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サタナエル・サガ  作者: Yuki
第六章 極寒の越境
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第五話 人外の魔物の所業

 エストガレス王国領内最東端に当たる地、ファルブルク公爵領――。


 その名が示すとおり、エストガレス王位継承権第四位の高位王族公爵、ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスその人の所領である。


 北はアンドロマリウス連峰、南はエスカリオテ王国、東はドミナトス=レガーリア連邦王国という、山岳や山岳国家に境を接する国内でも標高の高い土地。

 肥沃な大地が大半を占めるエストガレスの中でも痩せた土質であり、作物および家畜の生育は悪い。産出する鉱物も少ない。そのうえ寒冷で降雪量の多い気候から、生活には苦心する。

 また交通の便の悪さから、流通や産業の拠点として発展もせず、王国の文化からも取り残されている。

 当然ながら、歴史的に見て好き好んでこの土地に住むものは少なく、他の土地で財産を失った者か、何らかの理由で都市部に居住できなくなった者の駆け込み寺となった。

 現在でも広大な面積に対して人口は5万人足らずにすぎず、極めて税収量も少ない。

 また何より、20年前に成立した超新興国ドミナトス=レガーリアと国境を接し、中原ほどではないにせよ常々紛争の危機にさらされている。


 このようなさびれた厳しい土地の領主であるにも関わらず、ファルブルク公爵は全爵位の中で、オファニミスが就く王都ローザンヌ公に次いで第二位という、極めて高貴な序列にある地位なのだ。

 このことは――ファルブルク公爵が伝統的に、出自としての身分は高いが王都や(まつりごと)から遠ざけたい、厄介払いしたい人物に与えられる名誉閑職であることを示している。


 その異常な行動や性格から、叔父である国王アルテマスに幼少時から疎まれていたダレン=ジョスパンは、ごく自然にその有名無実な地位を与えられるに至った。

 しかし――どのように疎まれ遠ざけられようが、彼の持つ圧倒的な智謀、武勇、器、行動力は、地方閑職に押しこめておくには常人を遥かに超えて優秀すぎた。

 悪魔のように忌み嫌われつつも確実にエストガレスに必要とされ、多くの偉大な実績を残し――。反面ためらわず陰謀を巡らし邪魔者を排除し、ローザンヌ城と王国の影の支配者となるまでに至った。


 そのためここファルブルク公爵領の民衆にとっても、ダレン=ジョスパンは単なる領主などではなく、天上人のような遥か雲の上の存在として畏怖する対象である。

 畏怖だけではなく、気分しだいで領民をさらい領内居城における人体実験の贄としているなどの噂から、純粋な恐怖の対象でもある。


 現在、ファルブルク公爵領・東西街道の森林地帯を通過中の“陽明姫”オファニミスを旗頭とするドミナトス=レガーリアへの使節団――。数十の馬車と2000の精鋭軍勢に対し、街道沿いに地に頭をこすりつけるように平伏する数百人の民衆の姿は、そのような背景によるものである。

 彼らが平伏しているのは軍勢の旗にあるオファニミスの太陽の紋章ではなく、その隣に不気味にはためく、絡み合う二匹の黒蛇を模した紋章――ダレン=ジョスパンの紋章に対してなのだ。


 その連なる馬車連隊の中央の馬車、一際豪華絢爛かつ暗殺防止のために堅牢に設計された特注馬車の中で、対面するソファーに腰掛けダレン=ジョスパンとオファニミスが談義していた。

 ダレン=ジョスパンは青の軍装、オファニミスも、勇ましくドレスを脱ぎ捨てて女性王族として正式な軍装に着替えている。

 いつものフリルのスカートも、白のパンツとブーツに変わり、ロールした長い髪も後ろで束ねるスタイルに変更していた。


「――と、いう訳だ、オファニミス。お主にとっては初の王国外への行程、しかも人の手が入らぬに等しい魔境へも赴くゆえ、いろいろと覚悟してもらわねばな」


「望む所でしてよ、お従兄さま。知っておいででしょうけど、幼いときから肝の座り方には自信がありましてよ、わたくし。どんな試練も耐えて見せますわ」


 ダレン=ジョスパンの言に対して、鼻息荒く云い放つオファニミス。

 幼少時から熱烈な敬愛の対象であるダレン=ジョスパンの行程に、これまでどうにか苦心してついていこうと画策し、ことごとく撥ね付けられてきたオファニミスだが――。

 先日の会談以来、自分を一人前に扱ってくれるばかりか「ついに」遠方への行程に二人での同行を許してもらえたことに、嬉しすぎて舞い上がってしまい、前日は全く眠れなかったほどなのだ。


「ふむ。まず一つ目は、湯浴みができぬことだ。

ドミナトス=レガーリアに入れば、エストガレスのような環境の整った都市はほぼ皆無。

極力探してはみるが、ほぼ野営のテントで身体を拭くだけか、川での水浴びで我慢してもらわねばならぬ」


「そ、そう、なのね。承りましてよ。全然、平気ですわ」


「二つ目は、虫などの小さいながらも危険な生物の存在だ。病原を媒介する蚊や虻、確率は少ないだろうが蛭などもおる。何かに噛みつかれたり腫れ上がったりしたら、危険な場合もあるゆえすぐに余や近衛に知らせよ」


「は……はい、ええ……わかりましたわ、わかりましたとも」


「三つ目は、少しずつでよい、血や死体など見た目悍ましいものに慣れよ。単純に血ですらまともに見たことがないであろうお主には少々厳しい注文かもしれんが、これから先、数限りなく目にすることになる可能性がある」


「………………はい。わかり……ましたわ……」


 最初の勢いはどこへやら、両膝に拳を置いて固まり、貌が青ざめ、下を向いて消え入りそうな声になるオファニミス。

 ダレン=ジョスパンは軽く笑いながら、身体を前に乗り出して、片手でオファニミスの手を握った。

 オファニミスが身体をビクッと震わせる。


「ハッハッハ。まあ、多少脅かす意味でわざと明確に云うたし、我慢してもらわねばならぬのは事実だが、お主ほど賢く性根のすわった娘ならば大丈夫だ。すぐに慣れる。大事無いように余が常に見ておるゆえ、そう心配しなくともよい」


「お従兄さま……ありがとう、わたくし――」


 云いかけたオファニミスの言葉は――馬車の外で突如起こった兵士の怒号により、かき消された。


「な、何だ……貴様らは!!! て、敵襲!! 敵襲だあ!!! 近衛兵、防御態勢をとれえい!!!」


 その、近衛兵長の怒号とともに、緊急停止する馬車。

 馬車内は強い振動に襲われ、大きく上体を振られるオファニミス。


「きゃあああああ!! な、何!?」


 悲鳴を上げるオファニミスを制するダレン=ジョスパン。


「落ち着け、オファニミス。大丈夫だ。余が見てくるゆえ、戻るまでは目と耳を塞ぎ、窓より身を低くしてじっとしておれ。すぐに、戻るからな」


「はい……お従兄さま」


 震え声で云うオファニミスを車内に残し、ダレン=ジョスパンは、馬車の外へと出た。


 そこには、驚愕の光景が展開されていた。


 街道沿いに、頭をこすりつけて平伏していた民衆30人ほどが、一斉に立ち上がりズタ袋や農機具に偽装していた剣やクロスボウを構え、馬車を取り囲んでいるのだ。

 その構えや精錬された武器からして、民衆の反乱などではなく、手練の暗殺者たちであることが見て取れた。


 不意をつかれたためか、馬車の周りを警護しているのは5人の近衛兵のみ。

 その他、号令を聞いて集合してきた近衛兵数百名は、暗殺者たちを取り囲む形で展開している。


 このように白昼堂々としかも数千からなる軍編隊に暗殺を仕掛けるからには、この暗殺者達は生きて帰ることは想定しておらず、命を捨てて標的を討ち取るつもりだろう。

 実際、それは成功の一歩手前まで迫っている。


 十中十、間違いなく標的となっているのはオファニミスだろう。

 自分に向けられたならば――。「この程度の」陣容や方法で来るはずがない。

 自分が同行していることを知った上で仕向けられているところを見ると――。相手は自分の「実力」を知らぬ相手なのだろう。

 一瞬、迷ったが、自分が前に出ねばオファニミスに危険がおよぶ。

 そう判断したダレン=ジョスパンは、近衛兵5人に向けて云った。


「お主らは、下がっておれ、ドレーク。ここは、余が全て片付ける」


 その言を聞いた5人のうち一人、近衛兵長ドレークは、目を見開き驚愕した。

 そして、静かに部下に指示を出し、馬車のドア付近まで下がらせる。


「かたじけのうござりまする、公爵殿下。王女殿下の御身だけは、このドレーク、死守いたしまする」


 あろうことか、近衛兵の身でありながら、護衛対象である主に敵の討伐を委ねてしまったのだ。

 むしろ、生き残れることに安堵しているかのような表情まで浮かべている。


 ダレン=ジョスパンはそれには応えず、下がった近衛兵の前にずいと出て、殺気をむき出しにする30人もの暗殺者達に声をかけた。

 未だ、腰のレイピアを抜き放ってはいない。


「お主ら、すでに死を覚悟しているようだな。もう討ち取ったも同然の標的に対してなら明かしてもよかろう、お主らの主人は、誰だ?」


「……」

 

「答える気はなし、か。至極、残念だ――!!」


 その言葉を最後に――ダレン=ジョスパンの姿が、瞬時に消えた!


 ユラッと空気が揺らめく感覚がその場の全員に感じられた後――。


 完全に間を置かず、ダレン=ジョスパンの姿は、暗殺者達の「背後」に現れた!

 その右手には――ようやく抜き放たれた刃幅2.5cm、刃渡り120cmのおそらくオリハルコン製と思しき両刃のレイピアが、不気味な光を放っている。「一滴の血も付くことなく」。


 そして0.5秒ほどの間隔を空けて――。

 十数人の暗殺者たちの身体から一斉に鮮血が噴出し――。

 ある者は首が地面に向けてずり落ち、ある者は隠し鎧の隙間から心臓を一突きにされ、ある者は両腕を二の腕から完全に切断された。またある者は、胴体を真っ二つにされ、切り離された二つの部品が地に倒れていく。


「これで、14人――」


 ごく、短く呟いた後、再び、その姿が消滅。


 次いで、殺害された暗殺者達と反対側の勢力の、またしても背後に間を置かず現れるダレン=ジョスパン。


 そして同じく僅かな間隔の後――。

 鮮血を噴き出して崩れ落ちていく、十数人からなる暗殺者たち。

 

「ふむ……一人斬り損ねたか。久しぶりの実戦ゆえ、少々精度が狂ったようだな」


 何の感慨もなく返り血のないレイピアを振りながら呟くダレン=ジョスパン。

 その彼を、全身を震わせながら凝視する、クロスボウを構えた暗殺者最後の生き残り。

 

 ある意味――。

 仲間とともに死んでいたほうが何倍幸福だったのだろう。

 この理不尽な、なぜ死んだのか理解できないまま死ぬ屍を大量に築いていく、人外の魔物の所業を見せられるくらいなら。


 すべては彼が、数回瞬きする間の出来事だ。

 瞬間移動しているとか思えぬこの魔物が一回動くたびに、熟練の戦士であるはずの集団が、まるで紙人形かなにかのように――。しかも全員がほぼ同時に、切り裂かれて殺される。

 まだ、じっとしているところに一人一人喉を突いて回ってくれたほうがマシだ。

 何なのだ。これは、何なのだ。理解不能だ。恐怖しかない。

 恐ろしい、こんなことなら、今すぐに殺してくれ!


 心で叫びを上げながら、クロスボウからボルトを撃ち放つ暗殺者。


 ボルトは、暗殺者の高い技量により、正確にダレン=ジョスパンの額を捉えていた。

 そしてそれがまさに貫通しようかというその時。


 ダレン=ジョスパンの胴体より下はそのままに――頭部のみが一瞬、消えた。

 そしてボルトが空を切って通過したあとに、再び出現した!


「な……に……かわし……」


 驚愕の言葉を紡ごうとした暗殺者は――そこで言葉を途切れさせた。

 自分の首が胴と永久に離れることによって。


 それを確認すると、ダレン=ジョスパンは一回レイピアを振り、ゆっくりと鞘に収めた。

 そしてドレークに声をかける。

 

「ドレーク。オファニミスを頼む。余は所用があるゆえ消える。5分ほどで、戻る」


 虫一匹追い払った以下の、事も無げな様子で云い残すと、付近にある雑木林の中に姿を消した。

 

 ドレークは、改めて目の当たりにした主人の人外の力を前にして、しばらくの間震えを止めることができなかったのだった。



 *

 雑木林を50mほど奥へ進んだところで、ダレン=ジョスパンは貌を上げ、声を張り上げた。

 

「居るのであろう? 出てこい、サタナエル! 余の前に姿を見せよ」


 その声に呼応し――樹上から一人の男が飛び降り、姿を現す。


「さすがは、ダレン=ジョスパン公爵殿下。全てお見通しでございましたな」


 やや、畏れに声を上ずらせながら、男が云う。

 20代半ば、の年齢と思われた。癖の強い短い金髪、細面のそこそこの美男だ。

 身長は175cmほどと高くはないが――。その肉体は増量した筋肉で不自然に膨らみ、貌にも身体にも血管が浮き上がっている。血破点打ちだ。


「お主、“背教者”か。なれば、やはり王都の“法力(ヒリング)”ギルド将鬼、ゼノン・イシュティナイザーの手のものに間違いないな」


 ダレン=ジョスパンの問いに、うやうやしく礼をしながら答える男。


「左様にございます。私“法力(ヒリング)”ギルド副将、エイワス・ハーシュハウゼンと申す者。

将鬼ゼノンからは殿下の、有り体にいって『監視』を申し付けられております」


「で、あろうな。それは予想しておったし、王都を出てからこちら、お主の気配は感じておった。

お主に声をかけたのは、先程の襲撃犯掃討のついでに過ぎぬ。

一応確認しておくが、あやつらはお主らサタナエルの手のものではないな?」


「ございません。我らは王女殿下のお命を奪ういかなる依頼も受けてはおりませんし、その意志もございません」


 エイワスの言を受け、ダレン=ジョスパンの口許に笑みが浮かんだ。


「と、なれば……。やはり犯人は『あやつ』か」


「ドミトゥス王太子、でございますか?」


「……その名を、口に出すな。万が一聞いているものがいれば」


「心配はございますまい。たとえ居ても、先程のように殿下が斬り伏せれば済む話」


 云うと、ブルッと身を震わせるエイワス。


「正直このエイワス、このような恐怖を感じたのは『本拠』の“魔人”の力を目の当たりにして以来にございます。

あの技――はたして我がサタナエルでも対抗しうる者がいるのかどうか、疑わしいとすら思えます」


「お褒めに預かり恐縮だが――。興味はないな。

話は済んだ。この後もついてくるのは勝手だが、オファニミスの前にだけは決して姿を現してくれるなよ」


 云い残すと、ダレン=ジョスパンは膝をつくエイワスを残して雑木林を後にした。


(ふむ、多少思ったより事態は動いたが、まだまだ想定内。

後はゼノンが裏切りさえしなければだが――まあ、心配はあるまい)


 脳内で己の陰謀と現状を答え合わせしつつ、ダレン=ジョスパンは一人考えを巡らせるのだった――。

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