第十一話 離別【★挿絵有】
「父さん……お願いだ。死なないで……!」
ルーミスの悲痛な声がレエテの胸を打つ。絶望的な状況に、すでに彼の眼からは、大粒の涙がとめどなく溢れ続けていた。
アルベルトは、血溜まりの中で苦しげに息を継いだ。
そしてすでに返り血を浴びた息子の顔に手を伸ばし、頬に触れた。
右肺を両断された状態であるはずだが、ルーミスの法力の効果か、辛うじて言葉を発した。
「ルー、ミス……。母さんが死んだ、のはお前が3歳のとき……。私、は一人でもお前を守り抜く、と誓ったが……。ここまでの、ようだ」
ルーミスが、耐えきれずに嗚咽を漏らす。
かぶりを振りながら、両の手に込める法力の出力を狂ったように上げようともがく。
「そんな……イヤだ。オレには、まだまだ父さんの教えが必要なんだ。こんなところで……」
アルベルトは息子の頬をなでながら、それまでの苦痛の表情を変え、口元に微笑みをたたえた。
「大丈夫だ……。覚えているか? 8歳のときだったか……中原の戦のせいで三月の間、私が帰れなかったときも……お前はたったひとりで家を護った。才能、だけではない……お前は強い子だ。私がこの世にいなくとも……」
「う……ううっ、そんなこと……」
「だが、お前が……あくまで、サタナエルとの戦を望むなら……。シエイエスを……頼れ」
アルベルトが発した思いがけない名に、ルーミスが驚愕の表情を浮かべる。
「シエイエス……兄さん? 生きているの!?」
「ああ……おそらくエストガレス、領内の……どこかに居るはずだ。ハドリアンの、不穏な動きを察知して、少し前にブリューゲルも預けた……シエイエスなら、力になってくれる……」
限界を超えて言葉を絞り出していたアルベルトだったが――。ルーミスの手に感じる血流、すなわち心臓の鼓動も、もはや消えかかっていた。
そして――法力を発しすぎたルーミスの手の光も、同時に消えかかっていたのである。
「ルーミス……達者でいて、くれ……。最後に、お前に会えて……本当に、嬉しかった…………」
その言葉を最後に……アルベルト・フォルズの心臓の鼓動は静かに消えた。
自らの手に力なく重みを預けるのみとなった、最愛の父の身体を震えながら抱き――。唇を震わせていたルーミスは、耐えきれずに叫んだ。
「……父さん……父さん!!! うあああああああ!!!!」
まだ暖かい父の胸に顔を埋め、慟哭するルーミス。
レエテはその黄金色の瞳から涙を溢れさせ、ただ彼らの姿を見守るしかなかった。
「ルーミス……ごめんなさい、本当に……私の――」
「レエテ、よせ。あんたのせいじゃない…….。あたしが、戦術を見誤ったんだ。ルーミスかあたしのどちらかがしくじる可能性を考慮し、すぐに聖騎士の手から逃亡できるようにと法王府の外を合流場所に指定したのが裏目に出た。
これは――全て、あたしの責任だよ」
目を閉じ沈痛な面持ちのまま、ナユタがレエテの肩に手を置く。
「そして同時に――この場を収め、危機を回避する責任もあたしにある。かわいそうだが、ルーミスに父との別れを惜しむ時間も与えてはやれない。ここは――あたしに任せてくれ」
ナユタは、ランスロットを肩から地面に下ろし、ルーミスに歩み寄る。
そしてあと一歩の距離まで近づき――明瞭な決然とした口調でルーミスに語りかける。
「ルーミス。この度のことはお悔やみを申し上げると同時に、本当に心からお詫びする。あんたの父親が亡くなったのは――あたしのミスであり、責任だということ。
けれども、分かるね。いつまでもここにはいられない。だから、これからあたしの云う通り――」
ナユタが言い終わらぬ内に――。彼女は、火のように熱い痛みを頬に感じ、後方に倒れた。
倒れた地面から見上げる先には――拳を突き出したルーミスの姿があった。
「ナユタ……! オマエは大丈夫だ、と云った……。この作戦なら、無事に皆生きて、物事を収められる筈だ、と。だが父さんは、死んだ!!! 死んだ!! オマエが殺したも、同然だ!!」
涙の途切れぬその目はしかしなぜかナユタから反らし、怒りの言葉を叫び続けるルーミス。
その悲しみは――行き場を失っているかのようだった。
「ああ……そうだ、その通りだ。あたしが――ってレエテ、ここはあたしに――」
ルーミスに言葉を返そうとしたナユタが止める間もなく、レエテは瞬時にルーミスに近づき、右手で彼の頬を平手で打った。
だいぶ加減したとはいえ、強い力だった。それはルーミスに直接的でない別の痛みをももたらした。
彼の見るレエテの両の瞳は、これまで見せたことのない、悲しみを含んだ憤怒を湛えていた。
「ルーミス……! それ以上云うことも、ナユタに手を上げることも、私が許さない。何てことを……。あなたのお父様のことは、残念だ……。本当に、私も胸を裂かれるように悲しい。これも、私が自分の勝手な目的のためにあなたのお父様を巻き込んだから起こったこと。私が全ての原因だ、と申し開きもできないと思っている。
だからやるなら、私を。殴るのも責めるのもいい。けれども――それはあなたのお父様の望んでいたことなのか」
ルーミスは、一切言い返すことなく、力なくうなだれている。
「自暴自棄になり、感情の赴くまま手前の人間に暴力を振るって発散するような醜い行いを望んではいないはずだ。冷静になってほしい。この何日か見てきただけではあるけど、あなたは、そんな人間じゃないはずなんだ」
ルーミスはがっくりと膝をつき――頭を強く、何度も何度も振った。
そして地に爪を立てながら、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「わかってる……わかってるんだ。オマエたちのせい、なんかじゃない、し……。父さんのこれまでの正しすぎる行いは、常に何年もの間内にも外にも敵を作り、その命を危険にさらしてきたんだ。いつかはこういう日がくることも、父さん自身も、オレもある程度想定していた……。
けれど、想像していたよりも、ずっと、辛かったんだ……。怒りで、悲しみで我を忘れてしまったんだ……。ナユタ、殴ったりしてすまなかった」
ナユタは、切れた口の中の血を吐き出しながら、ルーミスに笑みを返した。
「いいさ、そんなことは……あたしは本当に責任を感じてるし、その悲しみは当のあんた以外には到底分からないことだしね」
「私も殴ってしまってすまなかった、ルーミス。もう、大丈夫?」
ルーミスはゆっくりと立ち上がり、レエテに頷き返した。
「ああ、大丈夫だ……。一刻も、早くここを立ち去らねばならない。
ただナユタ、一つ頼まれてくれるか? 父さんは……生まれ育ち、生涯を捧げた主のおわすこの法王府で自らを埋葬されることを望む、と思う。早く発見してもらえるように、しばらく消えない火を空中に灯してくれないか」
ナユタは大きく頷き、右手に炎を出現させた。
「お安い御用だよ、任せな。ただ……そうすると司教の死はあたし達の仕業、つまりあんたも父親殺しの汚名をかぶせられることになると思うけど。いいのかい?」
「いいさ。父さんが気高く葬られるのならば。もう、オレも含め家族がここに戻ってくることはないだろうしな」
かぶりを振って答えるルーミスに、レエテが疑問を呈する。
「そういえばルーミス、さっきアルベルト司教が云った、“シエイエス”という人物のことだけど」
「ああ、オレの――兄だ。オレより一回りも年上で――オレも顔はかすかにしか覚えていない。
10年前、母が殺されたとき、彼は今のオレとは違う道を歩んだ。神に絶望し、その信仰を完全に捨てて法力を魔導に変え、身につけた武術とともに法王府を出奔した。
それ以来行方知れず、おそらく死んだのだろう、と聞いていたが――舞い戻り父に再会していたとは」
「もう一人の、“ブリューゲル”というのは?」
「オレの――姉で、兄の妹、にあたる。母の死のときは10歳で――ともに人質にとられ、その死を目前で見たことで気が触れてしまった。介護を要する状態で、兄の元にいるとはいうが正直心配だ」
レエテは、ルーミスに近づき、その肩に右手を添えて――左手は腹を押さえていたため――まっすぐに彼を見据えて云った。
「わかった。探そう、あなたの家族を。
元々、しばらくはエストガレスの領内を転々としながらサタナエルを討っていくしかない状況だった。
その行程で、情報を集め、彼らを探すんだ」
ナユタは、直径1mほどになる赤い炎を、地面に接触しないよう空中に固定し終えると、レエテの言葉に同調して云い継いだ。
「まああたしたちの罪滅ぼしも兼ねて、と云っては申し訳ないけど協力させてくれよ、ルーミス。ひとまずここから南方に向かいながら、情報を集めてみるかね。その辺はあたしに任せな」
ルーミスは、ようやく口元に微笑を浮かべ、レエテ、ナユタ、ランスロットに云った。
「ありがとう……感謝する。そして、これからもこんなオレをお前達の仲間と扱ってくれると思って良いのかな?」
「当然さ……ルーミス。さあ、お父様に最後の祈りを捧げよう」
云うとレエテは、アルベルト司教の前に跪き、両の手を目前で握るハーミアの祈りを捧げた。
本来魔導士として積極的に行わないはずのナユタも、すすんで祈った。
ルーミスも、今一度父の元に戻り、今上の別れとなる祈りを捧げた。
「さようなら、父さん……もうオレの事は心配いらない。貴方が望むことではないかも知れないが、オレは必ず兄さんを探し出し、貴方の仇を討ってみせる」