第八話 戦女神の目覚め
ナユタたちが馬車で首都を目指すその遥か南方、レガーリア地域中心部、森林地帯――。
“剣帝”ソガール・ザークがバルバリシア族戦士虐殺ののち姿をくらましてから、およそ4時間後――。
正午前であった時刻は夕刻に差し掛かり、陽は西の方角へ下がりつつあった。
その間、虐殺の現場となった広場で右頭部、右腕、右足を切断されて斬死体の様相となったレエテは――。その特異な細胞が急速に自己増殖して再生していく中、即席の敷物に横たえられていた。
シエイエスは、負傷した両脚にキャティシアの法力で回復を受ける中、その様子をじっと見つめていた。
レエテのサタナエル一族の肉体の再生の様子を、ナユタやルーミスほどには間近で見慣れていないシエイエス。知識で知ってはいても、やはりぞっとするほどの悍ましさを禁じ得ないものだった。
切断された右腕と右足は、キャティシアがあてがってわずか数分で、自己保持できるほどにくっついてしまったが――さらに一時間ほどの間に骨、筋肉、皮膚が完全に再生したようだ。
失った右頭部は、驚異的なことに露出し零れ落ちそうな脳が自らを頭蓋に支えて流失を防ぎ――。出血を止めた赤黒い切断部からジュル……ジュルと蠢くような音をたてて見る見るうちに増殖した細胞が骨を、不足した脳を、筋肉を、皮膚を形成していく。
あまりに過剰な急速代謝のエネルギーなのか、高温となった体熱で水分が蒸気のように身体からあがるのが目と耳で確認できる。同時に、死に絶えて代替できない細胞が流れ出ていると思われる、薄赤黒い液体がドロドロと流れ落ちていく。
何も知らない人間が仮にこの様子に出くわせば、まさしく化物か悪魔の化身としか思われず悲鳴を上げて逃げ惑うしかないであろう、不気味極まる様相だった。
今自分が受けている治療のように、通常の人間の回復とは法力の力でも増殖する細胞の動きなど全く感じられないほどゆっくりで、自分程度の切り傷ですら小一時間は必要とするものだ。
いやそもそも、以前ナユタがそうであったように、回復以前に腕が一本無くなっただけで多くは死に直結する。細い生命のラインを越えてしまったら法力も全く意味をなさない。頭部を半分失うなど、全く論外だ。
レエテがこれまで旅をともにし、語り合い、心を通わせてきた一人の人間とわかってはいても、やはり通常の人間とあまりにも違うのだ、ということを再認識せざるを得ない。
どのようにして、このような奇跡的特異な肉体の遺伝子をもつ一族が生まれ得たかは解らぬが――。結果アトモフィス・クレーターという閉鎖空間に閉じ込められ、管理されることになったのは倫理とかけ離れた非人道的扱いではあるがある意味、必然だったのかもしれない。
一族は、レエテやその家族たちのように、清い心を持った者ばかりではないのだ。“魔人”ヴェルのような邪悪で危険な思想の者が、その半不死身の力で秩序なく何百人と大陸中に野放しになったとしたら――。考えるだけでぞっとする。
――だからといって、サタナエルという組織を弁護する余地などかけらもないが。大陸の人々と隔離して安全を確保する目的などなく、歪んだ正義――極めて邪悪としかいえない思想で、世界の暗部を支配するためにその力を囲い込んで最大限利用してきただけなのだから。
隣のキャティシアを始め、他の者が考えているように、シエイエスもレエテを一人の人間として命の危険や道具のように扱われることから阻止したい気持ちは強くある。
が、同時に彼独自の視点でさらに感じたのは――この奇跡の力をサタナエルに取り戻されるのはもちろん、大陸の他のいかなる勢力にも渡してはならないという客観的で冷徹な考えだったのだ。
回復が終わり、立ち上がれるようになってキャティシアやムウルとともにバルバリシア族の遺体を運んで土に埋め埋葬する間にも、そのようなことを考え続けていたシエイエスだったが――。
ふと再びレエテの方を見やると――。
その両目が薄く開いているのが見えた。
もちろん、失った右目も含め、身体の全てが何事もなかったかのように完璧に再生を遂げた綺麗で美しい状態になって。――もちろん、生々しい血痕や体液の跡がべったり貼り付いているのは別として。
「レエテ!! 目が覚めたのか!
大丈夫か? 起き上がれるか?」
「え……? レエテさん!? 気がついた? 大丈夫ですか!?」
シエイエスと、その呼び声で気がついたキャティシアが、作業を中断してレエテに駆け寄る。
ムウルも、同じく手を止めて彼女に駆け寄った。
レエテは、横たわったまま数度まばたきし、乾いた唇を動かした。
その様子から察したシエイエスが、腰に下げた金属の水筒を取り、その唇に近づける。
レエテはそこから流れる水を飲み込み、赤い舌で唇をゆっくりと一周舐めた。
紅がさした唇が濡れて潤い、余った雫が頬をつたって垂れる。
そしてかすれる声で、言葉を発する。
「シエイ……エス。キャティシアも……無事なのね……。あの……子供、は……?」
その言葉に、ムウルが前に出て膝をついてレエテの貌を覗き込み、声をかけた。
「おれは無事だよ! 強くて不死身のお姉ちゃん! あんたのお陰でおれはあの魔物に殺されずに済んだ! 本当にありがとう!!
あんなになりながら魔物に傷まで負わせて――。本当にすごかった! おれはしばらくあんたについていくことになったんだ。役に立たせてくれよ!」
若さと情熱ゆえか、大声で興奮し、まくしたてるムウル。どうやら彼はレエテの不死身ぶりを恐怖の対象とはとらえず、それよりも純粋な感謝と、部族の子供らしい強さへの尊敬の念を強く抱いてくれたようだ。内心安心しつつ苦笑しながら彼を制したシエイエスが、レエテに声をかける。
「そういうことだ、レエテ……。
どこまであの時意識があったかわからないが、ソガール・ザークは別ギルドのサタナエル副将の介入によって、一旦この場を去った。詳しくは後で話すが、しばらくは奴は俺たちとの戦いを避けるだろう。
俺の力不足と判断ミスもあって、結果的に奴を取り逃がしてしまったのは悔やみきれないし、済まないと思っている。
そしてこの少年、バルバリシアのムウルは、自分の同胞を殺したソガールとソルレオン国王への復讐のため、俺たちに同行し案内をつとめてくれるそうだ」
それを噛みしめるように聞き、レエテは徐々に、明瞭に言葉を発した。
「ありがとう、ムウル。そしてシエイエス……。あの時もところどころ、意識はあって断片的には覚えている。特に……奴、ソガールがマイエの名前を出して私を挑発したこと」
ギリッと歯ぎしりして低い声を押し出すレエテ。
同じく殺気を放ちながらこれに同調するシエイエス。
「ああ……今ではないし、あの魔物じみた強さを攻略するには策も必要だろうが……奴は必ず仕留める。俺達の手でな。
しかし……レエテ。本当によかった。心が回復し以前の状態に戻ってくれたようで。
本当にいつ自殺をはかるか心配で気が気でない位だったが」
これを聞いて――。
レエテはゆっくりと上体を起こして、シエイエスたちの方に向き直りしっかりと目を合わせた。
「シエイエス、キャティシア。それに今はいないけどナユタ、ランスロット、ルーミス。本当に……あなたたちには心配をかけたわ……。ごめんなさい。
正直、まだ心の整理がついているとは到底いえないけど……。
さっきのことで、とてもはっきりしていることがある、と改めて分かった。サタナエルと、将鬼と、“魔人”を殺す。この目的は、私の中で絶対だということ。どんなことがあっても、それを成し遂げるまでは憎しみは決して消えないということ。
ビューネイのことは……いまだに考えるだけで頭がおかしくなりそうに、押しつぶされそうに辛い想いは消えないけれど……。
シエイエス、あなたが私に云ってくれたように――。当初の目的を達することが、ビューネイを解放――救うことになるんだと、しばらくは信じていくことにする」
シエイエスは、レエテに歩み寄って膝をつき、彼女の肩を叩いた。
「ありがとう。そう思ってくれて俺も嬉しい。
――だが如何せん、その身体はなんとかした方がいいな。貌も頭も血と脳漿まみれだし、身体もベタベタだ。少し、気分転換も兼ねて身体を洗ってくるといい。
ムウル。この近くにきれいな水場はないか?」
「ああ、あるよ。ここから東に500mくらいまっすぐに行くと、ラルバの泉っていう大きな湧き水の出る水場がある。水の精霊が宿るって云われてる、すっごく透明できれいな泉だよ」
「でも……皆、死んだ戦士たちの埋葬に忙しいでしょう。私も手伝わないと……」
遠慮するレエテを、今度はキャティシアが手を振って制止した。
「いいんですよ、レエテさん。あなたの分は私が二人分働きます。行ってきてください、この場の私達が今こうして生きていられるのも、レエテさんのおかげなんですし。
あとで、私が拭くものや着替えになるものを持っていきますから。それにずっと食べていないんだし、あんなことがあった後だからお腹も空いているでしょう? ついでに鹿の一頭でも仕留めておきますよ」
それを聞いて、レエテにもようやく笑顔が戻った。
「ありがとう、キャティシア。嬉しいな、たしかに凄くお腹が空いてるんだ。たぶん私一人で一頭分食べられるかなと思うくらい。
それじゃあ皆、お言葉に甘えて――この場はお願いね。少しだけ、行ってくる」
云うとレエテは立ち上がり、しっかりした足取りで東の方角に歩いていった。
レガーリアの広大な森林は、あのような惨劇や、この地上でもまれに見る一つの激闘が行われたことなどまるで意に介さぬように――。たゆたう緑とその間から差し込む暖かな陽光、爽やかな風の音が心地よい平和な空間であった。
しばらくは雨も振っていないと見える乾いた大地を踏みしめながら、レエテは歩みを進めつつ何度も深呼吸し、時々目を閉じて新鮮で美味に感じる空気を大きく吸った。
そしてしばらく歩くと、ムウルの云うラルバの泉、はすぐに見つかった。
森林の開けた場所にある、外周300mほどと思われる大きな泉だった。
地下に膨大な水脈があるのだろう、中央部からはふんだんな水が吹き上がり、1mほども盛り上がっているのが見て取れる。
その水質は、ムウルの言葉がまったく誇張でないことを示しており――。水深50cmから1mほどと思われるその水かさの底の砂までが、磨き抜かれたガラスを通しているかのように透明ではっきり見えるほど美しく、見とれてしまうほどだ。
精霊が棲むと云われても、なんら不思議ではない。
そしてレエテは岸で足を止めると、身につけていたブーツ、レギンス、ボディスーツ、下着をすべて脱ぎ捨て、一糸まとわぬ全裸となった。
そのまま泉に足を踏み入れ、中央付近まで差し掛かると、頭から全身を丸めて泉の美しい水にその身のすべてを沈み込ませたのだった。