最終話 天への光――その心は永遠(とわ)に
怒号を張り上げる――ボルドウィン魔導王国女王、ナユタ・フェレーイン。
呆気に取られる一同だったが、ルーミスだけは再びハッとなってレエテを見た。
なぜなら――失われていたと思っていた脈動と、生命の波動が――レエテの身体から、感じられていたからだ。
そして何と――ゆっくり、ゆっくりとレエテの両目は開き――。
首をやや持ち上げて、はっきりと、言葉を発したのだ。
「……遅かったじゃ、ない……ナユタ……。
待ちくたびれた、わよ……。
歩いてきたにしても……遅すぎじゃ、ないかしら……?」
「レエテ!!!」
「レエテえ!!!」
レエテに呼びかける一同を尻目に、血と焦げた匂いを発散させるボロボロのナユタは、胸をそびやかしながら、ルーミスの元に詰め寄る。
「すまないね、ルーミス。遅くなって。レエテのこと、ありがとうね。
もう法力は必要ない。そこはあたしが座るから、あんたはどいててくれるかい?」
ルーミスは――愛妻のつけつけとした台詞に青い貌のまま苦笑し、立ち上がって自分の場所を空けた。
「よう、エル。どうだい、お母様は間に合ったよ!?」
ベッドの端で呆然とする愛娘に声をかけつつナユタはそこに座り、レエテの左手をしっかりと両手で握った。そして上からまっすぐに、レエテの貌を見た。
「ああ、本当に待たせちまったね。ちょいと、お家騒動があってさ。裏切り者もでたりして、キルケゴール派にヴェヌスブルク城が取り囲まれちまって。あたしも不覚にも毒を盛られたりして、戦線復帰に時間がかかっちまった。あたしの不徳のなせる業と反省してるよ。
けどもう、大丈夫。すっかり片付いたからさ。つい、1時間ほど前にね。そんで敵の大将ガイウス・キルケゴールのワイバーンロードの魔導生物をふんだくって、そいつに乗ってきたからようやく間に合ったって感じさ。――なんか、どこかで聞いたような同じ状況だねえ」
レエテはナユタに目を向けた。
35歳という年齢に見合わない、相変わらずの威勢の良さ。外見の美しさやスタイルの変わらなさ。その姿に、ディベト山とコルヌー大森林での出会いの時を重ね、レエテは微笑んだ。
「そう……大変だったのね……。許して、あげる……。
あなたには……最高の親友として……最期にどうしても……お礼を、云いたかったから……。
間に合って……くれさえ……すれば……いい……」
「そりゃあ、こっちの台詞だね。あたしがサタナエルに復讐を果たせたことも、最強の魔導士になれたことも、大導師の遺志を継げたことも、素晴らしい仲間に出会えたことも、ルーミスの女房になれたことも――。
全てはレエテ、あんたという人に出会えたおかげなんだからね。
礼を云っても、云いきれないぐらいさ、本当に、ありがとうね」
「私は――あなたに……出会え……なかったら、どこかで死んでいただろうし……絶対に、復讐を遂げることなんて……できなかった……。
あなたのおかげだし……あなたという人が……この世で……一番大好きな……親友……。
本当に……ありがとう……ありがとう……」
ナユタは――この弱々しく衰弱し、死に瀕したレエテの姿を見たのは、他の者と違い初めてとなる。
威勢の良い風を装いながらも、内心胸に刃を突き刺されるような衝撃を受けていた。
そしてこの段に及び、レエテの死が現実のものとして実感され――ついに、涙を止めることができなくなった。
「……本当に、がんばったね……あんたは……。偉いよ、レエテ……。
あんたが生きてくれたことでこの9年間、あたしを含めどれだけの人間が救われたか……。
もう、贖罪は十分に果たしているんだよ……。今度は、そう……。
あんたが、救われる番なんだ……。
天国でも……達者でね……。皆によろしく、云ってくれよ。………………あたしも、いつか……いつかそっちに、いくからね……。……首を長くして、……待っててくれよ……約束、だよ……」
「……ええ…………まって……るわ……ナユタ……。
みんな も……ほんとに……ありがと……う……。
わた……し……。
しあわせ……みんな…………も…………しあ……せ…………に……。
…………ット………キャティ…………ホル…………ビュー…………マイ……エ……」
そして――。
時が、止まった。
言葉と、呼吸が、止まったレエテの姿を見た、一同によって。
やがて、近づいてレエテを看たルーミスが――。
大粒の涙を流して、首を、振った。
この瞬間――。
レエテ・サタナエルは、死んだ。
寿命を、生涯を、全うしたのだ。
「――レエテ」
ナユタが、涙の粒を遺体の貌に、幾滴も、落とす。
そして耐えきれなくなったように、布団の上から、レエテの遺体に抱きつき、号泣した。
「うあああああああああああ!!!!! レエテ!!!!! レエテええええええ!!!!!」
「レエテ――!!!!!」
「おかーさん!!!!! おかーさあああん!!!!!」
それに続き、最愛の者を失った人間たちが次々と――。
しばらくの間、止まぬ慟哭を、ジャングルに響かせ続けたのだった――。
*
――レエテ・サタナエルは――。
奇妙な、感覚の中に、いた。
まず感じるのは、浮揚感だ。
身体がどんどん、上に持ち上げられていく、感覚。
そして身体がとても、軽い。
ここ一ヶ月、鉛のように重かった全身が、嘘のように、軽いのだ。
自分の手を、見てみる。
何か淡い――光を放っている。そして向こうの風景が、透けて見える。
さらに気がつくと、自分は家のはるか上空にいた。
下方に、ナユタが乗ってきたと思しきワイバーンロード、それを避けながら、家を心配そうに覗き込む見知った人々の姿が見える。
さらに――不思議なことに、家の中も、透けて見えた。
ベッドに目を閉じて横たわる、自分の姿、そして――。
それにすがりついて、慟哭を上げる、ナユタ、シエイエス、ルーミス、シェリーディア――。
エイツェル、レミオン、アシュヴィン、エルスリードといった子供たちの姿が、見えた。
それを見て――ぼんやりと、レエテは感じた。
自分は、「死んだ」のだと。
悲しみが、一瞬身体を突き抜ける。そして改めて、地上に向かって呼びかけた。
(ごめんなさい、みんな――。私はもう――行かなければ、ならないみたい――。
けど、大丈夫よ――。みんなは、強い。みんななら、きっと乗り越えられる。これからの自分の人生を、きっと、歩んでいけるわ――。
本当にありがとう――。そして、さようなら――。)
そう語りかけた瞬間――。
レエテの身体は、まばゆいばかりの強光に包まれ、あまりに強烈な浮揚感とともに――。
天へと、急激に押し上げられていった!
(ここは――?)
一度目を閉じてしまったレエテが、再び目を開けると、そこは――。
地上など、もはやどこにも見えない。恐ろしい高みの場所と、思われた。
地上が見えない代わり、雲が足元に見え、眼前には――。
光に覆われた、巨大な道が、あった。
そこに向けてレエテが歩いていくと――。
彼方から、近づいてくる、幾人もの人影らしきものが、ある。
それに向かって、レエテは走った――。実際に、というよりは、あくまで感覚的なものだったが。
やがて、人影の最も手前からこちらに向かって近づいてくる影が、視認できてきた。
それを目にしたレエテの表情が――。
極限の喜びに、震えた。
(あ、ああああ……! あなた、達は――!!!
キャティシア!!!! ホルストース!!!! そして、ランスロット!!!!)
そう、光り輝くその人物たちは――。
命を落とした、レエテのかつての仲間。キャティシア・フラウロスとホルストース・インレスピータ、そしてキャティシアの肩にとまる、魔導リスであるランスロットの姿だった。
(嬉しい、会えて嬉しいわ――!!! みんな――!!!)
(――!!)
(――!!!)
(――!)
9年前と変わらぬ姿の、光り輝く3人は、口を動かす。声は発されないが、すでに死んでいるレエテには、その言葉が理解できたようだった。
(そうなのね、元気そうでよかった!!! ランスロット、あなたも口が減らないし、キャティシアは想像どおりだし、ホルストースも相変わらずよね!! あなたたちには、話したいことが一杯、あるのよ!!!!
……え? どうしたの? いったい――あっちに? 何が――)
3人が指し示す方向をレエテは見る。そこには――。
手を振りながら近づいてくる、彼女の「家族」。
ターニアとアラネアの姿だった。
レエテは再び、喜びを爆発させながら、懐かしい2人に走りより、抱きついた。
(――ターニア、アラネア!!!! 会いたかった、会いたかったよお!!!
あなたたちが死んで私――どれだけ、どれだけ悲しかったか!!
……え? あっちにいるって? 誰が?
――まさか、それは――)
レエテが視線を向けた先に、一団の最後尾の人物たちが、近づいてくるのが見えた。
それを、視認したレエテは――。
これまでで最大の、身体の震えとこみ上げる涙を、感じた。
(あああ……あああああ……!!!!!
あなたたちは――。
アリア!!! ビューネイ!!!! そして……マイエ!!!!!)
そう、近づいて、きたのは――。
ビューネイと、マイエ。そして2人に挟まれて小さな両手をつないだ――。
アリアの姿だった。
(――!!!!!)
声にならない叫びを上げて、レエテは彼女らに突進していった。
そして3人に抱きすくめられ、もみくちゃにされる。
(あははは!!!! あははは!!!! 嘘みたい!!! あなたたちに、会えるだなんて――。
え? そうよ、ビューネイ。わたしはしっかり、生きたわよ。もう文句は云えないでしょう? あなたの娘だって育てたんだからね。
アリア。すごく長い間待たせて、ごめんね。また一緒に、遊ぼう。
マイエ。まさかもう一度こうして、会えるだなんて――。え? うん、いろいろなことが、あったんだ。あなたのお兄さんのことや、ヴェールントのこと――。話さなきゃいけないことがいっぱい、あるんだ。
今度は時間がいっぱい、あるんでしょう? 寿命もきっと、ここでは無いんでしょう?
いっぱいいっぱい、お話しましょう!? ずっと、眠れなくなるぐらいに――。)
そして――。
出迎えてくれた全員と、ともに、一つの巨大な光となったレエテの姿は――。
光る道の彼方にある――。太陽のごとく強大な光をはなつ世界の中へと――。
入り込み、永久に見えなく、なっていったのだった――。
*
ハルメニア大陸に、幾千年にも渡って、語り継がれる、物語があった。
大陸を支配した、最強の暗殺者組織。それに属しながら、家族というべき掛け替えのない存在を、殺され――。
復讐に生きた、ある一人の女戦士の、物語が。
半不死身の肉体と、超常の身体能力、両手の結晶手を武器に、終わりなき戦いを生き抜いた、女戦士の物語。
命をかけて彼女に従い、ともに大国を、大陸を動かした仲間たちとの、友情と愛情の物語。
そして組織を滅ぼし復讐を遂げ、大陸に平定をもたらし――異形の同胞を救った女戦士。
大陸史上最強たる、その偉大なる女戦士の物語。平和の思いを次世代に託した、その生涯を追った、物語。
その物語は、組織の名と、女戦士の名乗った名を冠し――。
こう呼ばれた。
“サタナエル・サガ”と――。
サタナエル・サガ
完
読了いただき、ありがとうございました!
本作終了後、準主人公ナユタを主役にすえた、過去編にあたる外伝「ブラウハルト・サガ」を連載、完結しました。
https://ncode.syosetu.com/n1597fn/
また2020年現在、本作正統続編にあたる「レムゴール・サガ」を鋭意連載中です。
https://ncode.syosetu.com/n6884fw/
続けてお読み頂けましたら、幸いです。




