エピローグ 情に囚われし暗殺者、その運命
ハルメニア大陸、エスカリオテ半島南部に広がるアトモフィス・クレーター。
レエテ・サタナエルの手により、その存在が大陸中に明るみに出るに至ったサタナエルではあるが、その「本拠」がこの禁断無人の地であることが知られるのはもう少し先のことであろう。
何しろ、この土地に足を踏み入れようと挑んだ冒険者は数あれど、記録上で数千年の間誰一人――まさしく誰一人生還したものはいないのだ。
かつて太古の昔、この地に巨大な隕石が空から落下した。
エネルギーによりマグマとなった大地が上空へ吹き上がり粉塵が空を塞ぎ、全世界に高さ数百mの津波を及ぼし、当時の多数の生物を絶滅の危機に追いやった。
当の隕石が落下した地点は数百kmの直径のクレーターを形成し、その隕石がもたらした猛毒、「放射能」により土地は徹底的に汚染された。
また、クレーターの周囲は自然ではありえない断崖絶壁の山脈を作り出し、恐るべき天然の城壁を形成した。
完全に死に絶えた荒野が広がるのみと信じられていた、その内部。
実際には、過剰なまでの緑と過剰に成長した生物の楽園となり、長きに亘り繁栄していたのだ。
これは――隕石衝突に刺激された地下火山の影響でクレーターの地殻が崩壊したことにより――。
一度超大量の海水によって平地が除染され、隆起した新たな陸地に生命が芽生え――。
陸側の山脈のみに放射能が残存したのだ。
結果、陸の外部より侵入しようとする者には――。「断崖」「放射能」「常識を超えた危険な生物の巣たるジャングル」という三重の危険が襲いかかる、誰一人生還できない環境を作り出したのだ。
ここ200年はそれに加え、いかなる方法によってか、この死の地で生活し組織を形成するにいたった大陸の支配者――。サタナエルの「本拠」となったことで、その存在を隠匿せんとする彼らに葬られるという、「四重の危険」が襲いかかることになっているはずだ。
その、サタナエルが生活と活動の拠点とする巨大建造物、「宮殿」。
現在外部との唯一の通路である「隧道」に通ずる、「接続の間」と呼ばれる広大な空間から奥へ入った、「謁見の間」。
20m四方の簡素な石造りの部屋であるその場所は――。
外部で罪を犯した人間が裁定者と相まみえ、その罪を云い渡される闇の空間。
かつてレーヴァテイン・エイブリエルもここで裁定者、フレア・イリーステスにより最大の試練へ挑む裁きを受けた。
今現在――。
ここで裁きを待つ者も同じく、女性であった。
武装解除され、両手を後ろ手に枷で拘束されている。
体格は良い――というより、長身で女性の魅力に溢れたグラマラスな体型だ。
黒のレザーを基調とした露出度の高い派手な装いだが、その衣装は汚れ、破れ、ほつれている。
特徴的なのは、長い一本の三つ編みにした金髪と、その上に乗る特徴的な黒い大きな帽子だ。
この時点より一週間前。中原の都市ドゥーマにおいて、サタナエル史上最大の反逆者であるレエテ・サタナエル一行に壮絶な死闘の上敗北し――。
10名にもおよぶ部下のサタナエル暗殺者を失う憂き目にあった、司令、“投擲”ギルド統括副将、シェリーディア・ラウンデンフィルであった。
レエテらより受けた傷は、治療を受けて全快していた。しかしその両眼は虚ろだった。
無理もない。その場で立ち会う刑吏・獄吏を請け負うサタナエル兵員たちの誰もが思っているように、それだけの敗北の責任者に課せられる刑は極めて不名誉な死、しかありえないからだ。
待機すること、一時間。ようやく、裁定者がやってきた。
この場の裁定ができる人物は各ギルドの将鬼か、将鬼に任命された副将のいずれかと戒律で定められている。
奥の扉から姿を現したのは――。
一人の女性、だった。
身長は170cmほど。シェリーディアとほぼ同じだ。
しなやかで、程よく筋肉のついたスラリとした身体を覆う、純白の重装鎧。
髪の色は漆黒。肩に届かない長さで切りそろえたミディアムの長さ。
その顔立ちは上品で、とても落ち着いた貴婦人という表現がぴったりな美人。
年の頃は、30代後半だろう。
しかし彼女を最も象徴するのは背に負われた一本の剛弓、であった。
極めて洗練された彫刻で彩られ、手入れされた金属部分が鈍く光る、赤銅色の弓。
一見芸術品と見紛うほどであるが、その使い込まれた様子、手入れされた様子は、無数の実戦を経てきた超一流の業物に相違なかった。
この女性を見たシェリーディアの、その虚ろな両眼が――。瞬く間に明るい光を放って大きく見開かれ、その表情にも笑顔が現れ、情愛に満ちたものになった。
「サロメ様……。シェリーディア・ラウンデンフィル、ただいま、戻りました」
口を開いたシェリーディアを眼下に見下ろすすぐ近くまで歩み寄った、女性――“投擲”ギルド将鬼、サロメ・ドマーニュは、表情を崩すことなく、云った。
「シェリーディア……よく戻ったな。これより私が、お前の裁定を行う」
冷たすぎるほど冷静な口調で告げたサロメは、続けて言葉を継いだ。
「ドゥーマ司令、“投擲”ギルド統括副将、シェリーディア・ラウンデンフィル。
汝は、2年に亘り数々の暗殺・傭兵任務を指揮あるいは遂行し、その全てを有り余る成功に導いてきた。その功績は、今後将鬼としての責を担えし期待のおける程の輝かしいものであった。
しかしながら――その功績をもってしても、此度の罪状は許しがたいものである。
現在の我らが最大最優先の標的レエテ・サタナエルに敗北し取り逃がしたばかりか、その失策により配下の副将・兵員10名あまりをことごとく失い、己一人生き残って敗走した。
サタナエルの戒律に照らし、即時の斬首、および獄門刑として宮殿外の掲示場に腐敗するまで晒すものとする。
これにより重要任務を失し、戦力削減をもたらすことへの罪を見せ示し、広くサタナエルの内に周知するものとする」
一切の感情を伝えぬ、その冷酷非情なる処刑宣言を、シェリーディアは目を閉じてじっと聞いていた。
その表情は、穏やかだった。
これで良いのだ。もう、死ぬ覚悟も、辱めを受ける覚悟もできている。
こうして自分が正式に罪を裁かれ刑を受けることで、その責を一身に受けることができ――。
自分の敬愛する、将鬼サロメは組織からの無用の不名誉を受けずに済む。
シェリーディアにとって、幼い自分を拾い育ててくれたサロメの存在は、まさしく「母親」だ。
彼女のために死ぬことができるなら、本望だ。
「承りました……。このシェリーディア、死をもって、罪をあがなう所存……。
ただ唯一の心残りは――。フェビアンを生かしてやれなかったことです。一時は殺してやりたいと思っていましたが、やはりあいつはアタシにとって大事な存在でした。
せめて、あいつを死ぬ前にサロメ様に一目お目にかけられていたら」
その言葉を聞いたサロメは、眉一つ、口角一つ変えることなく、云った。
「フェビアン? あやつの死は、私が望んだことで、今回の事は私の思惑どおりだ。葬り去るためにこそ、あえてあやつといがみ合うお前の希望どおりに、部下としてつけてやったのだが」
その、一切の「情」を伴わぬ意外にすぎる言葉に――。
シェリーディアが目を見開き、信じられない、といった表情で貌を上げ、サロメを見据えた。
「そんな……。だってあの時、あなたは逆にあいつを殺すつもりだと云ったアタシを、優しく諌めていたじゃ――」
「そんなものは計算上の演技だ。優しすぎるお前なら、いずれそれが功奏し、フェビアンとの殺し合いの際に『ためらい』が生じ、同士討ちしてくれることを期待してな」
「……そ、んな……どう、して……。アタシたちを、実の子のように思っててくれてたんじゃ……」
「それも方便だ。お前たちなど、単なる駒であり、それ以上のものではない。
それが将である私に害をもたらすことになれば、当然ながら排除の対象となる」
「……アタシたちが、あなたに何をした、と……」
「フェビアンは、お前も感付いてはいただろうが私の暗殺を目論んでいた。自分こそが将鬼にふさわしいなどと思いあがってな。
シェリーディア、お前は忠実だが、如何せん出来すぎた。
私ですら手に余していた“魔熱風”を難なく使いこなし、魔導と剣術を副将レベルに修め、人望厚く手駒を使いこなすあまりの多能有能さ。
私の地位を脅かす存在となったことが排除の理由だ。
だから、『フェビアンをわざと冷遇し、色々と吹込み、お前への憎悪を増幅させた』。命を狙わせるためにな。
お前の唯一最大の欠点は、情に厚すぎることだ。それを利用すれば、いずれ遠からず戦乱の危機高いドゥーマで殺し合う際、お前が自滅してくれると期待していた。
実際半分は思惑通りにいったが、予想以上にお前が実力も悪運も強すぎた。生きて帰ってきたのは想定外だが、結果的には目的を果たせたというわけだ」
今やシェリーディアは――。
魂を引き裂かれるほどの衝撃に、打ちのめされていた。
大きく見開いた目から止めどなく涙を流し、全身は震え、口は歯噛みし引き歪んでいた。
全ては、この女の保身のための、策略に踊らされたというのか。
殺し合いにまでなるように憎み合わされ、都合よく抹殺されようと画策されたというのか。
自分はサロメを母親とまで慕っていたのに、その愛情は一分も意味を成していなかった。
そればかりか愛を仇で返すような汚い策略に乗せられ、それさえ無ければもしかしたらいずれは和解できていたかも知れなかった親友を、自らの手で殺してしまったのだ。
「アタシ、は……何てことを……。こんな、こんな裏切り……どうしてこんなことに……アタシ、アタシは……」
「さあ、無駄なお喋りはこれまでだ。これより、お前の刑を執行する、シェリーディア」
サロメは大きく右手を挙げた。これを合図に、刑吏の役目を持ったサタナエル兵員の男たちが、シェリーディアの両側に迫る。
シェリーディアは、完全に下を向いて貌を見せない。
これに、左側の男が断頭台を彼女の前に置いて首を当てさせ、右側の男が巨大な両手斧を構える。
奇しくも、ドゥーマでレエテ・サタナエルを追い込んだのと同じ状況を、今度は自らが体験していた。
「よし……執行!!!」
サロメの叫び声とともに、執行人の男の両手斧が振り下ろされた――。
その瞬間!
ギラリ!とシェリーディアの両眼が光ったかと思うと、彼女の周囲に、中空から強力な魔導による爆炎が現れ四方に発射された!
それは正確に両側の刑吏の男を捕らえ、吹き飛ばし、耐魔していないその身体を焼いた。正面にいたサロメも、風圧により防御の体勢を取りながら若干後方へ吹き飛ばされる。
続けざま、両の手に力を込めると――。
その鋼鉄の枷と鎖が、飴細工のように引きちぎられた!
枷と鎖は――数十年屋外にさらされたがごとくボロボロに錆びついていた。
超強力な、酸素濃縮魔導を集約させて化合させ、劣化させたのだ。
間髪を入れず――自由の身となったシェリーディアが前方に一歩踏み出しつつ両の足を地に叩きつける震脚とともに、その右手から強力な掌底をサロメに向けて放った。
さすがのサロメも武器を抜く暇を与えられず、両手をクロスさせて防御する。
そこへ向けて、掌底が命中。
その身体は、数m吹き飛ばされ、壁に激突した。
それを確認することなく、踵を返すシェリーディア。
狙いは後方に控え、彼女の武器である多機能クロスボウ“魔熱風”をサロメに返却するため携えていた、兵員の男だ。
襲撃に気づいた男の前に、他の獄吏役目の兵員5人が立ちふさがる。
一人の剣士の男が切りかかった動きに合わせ、シェリーディアは直前で急停止し、両の手から爆炎魔導を放つ。
それは振りかぶった男の顔面に命中し、たまらず手にした剣を中空に放る。
間髪入れずこれを空中でキャッチしたシェリーディアは、そのまま鋭すぎる太刀筋で、切っ先を振り下ろす。
その先にいた兵員の男の脳天から下の身体が、まっ二つに切断された。正確無比かつ強力な剣技だ。
そのまま、やや変則的な動きで剣を横に薙ぎ、もう一人。
袈裟懸けに斬り下ろし、もう一人。下ろした切っ先を、燕返しに振り上げて、さらにもう一人。
最後は――たまらず“魔熱風”を放り捨てて切りかかってきた男を、怒涛の突きで喉を切り裂き仕留める。
この瞬時の、恐るべき剣技をもってして邪魔を振り払い、床に落ちた“魔熱風”を拾い上げるシェリーディア。
これを背中のフックに掛け、隧道に走り出したその時。
「シェリーディアーーッ!!!」
ついに背中の赤銅の剛弓――“神鳥”を抜き放ったサロメが、矢をつがえ、逃亡をはかるシェリーディアに向けて強力無比な一矢を放つ!
その矢は正確に――シェリーディアの後頭部を貫こうとする。
すると、まるで後ろに目が付いてでもいるかのように――。
シェリーディアは右手を瞬時に出し――本来は掴みたかったのだろうがあまりのパワーとスピードに断念したように――振り払った。
矢は軌道を変え、奇しくもかつて受けたのと同じ左肩に深々と突き刺さり、鮮血を吹き上げさせた。
一瞬、よろめく仕草を見せるも、シェリーディアの逃走を止めるには至らず――彼女は、まさに矢のような速力で、隧道に向けて突き進んでいった。
「兵員に告ぐ!!! 脱走者だ!!! 死罪人の脱走だ!!! すぐに隧道に追手を差し向けよ!!!!」
声を張り上げる自らの命に呼応して、大量の兵員が追手として向かうのを目と耳で確認したサロメは、剛弓“神鳥”を下ろして呟いた。
「何という奴だ――いちいち、私の想像を超える力を発揮してくる。全く忌々しい。
あれほどの能力と強さであれば、今隧道までに差し向けられる連中程度では、どれだけ数がいようが止めることは不可能だろうな。
ひとまずは、私の負けだ。逃げるがいい。だがすぐに、お前にふさわしい力量の追手が差し向けられることになるだろう。
決して、お前を生かしては置かぬ。覚悟しておけ、シェリーディア……」
サロメのその両眼は、憤怒とも、嫉妬とも、あるいは恐怖ともつかぬ複雑な表情を浮かべ、翡翠色に深い輝きを放つのだった――。
第六章 極寒の越境
完
次回より、
第七章 剣帝討伐
開始です。




