エピローグ 花開けし薔薇
暗殺・戦闘集団サタナエル『本拠』アトモフィス・クレーター――。現在。
この閉じられた地において、唯一存在する隧道が、北の山脈麓に存在する。
高さ30m、幅100mほどの穴が、数kmに亘って続き、山脈を抜けた先にある外部、エスカリオテ王国南部の森林に抜ける。
人間の手で掘られたものではなく、自然に形成された穴を整備し、交通手段として確立したものだ。
この隧道を通じて、『本拠』への食料、生活必需品、建築資材の輸送、そして人間の出入りが行われる。
エスカリオテ側では、警備の兵員が置かれるほか、その存在は樹々や草葉で完全に覆い尽くされる。
サタナエルの存在を世界から覆いつつ、同時にその生命線でもある道。
この道のアトモフィス・クレーター側出入り口を独占管理することで、サタナエルはこの地の支配者として君臨しているのだ。
隧道出入り口を、巨大なる組織の居城、“宮殿”なる建造物で覆い隠し、一族と屈強なるギルド兵員数百人による絶対なる鉄壁で護ることによって。
石で形成された、高さ80m、外周2kmにもおよぶこの建造物は、200年以上の歴史を誇るとされる。
内部には数百人を養う生活空間や、訓練場、そして高貴なる将、長老、一族男子と――“魔人”の居住空間が形成されている。
そのほぼ中心部、訓練場エリアとなる場所に造られた長い廊下を――10人ほどの若い男女が、後ろ手に縛られた両手を数珠つなぎにされ、屈強な兵卒と一人の女性に従えられてしずしずと歩んでいる。
男女の様相は様々だった。剣を腰に下げた剣士もいれば、戦斧を二本両側の腰に下げた戦士も居る。
長い髪の女性もいれば、丸刈りに刈り上げた男性もいる。
ただ彼らに共通している点があるとすれば――二点。
一つは、装備品、顔つき、所作など全てにおいて、通常人を軽く凌駕する戦闘者であることを覗わせること。
そして今一つは――顔面蒼白、目は隈にびっしり覆われ、身体の震えを止めることができぬその様子が――。
処刑場に引っ立てられる大罪人の様相であることだ。
男女の先頭を歩くのは、少女であり、行列の中でも際立って小柄だ。
150cmに満たないうえ、華奢だ。頭髪は金髪で、腰までの長髪。その身体を、全く不釣り合いな刃物の塊のような重装鎧で覆っており、彼女が歩く度にカチャン、カチャンという金属が打ち合う音が廊下に鳴り響く。
その少女が震える唇から、彼女の前に立って行列を先導する、一人の女性に向けた言葉を発する。
「あ、あ、あのー……。“将鬼長”フレア様……お願いです。どうか、どうかゆ、許してください……。
『あの試練』にあたしを放り込むのだけは……。
あ……あたしは確かに負けて逃げ帰りましたけど、貴重な情報をお伝えしましたし、あいつら前情報よりはるかに強かったし……。
『再教育』の軽減、があってもいい、はずです!
それがダメなら……お願い、お願いです、な、何でも、何でも、しますから!
どんなコトだって、誰が、どんな気もい奴が相手でも、いくらでもヤらせてあげますからあ!!」
その少女の言葉に――。
相手である女性は憤怒の表情で振り向いた。
栗色の長い髪、知性と色気を感じさせる美貌、そして銀縁の眼鏡が特徴的な、魔導衣の女性――。
約10ヶ月前の、レエテ・サタナエルによる雄叫びを受け瀕死の重体となった影響から生還し、回復したと見える“魔導”ギルド将鬼兼全ギルド将鬼長、フレア・イリーステスの姿だった。
フレアは、少女の貌を睨みつけた。
すると――。少女の口内の舌が――突然激烈な高温に覆われ、沸騰し、大量出血する!
「ん!!! んんんんんんー!!!」
口から大量の血を吐き苦しむ少女の両頬を片手で掴み、強く引き寄せるフレア。
「黙りなさい……! 低知能の、メス猿が……!
まず、軽々しく私に話しかけるな。そして、無駄な内容をだらだらと垂れ流すな。
『再教育』の軽減など、望めると思うの?
貴方が負けた相手はたしかに、無意識にとはいえこのフレアを死の淵にまで追いやり――かつ深淵からの脱出を遂げるほどの、化物とその仲間よ。
けれど、同時にこのサタナエルの存続を脅かす、最々重要の存在。
負けて帰ってきました、では済まされない、死んでも仕留めなければならない相手だったのよ、レーヴァテイン・エイブリエル」
「うう……。んん……んんん!」
「だから、貴方の場合ただの『再教育』とは訳がちがうの。
貴方のお父様、ロブ=ハルスからもお願いされていることよ。
さあ、もうその場所には着いているわよ。
他の罪深き連中とともに、滅多に味わえない最上級の『あの試練』、覚悟して臨みなさい!!」
少女――レーヴァテイン・エイブリエルの目前に展開される、10m四方もの巨大な扉。
それが、番人によって、不吉な金属音とともに、開かれていく。
そして手荒くその先の室内へ引っ立てられ、ようやく両手を固める鎖を解き放たれ、自由となったレーヴァテインと他の『再教育』対象兵員たち。
殺風景な、石造りの広大な室内の中――。
彼女たちの目前で、背中を向け、佇む一つの巨大な影。
2mを優に超え、200kgに届く巨体。黒いダイヤモンドのごとき、大量の超筋肉に覆われた恐ろしく張りつめた肉体。
何よりも、心臓が止められてしまいそうな圧倒的な殺気、プレッシャー。
そしてサタナエル一族であることを示す、銀髪褐色肌と――下げられた両手の先にある結晶手。
臨戦態勢をとった、“魔人”ヴェルの、姿がそこにあった。
「んんんん!! ……!! ……!!!」
恐怖に剥き出した目から涙を吹き出させ、ぶんぶんと首を振り、状況を拒絶するレーヴァテイン。
その背後で、フレアが入室すると同時に、扉が閉められた。
――彼女が受ける、最も過酷とされる『試練』とは、組織の頂点にして最強の化物、“魔人”ヴェルの対人訓練の標的となること。
生還の確率はかぎりなくゼロに近い、全ギルド兵員が心の底から怖れる、実質は処刑と同義の地獄だ。
扉が閉じるのを合図に――即座に“魔人”ヴェルは動く!
この『試練』に――準備は一切許されない。この場は、紛うことなき実戦、なのだ。
まず180度反転の後――。瞬時に10m近くを直進し、両手の結晶手を一閃する。
やや中心から外れた場所にいたレーヴァテインは頬に、ブンッ! と刃のような空気の流れを感じた。
同時に大量の血と、臓物の雨が、頭から降り注ぎ、その金髪と白い貌が赤く染まる。
そこにいた男性剣士、女性剣士、男性魔導士の3人が一気に――10片以上の肉のパーツに分解され、宙を舞ったのだ。
全く、武器を抜き放つ時間すら与えられず。
「うああああああああ!!!」
それを見て、極限の恐怖に駆られた戦斧二刀流の戦士の男が、武器を構え側面からヴェルに襲いかかる。
その強襲は、さすがにサタナエルの一員と思わせる、反撃の隙を与えぬ完璧な動きだった。
――相手が、並の戦闘者、ならば。
ヴェルは――視認不可の速度で体勢を変え、左脚を起点に右脚での上段回し蹴りを放つ!
先端速度は音速に匹敵し、脚が消えたように、見えた。
パアンッ! と音が鳴り響く。
戦士の男の頭部が、落ちた柘榴のように大きく爆ぜ、赤く細かい肉片に姿を変える。
レーヴァテインは、ようやく我に返った。
ヴェルは、自分と反対方向の連中の方へ向った。
今のうちに反撃の糸口を掴まなければ、自分もただの肉片へと姿を変えるのみだ。
(う……ああ……。どうしよう、どうしたら……あたしがあの方に対抗できる、力は……。
そう……跳躍力!)
思いついたレーヴァテインは、一気に壁に向って走り、一足飛びに飛び上がる。
そして壁を蹴り、その勢いで上空へ跳躍し、はるか上の天井にぶら下がる燭台の上へ乗る。
吊り下がる鎖がギシギシ……と音を立て、左右に揺れる燭台の上で闘いの場を見下ろす。
眼下では、地獄の光景が展開されていた。
レーヴァテインが最後に見た時は、まだ5人残っていた筈だ。
が、それらの者共は、すでに早くも赤い肉塊に姿を変えたか、あるいは壁の無数の赤い点と成り果てていた。
もう、残っている兵員は、自分一人だ。
(ああ……死ぬ。あたし、死ぬんだ……。
このままじゃ……どうにもならない。この高さを利用して回転斬りを仕掛けても、あの方のパワーで反撃を合わせられたら、打ち負けてあたしが真っ二つになるだけ。
力……力がもっとあれば。そんなものを得る方法なんて……)
極限状態で頭が真っ白になりかけたレーヴァテインの脳裏に、つい先日受けたばかりの苦い、それでいて衝撃的だった敵の攻撃の光景がフラッシュバックした。
(「それ」しか――「その力」しか今のあたしに足せるものはない。
賭けだ。賭けに負ければ、死ぬだけだ!)
心を決めたレーヴァテインが、燭台の上から一気に攻撃を仕掛ける!
かつてレエテとナユタを苦しめた、高所からの自分の身体を利用した回転斬りだ。
ヴェルは即座にそれに気づき、レーヴァテインが予想したとおり、これに自分の攻撃を合わせる積りと見え、構えを取った。
それを確認したレーヴァテインは、精神を集中させ、心で叫びを上げる。
(魔炎煌烈弾!!!)
指向性をもって自分の後方に放たれた爆炎は――魔導士ナユタ・フェレーインの技だった!
本家には遠く及ばない威力ではあるもの、目的である、自分を「加速・加圧」させるためには余りにも充分すぎる力だ。
まるで砲弾のごときパワーとスピードとなったレーヴァテインの身体は、思わず防御の姿勢に移行したヴェルの結晶手に接触後――。
なんとその巨体を後方へ吹き飛ばし、壁に激突させた!
ミシッと音をたてたヴェルの肉体のいずれかに、僅かではあろうがダメージまでも与えたようだ。
後方へ飛び退り、すぐに第二撃を与えるため壁に向って走ろうとするレーヴァテインの背中に、低い振動を伴う怒声が投げかけられる。
「そこまでだ!
もう、充分に貴様の力、体感した。
油断したとはいえ、俺にダメージまで与えたその力、組織のために役立てて貰わねばならぬ。
貴様を……“副将”に格上げし、且つこの“魔人”ヴェルの親衛部隊への配属を、この場で命じる。
貴様、名はなんと?」
言葉を発することのできないレーヴァテインの代わりに、フレアが答える。
「その者の名は、レーヴァテイン・エイブリエル。“短剣”“将鬼”ロブ=ハルスの娘ですわ」
「なるほど、ロブ=ハルスの……。奴も鼻が高かろう。今後の活躍に期待している。“副将”レーヴァテイン・エイブリエル」
云うと、開かれた扉から、ヴェルは姿を消した。
迫った死の実感から一転、拾われた命。
さらには思いがけず、組織の長からの最大限の賛辞と、副将の地位と親衛部隊配属を同時に与えられる異例の取り立て。
レーヴァテインはへなへなと床にへたり込み、現実を受け入れるのに必死のようだった。
そこへフレアが近づき、声をかける。
「……見事なものね、見直したわ。
貴方、耐魔以外で魔導の訓練を受けた経験は?」
レーヴァテインはゆっくりと首を振る。
「ならば、天賦の魔導の才があったというしかないわね。
一度受けただけで、それを自分の物にするとは。
もともとの武器格闘の才能と合わせれば、今後も成長が見込めそうね。
いいでしょう、私が鍛えて差し上げるわ、その舌を治してあげてからね」
そして、彼女に自分についてくるよう促すフレア。
そして心の中で、呟く。
(そのついでに……貴方から教えてもらおうかしら。
貴方に敗北を与えたという、魔導士のことを。
私が古くからとても良く「知っている」爆炎魔導を使う、その女……のことをね。
そうね……折角だし一つ、手を打っておこうかしら)
第四章 運命の交差
完
次回より、第五章 ドゥーマ攻防戦
開始です。