第一話 失意の戦女神
ドミナトス=レガーリア連邦王国。
ハルメニア大陸に現存する11の国家・地域の中でも、突出して歴史の浅い建国20年の国家。
元々はエストガレス王国にも、ノスティラス皇国にも見向きもされなかった密林地帯であり、どの国にも属さない中立地帯であった。
山岳地帯側をドミナトス地域、海に面する側をレガーリア地域と呼び、100を超えると言われる部族のひしめき合う未開の地。
これに加えて、大半の国家がハーミア教を信奉するハルメニア大陸において異端といえる、精霊信仰に基づく多神教シュメール・マーナを信ずる。
これらの後進かつ異端の文化を持つ彼らと交流を持とうとする人間はそう多くはなく、物好きな冒険者による武勇譚――。あるいは好奇心旺盛な住民の部族達が時折外部と接触した際の土産話以外には詳細を伝える物もなかったこの地域は、永きに亘り近付きがたい秘境として定着していた。
しかし22年前、この地域に異変が起きた。
ドミナトス地域の山岳で、巨大な貴金属鉱脈が発見されたのだ。
ごく当然ながらすぐに、これを巡って地域内の部族間で血で血を洗う争いが繰り広げられた。
戦いを制したのは、永くこの地域を縄張りとしてきた部族の一つ、インレスピータ族の首長であった男、ソルレオン・インレスピータであった。
一時ノスティラス皇国に在住・修学し、一部統候や皇族とも交流のあった知勇備えたこの英雄は、莫大な金を産むこの新たな産業を最大限に活用。産出体制と鉱石の輸出ルートを確保した。
得た利益をちらつかせ、時には力ずくで、またはそのカリスマ性を活かした話し合いにより他部族を破竹の勢いで統合。
ドミナトス地域だけでなく、レガーリア地域をも飲み込み80万の人口を擁し、国家としての下地を構築。
そして得た労働力によって建造した大都市バレンティンにて20年前、ドミナトス=レガーリア連邦王国の建国を宣言したソルレオンは、自ら国王を名乗ったのであった。
*
その未開の土地は――。
レエテ・サタナエル一行にとっても未知なる世界との遭遇であった。
二日前、極寒の険アンドロマリウス連峰をついに踏破し、エストガレス王国との国境を越えてドミナトス=レガーリアに入っていた。
国境にあった小さな関所を、ノスティラス皇帝ヘンリ=ドルマンより拝領した共通手形により、難なく通過・入国を果たした一行。
本来であれば、行程200kmにおよぶ死の山脈を初入山で踏破するという偉業、仇敵を斃すという目的に近づいた達成感で一行は歓喜に包まれた明るい雰囲気であるはずだ。
しかしながら――。
その雰囲気は、かつてないほどに沈み、暗く重苦しかった。
その理由は――。アンドロマリウス連峰踏破の一日前、生存せし最愛の家族の一人、ビューネイ・サタナエルとの最悪の形で行われた再会。その一件以来陰鬱に塞ぎ込み、仲間の誰とも一切の会話をしなくなったリーダー、レエテ・サタナエルにあった。
以前いみじくもシエイエスが語ったとおり、レエテは一行の心を「結ぶ絆」だ。
優しく、仲間を気遣い、行動力と決断力にあふれ――。かつ一行の主たる目的である復讐を象徴する彼女の存在は、一行の中でなくてはならないもの。
しかし3日前のビューネイ・サタナエルの凄惨な運命を辿った呪いの言葉と、人格を否定する罵倒により完全に後悔と罪の意識に囚われてしまったレエテは――。
目も虚ろな憔悴しきった表情で3日間食事もまともに取らず、野営を張っても一行とは離れた場所でベッドロールにくるまり、誰が話しかけても反応しない状況となった。
ナユタなどは反応がなくても必死に話しかけ続けていたし、シエイエスも今やレエテの大好物となったワインとチーズを携え同席に誘ったりしたが、効果はなかった。
そればかりか、ようやく言葉を発したかと思うと、自分の世界にはまり込んだあまりに陰鬱な内容をぶつぶつと独白するばかりだった。
「私……死ぬべきなんだ。死んで罪を償わないと……」
「どうしてあの時逃げたの……。ビューネイが生きている、てなぜ考えなかったの。もしかしたらドミノも……ああ、ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
そう、レエテを苦しめているのは、廃人同然となったビューネイの苦痛が継続していることに加え――。
もう一人、その目で死を確認できていない家族の一人、ドミノ・サタナエルの存在だった。
それは現在では想像の域を出ないが、もしかしたら二人もの家族を地獄の苦しみに落としたかもしれないという思いが極限まで彼女を追い詰めていた。
この状況に、レエテ以外の皆が話し合い、常時交代で「レエテに対する」見張りを立てることで同意した。
何しろこのまま一人にしておいては、いつ衝動的に自分の首をはねて自殺をはかるか分からない危険な状態なのだ。
全員が寝静まった密林での野営内。
起きて見張りを続けるナユタとシエイエスが会話する。
「本当に参ったね……。こんなことになっちまうとは。
あたしたちなんかが介入できる簡単な問題じゃないし、時とともにあいつの不安要素が募るばっかりで解決の糸口も見えやしない。
まったくあの雌狐……。よくもここまで、下衆で間接的だがとんでもなくダメージのでかい謀略を考えたもんだ。直接の攻撃より、これ以上レエテを追い詰めるものはないよ」
「ああ……。伊達に“将鬼長”の地位にいる訳ではないな、フレア・イリーステス。
レエテが自分で立ち直ってくれるのを待つしかないのが歯がゆいがな。
立ち直る、だけじゃない。これから奴らは事あるごとに同じように姿を現し、レエテがビューネイ・サタナエルに手出しできないのをいいことに命を狙い続けるだろう。それに立ち向かえるまでに意識が変化してくれなければ……」
「まあ今そればかり考えても仕方がない。ひとまず行き先について早急に決めないとね。
ドミナトス=レガーリアには入ったが、ここから行商人のルートをたよりに一気にバレンティンを目指すべきか――。それとも慎重に情報を求めて別の道を辿るのか」
「それについては、俺に考えがある。
――今、俺たちは全員で6名いる。これを、二手に分けてはどうかと思うのだ」
ナユタは、目を丸くした。
「二手に分ける? どうやって分けるのよ?」
「レエテ、俺、キャティシアで一つ。お前、ランスロット、ルーミスで一つ、の二組。
前者は情報を求めてドミナトス=レガーリア内を廻った後、バレンティンへ。
後者は一直線にバレンティンを目指し、その状況を探り、サタナエルと将鬼ソガール・ザークの情報を得て待つ」
これを聞いたナユタの脳は高速回転し、その意図に関しての考察ができあがった。
「ほう……ああ、そうか、なるほどね。
まず、レーヴァテイン達の標的になっているレエテとあたしを別にしリスク分散。
頭脳を分けるためにあたしとあんたが別。
法力を分けるためにキャティシアとルーミスが別。
ルーミスがこっちなのは、キャティシアだと腕力と白兵戦要員がいなくなっちまうから、だね?」
「そのとおりだ。そして役割は、レエテを敵の懐に飛び込ませるのを避け、都市部での情報収集に向いたお前達にバレンティンに行ってほしいから、というのがその理由」
「上出来じゃないか。あたしは異論ない。明日の朝、皆がそろったところで説明しようか」
「ああ……そうしよう。さあ、結論が出たところで、それぞれの見張りだ。
さっきまでと交代で、お前は外を頼む。レエテは俺が見る」
そのシエイエスの言葉にナユタは腰を上げ、キャンプの外、街道に近い方の見張りに向かっていった。
シエイエス自身は、ベッドロールに包まるレエテのところに向かい、やや離れた岩に腰掛ける。
その視線の先にいるレエテは、眠っていなかった。
あの一件以来、食事できないだけでなく眠ることもできなくなっていたのだ。
陰鬱な精神が、肉体も蝕みはじめている悪しき兆候だ。