第二話 迎撃から進撃へ【★挿絵有】
エストガレス王国内、中原に位置する城塞都市、ドゥーマ。
100年ほど前までは、大農業地帯である中原に点在する、のどかな農村の一つにしかすぎなかった。しかし、国の基盤を固めたノスティラス皇国が中原へ進出を始めると、まずドゥーマはエストガレスの兵站拠点に指定された。数万の兵を養い、前線へ兵士と武器、食料を送り出し、負傷した兵の野戦病院、後方の首都ローザンヌからの補給を受け備蓄する機能を整備されたのだ。
その牧歌的であった土地は突然に高さ50mからなる城壁に囲まれることになり、内部にも次々石造りの施設や街路が整備されていった。そしていつしか人工的に高められていったロジスティクスと防衛機能に加え、それを維持する商人や職人、居住を始めた軍人、役人やその家族たちが住民化することにより城塞都市として成立していったのだ。
その場所は、中原北端の国境線ラ=マロリー川から南方に約3Km、東にアンドロマリウス連峰を臨む要衝地にある。低地平地が大半を占める中原にあって、連峰の西端の山を背後に控え、天然の要塞の要件を満たしているゆえだ。
*
その都市より北に5Km。
ある山麓の森林地帯に、野営を移動したレエテ・サタナエル一行。
すでに、この場所に居を定めてから3週間以上が経過している。
彼女らの目下の目的は、ドゥーマへの情報収集と来るべき作戦への準備。
長期にわたる野営のため、行商人より様々なものを調達した。テント、調理用器具、家具、ベッドロールなど。
そしてそれぞれの役割分担。情報収集役のナユタとランスロット。エストガレスの内情にそれなりに詳しく、情報整理担当であるルーミス。生活上の労働と調理担当のレエテ。
適材適所ながらレエテの比重が大きく、一見不公平にも見えた。が、彼女はこれまでに実感した自らの身体と心の衰えを挽回するべく鍛錬に励む必要があったし、何よりも――。
このドゥーマという土地に対して最も慎重に行動しなければならないのがレエテだった。
ドゥーマは5年前の戦、「ドゥーマの反攻」の主舞台となった場所だ。
このとき、ノスティラスの軍勢に兵糧攻めにあい、極限状態の中陥落寸前まで追い込まれたドゥーマ。
その危機は当時のエストガレス西部方面師団長、ラディーン・ファーン・グロープハルトの卓越した戦術と勇猛な指揮により救われている。
この活躍は吟遊詩人の曲や、各地で歌劇の題材になったほどの劇的なもので、ここドゥーマではラディーンはまさしく英雄の中の英雄なのだ。
実際この男の本性は血に飢えた異常者、殺人鬼であり、コロシアムの剣闘士に堕していったわけだが、ラディーンを崇拝するドゥーマ市民にとってそのような事実はいっさい関係がない。
彼を讃えて造られた銅像も、事情を知る最近の他所者からの攻撃より護り、大切にしているほどだ。
コロシアムの物語も徐々に大陸に浸透した中、そんなラディーンを惨たらしく殺したと伝えられる「血の戦女神」レエテ・サタナエルは、ドゥーマ市民にとっては許しがたい仇敵・悪魔である。
それに加えて彼女は皮肉にも、サタナエルを自分に引きつける戦略として、自分の無二の特徴的な容姿を全大陸に知らしめてしまった。
ゆえにドゥーマに入ればたちどころに見つかり捕らえられ、正式な法の裁きも期待できず、石と罵声を投げつけられ、斬首による処刑・報復を実行されるであろう。
*
この日――時刻は、夜。
最も大きなテントで、ロウソクをたてた小さなテーブルの周囲に敷物を敷いて座って囲む、レエテとルーミスの姿があった。
ここは居室兼、男性寝室となる。
ナユタとランスロットは、別の女性用テントにて交代で睡眠をとっているところだ。
特にレエテとナユタは気にしないのだが、ルーミスが強硬にテントを分けることを主張したのだ。
レエテとルーミスも、出会ってから一月あまり。
ルーミスはあまり変わらないものの、レエテの髪型は――。その毛髪の伸長が早いサタナエル一族の体質により、すっかり腰まで伸びた長髪となっていた。
10ヶ月前となるあの「本拠」アトモフィス・クレーター脱出の日、亡きビューネイに誓ってほぼ剃り落とした髪は、復讐に向けて動き出し誓いを遂げた今、脱出前の長い髪に戻ったのだった。
そのレエテの美しい横顔をちらりと見やって視線を逸したあと、ルーミスが低く云う。
「いよいよ、決行は3日後だな、レエテ」
「そうね……。お兄様――シエイエスの行き先が判明するといいね、ルーミス。
すでにナユタ達のおかげで、彼が半年前にドゥーマを訪れていたことは判明しているしね。
あとは、行き先を知る可能性が高い――ドゥーマ伯から話を聞き出すだけ」
レエテの話を聞いたルーミスは、貌をうつむかせて再び低く云う。
その貌は、投げかけられた希望ある明るい話題とは裏腹に沈んでいた。
彼――彼だけでなくナユタとランスロットも――は、どうしてもここ最近で聞いたレエテの――過去の話が頭を離れなかったのだ。
「レエテ……もうオレのことはいいから……オマエはオマエの復讐を、優先させてくれ。
聞かせてくれたオマエの『本拠』での過去――。
あまりにも、衝撃的で――哀れで、やるせない怒りがわいてきて。
オレも勿論奴らは憎い。殺してやりたい。
けれど復讐といえど母親は貌も知らないし、父さんはそれでも心安らかにオレの腕で逝ったし、それに加えて2人の肉親が生きているオレの境遇はまだ恵まれていて――。
それと比較できない壮絶さで全ての大切な人を失い、復讐しようとするオマエに――気を使わせては、申し訳がない」
その言葉に、レエテは険しく表情を変え、ルーミスに詰め寄る。
「何を云ってるの! 私を気遣ってくれるのは嬉しいけど、そんな事考えないで!
あなたはあなたの大切な人を、間違いなく奪われた。
その哀しみや憎しみは、誰のほうが大きいとか優劣を付けられる問題なんかじゃない」
そこで言葉を区切り、貌に後悔の念をにじまると、レエテは続けた。
「ただ恥ずかしい話だけれど……。
あなたのお父様、アルベルト司教が殺されたとき、その仇であるロブ=ハルスに向っていったときの私の心は――。司教を殺したことに対してではなく、自分自身の復讐心で一杯だった。
家族を殺した――ターニアとアラネアの首をはねたかもしれない、あの悪魔を見た瞬間、完全に自制心を失ってしまった」
レエテの眼が一瞬憤怒に燃え、歯がギリッと噛み鳴らされた。
ルーミスも仇敵の名を聞いて、一瞬ゾワッと血の気の引く怨嗟が湧き上がるのを感じた。
「私は復讐のためならば人間であることを捨て、鬼になるつもりよ。
けれど、私の『すべて』が鬼になったら――。
奴らサタナエルと、同じ。血に飢えた、悪魔に過ぎない。――アルベルト司教も云っていたように。
私は、人間でありたい。家族の温もりも、仲間の大切さも、失いたくはない。
ルーミス。あなたのことは、本心から大事に思っている。だから、手伝わせて。一緒に仇をとること、家族を探すことに、お願いだから遠慮なんかしないで」
詰め寄った体勢のまま、レエテはルーミスを見つめた。
本来、そのような状況ではないのだが――。
20cmほどの至近距離に迫ったレエテの貌と、胸元が目に入り、ルーミスの心臓が飛び出さんばかりに大きく脈打つ。
自然と喉に唾がゴクリと飲み込まれる。
ここ最近、長くなった髪の毛は毎日ナユタが強引に手入れし、以前のむさ苦しく薄汚れた印象は完全に払拭している。
加えて仲間と親密度が増すに従って、以前のやや固い口調は、元来のものであろう女性らしい口調に変わってきていた。
ルーミスの内に秘めたレエテへの想いは、日に日に強くなる一方だったのだ。
きれいだ――。
そう思った瞬間、口づけし、震い付きたいほどの愛おしさがこみ上げる。
それを必死で押さえ、口を開く。
「レエテ……ありがとう、オレは……オレは」
その時――突然無遠慮にテントの幕が開き――。
ルーミスは慌てて口をつぐんだ。
「そういうこと! レエテの復讐も、ルーミス、あんたの復讐と家族探しも、あたしたち皆の目的、て訳さ。
さあ、交代の時間だよ。ルーミス、あんたが寝る番……て、どうしたんだい? 大丈夫?」
入ってきたナユタは、彼女から貌を背け、不機嫌な様子のルーミスを見た。
そして極めて察しのいい彼女は、状況を理解して口角を上げた。
「そっかー。『いい話』の最中邪魔して悪かったねえ。
まあ、邪魔ついでだ。3日後のことについて少し詳しく話そうか」
そう云ってナユタは敷物の上にあぐらをかく。
まず言葉を発したのはレエテだった。
「そうね、私もいろいろ聞きたかった。
特に、私がドゥーマ市民に恨まれているのなら、一体どう動くべきなのか、ということ。
推測だけれど、何らかの囮に私を使う気じゃないかと考えたりね」
「さすが、鋭いじゃないか。
恨みをもつのはドゥーマ市民もさることながら、ここドゥーマの支配者にして、シエイエス・フォルズの行き先を知ると思われる重要人物、ドゥーマ伯爵もね。
名はライオネル・グロープハルト。レエテ、あんたがコロシアムで殺った悪魔、ラディーンの伯父。
ラディーンにその出世の報奨人事がてら、その力で伯爵に引き上げてもらった経緯、恩がありそして憎きあんたに懸賞金までかけた男。
こいつの行動を利用したいと思ってる」
ルーミスが、低く言葉をかける。
「それだけ悪目立ちする方法をとってまで遂げたい目的は――。
サタナエルのあぶり出し、だよな?」
「そう。今までは、どこから来るか分からない奴らを、迎え撃つばかりだったろ。
そしてそのたび圧倒的不利な状況を作り出していたが、今度は違う。
そもそも、レエテの最初の目的からすれば――。奴らをどんどん討ち取り、弱体化させ――真打ち達を引っ張り出すことを目的にしなきゃいけない。
今のように奴らが各都市にある程度分散していれば、それは可能さ」
「ドゥーマのサタナエルは――。どんな奴らがいるのかしら。
どんな奴がきても斃すつもりだけれど――。特に将鬼の奴はね」
レエテが低く云う。
「予想はしている。
人数は、多いだろう。大陸一の火種を抱えるドゥーマは奴らの最活動拠点だ。
かつ確実にいえるのは――城塞での活動を最も得意とする、射撃――“投擲”ギルドの奴らがいるだろう、ということだね」