エピローグ 解き放たれる死の陰獣
サタナエル『本拠』、アトモフィス・クレーター内、『宮殿』――。
時刻は深夜。哨戒のギルド兵員以外は、ぼほ全員が眠りに入っている時間帯である。
この世界最難攻の要塞は、組織の総本山であると同時に、組織の頂点である、“魔人”および“将鬼”の居住区も存在する場所である。
堅牢な石造りの、高層階に設けられた、ある一室――。
白を基調とした、瀟洒であり、かつ綺羅びやかさを重視した内装の部屋は、豪華な家具のみならず、巨大なワードローブ、化粧台をも備えている。
明らかに、高位の身分の女性の部屋、だ。
ここは、“将鬼長”フレア・イリーステスの居室、であった。
この部屋の主であるフレアの姿は――。
部屋の中央にある天蓋付きの、キングサイズを超す巨大なベッド、の上にあった。
彼女は、一糸まとわぬ全裸、であった。
彼女を象徴する銀の縁の眼鏡も、外した状態だ。
その白い肌を持つ、淫靡で艶めかしい肉体は――。
同じく全裸の、鋼鉄、いや黒いダイヤモンドのような硬度を持つ褐色の巨体を持つ肉体――。
“魔人”ヴェルの上に悩ましく絡みついている。
その右手の白魚のような指は――。
愛しい男の鎖骨の上をなぞっていた。
激しい行為の直後と見え、フレアの両眼は虚ろに潤んでいる。
「……最近、いらしてくださらない日が、多いですわ……。
今日だって、3日ぶり……」
その媚を含んだあまりに艶めかしい、吐息混じりの甘い言葉は、普段の冷徹な“将鬼長”としての面影はかけらもない、一人の「女」としてのものであった。
しかし、男は、答えない。
「わかっておりますのよ……。サタナエルの正統なる子孫を残すため、他の妾どもとも日々通じなければならないっていうことは……。
でも、他の女と違って、私は貴男のこと、本当に愛しているの……。どうしたら、それを感じていただけるのかしら……」
ヴェルは、フレアと目も合わせず、短く答えた。
「詰まらん言葉をほざくな。そのようなもの、俺には何の価値もないこと、分かっていよう」
フレアは、ふふっ、と淫靡な笑いを浮かべ、その貌をヴェルに鼻先が付くほどに近づける。
「ふふふ……そうかしら……? 当ててあげましょうか……?
今も、貴男の頭の中にいるのは、ある一人の女……いえ……今は『もう一人』でしょうかね……?
一人は、最初はその血が目当てだったものの……。その実、本当に愛してしまった、ただ一人の女……『マイエ・サタナエル』。
そして今一人は……もっと貴男にとって重要な、あの『レ……』」
フレアの言葉は、途中で遮られた。
あまりに荒々しく、ヴェルに唇を奪われたことによって。
そしてそのまま、その強靭な腕に抱きしめられ、ベッドの上に押し倒されていった――。
*
幾度もの激しい行為が終わり、ヴェルが部屋を後にした、そのしばらく後――。
フレアは軽く身体を拭いた後、全裸の上に薄手のタオルケットのみを身体に巻き付け、ベッドから立ち上がると、寝台の引き出しを開けた。
そこには、碧い液体の入った硝子の小瓶が、数十個、ぎっしりと並べられていた。
彼女はそのうちの一つを手に取ると、立ち上がり、壁から伸びるレバーを片手で一回転した。
壁に仕掛けられた隠し戸が軋みながら開き、その奥に、長い通路が姿を現した。
フレアは片手に燭台を持ち、奥へ進んでいった。
数十m程先に――。
10m四方ほどの空間があり、そこは壁に設置された松明で照らされていた。
フレアは燭台を近くのテーブルに起き、奥へ歩みを進める。
そこには――。
一人の人間が、鎖に繋がれ拘束されていた。
拘束――。という言葉では生易しい。それは猛獣に施す、檻の施錠というに等しい、あまりに厳重な監禁だった。
両腕、両足をオリハルコンの拘束具で固定、施錠。
その先端を二重のオリハルコン鎖で壁に固定。
最後に、胴体を3重以上に鎖で巻きつけるという状態。
その、厳重な監禁を施された当人は――。あまりに長く伸び放題になった、『白銀の髪』のせいで、全く貌が見えない。
男か、女かも分からない。しかし、わずかに覗く肌の色は、小麦色の褐色。
明らかに、サタナエル一族の者、であった。
あまりに長期間、身体も洗っていないのか、異臭が立ち込めている。
その者は、生気を失った目を上げ――。
その視界に、フレアの姿と、手に持つ碧色の液体を確認した瞬間――。
まさしく、狂ったかのようにーー首を振りたくり、あらん限りの力を持って滅茶苦茶に暴れ始めた!
「く……スリ!!!! クスリ!!! クスリクスリクスリィィィィーーーー!!!!!」
鎖が無数の鈴の音のように鳴り響き、満足に動かせないながらも一族の怪力による全力での手足と胴の運動により、部屋全体が振動した。
「はいはい……そうせっつかないで。いい子ね……今、あげるから。
何度も云うけど、私の手だけは噛まないでね」
そしてフレアが瓶を差し出すと、一族の者はまさしく猛獣のごとく勢いよく口を近づけて瓶を口にくわえて放り込むと、そのまま瓶を噛み砕き、碧い液体を硝子の破片ととともに体内に流し込んだ。
そして、満足の愉悦の表情を浮かべ――ガックリと頭を垂れ眠りに入っていった。
「あらあら――食道も内蔵も切り裂かれて大変じゃない。まあ貴方達一族ならどうってことはないわね……。
こうして一日一回の投与じゃあ、半日は禁断症状が絶え間なく続いて地獄の苦しみでしょうに。大分脳がやられてはいるけど、まだ一定の正気を保っているのは、正直なところ驚異ね。
全く、保護した人が責任をもって管理してくれればいいのにね……。どうして私が貴方の面倒をみなきゃいけないのかしら。
せっかくだから、存分に利用させて貰おうとは思っているけれどね……。
そうだ。一つ、『あの子』に猛獣使い役をやらせてみる、ていうのも悪くは無いわね。
レエテ・サタナエル。貴方がこの敵、一体どう捌いてみせるか、相当に見ものだわね……」
タオルケットを留める豊満な乳房を両手に抱きながら、フレアは昏い笑みを浮かべ、今後の作戦に思いを巡らせるのだった――。
第五章 ドゥーマ攻防戦
完
次回より、
第六章 『極寒の越境』
開始です。