第九話 憎悪に支配されし御子
レエテ・サタナエル一行が、謎の襲撃者の攻撃を受けた、そのほぼ同時刻――。
エストガレス王国、王都ローザンヌの中枢、ローザンヌ城。
その天守閣の最上階に向けて長い階段を登る、憂鬱の象徴のような表情を貼り付けた貌の一人の騎士がいた。
短躯に筋骨隆々という丸こい体型に、彫りの深い印象的で精悍な貌を持つ、明らかに高位の将軍と見える最上の仕立ての軍服を身に着けた――。
エストガレス王国元帥にして大将軍、シャルロウ・ラ=ファイエットである。
彼の鍛え抜かれた肉体は、数百段にわたる階段を足早に上がっても、汗一つかかず息も全く上がっていない。
にも関わらず、大きく青い息を一つ吐いて――巨大で豪華絢爛なドアの前に立つ二人の衛兵に外すよう指示をし、ドアをノックした。
「ドミトゥス王太子殿下。ご在室にございますか。
お約束どおり、シャルロウ・ラ=ファイエット、参上つかまつりました」
すると、中から若い男の声――非常にトーンの高い、聞くからに尊大かつ神経質そうな口調で返答があった。
「おお、ラ=ファイエット。よく来た、入れ。お主ならばもう少し早く馳せ参ずるかと思っておったが、意外に時間がかかったのう。
お陰で、予も茶を一杯楽しむ余裕ができ、一冊本を読み終えておったわ」
ラ=ファイエットは、静かにドアを開け、入室してドアを閉めると、うやうやしく最敬礼の形式をとった。
「苦しゅうない。全く、お主はまさに騎士の鏡だのう。何度も言うておるが、予の直属の部下に喉から手が出るほどに欲しい、得難い人物よ」
あまりに、滑稽なほど豪華絢爛な、赤をベースに金の装飾で彩られた居室。
その中央の、綺羅びやかな彫刻をいくつも貼り付けた玉座に腰掛け、足を組み尊大に胸と貌をそびやかす男。
よく手入れされた、肩までの長いストレートの金髪。175cmほどの中肉中背。その居室と同じく、身につける衣装も豪華だが趣味が悪い。
そこそこの美男といえなくもない、特徴には欠けるその貌はしかし、言葉と裏腹にあまりに露骨に他人を見下し、己の自尊心を貼り付けた不快な表情ばかりが目につき、長時間直視するのは難しいものだった。
この男こそエストガレス王国の正統なる継嗣、次の国王たる王太子、ドミトゥス・アライン・エストガレス。御年は28歳。
第一王女オファニミスの兄であり、「狂公」ダレン=ジョスパンの従弟にあたる。
「お主を呼んだのは、ほかでもない。一つ下知したき件があるのだ。
現在、ファルブルク公爵領に配属させておる、国境警備軍の中から一個師団を王都に帰投させよ」
ラ=ファイエットは、柔和な表情をそのままに、ドミトゥスに尋ね返した。
「それは、何ゆえの御下知かお尋ねしてもよろしゅうございましょうか?」
「もちろん、先日憎き敵国ノスティラスに奪われたドゥーマ奪還の解放軍を組織、総大将としてこのドミトゥスが国王陛下に名乗り出るためよ。
父上は反乱の土壌と判明したドゥーマを捨て置けと仰せられるが、あの中原を半分以上奪われた状態を野放しにすることは、このドミトゥスは良しとせぬ。今一度上奏し、目を覚まして頂くためだ」
ラ=ファイエットは、静かに両眼を閉じ、心の中でため息をついた。
あまりに見え透いた建前だ。
まず、態度と反比例して臆病者で、初陣ですら仮病で拒否したこの男が大将として軍を率いる積りの訳がない。
百歩譲ってそうだったとして、ドミトゥスに何ら息子としての愛情をもたないアルテマス国王が、彼の進言を聞き入れる可能性はないことは百も承知のはずだ。
帰投の命が下された一個師団二万は、国境軍の半分に達する大軍。
狙いは明らかに、今ファルブルク領に居て、これから隣接するドミナトス=レガーリア連邦王国に向かう「あの方々」を亡き者にするための一手。身の守りを薄く、危機にさらすため。
ラ=ファイエット個人の意思としても、この暴挙を断固阻止せねばならない。
「僭越ながら申し上げます。
今かの地は、ドミナトス=レガーリアへ使節として赴くオファニミス王女殿下と、ダレン=ジョスパン公爵殿下が通過の最中。これから隣国へ向かえば、一難あった際には我が国に欠かせぬ貴人をお護りすべく国境軍が出陣する可能性もございます。
王太子殿下の崇高なる志は大変に尊いものと、このラ=ファイエット感服いたすところですが、今この度においては思いとどまり頂き、時を改めることを臣は進言致したい所」
予想はしていたのだろうが――。
おそらくドミトゥスにとって一番耳にしたくないらしい、二人の親族の名前がラ=ファイエットの口から出たことにより、明らかな不快と怒気がその貌を赤黒く染めるのは止められないようだった。
「左様であるな。だが、心配は無用であろう。
我が愛しい妹は、その有り余る知恵と魅力と人望で全てを乗り切るであろうし、敬愛する従兄も、智謀と軍略によってあらゆる敵を撃退した実績をお持ちだ。
加えてお主も、選りすぐりの精鋭を警護に付けたのであろう?
なれば、国難に際し自ら立ち上がったその意志を尊重し、無用な心配をせず朗報を待つのが我らの努めというもの。
進言はありがたいが、予の決定は不変だ。すぐに軍を帰投させるのだ!」
王太子の権限において、ここまで明確に命じられては、従うほかない。
ラ=ファイエットは、承諾を示す礼を取ると、ドアを開けて退室した。
このようなことはこれが初めてではなく、何年となく続く日常茶飯事だ。
幼少時においては傑出した神童であった従兄、近年においては10歳以上齢の離れた優秀で魅力的な妹と比較され、常に劣等感を抱き続けてきたドミトゥス。それは現在、明確な殺意・悪意として、隙あらば二人の命を狙い、または名声を貶めようと日々奔走する原動力となっているのだ。
その境遇には、十二分に同情する余地はある。しかしドミトゥスの問題は、己の血筋と地位にしがみつき力不足を認めず――冷遇される原因を自分を認めない周囲に向けるばかりで、一向に向上心なく努力をしない謙虚のかけらもないその姿勢にある。
ラ=ファイエットも、正直王国に対する忠誠心はあっても、ドミトゥスには持ち合わせる気にならず、高潔な性格の彼にとってこのような事があるたび内心腹立たしい思いなのだ。
唯一の救いは、このドミトゥスの行動もダレン=ジョスパンは予期し、彼に善後策を与えていたことだった。
が――その動きをする前にもう一つ、ラ=ファイエットは憂鬱な会見を消化しなければならなかった。
その会見に臨むべく、彼が向かった先は――ローザンヌ城の地下であった。