第七話 首都潜入の途上で
ドミナトス=レガーリア連邦王国の首都バレンティンは、旧ドミナトス地域の巨木群を開拓して造られた。
国土の北東部に定められたその場所は、もっぱら防衛を重視したゆえ、エストガレスからもノスティラスからも遠い直線距離上にある。
当然そこに至る道などはまともに存在しようもなく、首都建造とともに建設開始し、いまだ整備が続けられている幹線たる大街道が二つある。
一つは、ノスティラス皇国、皇帝直轄領ランダメリアへと通ずる西街道。
もう一つは、エストガレス王国、王都ローザンヌへ通ずる南街道。
エストガレスでは、ファルブルク街道という別名で呼ばれる道だ。
レガーリア地域を通過して首都へ向けて北上するこの道は、現在ダレン=ジョスパンとオファ二ミス率いる使節団が通過中である。
それに先んずること、およそ50km北の路上を走る、馬車の一団。
二頭立ての荷馬車が10台、隊列を成す陣容だ。
荷の中身は、大量の小麦やトウモロコシなど穀物の袋、絹の反物など。
ドミナトス=レガーリア国内で入手が難しい物資を、ローザンヌからバレンティンへ移送取引する行商団であった。
その最後尾の馬車の荷台に――。
人の姿があった。
木のコンテナの脇のスペースに腰掛けながら、あまり快適とはいえない乗り心地の馬車の振動に揺られながら談義する――。
ナユタ・フェレーイン、その肩に止まるランスロット、そしてルーミス・サリナスの3名だ。
「うう……まったく、ひどい道だねー。気持ち悪っ! 20年も整備しててこの状態なの? この先のバレンティンの有様もたかが知れるってもんだよね」
ランスロットが目を閉じて首を振りながら、不満を口にする。
「まあしょうがないだろ。ちゃんとした計画で工期どおりできりゃもっとマシだったんだろうけど、なにしろこの国は部族制度の弊害で常に内乱の火種があったっていうからね。
内乱の鎮圧に駆り出されたり、工事を再開しても、下手したら作業員そのものが内乱を起こしたりしたんだろうしね」
ナユタが、後ろに流れ行く街道と森林を遠目に見やりながら解説する。
「まあ、乗り心地はともかく馬車に乗せてもらえたのは良かった。これならあと一日でバレンティンに到着できる。
それ自体は今回の1000ゴールド払っても安い運賃だが……。
ナユタ、オマエ……ここの主の男から遠回しに金より自分の身体が欲しいと要求されて……本気で応じそうになってたんだよな? さっきのあれは。
オレが金額を3倍に吊り上げたら、応じて貰えたから良かったものの、そうでなかったら――。
オマエ、今までも『そんな』ことして交渉したり身銭を稼いだりしてたのか!?」
ルーミスが、まるで娘に対する父親のような口調で、ナユタに詰め寄った。
ナユタが、さも面白おかしそうに応じる。
「ハッハッハ! なんだいあんた、あたしの心配してくれてんのかい? 一丁前に良い男っぷりじゃないか。
そりゃそうさ。あたしの身体一つで穏便にしかも金を払わなくて済むなら、迷わずその方法をとるわよ。
今までも、お察しのとおりこの美貌と身体を武器に物事を解決してきたことは何度もあるしね……男は嫌いじゃないし。
さっきのは、『あれ』以来シエイエスともご無沙汰だったから、ちょうど良いかなと――」
「ナユタ!!」
ナユタがしまった、とばかりに、油断し滑らせた口を慌てて手で塞ぐのと、ランスロットが叫ぶのはほぼ同時だった。
しかし、時すでに遅し。ルーミスは表情を瞬時に変え、貌を真っ赤にした後に血相を変えて立ち上がり、ナユタの両肩を掴んで揺さぶった。
その衝撃でランスロットも振り落とされる。
「何だと!! オマエ、オマエ――に、兄さんと――そ、そんなことを!?
いつだ!! いつからそんなことになったんだ!! ひ、人の兄と勝手に――。
なぜ黙ってたんだ!! オマエも、兄さんも――」
思考が混乱し、自分でも何を云っているのかよく分からないルーミス。
ナユタが、身体を振られながらもバツの悪そうな貌で目を逸らしながら答える。
「い……一応ドゥーマで計画を一緒に練ってた二週間くらいの間の話よ。
いや、それでもそんなには……4、5回位しか寝てない、と思うよ? ……もうちょっとかな……? とにかく、あんたたちと合流してからは誓ってそんなことになってないし……。
だからってそんなこと……云えるわけないだろ? いくら弟とはいってもあんたみたいな堅物でしかも子供に。レエテにだって……」
「し……4、5回……」
具体的な情報で何かを想像してしまったらしいルーミスが、貌をさらに赤くしながら手を止めた。
「そ、それと……あんたの兄貴の名誉のために一応云っとくと、誘ったのはあたしの方だからね……? とにかくいい男だし、あたしも大分ご無沙汰だったからさ……。あ、あいつも同じ事情で利害が一致して……。ていうか、男なら誘われればあんまり断わんないと思うし……。
けど……けどね? 勘違いしないでほしいのは、あたしは貌はともかく、あいつの性格は可愛げなくて全然好きじゃないし……。あいつもそれは同じみたいだから、ま……まあ、いわゆる恋だの愛だのは全くなくて、割り切った大人の関係、ていうの? そういう感じよ……。
あ……それだと、余計悪いの……かな?」
ナユタは、冷汗をかきつつこれまで見せたことのない程のうろたえた様子で、必死に弁解した。
ただ、ここに至るまでのシエイエスと彼女の接しぶりを思い返してみても、その内容は事実だろうと思えたため――ルーミスは感情のやり場なく、下を向いて押し黙ってしまった。
「……」
「わ、悪かったよう……本当にごめん、ルーミス……。
あんたの兄貴だと知っていながら、目先の欲望とか好奇心に負けちまったあたしのせいで、あんたを傷つけちゃったんなら、本当に謝る。
それに……そのことで、愛情もあって尊敬もしてるだろうあんたの兄貴を……見損なわないでやって欲しいんだ。あ、あんたには少し理解しづらいかもだけどそれが普通の男ってもんなんだよ……。それだけのことで、少し堅物だけど本当にあんたのこと想ってて……皆のことも想ってる良い奴なのは間違いないし」
これまでと同一人物とは思えないほどしおらしく下を向いてしょげ返り、謝罪とシエイエスの弁護を口にするナユタに向けて、ランスロットは深い深い溜息をついた。
「らしくなく、口が滑ったね、ナユタ……。でもまあ、結果的にはこれで良かったんじゃないか? あまり秘密としておくより、事実として伝わってたほうが。
ルーミスも、僕から弁護させてもらうと、このとおりナユタにまったく悪気はないんだ。
まあ、僕から見てもちょっと自由奔放な性格すぎる、ていうだけでね。
非難したい気持ちかもしれないけど、もう今さら二人が同じようになることはないし、過去の過ちとして許してやってくれないか?
知ってながら黙ってた僕も、同罪だしね……悪かったよ、ルーミス」
ナユタとランスロットの言葉をじっと聞いていたルーミスだったが……貌を上げてようやく言葉を発した。
「もう、いい……。よく、わかった……。とても、驚いたし……何といっていいか……自分でも分からないくらい衝撃はうけたが……。冷静によく考えれば、オレがどうこう云う筋合いのことじゃないし、オマエたちを非難する筋合いも、その気もない。だから二人とも謝らなくて、いい。いいけど……ランスロット、オマエはその……見て、いたのか? 『それ』を?」
最後の言葉は、口をついて出てしまったもののすぐに真っ赤になって口を塞ぎ、言葉に出したことを後悔する素振りをみせた。
ランスロットは、ゆっくり首を振った。
「いいや……ナユタは気にしなさそうだけど、僕は昔からずっと『そういう』ときは気を利かせて席を外すんだ。だから見てないよ。けどまあ、終わったあとは二人ともとても満足してたようだから、それはそれで良かったなと僕はいつも思ってたけどね」
「ちょ……ランスロット!」
「そうか……そうなんだな……」
ランスロットの余計ととも聞こえる一言に、ナユタは目を剥いたが、ルーミスはそれを聞いてひどく考え込む様子を見せた。
ナユタは――そのルーミスの様子を見てすぐに勘付いた。
シエイエスはルーミスにとって大きく歳の離れた兄で、その性格からしても感覚的に兄弟というより父親のほうに近い。だから自分と――レエテに恋焦がれるような自分と同じ男だという意識は持っていなかったのだが――。
ここまでの話で、兄も女を抱きたい性欲のある一人の男であるという厳然たる事実が突きつけられてしまった。
となると、今行動をともにしている女性は?
キャティシアは年代からいってありえないだろう。となればやはり――。ルーミスとして最も避けたい事態、レエテにその思いが向く。
あれほどの絶世の美貌と身体であれば、至極当然のことと思う。
ひょっとして、今回の組分け人選も、それを目的にしているのでは――と疑心暗鬼な想いすら浮かんで心配が膨れ上がっているのだろう。
ナユタはそれを、口に出していつもどおりにルーミスをいじり倒してやりたくなりウズウズしたが、今回ばかりは、強く自重した。
「まあナユタも、今後は自重してくれると思うよ?
事実、そういうことに疎いレエテと行動をともにするようになってからというもの、彼女の前で男を誘うとか――むしろそんな素振りさえ見せないことに僕は驚きを感じてたんだからね。
レエテと離れたとたんこれか、と思ってたところ、ルーミスに対してもこういうことになって――当分、禁欲生活を強いられるねえ、ナユタ?」
「うるさいねえ。……よおく、分かってますよ、自重しますとも。少なくとも皆が見てる前じゃ、ね……」
「そうやって隠れてやろうとしても、僕の目だけはごまかせないよ。すぐに見破ってあげるからねえ……」
*
その馬車の中で続くナユタとランスロットとのやりとりを――。
一つの視線が、食い入るように、見つめていた。
その視線の主は――馬車の速度、時速約20kmと同等の速度で、南街道の脇に林立する樹々の間を枝から枝へ飛び移っていた。
それは――黒いフード付き外套で身体をすっぽり覆ってはいたが、明らかに若い男であった。
貌はよく見えない。しかし真っ先に目が行く特徴は、その両手に装着された巨大な鉤爪。
非常に大きく、そして先端が曲がった形状は異なるものの、黒光りするその形状はサタナエル一族の結晶手を模したものであろう。
これが手だけではなく足にも装着され、それを巧みに操って枝だけではなく、時には幹にも爪を食い込ませて足場にしながら高速で馬車を追跡しているのだ。
ナユタ、そしてルーミスの貌をしっかりと視認したこの追跡者は、歯をむき出し不気味にニヤリと嗤った。
(見つけたぞ……“紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーイン。“背教者”ルーミス・サリナスと一緒か。
レエテ・サタナエルと離れているのは、ある意味千載一遇のチャンス。
ロブ=ハルス様に報告しつつ、我らで貴様らを仕留め……手柄をものにしてくれる)
ギラリ、と目を輝かせながら、一切の疲れを見せることなく追跡を続けるのだった――。