第五話 忌まわしくも甘い追憶(Ⅴ)〜恐るべき敵【★挿絵有】
サタナエル一族女子達にとって、一族男子とギルドの暗殺者達の訓練――という名の、一種の狩りの標的となることは日常茶飯事だ。
これを集団戦であろうが、策略を用いようが、常に退けるか逃げ切るかしなければ生き残ること自体が不可能だ。
それには、たまたま遭遇してしまった相手の実力は極めて重要だ。
不運にも“将鬼”に出くわしてしまった場合、大方は死を覚悟しなければならない。
ましてや――サタナエルの頂点に君臨する、“魔人”になろうという存在が同時に現れたなどとしたら、死を前提に何分何秒持ちこたえられるかという問題となる。
その状況を前にしたレエテ、ビューネイ、ターニアの3名。
ビューネイが、素早くレエテに耳打ちする。
「レエテ……。お前は、あの将鬼のほうを頼む。あたしは、ターニアを連れてあのヴェールントって奴をやる」
「無茶だ……。何とか逃げる方法を……私に少し考えが」
「そんなヒマはねぇ……。いちかばちか、勝てる方に賭けるしかねえだろ。もしもダメだったら、な、レエテ。あたしが必ず隙を作る。オメーがターニアを連れて逃げろ」
「何をバカな――」
「こうなったのは、あたしの責任だ。オメーらを死なせるワケにはいかねえ。――いくぜ、ターニア!!」
「待って! ビューネイ――」
レエテの言を最後まで聞くことなく――ビューネイとターニアは飛び出して行った。
もう、腹をくくるしかない。レエテも、右前方へ飛び出し――。ロブ=ハルスの眼前に立った。
「ほう……噂通り、何と何と美しく、艶やかなことか。あなたがレエテ・サタナエル、ですね?」
ロブ=ハルスが、レエテの身体を上から下まで眺めて息を飲んだ後、言葉を投げかける。
「そうだ……。噂通り、とは?」
訝しんだレエテが首をかしげて尋ねると、ロブ=ハルスは、厭らしい笑みを口元に作りながら答えた。
「あなたは、マイエ・サタナエルが他の誰よりも我々に狙われる理由が、彼女の強さだけだと思っていますか?
答えは、否――それだけに非ず。
一族の男子や我々ギルドの男の多くは、マイエの美しさ、色香に魅せられ、あわよくば勝利しその身体を我が物にしたいと夢想しておるのです」
「――!!」
「そうしてマイエに撃退された者たちが、ここ1年ほどで口を揃えて語ること――。
それはマイエのコミュニティに一人、彼女に引けをとらぬ、いやそれ以上に美しい娘がいるのを見た、という事実。
最近ではマイエよりも、その娘を手篭めにし、犯しつくしたいと口にするものが日に日に増えています。それが――レエテ、あなたなのです」
「ううっ……うう……」
おぞましさの余り、両腕で肩を抱いて呻き声をあげるレエテ。
「正直なところ、私もその噂に至極興味があり、今回の訓練に参加したのですが――。その甲斐ありました。その貌も、身体も想像以上に、美しい――。
我々は基本、一族女子との姦淫は禁じられてはいますが、殺す前提なら問題はないのでねえ。あなたを倒し、その身体を自由に――」
「うわあああああああ!!」
ロブ=ハルスの言葉に耐えきれなくなったレエテが叫び、右結晶手を振り上げ、殺到する!
左のジャックナイフでそれを受けるロブ=ハルスの動きを待たず、左結晶手を打ちつけ――それを右で受ける彼に次々と連撃を繰り出していく。
さながら一個の竜巻のように、狂ったように荒々しいレエテの連撃。しかもその一発一発は、1トンの鋼鉄の塊であるかのように重い。
最初は隙を突かれたとはいえ――将鬼たる自分が、ここまで反撃できず、しかもガードの上から関節などにダメージを負い始めている。
ロブ=ハルスに焦りが見え始めた。
「ぐっ……調子に、乗るな!!」
渾身の力で両腕を一気に広げ、その反発力で、ようやくレエテの身体を吹き飛ばす。
しかし、レエテは空中で数回転し着地すると、すぐに地面を蹴り――長い髪を一直線になびかせ、ロブ=ハルスに襲いかかる。
つま先から、脹脛へ。脹脛から、腿へ。腿から胴へ。そして胴から力強く突き出した右腕、右手にかけ――まさしく全身の筋力を右結晶手に集約させる!
そのスピードと威力に、ロブ=ハルスの反応は大幅に遅れた。
レエテの攻撃は、彼の左肩をざっくりとえぐり――左腕の骨までを損傷させた。
が、同時に――遅れながらも右手のジャックナイフを繰り出した彼の攻撃は――レエテの左肩から胸付近までを大きく切り裂いていた。
「ぐあ、あああ!」
叫び声を上げてうずくまるレエテの叫び声から、心臓近くまで傷が達していることを確信したロブ=ハルスは、左肩を押さえつつも、ようやく余裕を取り戻した。
「ふう、多少ヒヤヒヤさせられましたが……ここまでのようですな。
このような、緊迫感あふれる打ち合いは久しくありませんでした。仲々楽しかったですよ。
そして、ご覧なさい。あなたのお友達の方は、すでに勝敗自体決しているようですよ」
云われてハッと、ビューネイとターニアの姿を探すレエテ。
その姿は、彼女から数十mほど遠くのやや開けた樹々の間にあった。
ターニアは――地にうつ伏せに倒れ伏し、全く動いていない。その身体の下には、地面に吸い取られた血溜まりがあるのが見てとれる。
ビューネイは――上体は起きているが、腰を地に付け、血まみれの上体で右手で左肩を押さえ――すでに倒れようとしているように見える。
そして彼女らの前に――巨像のごとくそびえ立つ、一族男子、ヴェールント・サタナエル。
その身体には傷一つなく、息も乱れず、まるで寄って来た虫を振り払っただけであるかのように何事もない、尊大なる佇まいだ。
「はあ……あああああ!! ビューネイ……ターニア!! そんな、いや、いやあ……」
身体は震え、取り乱し、目に涙を貯めるレエテ。力が抜け地に身体をくねらせるその様子に、ロブ=ハルスは、性欲を刺激されたか、興奮の表情を隠しきれぬ。
そして感極まったレエテが大音量の叫びを上げようとした、その時――。
レエテの背後の樹々の間から、一つの影が神速で飛び出し、彼女の前に直立する。
そしてそれは、片手を素早く振り――ロブ=ハルスの両の手を一瞬にしてなぎ払い、その手のジャックナイフを地に落とさせた。
「ぐあ!!! ああ!! 貴様、貴様は……!!」
ロブ=ハルスの言を待たず、もう片方の手で、足をなぎ払い、両腿の腱を寸断する。
「うおおお!! おのれ、おのれ、マイエ・サタナエル、貴様……」
その言葉どおり――。そこに居たのは、マイエ・サタナエルその人に間違いなかった。
が、それは普段レエテが見知っている家族としての――マイエではない。
その両眼は、レエテが思わず身震いするほどの激しい憤怒に燃え盛り、射抜き殺されそうなほどであった。
「許さない……お前等。私の大事な家族に……!!! 何をしているっ!!!!!」
その叫びは、百戦錬磨の暗殺者ギルドを束ねるロブ=ハルスをして、心の底から萎縮させるに十分だった。
「ヒッ……! ヒイッ!!」
情けない声を上げ、その場にうずくまる。
マイエは、ゆっくりと後ろを振り返り、レエテを見た。
その表情は――彼女の知るいつものマイエのそれに戻っていた。
「レエテ、大丈夫? ……ごめんね、もう少し待っていて。ビューネイとターニアを助けないと」
それだけ云い置くと、並外れた跳躍力でもう一つの戦場へ飛び立って行く。
レエテもようやく立ち上がり、ゆっくりと歩みその後を追った。