第三十七話 魔人ヴェル(Ⅵ)~破壊の後の再生へ
傷口を押し広げ、拳大以上の大きさの異物を体内に押し込む。
その行為の痛みは、想像のはるか上を行っていた。
「――!!! ――ぐっうう――!!!!」
苦痛と苦悶の思いに貌を大きく歪ませたレエテは、なおも手を緩めず続行する。
やがてすぐに、まだ生温かいヴェルの核は、脈動をうつレエテ自身の核に、ついに接触した!
その瞬間――膨大なエネルギーの奔流なのか、その箇所からまばゆいばかりの強光が発せられ――。
その目で見えているわけではないが、レエテにははっきりと感じられた。
死にかかった自分の核が、膨大なエネルギーを内包する存在を認識し、狂喜乱舞の様相でそれを取り込みにかかり――喰らいつくそうとする、様子が。
そして核による、核の捕食が始まった瞬間――。
まるで巨大な杭が胸の前後を突き抜けるがごとくの、信じられないような激痛がレエテを襲ったのだ。
「がっ――!!!!! うああああああああ!!!!! いいい――やああああああ!!!!! ああああああ!!!!!」
先刻の血破孔を打ったシエイエスのごとく、激痛のあまり白目を剥き、激しく胸をかきむしるレエテ。その乳房や鎖骨付近の肌は見る見る切れて出血し、首には血管が浮き出、見るに耐えない状態になった。その様子を見るに――「捕食」が進むにつれて徐々に頚椎の「司令塔」にも激痛がおよび、まさに正気が危ぶまれるほどの危険な状態になったと見えた。
「ぐ――!!!!!」
「――!!!!!」
「む――ううう――!!!!!」
「レ――――!!!」
レエテの感じる苦痛を自分のことのように捉え、彼女の名を叫び出したい衝動に駆られる、シェリーディアも含めた仲間達。彼女らは、歯を食いしばり、血がしたたるほどに拳を握りしめて、耐えた。なぜか、そうすべきだと思えたのだ。今何か余計な刺激を与えてしまったら、二度とはない千載一遇の救いの手があえなく水の泡に帰してしまうような、そんな気がしたのだ。
「う……ぐ……が……ああ……ああ……!! ああ……!!」
それから10分は、経っただろうか。未だ苦しみ続ける、レエテ。
身を案じる仲間達にとっては、その10倍は長い時間に、感じられていたが。
先程レーヴァテインも云ったとおり、この手段が100%成功するという保証もまた、ない。このまま失敗し衰弱期が訪れてしまうか、最悪痛みとショックのあまりこの場で死亡する可能性もあるのだ。
その行く末は――ハーミアのごとき天上の存在にしか、見通せないことなのかもしれない。
そしてついに――。
レエテの動きは完全に、停止した。
「――!!!!!」
すぐに、駆け寄りたい。生きているのか、確かめたい。だがもし、まだ「捕食」の最中だったら? 刺激を与えたがゆえに、成功しかかっていた状態を悪化させてしまったら? そう考えた仲間達は、レエテに近づくことができなかった。
まさに、死んでしまったかのように約1分間、呼吸すら停止していた、レエテ。
やがて――まず動いたのは、背中だった。
痙攣をするように数度、波打たたせた。その後――。
時間の経過から取り残されたかのようにゆっくり、ゆっくりと――。
貌が上がって、いった。
全面に流れ落ちるような汗をかき、息もかなり荒いものの――。
その貌色は、先程の白いものから、明らかに満ちた生命を感じさせる、赤みの差したものに、変化していた。
もう、誰が見ても、明らか。
選択と試みは――試練を乗り越え成功に、終わった。
レエテは今訪れようとした死から確実に――逃れ得たのだと、いうことが。
もう我慢はできなかった。
絶望から転じ、歓喜の涙に濡れながら、仲間達は――。
レエテの元に全力で、駆け寄っていった。
「レエテッ!!!!!」
「ああ――レエテ!!!!!」
「良かった――良かった!!!!」
まず飛び込んできたナユタがレエテの首に抱きつき――後方から抱え込むように肩を抱いたシエイエスがたまらずレエテの貌を横に向かせ、その唇に自らのそれを重ねる。そしてルーミスはレエテの前に手をついて彼女を涙ながらに凝視した。
「みん……な……」
力ないかすかな、しかし確実に希望のこもった声で、レエテは同じく涙を流し、愛おしい者たちを抱きしめ返した。
そしてその視線の先で小さな身体を立ち上がらせ、胸をそびやかして見守る、レーヴァテイン。
彼女の表情もまた、クールではあるが安堵の微笑が形作られていた。
「どうだい、今の気分は?」
レーヴァテインの問いかけに、レエテは穏やかな表情で応えた。
「そうね……。まだ疲れが残っているような感じだけれど、さっきとは天と地のように、違う……。
とても、気持ちいい……。何か全ての毒が身体から抜けて、子供のころに戻ったみたいな、力がみなぎるような調子の良さだわ……」
口調までいつのまにか、仲間に対するような普通のものに変わったレエテ。
「なら、完全な成功だ。祝福するよ。どこまで続くかは神のみぞ知る、だが――。ヴェル様とノエルの生命を得た、あんたのこれからの人生ってやつをね。
あたしの尊敬する人の命……絶やさないことを、祈ってるよ」
心からのものと分かるその祝福の言葉を受け、レエテは皮肉めいた笑みをも浮かべてレーヴァテインに返した。
「もちろんよ、ありがとう。
でもこんなに……痛くてたまらないだなんて、聞いていなかったわ。先に教えてくれても、よかったのに」
「そいつは、あんたに対するあたしからの、ちょっとした意趣返しってやつさ。
あんたや仲間どもに負けた憂さを晴らさせてもらうぐらいはしても、罰はあたらないだろ?」
以前のような悪戯っぽさを浮かべ、八重歯を見せて笑ったあと――。
レーヴァテインは踵を返し、レエテに背を向けて歩き出した。
レエテが声をかけようとすると――それを制して、ナユタが涙を拭きながらレーヴァテインを呼び止めた。
「待ちな――! レーヴァテイン!!」
意識し続けた因縁のライバルからの呼びかけに、レーヴァテインの足がピタリと止まった。
その背中に向けて、ナユタはさらに続けた。
「あんたは、これからどうする積もりなのさ?」
少し間をおいて、レーヴァテインは言葉を返す。
「――さてな。どうしようかなあ。
外界に雑魚がどれだけ残ってるか知らないが、あたしはサタナエルを預かる身分として間違いなく、最後の人間になった。
サタナエルの滅亡を受け入れ、とりあえず暫くは――ひとりに、なりたいね。
人間が行ったことがない、ていうヴァルメル島でも目指してみようかなあ」
ナユタは立ち上がって、それに応えた。
「それも、いいかも知れないが――。あんたさえ、良ければ――。
あたしたちと一緒に、大きなことをやる気はないかい、レーヴァテイン?」
「……」
「あんたは、以前と比べてすごくいい、面構えになった。中身っていうか――心が変わったのを感じる。レエテを救ってくれた、大きすぎる恩義もある。
今までのことや、サタナエルだったことは水に流して――あたし達の元に来てくれたら、と思ったんだ。
サタナエルが滅亡した今、大陸は変わるし、あたし達にも何かをやる役割がきっと巡ってくる。
そのとき、あんたほどの実力をもった人間が居てくれたら、凄い力になると思ってさ」
「気持ちだけは受け取るけどね、きっぱりお断りするよ、ナユタ。
あたしはサタナエルの一員であり、ヴェル様の忠臣。何があろうと決して、あんたらとつるんだり、仲良しになることはない」
「……」
「中身は変わったのかもしれないけど、あたしの中では、あんたらとの関係はあのコルヌー大森林で初めて会ったときから変わっちゃいない。敵同士、さ。
上から目線で情けをかけられる気なんてない。ましてや忘れたか? あたしにとってあんたは、親父を殺した立派な仇なんだよ?」
辛辣すぎる言葉を返され、一瞬貌を歪めて硬直するナユタ。しかし、レーヴァテインが心からそのように思っているわけではないことは、笑みを含んだ晴れやかな表情で明らかだった。
ナユタは目を閉じて笑みを浮かべ、応えを返した。
「わかった。なら何も云わないさ。達者でいることを祈ってるよ。
ただ――あんたの好敵手として、ひとつ餞別を送らせてほしい」
「餞別――?」
「ああ。フレアから分捕った、ベルフレイムのやつをあんたの魔導生物にしてやってほしい」
「――!!」
「あたしは、今後の生涯を通じて魔導生物を従えないことを、ランスロットの墓前に誓ったんでね。
そうでなくてもあいつは、フレアにひどい目に遭わされてきたけど――主人を思う心を忘れなかった忠義者。何年もサタナエルに尽くしてきたんだ。
あいつにとってもきっと――あたしよりあんたに仕えるほうが何倍も幸せだと思う。
そうだろ!? ベルフレイム!!!」
呼びかけられた、ベルフレイム。翼をたたんで地にじっとたたずむ巨体の彼は、一つしかなくなった目を閉じて、重々しく応えた。
「……私はあくまで、主人のご意思に従うのみにございます。
ただ……本心を吐露することをお許し願えれば……。
私は貴方とともに、行きとうございます。レーヴァテイン様」
「ベルフレイム……!」
「決まったな。あいつの主人は今からあんただ、レーヴァテイン」
現主人からの正式な禅譲を受けたレーヴァテインは、苦笑をもらしてベルフレイムに歩み寄り、持ち前の跳躍力で一気に彼の背の鞍に乗った。
すぐに羽ばたきはじめるベルフレイムの背の上で、一度万感の思いで「本拠」のジャングルを見渡したあと、レーヴァテインはナユタに向き直った。
「じゃあな、ナユタ・フェレーイン。いつのことに、なるかは分からないが――。
あたしは力をつけ、必ずあんたの元へ戻ってくる。
そしてその時こそ、あんたに勝利する。首を洗って、待ってなよ」
「ああ――楽しみに、してるよ――」
幾度もの死闘をこえた好敵手同士にしかわからない、幾重もの思いのこもった視線を交わしたあと――。
瞬く間に上昇を始め、上空へと飛翔していくベルフレイムとともに、レーヴァテインの姿はたちまち見えなくなり――。
遠ざかる羽音とともに、秘境を去っていったことが、感じられたのだった。
それを見届けた、シェリーディアも、レエテに貌を向けて、云った。
「それじゃあアタシも、失礼するよ、レエテ。
ダレンを放ったままここに来ちまったから――。すぐに戻らないと。アンタらの邪魔しても、悪いしね。
本当に良かったな、レエテ――。アタシも嬉しい。アンタの寿命が伸びたことが。この先もまだ生きられるんだって、ことが。
いままでの、凄惨な不幸を――。ひっくり返せるぐらい幸せになってくれることを祈ってるよ」
そういって帽子の庇を下げ、立ち去ろうとするシェリーディアをレエテは呼び止めた。
「待って、シェリーディア。私あなたに云いたいこと、一杯ある。
まずはダレン=ジョスパンのことだけど――あなたさえ、よければ――。マイエのお墓の隣に、葬ってあげてほしい。
彼は――きっと、エストガレスに戻ることはできないんでしょう? それなら血が濃くつながった、実の妹の側のほうが、きっと幸せに眠れるんじゃないかしら」
「――!」
シェリーディアは――こみ上げる思いを堪えて、唇をかんだ。
そう、それは彼女のほうからレエテに――お願いしたい、ことだったのだ。
魂は決して天国には召されず、地獄に堕ちたのであろうが、肉体がそこにあることで少しでも死後の幸せを感じてほしかった。愛おしい想い人に。
それをレエテの方からそのように申し出てくれたこと、自分や義姉の兄を心から気遣ってくれたことが、嬉しかった。
レエテは、続けた。
「過去に色々あったのは確かだけど――。サタナエルもこうして滅びた今、私はあなたに正式に仲間になってほしいと思ってる。
一緒に戦場をくぐり抜けてきて――その中であなたのことを良く知って。私はあなたのこと、友達だと思ってるから――。
そう思ってるから――それを心に留めて、考えてくれると、嬉しい」
シェリーディアは――己も友情を寄せるレエテから、そのように嬉しすぎる言葉をかけられ――。
照れて真っ赤になった貌を隠すように、異常に目深に帽子を引き、小声で云った。
「か――考えとく――じゃ、じゃあな」
そしてそそくさと、「丘」の方角に向けて姿を消してしまった。
そして場に残されたのは、レエテとナユタ、シエイエス、ルーミスだけになった。
彼女らに向けて、レエテは笑顔で思い切り両手を広げた。
「来て、みんな――。
もう一度私に、あなた達を抱きしめさせて――」
すぐに、三人はレエテに身体を寄せ、抱き合った。
今度はルーミスも一緒に。
感じるレエテの身体は――とても温かかった。
死が迫ってきていたときとの極度の落差が、確実な生を感じさせる。
「信じられない……信じられないわ。夢のよう……!!
私、まだ生き続けられるなんて。
あなた達と一緒に、まだまだ生きられる!! 幸せ!! こんなに幸せなことって……ないわ!!!」
涙を流し、身体を震わせるレエテに、同じようにむせび泣きながら抱き合う仲間たち。
その心からの喜びを共有するのに、言葉はいらなかった。
ひたすら、実感していた。愛しい者とともに生き続けられる幸福を。
エグゼビアで寿命が訪れたあの悪夢の瞬間から、完全にあきらめていた、その幸福を。
そしてその中でレエテは、ヴェルの威厳に満ちた仁王立ちの遺体をみやり、呼びかけた。
まだ今は――心の中でしか呼びかけられない、その呼び名を。
(ありがとう……本当にありがとう……「兄さん」……!!)