第十一話 再出発――そして望まぬ再会【★挿絵有】
アンドロマリウス連峰ルヴァロン山近隣の森林にて、突然の襲撃により一時瀕死の重体となったナユタ。
その傷は仲間たちの必死の救護、その後も二日間にわたってルーミスとキャティシアの二人が法力による肉体の回復を続けたお陰で全快した。
ただ血液の量は通常に戻ったが、二日間寝たきりであったナユタは筋力に若干の衰えを生じていた。そのため、最初は軽いリハビリを兼ねる緩い行軍とすることにして、出発した。
それから1週間――。
キャティシアの的確な案内により、一行は順調に旅路を進めた。
白狼の群れやアイス・トロールなどとの無用な戦闘を避け、険と崖の危険な地帯を避けつつも最短距離のコースを外さず進み、すでに120㎞の行程を大きなトラブルなく踏破していた。
現在は、連峰内最大の険、マリウス山の中腹にてキャンプを張っていた。
野営において以前と違うのは、やはりキャティシアとシエイエスの存在だ。
キャティシアはこの大自然を庭として育った半野生児、シエイエスは軍諜報員として無数の過酷な環境を経験した男であり、二人ともあらゆるサバイバル術に長けていた。
以前は、ほぼ純粋な野生児で超人的体力をもつレエテの力がなければ、食糧も寝所も最終的にはままならない状態だった。
しかし今――狩猟に関しては、超一流の狩人であるキャティシアが、トナカイや鷺、ときには氷下に潜むワカサギなどの魚介類まで難なく収獲し食糧を確保してくれる。
設営に関しては、軍仕込みの確かな理論と効率性あるノウハウをもったシエイエスの手で、ムダなく快適な野営空間が作り出される。
これまでは三日もたつと倒れ込むほど疲弊していたレエテも、自分の肉体の鍛錬に時間を割くことができた。
その上に野営の夜に皆と会話を楽しみ、葡萄酒を飲む余裕もできた。
最初の機会で彼女が相当な酒豪であり笑い上戸であることがわかると、皆がこぞって勧めるようになったのだ。
また、同じく判明したのは、外見上はどう見ても酒豪であるナユタが、一杯飲むと真っ赤になって崩れ落ちるほどの下戸であることだった。これには飲んだレエテや、宗教上飲まないルーミスに大分からかわれた。
よって、飲む相手は自然とシエイエスに限られた。彼も自分でスキットルを持ち歩き、麦蒸留酒をストレートで飲み続ける酒豪。そのうえ、変異魔導によって瞬時にアルコールを水分に変換できるゆえ、緊急時にもレエテの身を護ることができるのだ。
レエテとシエイエスが談笑する場から数m離れた場所で、ナユタとルーミスが焼いたワカサギを口に入れながら談義していた。
すでにキャティシアとランスロットはベッドロールで眠りに入っている。ランスロットは最近、ナユタよりも彼女のベッドロールに潜り込むことが多くなっていた。
「まったく、しょうがない助平リスだねえ……ランスロットの奴。キャティシアも外見が可愛いからって抱っこして寝ちゃいるけど、あいつの中身はあんたと同じくらいの坊やだからね?
あんな可愛い嬢ちゃんのおっぱいに抱かれて寝れるってんで、嬢ちゃんの前でだけ純粋な小動物になりきって媚び媚びだよ。一流魔導生物の名が泣くよ」
「その云い方だと、何だかオレも同類のように聞こえるからやめてほしいがな」
「おやおやー? 同類じゃない、と? そんなスカしたってムダだよ、ルーミス。あんたこそ、誰かさんのおっぱいに抱かれたくて仕方ないんじゃないのかい?
最近は、その誰かさんが兄貴と仲良く喋ってることが多くて、気になって仕方ないんだろ?
さっきだって、あっちに目線と気が行ってワカサギと一緒に自分の指までかじってたじゃないか?」
三日月のような目になりニヤニヤと笑いを浮かべながら云うナユタの台詞を、熟れたトマトより真っ赤な貌になりながら遮ろうとするルーミス。
「バッ……やめろ、声がでかい……! オマエは酔ってもないのに何を云い出す……! こんなところで、万一聞こえでもしたら……」
「万一聞こえたらって、何が? ルーミス……」
急に背後から掛けられた、馴染みある艶やかな声に、ルーミスは心臓が飛び出さんばかりの勢いでビクッと腰を浮かせて飛び上がった。
いつの間にか、レエテが酒瓶を片手にナユタとルーミスの背後に寄ってきていたのだ。
そしてこれでもかと二人に貌を近づける。飲んでいない二人には、もうその息は大分酒臭い。
「あなたたちともお話させてよ……ねえ? ナユタ、ルーミス……。うふふふ……。今日は、特別気分がいいの。みんなのお陰で最近平和だし……うふふ……こうしてみんな集まってゆっくりお話できるのが嬉しくてしょうがなくって……みんな、抱きしめて廻りたいくらいよ……うふふ。ねえナユタ!」
云うと、やにわにナユタに上から抱きつくレエテ。
「本当によかった……生き返ってくれて……もう私嬉しくて嬉しくて……」
「わかったわかった。だいぶ飲んでるねえ……レエテ。その云い方、なんか一回死んだみたいな感じだけどね……。
あたしはシエイエスと話があるから、かわりにルーミスに抱きついてやってくれないか」
ナユタのその言葉に、髪を逆立て、目を丸くし、貌を沸騰させるルーミス。
「うふふ……わかったわ……。ねえ、ルーミス。あなたも、本当にありがとうね!」
その言葉とともに、横合いから思い切りルーミスに抱きつくレエテ。
その貌が彼の頭の上に乗り、長い銀髪が貌にサラサラと掛かる。そして豊かな乳房が、彼の脇腹に押し当てられる。
酒臭くはあるが、レエテの髪や身体から放たれる香りと身体の心地よすぎる感触に、卒倒しそうになり、至福感に頭が真っ白になるルーミス。
「う……あ……あ……レエ……あうう」
それに構わずルーミスに話しかけるレエテを置いて、ナユタはシエイエスのもとへ歩み寄る。
焚き火の反対側に座り、一人スキットルを煽るシエイエスは、さほど顔色も変わっていなかった。
「やれやれ、あんたの弟は夢がかなって有頂天だよ……。それにレエテのやつもこういう機会がないとね……心に重荷がかちすぎる」
云いながら、ナユタはシエイエスの傍らに腰を下ろす。
ハーブで淹れた茶をナユタに勧めながら、シエイエスが云う。
「そうだな……今もレエテと話していたが、メイガン殿に続き今度は、一番大切なお前に命の危険が及んだことに心底心を痛めている。酒の量が多くなっているのは、それが原因だ」
「そうかい……。あいつの今後の闘いに影響がでないといいけど。
それにしても……気になるね。サタナエルの動き。
この一週間、まったく襲撃や追跡の気配がないってのは逆に不気味だ。嵐の前の静けさ、ていうか……。あの『一族』の暗殺者の仲間が、いずれかのタイミングで一気に襲撃を掛けてくる予感がするよ。
あのドゥーマであたし達が仕留め損なったらしいシェリーディア、て副将も関わってるかもしれないね」
「ああ……あの女の情報で来たザリム・ベラスケスらを討った俺たちが、連峰踏破を目指しているのは明白なのに、な。単に連峰の環境が危険だから躊躇している訳でもなさそうだ。
いずれにせよ次に襲撃はあり、特にお前を殺しかけた一族のあいつは危険だ。俺たちの中ではレエテか――スピードだけなら俺の鞭以外あいつの攻撃に太刀打ちはできないだろう。
あれ以来、用便の場合でも二人一組以上にしたり注意はしているが、出てきた場合は手筈どおりにな。
ところでナユタ、お前――家族はいない、のか?」
「はあ? どうしたんだい、急に」
「この前、お前の死を覚悟したとき、頭をよぎった。この死を知らせなければならない人間がいるのかどうか、とな」
「やれやれ、さすが冷静だね、あんたは。
残念ながら、あたしは孤児院出身の天涯孤独の身さ。両親は何かの事件に巻き込まれて死んだらしくてね。
だから知らせてほしいとすれば、ヘンリ=ドルマン師兄と、ランダメリアの孤児院の尼僧、ぐらいだね。寂しい身の上さ」
「そうか……。わかった。心得ておく」
短く答え、シエイエスはもう一口麦蒸留酒をあおった。
おそらく人生で家族に当たる人物が少ない分、彼女の師、大導師アリストルの死も大きく、それだけの復讐心を伴っているのだろうと思いやりながら。
*
それからさらに、4日後。
一行は、ついにアンドロマリウス連峰最後の険、ダーレイ山に差し掛かり、連峰の踏破目前にまで迫っていた。
遠目に見える景色も大分変わり、異国に差し掛かっていることを実感させた。
現状は危険なクレバスや、雪崩を起こす急斜面もない、地形的には安全な場所。
しかしキャティシアによると、空模様から天候悪化の兆候が見えており、この先数kmにある安全な洞穴までの行程を急ぐところであった。
そして一行は、針葉樹の森に足を踏み入れた。
あの襲撃事件以来、襲撃者を利する森林や岩場にはできるだけ足を踏み入れないようにしているのだが、この場所のように峡谷を塞ぐ形で群生している森林の場合はやむを得ない。
最大限の警戒をしながら、進む一行。
シエイエスが事前に云い渡していたとおり、このような場合の隊列は決まっていた。
キャティシアとレエテが並んで先導し、その後ろをナユタ・ランスロット・ルーミスが続き、シエイエスが殿を務める。
気配の受信に努めつつ、足早に歩を進める一行。
その行程が、約1kmほど進んだ、森林の中心地に差し掛かったとき。
「それ」に気づいたのは――。普段のこの森の音を聞き慣れている、キャティシアだった。
いつもと、ほんの僅か違う――枝葉のノイズ、空気の波長。
「――皆さん!! 来ます!!! 前と――左からです!!!」
その声に瞬時に反応したレエテが前方に踏み出し――。
ナユタが左方向へ構え、ルーミスとシエイエスは戦闘態勢に入る。
キャティシアの言葉どおり――。
まず前方から、プレッシャーを押し出すような不吉な影が、迫った!
光る刃物に反応し、レエテが出現させていた結晶手で攻撃を受け流す。
ギィィィィィン!!! という、レエテにとっては聞き慣れた、鉱物と鉱物が打ち合い擦れ合う独特の甲高い音。
結晶手同士の、衝突だ。
そのもう一方の結晶手の持ち主――。
予想したとおりの、先日来の不気味な仮面の一族襲撃者は、攻撃をレエテに弾かれたと見るや、超人的な跳躍力により、右方向の樹木の枝上に身を低くして着地する。
そして――。
左方向からも、強烈なプレッシャーとともに、やって来たのは――。
「炎の塊」、だった!
「それ」は、直径1mほどの円月輪状の無数の刃物の塊が、目にも留まらぬ速さで運動する回転体だった。
その周囲を、業火が取り囲んでいるのだ。
目を疑ったのは――ナユタだった。
その炎は、自分の魔導が生み出す属性の炎と、瓜二つのものだったからだ!
「ちいいっ! 赤雷輪廻!! 」
まずは攻撃を弾くために、最大出力の己の防御手段を繰り出す。
相手の回転体が発する炎と弾けあい、爆発のような業火を発したあと、その回転体はそのまま一族襲撃者が待機する樹上のすぐ近くまで飛んでいき――樹上に止まった。
炎と丸まった身体を解除し、その姿を現したのは――。
白銀に輝く、甲殻類の殻のような複数の合板を尖らせた刃物の塊のような重装鎧。
長い金髪の下の、白い貌がまだあどけなさを残した可愛らしい少女。
かつてナユタと激闘を繰り広げた――“短剣”ギルド、レーヴァテイン・エイブリエルの姿に相違なかった。
しかし以前の彼女とは――明らかに違っていることをナユタは見抜いた。
全く次元の異なる殺気、それでいて遊びや感情の発露を完全に制御したぞっとするほどの冷静さ。凍るように冷たい双眸が、それを如実に表していた。
レーヴァテインは、うっすらと口を開き、彼女の特徴である八重歯を見せながらナユタに向けて云った。
「……暫くぶりだねー、ナユタ・フェレーイン。あたしのこと、覚えてるかなあ?
あんたの策にまんまとハマり――。この貌と身体を焼かれて殺されかけたレーヴァテイン・エイブリエルだよ。
あれからあたしも色々あってねー。何度も死ぬ思いの地獄を味わい、今では魔導をものにし、副将にして『魔人』親衛隊の一員にまでなったってわけ。
覚えてるー? あたし云ったよね。『苦しめて殺してやる、必ず戻ってくる』って。
戻ってきたよ……あんたの身体を焼き、苦しめ、殺してやるためにねえ!」




