エピローグ 王都より――向かいし刺客【★挿絵有】
エストガレス王国、巨大都市 王都ローザンヌ――。
まだ夜も明けて間もなく、済んだ空気の中の小鳥のさえずりが心地よい一刻。
魚介や野菜などの食料品店、厨房を構える料理店などはすでに動き出し、人々の一日の始まりも感じさせる時間帯。
その王都の中心部を外れた、ダウンタウンエリア――。
主に、平民の中でも中流以下の層の者達の住居となっている場所だ。
なだらかな丘の麓にひしめき合うように乱立する、年季の入った低い石造りの薄汚れた建物には、それぞれに身なりのあまり良くない一家が詰め込まれるように住み着いているのが分かる。
狭い街路には、時折人相の悪い、脛に傷をもつような男たちがたむろする。
衛生面でも良好とはいえず、汚れた道端や排水口からは、時折異臭が放たれる。
この治安の良くない、貧民街の一歩手前のような街の大通りに――。
およそこの場所にふさわしくない、高級感溢れる装飾に彩られた黒塗りの1台の馬車が走っていた。
豪華絢爛ではあるが、敵襲などに備えて堅牢を重視した造りの客車。
その後部座席に並んで座る、馬車と同じくあまりにこの地に似つかわしくない、高貴な男達。
二人の男だった。一人は、男性としては極めて短躯ながら、恐るべき筋量によって肩も胸も丸く盛り上がった軽装鎧姿の壮年騎士。今一人は、対象的に長身痩躯、青みがかった上級貴族しか着ることの許されない貴装に身を包んだ若い男。
それぞれエストガレスの“流星将”、“狂公”と通り名される、大将軍シャルロウ・ラ=ファイエットと、王族ファルブルク領公爵、ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスの二人連れであった。
「ラ=ファイエット。お主が全幅の信頼を寄せる、というほどの男が、本当にこのような場所に居るのか?」
相も変わらずほぼ閉じているとしか思われない薄く細い眼差しをラ=ファイエットに向け、訝しむような口調で尋ねるダレン=ジョスパン。
「はい、確かに。しばらく前よりこの場所にアジトを提供し、各国への諜報活動はもとより、各種任務を請け負わせておりました」
「それでは、我々が忍びもせずこのように物物しく訪ねていっては、アジトとしての機能を損ねるだけではないのか? その男の身元も、仮にもし我々を尾行している者がいたら、割れてしまうところだろう」
「ご心配は無用です。ちょうど本日を最後としてこの場所を引き払い、今後はすでに手配した別のアジトを拠点とさせる手筈。またその男の方も心配ご無用。なにしろ其奴は……まあ、百聞一見に如かず。会ってみれば一目瞭然おわかりになりますよ」
そして馬車は街路の行き止まりで停止し、ラ=ファイエットとダレン=ジョスパンは馬車を降り、人一人がようやく通れるほどの細い路地を行く。
ラ=ファイエットは曲がりくねった道を100mほども先導し続け――。ようやく辿りついたのは、二階建て、蔦や苔の生い茂るうらぶれた館であった。
「殿下。少々汚らわしい場所にはなりますが、ご容赦のほどを」
そう一言云いおいたラ=ファイエットは、きしむ木の扉を開けた。埃が舞いあがり、若干のすえた匂いが鼻をつく。そして内部に足を踏み入れると、家具の散乱した一室を抜け、朽ちた階段を上がる。
「ラ=ファイエットだ。予告しておったとおり、ダレン=ジョスパン公爵殿下の直々のおなりである。出迎えよ」
二階に上がる直前で声をかけるラ=ファイエット。
そこは、10m四方ほどの一室だった。
荒れ果てた一階と異なり、この部屋のみは大方物の整理された小綺麗な状態であった。
鉄格子の嵌まった小さな窓からは朝日が差込み、内部を視認するには充分な光源もあった。
その部屋の中央に――こちらに背を向けて立つ一人の男の影があった。
全身を黒いコートに包み、背丈はおそらくダレン=ジョスパンとほぼ同じ180cm程。しかしながら彼より肩幅も広く筋肉質で、明らかに体格が良い。
その腰には左右とも、漆黒の鋼糸製と思われる長い鞭が、円形に巻かれて装備されている。
後ろから見る限り頭髪は色素が抜け落ちたように真っ白、長く伸ばした毛先を後頭部で束ねて結わえ垂らしている。
そしてその男が――ゆっくりと振り向く。
その貌を見たラ=ファイエット、そしてダレン=ジョスパンは、肝を冷やすほどに驚愕した。
穏やかな笑みをたたえた流麗な眉、不自然に口角の上がった笑み、そして閉じているとしか思われぬ薄く細い両眼――。
その貌は、紛れもない、ダレン=ジョスパン本人と瓜二つのものだったからだ!
「……!」
「……っ、貴様。悪ふざけも大概にせよ! 殿下の御前であるぞ、シエイエス・フォルズ!」
一瞬顔を引きつらせるダレン=ジョスパンを見やり、いつもの菩薩のような穏やかなる貌を紅潮させて怒りの声を上げるラ=ファイエット。
男――シエイエス・フォルズは、少し首を回転するような動作をする。すると――ダレン=ジョスパンそのものであった貌が、ボコ、ボコと音を立てて歪み、変化していき――まったく異なる細面の男の貌がそこに出現した。
細い、髪と同じ白の眉。切れ長の流麗な眼に嵌まる碧い瞳。鼻筋の通った高い鼻、不敵な笑みを湛えた整った唇。かなりの美男子といえ、またその瞳と醸し出される雰囲気には、非常に高い知性と品性が感じられる。
シエイエスは懐より丸型の眼鏡を取り出すと、その顔にスッと装着した。
そしてうやうやしく膝をつき、正式な礼を行った。
「ご無礼、平にご容赦を。ダレン=ジョスパン公爵殿下。ですが、たばかる意図は全くございません。私の能力をご覧に入れ、ご安心いただくにはこれが最善の方法と考えましてのこと。
私、ラ=ファイエット将軍配下、特殊部隊少佐を拝命する、シエイエス・フォルズと申す拙き者。以後何卒、お見知り置きのほどを」
容貌に比して低音の、地に響く太い声でシエイエスが挨拶する。
一瞬、うろたえたような表情も浮かべたダレン=ジョスパンだったが、すぐに本来の彼の表情に戻り、シエイエスに声をかける。
「ダレン=ジョスパンである。シエイエス・フォルズ少佐、余はお主のこと、気に入ったぞ。
その能力おそらくは――あらゆる物質の性質を操るという、変異魔導か。その絶対的な変身能力をもってすれば、どのような人物にも成り代われ、決して素性を気取られぬであろう。
そして、上位王族であり“狂公”などと恐れられる余に対し、そのものの貌に成り代わって見せおるとはその胆力、並々ならぬものがある。……これは褒めておるのだぞ?」
「さすがは殿下。ご明答にございます。またお褒めに預かり恐縮至極に存じます」
「はたして今のその貌も、お主の本当の貌であるのかな……? ふふ、面白い。ラ=ファイエット、この男をレエテ・サタナエルのもとに送り込むというわけだな?」
ラ=ファイエットは上機嫌なダレン=ジョスパンにほっと胸を撫でおろし、説明を加える。
「左様にございます。このシエイエスをレエテ・サタナエル一行に対し容姿を操り、言葉を巧みに操り、その行程に同行させ――。情報をこちらに流させながら、我らの掌中に誘導し一気呵成に捕縛する狙い」
「よかろう。さすがはラ=ファイエット、これ以上の適任の男はおるまい。感謝する。
シエイエス。いったんレエテ・サタナエルの一行に加わったなら、その瞬間よりお主はサタナエルの暗殺者と常に戦闘状態となり、命の危険にさらされる身となる。最重要であると同時に最も危険な任務ともいえる。心して掛かれ。余に最良の結果をもたらしてくれることを期待する」
「はっ。このシエイエス、必ずや殿下のご期待に応えまする。どうぞファルブルク領にて心安らかに吉報をお待ちになられますよう」
微笑みながら踵を返すダレン=ジョスパンの後を追い、同じく背を向けながらラ=ファイエットは、シエイエスに云う。
「頼むぞ、シエイエス。この後すぐに当館を放棄し、一旦すでに申し合わせた場所を拠点とせよ。長い任務となるだろうが……良い結果を期待する」
階段を降り、この場を後にする二人の貴人に、深々と頭をたれ続けるシエイエス。
彼らには決して見えぬその床に向けた貌は、それまでの不敵な笑みとはうって変わった真摯なる苦悩の表情が湛えられていたのだった――。
第三章 王都と聖都
完
次回より、
第四章 運命の交差 開始です。