第九話 忌まわしくも甘い追憶(Ⅸ)〜混乱の中で
突如――。
マイエのその貌の両側から、神速で伸びる刃!
弾丸の速さで襲い来る結晶手は、“剣”と“斧槌”各ギルドの“将鬼”を襲う。
流石に即座の反応を見せ、その攻撃を受ける二名だったが――。
“剣”“将鬼”は、受け止めた二本の大剣が身体にめり込みギシギシ、と音を立てたあと、数m先の樹の幹まで一直線に吹き飛ばされた。
“斧槌”“将鬼”は、戦槌で受け止めた左腕が、木を圧し折ったときの嫌な音をたてて解放骨折し、なおかつ飛ばされ地に伏せる。
その相手の状態を確認することなく、間髪入れずその二本の結晶手を、“投擲”と“法力”“将鬼”に向けて放つ。
今度は、時間差の水平連撃だ。彼らも反応を見せるが、身体の一部を斬られて噴血しつつ後方に下がる。
マイエによるこれら4名への連撃は―― 一瞬のうちに行われた。
これだけの挙動でありながら、ここに居る中ではアラネアとビューネイの目程度では、何が起きたかまったく視認できない神速の攻撃だった。
かつ、175cmほどの体格でありながら、自身と比較にならぬ体重をもつであろう大男ですら問題にせず、遠くへ吹き飛ばす怪力。
すでに彼女が踏みしめる地面は、そのパワーを支えきれず数cmもの深さに陥没していた。
と、ここで――。
“魔人”ヴェルの正面攻撃が、ついにマイエに対して打ち込まれた!
右手の結晶手による攻撃を、両手結晶手で受けるマイエ。
受けた瞬間、彼女は心の底から驚愕した。
攻撃を、押し返せない。
それどころか――自分は両手、相手は片手なのに――わずかだが自分が押されている。
これまで、大半の闘いにおいて攻撃を受けるまで勝負を続かせず、ましてやパワーで自分に比肩するものなど現れたことのない、マイエ。
相手を紙か藁の人形程度にしか感じたことのない彼女にとって、それは未知の、異次元の感覚だった。
だめだ。こんな所で止まっている場合じゃないのに――動けない。
マイエの貌に焦燥の色が浮かんだ、その瞬間。
「今よ! ロブ=ハルス、コミュニティの連中を仕留めて!」
鋭い声で指示を出したのは、フレア・イリーステスだった。
「承知――! ふふ、レエテ、ようやくあなたに復讐する機会が巡ってきました――」
云いながら、ジャックナイフを手に後ろの家族に殺到しようとするロブ=ハルス。
これを受けて前に飛び出したのは、ビューネイだった。
「よお!! 久しぶりじゃねーか、ハゲ!!!
テメーの気持ちわりい妄想に、これ以上レエテを付き合わせやしねえ!!
あたしがテメーを返り討ちしてやらあ!!」
勇ましい叫びとともに結晶手を突き出すビューネイだったが――。
その実力差は歴然。すぐに彼女が切り裂かれるイメージが脳に浮かび上がるレエテ。
「ダメ!!! ビューネイ!!! お願いだから、逃げてぇ!!!」
その脳裏に、幼き日のアリアの姿が浮かび上がり、ビューネイの姿に重なる。
「ビューネイィィィーー!!!」
マイエも、悲痛な叫びを上げた――その瞬間。
突然後方から一つの影が飛来し、ロブ=ハルスの背中に結晶手の一撃を横一閃に与える。
横一文字に切り裂かれた傷から、鮮血を噴き出すロブ=ハルス。
「ぐあああ!! 何だ! 何奴!」
地に倒れるその姿を見下ろす、一人の長身細身の女性――。
それは、狩りに出かけていたはずの、ドミノ・サタナエルの姿、だった。
「大丈夫か! ビューネイ! みんな! マイエ!!」
いつもの彼女からは想像もできない、気迫に満ちた表情と、叫び。
この場の家族たちにとっては、救世主といって良い存在、だった。
その姿を確認したマイエが、ヴェルの攻撃を受けつつ悲痛な叫びを上げる。
最も信頼を置く右腕にして、幼馴染であるドミノに。
「ドミノ!!! こいつらはこの場で家族全員を皆殺しにする気だ!!
“魔人”は私が抑える!! あなたは、すぐに皆を連れて逃げてえええ!!!! お願い!! あなたの知恵で、皆を生かしてええ!!!!」
一瞬、目を丸くした後――全ての状況を把握したドミノは、すぐに行動を開始する。
「わかった……絶対に、死ぬなよ、マイエ!!
さああんた達、あたしに付いてきて!! 何が何でも生き残るよ!!!!」
その合図とともに、一気に宮殿の反対方向へ跳び出すドミノ。
これに続いて、アラネア、ターニア、ビューネイが次々にその後を追い、跳び出していく。
「マイエ! 約束よ! 絶対に、生きて私たちのところに戻って!!!」
「死んだら、許さねーぞ!! マイエ!! 先に行って待ってるからな!!!」
口々にマイエに言葉をかけていく彼女たち。
「貴方達!! 寝ているヒマは無いわよ!! すぐにコミュニティの連中を追いかけて!!」
またしてもフレア・イリーステスの指示が飛び、攻撃を受けて倒れたり地に膝をついていた“剣”、“斧槌”、“投擲”、“法力”の各ギルド“将鬼”は、ようやく立ち上がり、ドミノ以下の家族の後を追った。
“短剣”たるロブ=ハルスも、背中の痛みをこらえながら立ち上がり、その後を追っていく。
と、そこで――フレアは、居るはずのない存在が目の前にいることに、ここでようやく気がついた。
彼女に対し、右結晶手を突きつける、レエテ・サタナエルの姿が、そこにあった。
「何をやってるの、レエテ!!! 早くドミノや他の子達と一緒に逃げなさい!!!」
攻撃を受けつつ横を向きながら、レエテを怒鳴りつけるマイエ。
「いやだ!! 私は逃げない!! そんな状態で、助けもなしに勝てるわけがない!!! 私は、マイエと一緒に闘う!!」
それを怒声で返すレエテに、肩をすくめて呆れるフレア。
「何なの? 貴方は……。聞き分けのない。シスター・コンプレックスか何かなの? 早いところ、他の女子達に付いて何処かへ行ってほしいのだけれど」
これに対し、質問に答えずにレエテが言葉を返す。
「お前は……。“将鬼”の一人のはずなのに、随分と他の“将鬼”に偉そうに指図するじゃないか。どうしてそんな特別扱いを受けてるんだ?」
フレアはその質問を鼻で笑い、胸をそびやかして答えた。
「特別扱い、ではないわ。
このフレア・イリーステスは“魔導”ギルド“将鬼”であると同時に、全将鬼を束ね指揮する“将鬼長”の地位を兼務している。任務を遂行しているに過ぎないのよ。
マイエを単独で引き離すのが狙いだったけど……まあ結果が伴えばいいわ。私が貴方を殺せばいい話ってこと!」
そう云ってフレアが、ついに魔導発動に向けて構えをとったその瞬間、彼女達の隣で行われている頂上決戦が、ついに動いた!
じりじり……と5mほど押され続けたマイエが、片手の関節を外しながら身体の軌道をずらし、この体力を削る鍔迫り合いから逃れた。
そして一旦後ろに下がって跳び、レエテへの影響がないことを見計らったあと――。
「オオオオオオオォォォォォォ!!!!」
関節を外した両腕を使って、爆ぜる噴炎のような連撃を叩き込む!
その音、勢い、パワーとスピードは凄まじく、一旦ヴェルも防戦に回らざるを得ない。
そして周囲にも攻撃の影響は及ぼされ――。彼らが移動して切り結ぶにしたがって、周囲の樹々が次々となぎ倒され、岩石はなで斬りにされていく。
倒れる樹木の音、そして上がる土埃、刻々と変化する戦場の地形。
「何たる凄さ、恐ろしさ……マイエ・サタナエル。けれども、現状は全くの互角。
全ての力を出し切っていないヴェルが、これからの反撃にて、優位に立つ」
呟くフレアに、鋭い眼光と声でもって、言葉を投げつける、レエテ。
「お前の相手は、私だ! 女!」
「うるさいわね……貴方のような場違いの存在は、すぐにここから消えるべきよ。
苦しみとともに死になさい――灼分子振撃!」
云うと、片手に固めた魔導の力でできたオレンジ色の光球を、瞬時に直径1mほどにまで広げ――。
レエテに向けてまっすぐに放射する!
瞬間的に、レエテは身の危険を感じ、彼女にできる最大の耐魔を行いながら後方へ跳びすさる。
フレアの放ったオレンジ色の光球は前方へ突き進み――。
その内包するエネルギーを弾けさせる!
即座に、変化が生じたのは――温度だった。
恐るべき超高熱が炸裂し、空気が揺らめくのみでなく、ジリ、ジリと物質が高熱に焼かれる音。
レエテもその余りの熱さに手を引いたが――驚愕した。自分の腕を走る血管が、沸騰し音を立てて煮立っているのだ。
そして同時に灼けつく超高温となった結晶手自体の温度も、レエテを苦しめる。
耐魔は効果の減退には到底足りず――。
やがて熱湯の熱さとなった、自らの血液が全身をめぐり、地獄の苦しみをレエテに与える!
「ぐあああ!!! あああああぁあぁぁぁ!!!」
身体の内面がすべて熱湯で満たされる、想像のしようも無かった苦痛。
その中で、辛うじて理性を保ち、首前部と心臓下部の大静脈をそれぞれ結晶手で切断し、煮立つ血液を噴出させて体外に出し、心臓の損傷を免れる。
地に噴き出しこぼれた高熱の血液が、湯気と音をたてて激しく蒸発する。
これを目撃したフレアが、驚愕に目を見開く。
「何てこと――! 貴方のような原始人が、どうしてそんな高度な医学知識を――?
なるほど――10年前の裏切り者、の遺した書物ね。
今ここに至るまで影響を残すとは、随分罪深い行いをしたものね……。
ただし、充分なダメージは負ったでしょう。しばらくそこで、大人しくあの世紀の激闘を観覧していなさいな。
貴方はすぐ死ぬからそれまでとはいえ、正直にいってこの闘いの見届け人になれるのは、途轍もなく名誉なことよ」
そう云って上空を見上げるフレア。
地に伏したレエテがゆっくりと見上げるとそこでは、天と地を轟かせんばかりの死闘が――。下々の人間の入る余地を全く見いだしようのない、神々の闘いかと見紛うばかりの激闘が続けられていたのだった。