第三話 忌まわしくも甘い追憶(Ⅲ)〜家族と家【★挿絵有】
暗殺・戦闘集団サタナエル「本拠」、アトモフィス・クレーター――。
一つの国に匹敵する面積のうち、実に99%が異形のジャングルに覆い尽くされる。
そしてその広大なジャングルには、確認されているだけでも2000種に及ぶ鳥獣、1000種を超える怪物がひしめく。中には、植物でも動物を捕食する危険な種も多種ある。
それぞれがこの閉ざされた世界での食物連鎖の順位を構成し、弱肉強食の様相が恒常的に展開されるのだ。
そのような場所で、サタナエル一族の女子は、数百年にわたって虐げられてきた。
英才教育と格別の保護を受ける男子と対象的に、最低限の教育と劣悪な環境しか与えられない。ただし戦闘に関する訓練、ジャングルの環境や生物に関しての知識の教育は、手厚くなされる。
そして10歳になると、身体が成熟しきるのを前にして、一斉にそれまで育った施設からジャングルに追放される。
その目的の一つは、彼女たちをサタナエル構成員である一族男子と、ギルドの暗殺者たちに対する訓練相手とすること。
背景にあるのは、一族としての極めて高い身体能力、武器を必要としない結晶手の存在、何より容易には死なない生命力と自己回復力。
放逐しておけば、ジャングルの怪物どもとの戦闘で勝手にスキルを上げ、また武器の支給もなしに手強い訓練相手となる。
そればかりか、殺すつもりで戦っても滅多には死なず、傷ついても自分で回復し何度でも利用できる。まさに、理想的な存在なのだ。
毎年一度不定期に、女子の追放は成される。およそ20~30人ずつが標準だが、この過酷を極めるジャングルで、最終的に生き残るのは5、6人ずつ程度に過ぎない。
強い力か、強い運か。この場所で生き残る資格を持つか否かをふるいにかけられるのだ。
そしてここに、生き残った女子の一人――レエテ・サタナエルの姿があった。
トロール・ロードとの戦闘より30分ほど。まだ回復していない彼女は、マイエ・サタナエルと名乗った美しくきわめて強靭な女性の背におぶわれて、ジャングルを移動していた。
レエテのかけがえのない親友アリアの、残された小さな首は、マイエの衣装を破って作った布に覆われて腰に下がっている。
これから行く場所で、丁重に葬ってくれるとのことだった。
道すがら、いろいろなことを話した。自分が受けてきた訓練のこと、同年代の子供達のこと、組織や教官のこと、何よりアリアとの思い出のことを――。
それらを一つ一つ丁寧に聞き、頷き、優しい言葉でマイエは返してくれた。
アリアを失い傷つき果てたレエテの心は動かされ、涙ぐみながら彼女は話し続けた。
しかし、レエテからマイエのことを尋ねても、なかなか答えてはくれない。
今から行く場所に着いたら話す、とのことだった。
やがて、サラサラと水の流れる音と、木を切る音、人の話し声らしきものがかすかに聞こえ始める。
そう感じた矢先、まず目の前に展開されたのは幅10mほどの、爽やかな音を立てて静かに流れる清流。
その流れの上には、一本の木造りの橋がかけられ、対岸に伸びている。
(ああ……なんて……懐かしい……。ここに……ここにみんなが……)
幼い自分の中にいる現在のレエテが、あまりの懐かしさ、心地よさに思わず声にならない声を上げる。
そう、ここは、レエテにとってもう一つの始まりの場所。
戻れるものならば、おそらく最も戻りたい、大切な場所。
橋を渡り終えたマイエは、周囲に向って声をかける。
「みんな! マイエだ、戻ったよ! 一人新しい仲間もいるよ!」
その一声を合図に、一斉に周囲の木々や草葉の陰から小さな歓声が上がり――。やがて数人の女児、そしてマイエと同年代か下かと思しき女性3人が次から次へと姿を現した。
「おかえり!! マイエー!」
「待ってたんだよ! おそかったね!」
「あれ、そのおぶってる子、だれー?」
「帰ったね……マイエ。今日は今年の『追放』の日みたいだね……? その子も生き残りの一人、てワケ……?」
集まった皆が一斉にマイエに話しかける。彼女らは――年代こそバラバラだが、全てが例外なく銀髪褐色肌の――サタナエル一族女子だった。レエテより少し上の子供と思しき年代もいて、その子らはためらいなくマイエの腰に抱きついていく。
サタナエル一族女子の遠慮のない体当たりのはずであるが……マイエの身体は微動だにせず、レエテに一分の振動も感じさせなかった。
「ただいま、みんな。無事でよかった。そう、ドミノ、遅くなったのは、『追放』の日に当たって、この子を保護してたからなんだ。その様子だと、あなた達も……」
「お察しの通りさ……このあたしもまさに『追放』をうけた子と遭遇して、保護しちゃったってワケ。あたしだけじゃない。マグノリアとエレナも、保護してきてるよ。今はアラネア達にその子らを任せてる」
ドミノと呼ばれた、マイエと同年代と思しき女性が説明する。
身長はマイエと同程度だが、体つきはややスリムであり――。ストレートの長髪を腰まで伸ばし、眠たそうな垂れ目が印象的な女性だ。
「そうか……。あとでその子たちに会わせてくれ。私が連れてきたこの子は……レエテっていうんだ。みんな、仲良くしてやってね。今はケガが治っていないから、用をすませてから家に連れていくよ、後であいさつしてあげて」
最後の方は、主にレエテと年代の近い子供たちに向けて発せられていた。
元気に返事をする子供たちの中をすり抜け、マイエはレエテをおぶったまま先へ進んでいく。
やがて目前に現れたのは――。異様な光景だった。
木々の間から、明らかに異彩を放つオレンジ色の幹と枝が、びっしりと張り巡らされている。
その数は数千本にもおよび、根元から大きく湾曲して、また上方で閉じている。
この場所で育ったサタナエル一族女子は知らないだろうが……、外部の人間が見れば、明らかにそれは、「カボチャ」の形をとっていた。
枝が密集し、隙間なく形成されたその「カボチャ」の直径は推定30mほど。高さ20mほど。
おそらくは結晶手で切り出したのだろう、所どころに窓が切られ、一番手前には蔦の網でドアが形づくられている。
子供達が切ったのだろう、女の子らしい飾り付けや、絵が所々に描かれている。
「ここが、私たちの『家』だ……。このジャングルのあらゆる獣や怪物が嫌う聖氣を放つ、カルバネラの樹を植樹し、家の形になるよう育て断裁したものだ。先人たちの知恵で、私たちが受け継いできたもの。中も、快適なように切り取って作っている。あなたも、これからここで暮らすんだよ、レエテ」
レエテは首をかしげ、マイエに質問する。
「『いえ』……? いえって、なあに? しせつ、とはちがうの?」
「はは。そうだね、あなた達の住む場所はそこしかなかったんだけど、ちがう。家っていうのは、あんな奴隷にされた人間の集められる場所じゃなく 、強い絆で結ばれた『家族』が住む場所だ。温かく、みんながお互いを思いやり、助け合う場所さ」
「『きずな』……? 『かぞく』……?」
「はっはっは。これからゆっくり教えてあげるよ、そのうち分かるようになるさ。けれどもまずは、この子、アリアを葬ってあげないと……。残念ながら家に辿り着くことはできなかったけれど、アリアも大事な、私たちの『家族』だ」
そう云って、マイエが自分の腰の、布に覆い隠されたアリアの首に視線を落とす。
それを聞いて、レエテは再び涙ぐんだ。
そしてマイエの足は、彼女の云う「家」の裏手に向く。
辿り着いてみるとそこは――。 一本の棒にさらにX状の棒が打ちつけられた、ハーミアの聖印を用いた墓の立ち並ぶ――、墓地だった。
マイエはここでおぶっていたレエテをそっと地面に下ろし、アリアの首もそっと置く。
そして素早く地面に結晶手で穴を掘ると、アリアの小さな首をゆっくり丁寧に布巻きのまま入れ、そっと土をかぶせる。
最後に、予め何本か作って地面に置かれていた聖印の墓標をその上に打ち立て、顔の前で両の手を握るハーミアの祈りを捧げる。
このアトモフィス・クレーター以外の場所から隔絶された、原始の生活を送る彼女らに、なぜハーミア教の知識と信仰があるのか――?
「ここはね……。天にまします神様が、亡くなった子を雲の上の『天国』に連れていき、心地よい場所でずっと見守ってくれるという神聖な場所なんだよ」
「『てんごく』……? しんだらみんな、じごくに行って苦しむだけじゃあないの……?」
「それは、奴らの間違った教えなんだ。奴らのような人の形をした悪魔は、死んだら地獄に行くだけだ。だけどアリアや、レエテ、あなたのように何も悪いことをしていないきれいな人間は――死んだら神様の手で、天国に連れて行ってもらえるんだよ」
「じゃあ……アリアはてんごくだけど、わたしやっぱりじごくに行くとおもう……。だって、わたしのせいで、わたしがなにもできなかったからアリアがしんじゃった。わたしはわるいにんげんだとおもう……」
「違う!」
急に語気を荒げ、レエテの両腕を鷲掴みにして云うマイエに、レエテはビクッと怯えて涙ぐんだ。
「マイエ……こわい……」
「あ……ごめん、ね、強く云いすぎた……。
だけどさっきも私が云ったとおり、あなたのせいでアリアが死んだんじゃない。それだけは分かって。
私もね……。実はあなたと同じなんだ。『追放』を受けてまもなく、2人でいつも一緒にいた友達が、私をかばって死んでしまった。私は、自分を責めた。私さえいなければ、その子は死ななかった。私は悪い子で、生まれてこなければよかったんだ、って」
下を向き、目に涙を浮かべながらマイエは云った。
レエテはじっとその様子を見ながらその言葉に耳を傾ける。
「けれども、今はそうじゃない、と思ってる。人にはね、皆生まれつき『運命』というものがあって、一人ひとり、死ぬ時期とか死に方は違うんだ。
そして、早く死んだ人は、生き残った人の記憶に残り力になり――一緒に、生きていくんだ。身体はもうないけれど、天国から見守りながらね。罪を背負って死ぬんじゃなく――それよりもっと過酷だけれど価値あること。その人の分まで、私は生きなくてはならないんだ、って」
話をじっと聞いていたレエテの両眼から、さらなる涙が溢れ出し――それは留まることを知らなかった。そして口からは、嗚咽が漏れた。
言葉は少し今の彼女には難しくはあったが、その話の意味するところはすべてが理解できた。そして罪の意識にさいなまれるレエテを救い、自分の中と天国で生きるアリアという新しい概念に、安らぎと生きる意識を与えたのだ。
「これは――今はもうこの世にいない、私のたった一人尊敬する先生から教わったことなんだ。
あなたにも、これから時間をかけて教えるよ。人間とは、家族とは、愛情とは。そしてただの奴隷から人間としての尊厳を取り戻すんだ。
けれど――、難しい話だけじゃないから安心して。このジャングルの外の、びっくりするような珍しい話もいっぱいしてあげるよ。人の溢れかえる街だとか、海だとか――船、だとか――。きっと聞いたらあなたもすごく驚くし気に入る。さあ、家に入って、みんなに自己紹介しよう――」




