第三話 漆黒の双鞭【★挿絵有】
次々ドアから外に現れ、レエテの背後に展開する仲間達。
彼らはこの状況をすぐに把握し、個々に動作を開始していた。
まず、ナユタがランスロットとともにキャティシアに駆け寄り、その身柄を護るべく立ちはだかる。
次いで、シエイエスとルーミスがレエテの背後に移動する。
ルーミスが、レエテとシエイエスに素早く囁きかける。
「レエテ、兄さん。オレがメイガン殿を手当する。援護してくれ」
云うと、素早く血破点を打ち、体勢を整える。
それを合図に――レエテが弾丸のように跳び出す!
次いで、その背後を追うようにルーミスも跳び出す。
レエテは正面に居る男、ザリム・ベラスケスに向けて一撃を見舞おうとするが――。
両側から殺到する、円月刀とバスタード・ソードをそれぞれ握る二人の剣士にそれを遮られる。
すぐに見定めたレエテは両の手を出し、彼らの攻撃をその剛力で左右に弾き返す。
それなりの体躯を誇る屈強な男たちが吹き飛ばされるのを見て、歓声を上げるザリム。
「おぉお! スゲーー!! 流石の反応とバカ力だ。
レエテ、アンタは覚えてねえかもだが、俺は『本拠』で訓練のためマイエ・サタナエルと闘い、その力を実感すると同時にアンタの姿も見ている。
マイエも霞む位、とびっきりのいい女で、そのうえ胸もケツも最高だと思った……。運良く生き延び、すぐに組織の中でその話を広めたもんだが……今見たら、それがさらに成長してて、嬉しくてたまんねえぜ。
できたら半殺しにして、心ゆくまでヤらせてもらいてえもんだなあ!」
卑猥な妄想を叫びながら、攻撃に移るザリム。
この男は、低い構えからの重心を殺さない、下段攻撃に特化した剣士のようだ。
加えて水平攻撃のため鍛えた強靭な足腰のおかげで、雪面の抵抗もものともしないギリギリの高さをキープした跳躍を会得している。
自分の庭という言葉に、嘘偽りない力を持つ強敵のようだ。
雪面を削り取るように向って来る攻撃を、辛うじて跳躍して躱すレエテだったが――。
雪という足場に不慣れな彼女にとって、土の大地とは比較にならないほど動きを制限される実感があった。加えて、コロシアムのドラゴンの攻撃を受けきった時のように、レエテの剛力を充分に活かすには、それを受け切る安定した大地が理想だ。
また自らの性的な要素に揺さぶりをかける敵には、未だ冷静さを保てない弱点も解消していない。ザリムの卑猥な言葉に嫌悪感を露わにし、動揺している様が見てとれた。
それを見てとってなのか――。ザリムが両脇の二人の剣士と三人同時の攻撃を仕掛ける。
先に二人の剣士を攻め込ませ――。レエテに己の姿を見せず攻撃の軌道を隠し、必殺の下段斬りでまさに斬りかからんとするその時。
突如、空気を切り裂く破裂音が炸裂し、三人の剣士の身体が切り裂かれ、鮮血が上がる。
「ぐああっ! な、何だ!?」
叫び声を上げ、攻撃を中断せざるを得なくなったザリムの視界に入ってきたのは、レエテの前に立ちふさがる、一人の黒衣白髪の男だった。
その両の手に、衣服よりさらに深い漆黒の鞭を持ち、眼鏡の奥で鋭い眼光を自分に向ける男。
シエイエス・フォルズであった。
「レエテ……交代だ。奴らは俺がやる。
お前は、俺の代わりにルーミスの援護を頼む」
彼が顎で指し示す先には、メイガンに必死の法力を施す、ルーミスの姿があった。
負傷し、吹き飛ばされているが、一人の敵が彼らの息の根を止めようと襲いかかるところであった。
「でも……シエイエス!」
「お前はあの敵には向いていない。それに対して――この戦場は、俺向きだ。
ここは、役目を交代すべきだ」
レエテはさらに何かを云おうとするものの――ルーミスとメイガンに敵が迫るのを見て、やむを得ずそちらの護衛と反撃に回るべく跳び出していく。
「おいおい、色男さんよ……。余計なことをしてくれんなよ。カッコつけやがって。
さっきの攻撃はちょっとしたもんだったが、所詮数段破壊力に劣る鞭ごときで俺らサタナエルの精鋭3人を相手取ろうたあ、少々跳ねっ返りすぎなんじゃねえか?」
不満と不敵な言葉を投げかけるザリムに対し、云い返すシエイエス。
「ご心配は、無用だ。俺はこの手の鞭のみで、この場所から一歩も動かずしてお前ら三人を殺すと予告しよう。
俺はさっき、引き裂いてやりたいほどの仇の名前を耳にして、かなり虫の居所が悪い。
しかもお前らは、その仇が率いる“剣”ギルドの一員。
殺すことに何ら躊躇いはないのでな」
「テメエ! 舐め腐りやがって。
しかも何だあ!? テメエが云ってる仇ってのはまさか……将鬼ソガール様のことか!?
だったらなおのこと、生かしておくわけにはいかねえなあ!」
叫びながら、シエイエスを指差すザリムの所作を合図に――。
その両脇の剣士が、同時にシエイエスに襲いかかる。
シエイエスはそれを確認すると、即座に行動に移る。
鞭を持つ両手を身体の前に出した瞬間――その手と柄、さらには鞭本体が一瞬の内に姿を消した。
代わって、音速を超えた鞭の先端が奏でる、風切音が縦横無尽に鳴り響く。
「ハッハァー! バカが。
そんだけ速く鞭を振りゃあ、たしかに動きを見切れねえ弾幕になるかもしれねえが、テメエにとっても動きを見切れねえのは同じだろうが!
さっきは不意を突かれたが、多少傷を追う覚悟でこっちが突っ込んでけば、テメエにはなにもできねえ。さっさと切り刻まれておっ死ね!」
ザリムの嘲笑が響く中、迫り来る二名の剣士の刃。
それを前に、スッとシエイエスが両眼を閉じる。
そしてまず、右側から迫る円月刀の男の首に――。
その漆黒の鞭の先端が二重に巻き付いた。
間をおかず上半身を強力に捻るシエイエスの動きと連動し、細かな刃が埋め込まれた鞭が一気に引き寄せられ、男の首を斬り落とした!
続いて――反対側の手に持つ鞭の先端が、バスタード・ソードを持つ男の両眼を捉え、引き裂いた。
地に崩れ落ち、貌を押さえて悶絶する男の首に、先程一つの首を断ったばかりの鞭が巻き付き、瞬く間にその首を胴から離し、地に落とす。
瞬時に二人の仲間を失ったザリムは、表情を変えた。
敵は、鞭の先端が空気を切り裂く音のみでその位置を正確に把握するばかりか――。きわめて巧みな腕と手首の挙動でもって、先端に至るまで精密な制御を行っている。想定を上回る強敵と認識したのだ。
「テメエ……! 只者じゃねえな。
だが……! 俺には見えたぜ、付け入る隙がよ。
テメエの鞭の弾幕は、一点、鞭の先端が入りづらい死角がある。そいつは、ココだ!!!」
叫びとともに、雪原を蹴りぬけ攻撃に移行するザリム。
将でこそないものの、この一団では間違いなく頭抜けた実力を持つリーダー格である彼が、見抜いたシエイエスの死角は――。
下段、中央だった。
身を低くかがめ、剣撃を加えるべく高速前進するザリム。
彼の読みは当たっていた。反撃のため再び鞭の弾幕を張るシエイエス。が、その腰下中央部は明らかに炸裂音が響いていない。
数回、鞭の一部が肩に当たり傷を負いはしたが――。
ザリムはシエイエスの足元に辿りつき、攻撃可能距離まで間合いを詰めた。
そして、股下からその身体を左右に両断するべく、その手の剣を振り上げる!
「取ったぜ!! 真っ二つになりやがれ!!!」
その切っ先が、シエイエスの身体に届く、その瞬間。
信じがたい現象が、起きた。
何と――。ザリムの刃をきれいに躱す形に――。
軟体動物のように、粘土細工のように、人間としてあり得ない方向と形に身体が変形し、上部から見てU字型の形状を形作り――。
ザリムの剣に空を切らせたのだ!
「なっ……!!!」
剣を完全に上空へ振りかぶった状態で、驚愕に目を見開くザリムの目前で――。
異形の形に変異を遂げた怪物。その原形を保った両手の、鞭の柄の先端から――。
長さ20cmほどの短剣状の仕込み刃が飛び出し、それは怪物の手でザリムの首の両側に突き立てられた!
噴水のように噴き出す血で、染め抜かれる足下の雪。
そして未だ信じられないといった表情で口からも血を流しながら倒れゆくザリム。
「ごぼっ……バが……ぶあ」
言葉にならぬ断末魔の後、剣士はこと切れた。
そして鍋が煮立つようなゴボ、ゴボ、と不気味な音をたてながら元通りの身体に戻っていく、怪物、いやシエイエス。
宣言通り、一歩も動くことなく鞭の攻撃のみで勝利を収めた彼は、完全に元に戻った状態で、足下のザリムに向けて呟くように云う。
「残念だったな。俺の変異魔導は、俺の体内でならいかなる変化も起こすことができる。
もちろん“背教者”の血破点打ちのように力、エネルギーは増幅させられないが、形を変えるのだけはお手のものだ。予想できない、最後の誤算だったな」
そしてすぐに周囲を確認すると――。
まず、最初から人質とするつもりだったのだろう、キャティシアを狙った一人の剣士は、すでにナユタの爆炎の餌食となり雪原のシミに姿を変えていた。
次に、メイガンを治療するルーミスを狙っていた剣士一人も――。まさにシエイエスより僅かな時間差で、すでにレエテの手により身体を袈裟形に斬られ、絶命したところだった。
それを確認し、他の仲間とともにメイガンの状態を確認するべく、ルーミスの元に駆け寄る。
ナユタとともに駆け寄ってきたキャティシアが、半狂乱になり叫ぶ。
「お祖父ちゃん! ああ……お祖父ちゃん!!!」
そしてメイガンの元に両膝を着く。
その両肩に手を置きながら、レエテがルーミスに尋ねる。
「ルーミス! メイガン殿は……?」
ルーミスは――。両手の法力の光を消し、ゆっくりと貌を横に振った。
「オレが、駆けつけたときはまだ息があったが――。すでに致命傷だったようだ。
今はもう――すでに、法力をかけても全く細胞が再生しなくなっている。血も、凝固している。
残念だが――。
助けられず、本当にすまない」
沈痛な視線とともに言葉を投げかけられたキャティシアは、身体を震わせ、絶叫した。
「いやああああああ!!! お祖父ちゃんーー!!!!」
その慟哭は、幾重にも、雪山に木霊していったのであった。