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サタナエル・サガ  作者: Yuki
終章 サタナエル・サガ
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第七話 愛する者たちへ~レエテとナユタ

 ルーミスが家に到着してから、1週間が過ぎた。


 彼の法力によって苦痛を緩和されたレエテだが、死を告げる死神の鎌は、彼女の首筋に刻一刻と近づいて来ていた。


 途中さらにもう一度の「吐血」を経たレエテの衰弱は加速。


 意識すら失い昏睡状態が続く日も、あった。


 もう完全に、「その日」が近い。それを知ったアトモフィス。大陸全土。


 各地のハーミアの礼拝堂や、シュメール・マーナの祠には、戦女神の信奉者が集い、祈りを捧げていた。


 そしてアトモフィスの家では、その中に入り切らないサタナエル一族の女子、男子や、外部から自治領に加わった、それ以上にレエテに親愛と忠誠を誓う者たちが外の広場に詰めかけ、連日交替で一日でも長い延命を祈り続けていた。



 当のレエテは――2つの、「わがまま」を云った。



 一つは、子供たちとの水入らずの、時間をもらうこと。


 広大な寝室から人払いし、一日中、子供たちと過ごし、愛情を注いだ。


 本を読んでやったり、動けないレエテにもできる遊びを一緒にしたり。


 そして、これから生があったとしたら語り掛けたかった言葉を、一人ひとりに、告げたのだ。


「エルスリード。あなたはとてもきれいだし……とても賢い子……。すごく気持ちが繊細で……いろいろなことに気が付き、それで人に怒ったり冷たい態度をとったりするから……人になかなか理解してもらえない。……閉じこもって、しまう。

それを、無理に変えなさいとはいわないわ。あなたが愛情をもってることは皆がわかってるから。けど、とてももったいないことよ……。あなたは人の役に立つし立ちたい子なんだから、あきらめずに少しずつでも人と積極的に話し、自分の世界を広げていくのよ。わかった……?」


「うん、わかった。レエテおばさま」


「アシュヴィン……。あなたのすごく恵まれた身体の力には……誰も敵わない。それを分かってるから、優しすぎるあなたは無意識に自分を低く見せて……いつしか自信をも喪失している。

大丈夫よ。本当のあなたはちゃんと皆に受け入れてもらえる……。もともと人見知りなあなたには、自己主張は難しいでしょうけど……普段から自分の云いたいことを云うように努力しなさい。

そして、レミオンといつまでも、仲良くしてあげてね……」


「わかったよ……そうする」


「レミオン……。あなたは、私が自由に甘やかせ過ぎたかも、知れない……。ちょっとわがままが過ぎて、人に迷惑をかけるのは、いけないわ……。

少し自分を押さえることを……学びなさい。あなたはとても強いし、いいところもいっぱいある……。その力を、人のために使うよう……努力するの。いいわね。

そして……アシュヴィンのことは大事に、いつまでも仲良くしなさいね」


「はーい……おかーさん……」


「エイツェル……あなたは一番年上だし、とても面倒見がいいお姉さん。それはこれからも同じように……皆の支えになってあげてほしい。

一つだけ云うとしたら……ちゃんと自分の幸せも、考えなさい。あなたは明るく魅力的だし活発だし、いいお嫁さんになれる。ブリューゲルおばさんたちに学んで、女の子らしくすることも必要よ。それを忘れないでいて……」


「うん、わすれないし、ゆうとおりにする! おかーさん!」




 もう一つの「わがまま」は、夫シエイエスとの心身ともの愛の時間をもらうこと。


 寝室で一日2人きりになり、愛し合い、語り合うことだった。


 身体に負担になるのは承知で、レエテからの願いでシエイエスは身体を重ねた。


 そしてベッドの上で夫に身体を寄り添わせ、レエテは甘えた。


 ほんの1月前まであった柔らかく張りのある筋肉と脂肪が、失われた身体を抱き、シエイエスは胸がつぶれそうなほどの苦しみを味わった。残酷な「死」を実感して。このまま――妻とともに心臓を突き、共に死にゆきたい衝動にすら駆られたが――。精神力で押し留め、妻との極めて少ない残り時間を笑顔で過ごすと決めた。


「シエル……あなたの逞しい胸、本当に好き……ずっと、こうさせて……いて……」


「大丈夫か……? 本当に苦しくなったら、すぐに云うんだぞ……」


「平気よ……。こんな幸せな時間……終わらせたり、しないわ……。

シエル……あなたと私の馴れ初めって……この世でもすごく奇妙な……部類に入る、わよね……?」


「ああ……お前は血まみれの貌で断頭台にかけられ、俺は別人に変形してお前を殺す側にいた。ナユタの策略でお前を別人のまま救い、変形して本当の貌を見せて名乗った。こんな出会い、歴史上探しても俺達以外いやしないだろうな」


「ふふ……そうね……。そのときは私にとって……ただの、ルーミスのお兄様だった……。そのあとセルシェ村での事件……ビューネイとの再会……自分自身への猜疑心……。それらで次々傷ついた私の心を……あなたは一つひとつ、すごく真摯に……思いやりをもって、理解し、同情し、癒やしてくれた……。もうヒュドラとの対決を終えたころには……私、あなたが好きで好きでたまらなくなって……見てるだけで幸せで気持ちよくなって、目が離せなくなってた……。夢中だった……。初恋にして、最後の恋に、なるほどに……それがどんなに、幸せなことか……」


「俺も、そのころにはお前しか、見えていなかった。なのに裏切ったり、目の前から消えたりしてすまなかったな」


「そうよ……私、つらかった。片時も……忘れられなかった。……だから……エルダーガルドで帰ってきてくれたときは興奮して……ホルストースには申し訳ないけど、あなたしか目に入っていなかった……。祝賀会で一緒になれて、有頂天で……。もう身体が勝手に、あなたを誘ってた」


「本当に嬉しかった。俺も。プロポーズも、そのときしておけばと……遅きに失したなと反省はしてる」


「……もう……そうよ……。フレアとドミノのことは、私今でもちょっと根に、持ってるんだから……。

不可抗力でも……他の女と…………その事実は……変わらないんだから……」


「それは……本当にすまないと思ってるよ……! 俺の落ち度でああなったし、お前と結婚している状態だったら、奴らの興味執着も違ったろうしな……」


「でももう……いいの……こうして添い遂げて、くれたことが……幸せでどうしようもないぐらい……なんだから……ありがとう……シエル……」



 「添い遂げた」。その言葉と、最後の礼ととれる「ありがとう」。それらは――。


 急激に、シエイエスの中の悲しみを、極限までに増幅させていった。


 

 こんなにも、愛している妻が、あとおそらくは数日以内に――永遠に消え去るのだ。

 土の下に入り、こうして話をすることも、手を触れることも、できなくなるのだ。


「……」


 シエイエスの貌は急激に悲しみに歪み、しばらく愛おしそうに妻の身体を貌を、髪の毛を撫でた後――。

 勢いよく貌を引き寄せ、強く口づけした。


 息が止まるほどのそれから解放されたレエテは、戸惑いシエイエスを見た。


「シ、シエル……?」


「レエテ……死なないでくれ……頼む……」


「……!」


「俺はお前と……離れたくない……離れたくないんだ……お願いだ……。

お前が居なくなるなんて、話せなくなるなんて、手も触れられないだなんて……。

絶対に嫌だ……。レエテ……行かないでくれ……俺を、置いて行かないでくれ……! 俺を、一人に、しないで……うう……うううううううう……」


 シエイエスは――号泣、していた。というより、惨めに泣きじゃくっていた。


 今までも涙を流したことは何度もあった。しかし、落ち着いた大人の精神を若いころから持つ彼は、ナユタやルーミスのような剥き出しの感情を見せることは決してなかった。


 それが――子供のように、真の悲しみの前に完全に崩れ落ちてしまっているのだ。


 レエテは――見る見る涙を流し、身体を震わせた。そして細くなった手で、夫の頭をやさしく撫でながら云った。


「……う……!! シエル……!! わたしも……わたしもよ……!! あなたと離れたくない……あなたとこうしていられなくなるなんて、耐えられ、ない……ううう……。

でも……でもね……きっと……大丈夫よ……あなた、なら……。きっときっと立ち直って、そして、支えてくれる人が、現れる……。

わたしはね……わたしも、大丈夫。いっぱいいっぱい、幸せをもらったもの……。

そうよ、もったいないぐらいに。

9年前ヴェールント兄さんと、お父さんから、命をもらって……。あそこで尽きるはずだった命をここまで、伸ばしてもらった……。

できたのかわからないけど、償いのため働き、新しく生きる場所を見つけ、子供たちを産んで育てるなんていう、夢みたいな幸せを、もらった……!! 過去を精算、できるぐらいの……。

いえ、それどころかもう……普通の人の一生分の幸せを、もらったのよ。皆と……シエル、あなたのおかげで!

そのあなたが、幸せに、なれないはずなんてない……だから、だから……」


「………………ああ……大丈夫……だ。

取り乱してしまって、すまない……。俺はもう、……大丈夫だ。

お前が、そう思って……くれてるなら、よかった……。俺はお前がやりのこした仕事も……子供たちのことも、命がけでやり遂げてみせる。安心して、いてくれ。

ありがとう……本当に俺と出会ってくれて……選んでくれて、ありがとう……レエテ」




 *


 「その日」は、想像していたよりは遅くに、訪れた。


 レエテが最初の「吐血」を発症してから、25日目。


 3度目の吐血を経験。――それが、まさに最後の時であった。

 これまでに幾人かのサタナエル女子が寿命を迎え死んでいったが、その経緯を見ても、あきらかな最後の兆候であった。


 シエイエスとシェリーディアは――自治領に緊急事態宣言を出し、その時の訪れを告げた。


 ルーミスが強力な法力を継続してわずかながらも命をつなぐ。その間、自治領は一時的に全ての国事、可能な限りの労働を止め、家に集うことが可能な者は集った。



 そして家の中の、寝室内には――。



 ベッドの上で、時折呼吸困難に陥りながら、生命の危機に瀕する、レエテがいた。


「…………はあ…………はあ…………う……」


 通常は、重鎮不在の居城を守る役目のマルク外相ですらも、寝室内に駆けつけ、悲痛な表情で主を見守っていた。


 乳母アニータも、駆けつけていた。その前には、ブリューゲルの、姿。

 ベッドのレエテにしがみつく子供たち4人を、制する役目をかって出ていたのだ。


 ベッドの左右では、ルーミスが左腕を通じて法力を送り続け、右側では、シエイエスが右手を握りしめている。

 そのすぐ後ろでは、シェリーディアが膝上に拳を握りしめながら見守っている。

 いずれも、その目は赤く、涙が滲んでいた。


「レエテ……頑張れ、頑張れよ……! まだ兆候から1ヶ月経っちゃいねえぞ……。

アンタはしぶとい女だ……。今までの一族の常識ぐれえ、突破してみせろよ……!!」


 感情を昂ぶらせて叫ぶシェリーディアに、昏睡状態だったレエテは反応した。


「シェ……リーディ……ア……。

い……まで……。……本……当……にあり……が……とう……」


 消え入りそうな、声を耳にしたシェリーディアは――耐えきれずに涙をあふれさせ、口を手で塞いだ。そして押し殺した声で呻いた。


「レエテ……ううう……レエテ……死なないでよお……レエテえ……」




「…………ナ……ユ……タ……」



 意識が朦朧とするレエテが呟いた名前を耳にして、一同が貌を見合わせる。そしてシェリーディアが、泣きながらルーミスに獰猛に詰め寄る。



「ルーミス!!! あのアマはどこにいるんだよ!!! 

親友がこんな状況で、今の今まで一度も来やしねえで!!!! 会いたがってんだよ、レエテが!!! いますぐ、ここに引っ立ててきやがれ!!! 来なかったら、マジでアタシがあのアマぶち殺してやる!!!!」



 云われたルーミスも――正直、程度の差はあれ思いは同じだった。彼はギリッと唇を、血を流すほどに噛みしめることしかできなかった。



 そして――レエテの体内から自分に帰ってくる反応の変化を感じたルーミスは、ハッとして彼女を見た。


 法力が、レエテの身体を循環しなく、なったのだ。




 それは――残酷な一つの事実を、示していた。



 生命活動の、停止。



 ルーミスは、脈と心臓を素早く確認し、目を開いて瞳孔を確認した。



 

 そして、頭の中が真っ白になったルーミスは――青白い貌で、おこりにかかったように震えた。



 その様子を見た、周囲の者は――顔面蒼白で、固まった。



 無言のルーミスに、事実を問いただすのが、怖かったのだ。




 と、そのとき、不気味な沈黙を突き破るように――。



 

 突如として屋外から、猛烈な暴風の音と、人々の悲鳴が聞こえてきたのだ。



 

 それから数秒後――まず外のドアを蹴破る音。



 そして騒々しい靴音の後、寝室のドアが、荒々しく開かれたのだった。



 そこに、息を荒げながら立っていた、全身火傷と傷だらけの、血まみれの、一人の女性。



 その女性は、極めてよく通る、大きな声を張り上げた。



「遅くなってすまないねえええ!!!! レエテ!!!!!

起きな!!!! このあたしの、到着だよ!!!!

あんたの、生涯、あんたの、戦いを――。

このナユタ・フェレーイン抜きで終わらそうたって、そうはいかないんだよおおお!!!!!」

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