第十話 道標と往く先
ラルバの泉にて、“義賊”ホルストースと名乗る謎の男がレエテにメッセージを残して去った、その一時間後――。
キャティシアが用意してくれた新しい衣服を身に着け、レエテはシエイエスとムウルの元へ戻った。
すでに彼らはバルバリシア族戦士の埋葬を終え、この日の夜の野営に備えて準備を進めているところだった。手持ちの革張りのタープを樹々の間に張るシエイエスと、竈の支度をすすめるムウルの姿が見えた。
レエテが彼らを呼び寄せると、彼らは手を止めて近くへ寄った。
キャティシアはその肩に抱える、すでに手早く仕留めていた子鹿を運び、肉を捌く準備に入った。
道中で説明したキャティシアを除く二人に、先刻起きた一部始終を詳細に話すと、目を細めて聞いていたシエイエスが言葉を発した。
「……分かった。何はともあれお前が無事でよかった、レエテ。
ムウル。その“義賊”ホルストースという男の名と、“太陽を貫く槍”ドラギグニャッツオという名に、心当たりはあるか?」
ムウルは、目を見開き、驚愕を隠さず云った。
「そのホルストースって奴の名前は初めて聞いたけど――。ドラギグニャッツオ、についちゃあ、心当たりがあるどころの話じゃないよ! シュメール・マーナの一番偉い神様、ドーラ・ホルスが創ったっていう、伝説の槍だよ!
ドーラ・ホルスは太陽から生まれて、この世の全てを創った。ドミナトスの山々とレガーリアの海を造りだすときに、大地を削り出すために生み出したのがドラギグニャッツオ、なんだ。
太陽の化身である自分をも殺せる槍だって云った伝説から、“太陽を貫く槍”って呼ばれてる。
もう、何千年も前からドミナトスの神聖な『ホルスの祠』にあったのが、そこを自分のものにしたソルレオンが国の国宝にするとか云ってネコババしたんだって聞いた。けど――たしかおれ、ベルべナウから何年か前に盗まれて今はバレンティンにない、って聞いたなあ……」
シエイエスはそれを聞いて軽く頷きながら言葉を継ぐ。
「なるほど……。ホルストースという男が持っていた槍が、本当にドラギグニャッツオだったのならば――。彼は名乗るとおりの“義賊”で、国を独裁的に専有するソルレオンへの反逆の意志としてそれを盗み出した。そして今では自分の得物として使っているということだな。
しかしそれだけでは、彼がサタナエル、もしくはそれに同調する勢力ではない、という証明にはならないな。
たしかにソルレオンに反逆する時点で、すなわち反サタナエルともいえるが――それはあくまで反ソガール・ザーク、ということにすぎない。今日の一件が証明するように、サタナエルの組織の中にも対立めいたものや、各将鬼の思惑もあるようだ。ホルストースという男が、密かに送られた別の将鬼の息のかかった人物、という可能性も否定できない」
そのシエイエスの言葉を耳にしたキャティシアが、鹿肉を捌くためナタを振るっていた手を止めて振り向き、ムキになって云った。
「そうです!! あんな男が私達の味方になるようないい人なわけがありません!
レエテさんの裸をこっそり覗き見るような、変態男が!」
怒りの収まらないキャティシアが言葉を荒らげるのを、レエテは苦笑しながらなだめた。
「まあまあ、キャティシア……。見られたこと自体はとても恥ずかしかったけれど……私が感じたところだと、彼、ホルストースには本当に悪気はなかったように見えた。同じように――彼の語った言葉も、たぶん全部本当じゃないか、というのが感じた正直なところなの、シエイエス」
シエイエスはそれを聞いて軽く頷くと、ムウルに向き直りつつ言葉を継いだ。
「そうなると、罠の可能性は対策する必要があるが、今後の打開策を探るためホルストースに会いに行くしかなさそうだな。その『不死鳥の尾』とかいう場所に赴いて。
ムウル。その場所は知っているのか?」
「まあ、ね。ドミナトスだけど有名なとこだから、大体の見当はつくよ。
それこそ、伝説の不死鳥みたいな形のでっけえ岩の山があって、それが海岸からみるとよく見える。
その尻尾にあたるところが、『不死鳥の尾』なんだって。
行ったことはないけど、たぶん案内できると思うよ」
「わかった、よろしく頼む。
実はな、レエテ。できすぎた偶然だが俺はもともと、王都に行ってソガール・ザークを討つためには、盗賊に会う必要があると考えていたんだ」
レエテは首をかしげてシエイエスに尋ねた。
「そう、なの? それはどうして?」
「ある国があって、その国の実情を最もよく知っているのはな……。
市井の人々でも、農民でも、商人でも――政治家でも、国王でもない。
その国に巣食う、盗賊なんだ。
俺が軍での情報収集で得た心得だ。彼らは、人を襲い、物を盗む。それは金目の物さえとれれば相手を選ばない。盗む物、量から得る情報も膨大だし、その際に相手との会話で得る情報も膨大だ。
金目の物を確実に得るにはそもそも、事前の現実的情報収集が必要だ。
そして何よりその瀬戸際の状況に加え、盗賊の彼ら自身もある意味国でもっとも自由な立場だから、他の身分や立場ある人々のようなフィルターがかからない。その国の、最も真実の状況を肌で感じられるのさ」
「なるほど……云われてみれば、そうね」
「だから、彼らが盗賊ならば、向こうから会ってもらえるのは願ってもないチャンスといえる。
ホルストースに、会おう。
すでに、ダレン=ジョスパンやオファ二ミス王女とも会わねばならない中、予定過密な状況ではあるが……。
それでも良いか、レエテ?」
その言葉に、微笑みつつシエイエスに向けて身を乗り出してレエテは云った。
「もちろんよ、シエイエス。私は、あなたを信頼してる。あなたの考えたとおりにしましょう。
他にも、あなたが考えたことなら、最大限に私は動くわ」
「ありがとう。レエテの同意も得られたし、明日の朝にここを出立しよう。
方角は、北東。当面は『不死鳥の尾』を目指して進み、その中でダレン=ジョスパン公爵とオファ二ミス王女との面会の方法を探ろう」
*
同時刻、南街道の中間地点、レガーリア地域の中心部にあたる宿場村――。
一部族が営む小さな村を、宿場として改造したこの村は通常では、せいぜい200人弱の人口にすぎない。
しかしながら、現在その人口は――2200人。
その理由は、現在バレンティンを目指すダレン=ジョスパン公爵とオファ二ミス王女の率いる使節団の、休憩場所となっているゆえだ。
兵卒は、自前で用意した野営設備で寝泊まりすればよい。
問題なのは――。軍将校や、それとは比較にならない高貴な貴人が寝泊まりする、場所の確保だ。
それを申し付けられた村の要人が、大わらわで動き回っているのだ。
とりわけ、彼らがもっとも重視したのは――。
噂に名高い“狂公”ダレン=ジョスパン公爵から直々に申し付けられた、“陽明姫”オファ二ミス王女の湯浴みの場所の確保だった。
幸い、豊富な水源を持ち、薪にも事欠かないこの村では即席の浴槽に湯を張るのはさほど難しいことではなかった。――それを見越しての、ダレン=ジョスパンの命令ではあったが。
あとは、いかなる賊にも覗き見られることのない、厳重な目張りさえ確保できれば。
おおよそ目星がついたところで、ダレン=ジョスパンは馬車に戻り、オファニミスにその事実を告げた。
「オファニミス。お主にとっては久々の、良い知らせだ。
どうやら二週間ぶりに、お主に伸び伸び湯浴みをさせてやることができそうだ――」
「『湯浴み』!? 湯浴み、って云ったの、お従兄さま!? 本当にここでできるの!?」
ダレン=ジョスパンが言葉を終えるのを待つことなく――。
目を見開き噛みつかんばかりの勢いで、『湯浴み』という言葉に極めて強く反応し、オファニミスは彼を大声で問いただした。
無理もない。これまでエストガレスの華である大陸一の大都会の中心、ローザンヌ城以外の場所で生活したこともなく、毎日の湯浴みを抜きにしては成り立たなかった彼女だ。
それが、今回の使節団に参加してからというもの、二週間もの間近習が用意したバケツの水で絞った布で身体を拭くことしかできない生活を強いられたのだ。
気丈に振る舞うも、日に日にそれを始めとする悍ましい多くのストレスで憔悴していくのを見て、一度息抜きをさせてやらねばとダレン=ジョスパンも考えていたところだった。予想どおり、彼女にとってこれ以上の天国はないといわんばかりの反応を見せた。
そんな状況ではあるが、ダレン=ジョスパンは正直オファニミスを見直していた。
出立前には年相応の少女らしく、このような状況下でもう少し弱音を吐き――最悪癇癪をおこし、ローザンヌに帰りたいと騒ぐような事態も想定していた。
しかしいざその状況になってみれば――。表情などはともかく、彼女は鉄の自制心を発揮し、ここに至るまでいっさいの弱音を吐いたり不満を口にすることがなかった。それどころか、ダレン=ジョスパンや近習、将校、兵卒、はては国に残してきた父国王や兄王太子、国民全てをもを気遣う言葉を常に口にする。
予想していた以上の精神力と、この若さで王の器の一端を示した従妹に、頼もしくも嬉しい思いと――全く異なる別の危機感を同時に覚えるダレン=ジョスパンであった。
「それでは、準備ができたらドレークを呼びにやる。それまで今しばらく待っていよ。
湯浴みだけではなく、寝泊まりする場所も、ふかふかのベッドを用意してやれそうだ。
楽しみにしておれ」
「あ、ありがとう――。本当にありがとう、お従兄さま!! いえ……感謝すべきなのは、それ以上にそれを懸命に準備してくれる宿場の民たちね。わたくしごときのためにここまでしてくれて、心から感謝していると民に伝えて、お従兄さま」
「それは、お主自身の言葉で伝えてやるのが最も心に伝わろう。全てが終わってからゆるりと言葉を交わし、民に感謝してやったら良いと思うぞ」
自分でも、心にかけらもないことを口にしている――。とは思いつつも、それを云い置いてダレン=ジョスパンは馬車を後にした。
邪魔が入らない状況を作り――。オファニミスにとっては禁忌であるサタナエルの一員との会談を行い――。オファニミスにとって敬愛する対象であるレエテ・サタナエルを我が物とするための陰謀を巡らせる、その目的のために――。