ることが日常茶飯事で、慣れきっていることを意味していた。
粉塵が晴れた中、不気味に立つソガールは、感情と殺意を爆発させていた。
「よくぞ……よくぞ決断した、ソルレオン!!! うぬのその命をもって、忌々しい小僧、将鬼ゼノンの干渉はその効力を失った!!! 我は動く!!! 仇敵、レエテ・サタナエルを我が白刃の露とし消滅させり!!!!」
歓喜に湧くソガールを見やり、ネイザンは密かにゆっくりと首を横に振っていた。
(相変わらず、イカれてやがる……。どうする、“背教者”の小僧と、“紅髪の女魔導士”の姉ちゃん。ソガールは動き出したぜ。こんな魔物にそんじょそこらの小細工じゃあ対抗できねえ。早くしねえとレエテ・サタナエルもろとも、下手したらお前ら全滅だぜ……)
*
同じ頃、ドミナトス・レガーリア内南街道。バレンティンまであと数kmの途上。
街道は、二千からなる軍隊の列に埋め尽くされていた。
その掲げる御旗からいっても、兵士の軍装からしても、エストガレスの軍勢であることは明白だ。
かつ、厳重に警護される、列中央にある一台の豪華かつ堅牢なる馬車。
これは一路バレンティンを目指すエストガレス王国使節団であり――。
馬車で向かいわせに座るのはもちろん、オファ二ミス王女とダレン=ジョスパン公爵であった。
オファ二ミスはややそわそわと落ち着かない様子で、50mほど後ろに追従する荷台を改造した護送馬車をちらりと見やりながら、目の前の従兄に云った。
「お従兄さま……。あの護送車に、お従兄さまのお命を危険にさらしたという、恐ろしい暗殺者が囚われて居るのでしょう? もう首都も近いというのに、ここへ来て暗殺の手が伸びるだなんて。やはり私たちは、ドミナトス・レガーリア国民だけではなく、ソルレオン国王からも敵意を向けられているのでしょうか?」
これに対しダレン=ジョスパンは、優しい笑顔を浮かべながら――。ついこの前、その「暗殺者」――シエイエス・フォルズに対して向けた狂気と敵意に満ちた貌の持ち主と、同一人物と思えぬ様相で、云った。
「はっはっは! 心配するな、オファ二ミス。あの暗殺者は、少なくともソルレオン国王と無関係であるという裏はとれておる。
むしろ、あと少しでバレンティンから、正式な国軍の出迎えが来るであろう。
こたびの和平・同盟交渉は、きっとうまくいく。
よくぞ、ここまで過酷な道程に耐えてくれた。今ここにお主がいてくれるからこそ、交渉への希望が持てるのに他ならぬ。本当に感謝しているぞ」
「お従兄さま……!」
目を潤ませるオファニミス。
ダレン=ジョスパンが予言したとおり――バレンティンの国賓迎えの正式な国軍は、軍の先頭数百mの先に近づいてきているところであった。
そして――軍の最後尾では。
ダレン=ジョスパンの密命を受けた兵士達が、急造のビラを持ち、街道沿いの樹々に一枚一枚貼り付けて行っていた。
そのビラには――赤い、目立つ文字でこのように書かれていたのだった。
“『血の戦女神』レエテ・サタナエルに告ぐ
シエイエス・フォルズの命が惜しければ、バレンティンのインレスピータ宮廷まで来るべし
汝の身柄と引き換えに、囚人の身柄を解放せり”
と――。