第六話 忌むべきハイエナ【★挿絵有】
もはや、復讐鬼と化したレエテ。
明らかに押し始め、ガリアンにダメージを与えている。
しかし一見、優勢に見える状況も、問題を抱えていた。
今のレエテは、持てる力を全て攻撃に振り、防御を一切考慮していない状態だ。
サタナエル一族の肉体をもってして痛みに耐えることができれば、「骨」を切らせて骨を断つ戦法が可能ではあるが、断つ前に自らの急所を断たれ死に至るリスクも極めて高い。
そのような状況を認識しているか否か――。
レエテは、今度は上空よりの急襲を仕掛ける。
空中で高速前転し、両手の結晶手をガリアンの頭上から振り下ろす!
「見切った!!」
これを、左手のメイスで防ぐガリアン。
防御と同時に、無事な右脚からのバネを伝える右手のメイスを一気に振り上げる。
しかし――この攻撃は完全に空を切った。
なぜならば――。レエテの身体は、防御したガリアンの左手のメイスから転じて、その長い腕に蛇のように巻き付いていたからだ。
そして、そのまま腕で手首、脚で二の腕をホールドし、一気に身体を捻ってガリアンの左肘を破壊する。
鈍い大きな音と共に、腕骨が完全に破壊された。
「……!!!」
恐るべき激痛が左半身を走るが、悲鳴一つ上げずガリアンは耐えた。
驚異的なことに、関節を失いぶらさがるだけになった腕の先のメイスは、取り落とすことなく握られたままだった。
攻撃を終え一旦距離を取ったレエテは、間を置かず攻撃のため前に飛び出して来る。
――もはや、ぶつけるしかない。
リスクをも伴う、自らの最大の技を。
ガリアンは意を決し、腰を低く身体を屈める。
そして、上体を大きく捻り、敵の攻撃を迎え撃つ。
すぐに、一匹の雌獅子と化した敵が全速で襲い来る。
それに合わせ――。
溜めを作った体勢から右手のメイスの攻撃を一気に振り抜く!
防御を取らないレエテの身体の、左二の腕に命中した。
ダメージは大きくないが、鈍い音が響いた。
これによって突進が停止する。
そして右が振り抜かれると――。
今度はガリアンの背面から左メイスの攻撃が襲う!
さながら竜巻を思わせる、水平の回転攻撃、だった。
初弾の勢いを殺さず、上半身の回転力で繰り出すゆえ、折れた左腕でも攻撃を可能にした。
――想像を絶する激痛のはずであるが。
その攻撃はやや右方向にスライドしたレエテの身体を完全に捉え、今度は脇腹に命中する。
一撃で消化器系内蔵が破壊されたと見え、大量の血を吐き出すレエテ。
しかし回転を継続するガリアンの攻撃はまだ終わらない。
今度は右手メイスの攻撃が、急所である頸部を狙って繰り出される。
いかにサタナエル一族といえどダウンを余儀なくされるダメージを受けたはずだが、極限の闘争心で痛みが麻痺しているのか、レエテの動きは止まっていない。
そして――躱した、訳ではない――さらなる攻撃の為に、前進しつつ身を低くしようとした。
これによって――右手メイスの攻撃は、頸部を逸れ、芯は外れたもののレエテの左頭部を直撃した!
メキッ――という嫌な音とともに、頭蓋が、脳が破壊された。
「わああ!!! レエテ、レエテー!!!」
岩の上でようやく身体を起こしはじめていたランスロットが、悲痛な叫びを上げる。
大量の血と脳漿。頭部左半分は陥没し、その美しい貌も醜く引き歪む。
しかし――それでも、レエテの動きは止まらない。
まるで屍鬼だ。
前進し、まだ回転を続けようとするガリアンの胴に向って、クロスさせた両手の結晶手を水平に振り抜く!
自らの回転力も手伝い――ガリアンの胴は、上下に寸断された。
動きを止める下半身。
回転しつつ、分離し地に落ちる、上半身。
そして飛散する血と、内蔵。
なおもメイスを握って放さぬまま、地に伏したガリアンは、血塗れの貌で言葉を、発した。
「なお……届かな……た……が…………みご……と、だっ……な……」
目を剥いたまま、微笑んだような表情を浮かべ――こと切れた。
闘いに勝利したレエテは、倒れることなく立ち尽くしていた。
左の胴はひしゃげ、頭の左半分は潰れている、深刻な状態だ。
が、ゆっくりと――ある方向を向き、そして歩き出した。
全身自分と敵の血に塗れ、生ける屍のごとき様で歩み寄る先は、意識を取り戻しようやく上体を起こしたレイド・ドノヴァンの方だった。
レイドは、恐怖のあまり涙を流し叫び声を上げた。
「ヒッ、ヒッ、ヒイイイイイイー!!!! 来るな、来るんじゃねえ、化物ぉー!!!」
脳は――左側を損傷した場合、論理的思考や状況把握、言語に深刻な影響を与える。
今のレエテは言葉を理解すること、自分や周囲の状況を咀嚼することは不可能だろう。記憶にも影響を与えているかもしれない。
が、五感および運動に問題はなく、何よりも――感情は完全な形で残っているはずだ。
レエテは、憎悪の感情にのみ突き動かされ、レイドを殺すべくその元に向っているのだ。
じり、じり……と進めるその歩みは、少しずつ、速くなっている。
すでに、両手は結晶手を構えている。
潰れた左目の分も光を増す、右目の眼光は怨念をたたえ、ランスロットも身震いせざるを得なかった。
「やめろ、俺が、俺が悪かった。何でもする。頼む。それ以上、近づかないでくれ――」
見苦しくレイドが命乞いを始めた、その瞬間――。
ビュッという風切音と同時に、レエテの残った右目から突然、「矢が生え」た。
後頭部から――クロスボウの矢、ボルトが貫いたのだ!
右脳をも、損傷させられたレエテは、しばらくグルグルと頭を回転させた後――。
棒が倒れるように、その身体を地に伏し、動かなくなった。
「はあっ、はあっ……」
死を免れた恐怖に息を荒げながら、ボルトの発射された先を見やると――。
50mほど先の樹上に、クロスボウを構える一つの人影を発見した。
その人物を認識し、舌打ちをしつつ声をかけるレイド。
「……とりあえず、礼は言わせてもらいますよ、フェビアン副将」
それは、単独行動を宣言していた、サタナエル“投擲”ギルド副将フェビアン・エストラダの姿だった。
黒い長髪をなびかせ、全身を戦闘服で覆ったこの女性は、地獄絵図のような状況でも極めて冷静だった。
敵を仕留めたことを確認し、丁寧に次弾のボルトをはずしてクロスボウを腰にセットする。
「依頼人の要望どおり、急所を外した。脳を完全にやられ、しばらくは動けまい。そのまま連行していくがよかろう。
お前の命を助け、レエテ・サタナエルを仕留めたのは、このフェビアンだったと、『あの女』によく伝えておけ」
淡々と、それでいて尊大さを感じさせる態度。
レイドは貌を不快感に歪めながらファビアンに、云った。
「あんた、ずっと俺ら二人を樹上からつけてきてたんでしょ? 依頼についてしてた会話も聞こえる位に近くで。
今も充分、ガリアン副将の援護ができた状況だったでしょうに、『あえて』あの人が全力を尽くして死に、この化物が弱ったところを狙ったと」
「?? 当然だろう。私達狙撃手が確実に仕留められるよう、敵を弱らせるのがお前達前線の仕事だ。現に今それが成功した。
それに援護などしたうえで勝利したら、ガリアン副将の戦果になり、私には何の得もない。
彼が死んだのは残念だが、そこまでの実力だったということだろう」
何の感情も込めず、淡々と話すフェビアン。
レイドは一瞬激情がこみ上げ、怒鳴りつけたくなったが、辛うじてそれを押さえた。
ここでこの女を怒らせて、自分が殺されるのは本意ではない。
「よーく、分かりました! 副将のお考えは。伝えておきますよ、シェリーディア統括副将に。
ガリアン副将が命をかけて作った隙を、『効率的』に、『冷静』に、一発で副将がお仕留めになりました、と!」
「頼んだ。私は先にドゥーマに戻っている。
今度は、ドゥーマ伯の顔を立てた後で、そいつを確実に仕留めねばならないからな」
云い置くと、フェビアンは樹々を伝ってドゥーマの方角に向って去っていった。
去ったのを確認し、レイドは一気に不快感を爆発させた。
先程喉の奥で飲み込んだ、決定的な言葉を放つ。
「クソ女が!!! 前から気に食わなかったんだよ、テメエは! 不感症女が!
まあ、云ってることはいつも正しいぜ。だがよ、俺ら悪にも最低限、仲間同士の仁義ってものがあんだろ。
何の感情もなく仲間をも見殺しにし、踏み台にし、そいつを臆面もなく口に出す。
俺が云うのも何だが、吐き気がする悪だぜ、テメエは。
悪いがテメエなんぞよりか、シェリーディアの方が万倍マシな女だぜ!」
思い切り悪態をついて満足したレイドは、ガリアンの遺体を見やった。
「すみませんね、副将。俺が不甲斐ないばっかりに。
まあ、後の仕事は俺がやりきりますよ。この化物を連行してね。
誰が何と云おうがこいつはあんたの手柄だ……。安らかに眠ってくださいよ。
ん……そういやあ、あのへばってたネズミ野郎は……どこへ行きやがった?」
先程まで岩の上にあったはずの、ランスロットの姿がないことに、ようやく気づいたレイド。
「やれやれ……お前の化物ぶりにビビってか、命が惜しくてなのか、逃げちまったかな? レエテ。
お前もまあ、可哀想なやつだよな。そんな状態になっても死ねねえ身体で、苦しいだろうなあ。お前のような特別なやつは、他の連中となんだかんだ云って距離もあんだろ。少し同情するぜ……」
*
そのランスロットは――草葉の陰にじっと身を潜めていた。
勿論、レイドの云うような理由で、逃げた訳ではない。
予めこのように動く予定であったのだ。
しかしながら――想定していたよりもレエテの傷が深くなってしまった。
自分がもう少し援護できていれば、と悔やまれる。
「すまない、レエテ。あと君のことは、ナユタとルーミスに任せるよ。
僕は――まだやることがある。お互い、必ず生きてまた会おう」
云い残すと、ランスロットは森林の奥深くへと、跳び去っていった。