第八話 それぞれの想いと、疑念【★挿絵有】
「う……」
「ナユタ!! 気がついたのね!! 良かった!
私が分かる? 気分はどう?」
ナユタは、ゆっくり口を開け――唇が乾ききっているのに気づき一度舌先で軽く舐めると、言葉を発した。まだ小さく弱々しい声だった。
「レエテ……ここは現世かい……? あたしは……生きて……いるのかい……?」
その言葉に、レエテは一度収まった涙が再度噴き出してくるのを感じた。
そのまま、貌を伏せてナユタの貌に頬ずりする。
「そうよ、生きているのよ! ランスロットも、キャティシアもルーミスも、シエイエスも皆が頑張って必死であなたの命を助けてくれた。本当に良かった……! 私、心配で胸がつぶれそうで……」
「そうか……おぼろげにしか覚えてないが、皆に……本当に迷惑かけちまったね。
本当、ありがとう、感謝するよ。
一生の不覚だね。小便しようと油断してるところを狙われ……命とられるところだった……なんてね。
あのあとたぶん、漏らしちまってたろ……? 悪かったねえ」
それを聞いたレエテはここ数日ぶりに、声をたてて笑った。
「うふふふ! そうね、下着も毛皮のパンツも、ビシャビシャなうえに凍ってしまって、大変だったわ。
あなたが流した血より多かったかも!
まあ冗談はともかく汚れた服は、氷を溶かした水で洗って今乾かしているから、その毛布は取らないでね。あなた今、裸だから。」
「本当だ……。まったく、あたしの美しい裸身を拝んだ上……治療とはいえおっぱいまで触ってくれたルーミスの奴には……あとで慰謝料請求してやらないとね……」
「それを云うなら、俺もまったく同罪、慰謝料取り立て確定ってところだな、ナユタ……。
そんな減らず口が叩けるほど元気になったなら、もう心配はなさそうだな?」
レエテの声に気づき、いつの間にか歩み寄ってきていたシエイエスが声をかける。
「ああ……ありがとうよ、シエイエス。
けどあいにく頭がボーッとして身体に全然力が入らないし、あたしの実感としては全然元気でない、病人そのものって感じだけどね……」
「まあ、これからもルーミスとキャティシアが頑張って、少しずつお前の血液を増やしてくれる。
それまでは大人しく、できれば口も閉じていた方がいいな」
「はいはい……すみませんね、差し控えますよ。
しかし、それにしても……あたしを襲ったあいつ……。
明らかに、サタナエル一族だった。 その上、どうみても正気じゃない奴だった……。
レエテ、あいつに心当たりは……あるかい?」
レエテは、ナユタのその問に一気に表情を曇らせ、目を背けた。
彼女があの襲撃者を目にしたのは、針葉樹の間を抜けた50mほど離れた遠距離からだったが、ナユタの云う特徴はほぼ視認できていた。
「わからない……。ただ普通に考えれば……。魔人と並ぶ組織の頂点“七長老”、その直属として一族男子の中でも優秀な者を集めた部隊“幽鬼”の一員と考えるのが自然よ」
「“幽鬼”……?」
「そう。数十人いる一族男子は、“屍鬼”と“幽鬼”のいずれかに所属している。
身体能力に劣り、魔人以外で子孫を残すための『血のスペア』であるだけの者どもが“屍鬼”。
対して能力に優れた者で形成され、精管を断たれて生殖能力を奪われたうえで、暗殺や七長老の警護を担当する戦闘集団が“幽鬼”なの」
シエイエスが頷く。
「なるほど、外部に子孫を残すリスクを排除した上で、ギルドの連中同様外部で暗殺を請け負う一族部隊、その一員というわけだな。
ならば、これまでの連中同様、レエテの命を狙う者。今回は様子見で、他に仲間がいるのは間違いなさそうだな」
「と、思う。
けれど――遠目に見た、あいつのスピード、あいつの動き、癖――。
私、とても――見覚えがあるような、気が」
「! 本当か?」
「いや、いいや――。そんな、そんなはずはない。そんなはずは。
きっと、私の思い違いだ。そうに違いない」
青ざめた貌で、首を何度も振り自分の疑念を振り払おうとするかのような、レエテの様子。
それを見たシエイエスは、レエテの肩に手を置き、声をかける。
「その様子だと、とても疲れてるようだな。
ナユタもこうして意識が戻ったし、もうお前も横になって休め。これ以上無理をしては、いくらお前でも身体がもたないだろう」
「いいえ。それはあなたも同じよ。シエイエス。あなたこそ休んで。
私は代わりに少し見張りをしてくるから、キャティシアが起きたら交代するように伝えて」
云うと、ナユタの頭に自分の膝の代わりに袋に葉を詰めた枕をそっと当て、立ち上がると足早に洞穴の入り口に向って歩いていった。
「レエテ……ありがとうね、本当に」
その背中に呟くように声をかけるナユタ。
シエイエスが頷く。
「ああ、あいつは本当に心からお前を心配し、ずっと声をかけ、ずっとお前を見ていた」
「わかってるよ……意識が朦朧としてるときも、レエテの声だけはハッキリ聞こえた。
あたしのこと大事な、親友だって……一緒に目的を果たそうって……云ってくれた。
すごく嬉しかった。
あいつはあたしにとっても、もう……大事でしかたない親友以上の存在さ。そこまで云ってくれたら、死ぬわけには……あいつを悲しませるわけにはいかないだろ?」
うっすらとだが、目に涙を光らせるナユタ。
「さっき、本人に云ってやればよかったじゃないか?」
「うるさいね。そんなことあいつの前で云えるわけないだろ。こっ恥ずかしい……。
ところで……二人っきりになったところで、あんたに話がある、シエイエス。
断っとくけど、愛の告白、とかじゃないから勘違いしないようにね」
「それは残念。一瞬期待してしまったな」
冗談めいた仕草で肩をすくめるシエイエス。
「色々、あたしの考え過ぎだったら申し訳ないんだけどね。
単刀直入にいうと――。あんたは、本当にあたし達の味方かい、シエイエス?」
シエイエスは笑って、もう一度肩をすくめた。
「はっはっは、どういう意味だ? 説明してもらえるか?」
「あんたは弟のルーミスを保護するため、あいつが加わっているあたし達一行と、ドゥーマで接触を図った。
聞いたとこでは、すでに一年前にエストガレス軍から除隊退役していて、手配書と自分の情報収集能力のみであたし達に辿りついた、と」
「その通りだが?」
「あんたの能力の高さはあたしも十二分に認めるが、率直にいってあまりに都合がよく、出来すぎてる気がする。
ドゥーマ伯になりすまし、内部から敵を撹乱する手腕も、とても退役して一年の人間ものとは思えない程計画的で鮮やかだった。
今まさに実戦に身を置く、一流の軍人のものとあたしの目には映った」
「なるほど」
「それに仲間に加わってから、やけにレエテのことを気にかけ、助けたりアドバイスしたり労ったりして距離を縮めている。
レエテも、この短期間であんたのことをとても信頼してきている。
あいつの警戒心を最大限に解き、自分の云うことに疑念をもたないように仕向けている、というようにも見える。
何の証拠もあるわけじゃない。あたしの独断と偏見にしかすぎないが――。
あんた、もしかしてまだエストガレス軍に所属する、諜報員なんじゃないか?
仲間になりすまし――情報を王国に流しレエテを捕らえるという、『誰か』の密命をうけているんじゃないか――と考えた」
シエイエスは、笑顔のまま表情を変えなかった。
眼鏡の奥の目も、いたって穏やかなままだ。
「確かに、筋は通ってる。その考察の鋭さ、舌をまくばかりだよ、ナユタ。
だがお前も云う通り、証拠は何もない。誓って、俺は潔白だ。
お前もレエテの身を案じるあまり、あらゆるものを疑ってかかるのはとても良く分かる。
だから嫌疑をかけられても俺は腹を立てないし、この話はここで忘れることにする。良いかな?」
ナユタも、表情を和らげて、言葉を続けた。
「悪かった。やっぱりあたしの考え過ぎだった。
疑ってすまなかったね。あんたの云うとおり、この話は忘れてくれ」




