第三十三話 魔人ヴェル(Ⅱ)~破壊の王
シェリーディアの目の前で樹に激突し、そのまま地面に倒れ伏していった、レエテ。
無我夢中で駆け寄ろうとするシェリーディアの目の前で、しかしレエテはゆっくりと上体を起こし、身体を丸めた状態で地に足を着けていた。
人間ならば原型を留めないほどの衝撃を受けたはずだ。しかし外傷はわずかで、内臓や骨にダメージはあるだろうが戦うに影響はないように見えた。もはや理解の外の、魔の防御力、耐久力だ。
レエテは手を上げてシェリーディアを制止しながらも、短く微笑みかけた。
「……シェリーディア……生きててくれて、良かった。私なら……大丈夫。
まだ――この程度でやられたりはしないわ」
「レエテ……!」
「ダレン=ジョスパンのことは聞いた……。残念だけれど、気を落とさないで。
あなたは――絶対に彼の分まで、生きるのよ!!」
力強く声を発し、すぐさま仇敵に向けて飛び出していく、レエテ。
こんな時まで――他人の心配をし励ます彼女。一体、どこまでお人好しなのか、善人なのか。
到底追いつけぬスピードで敵の元に戻っていったレエテを追い、シェリーディアが駆け出そうとした、瞬間。
目前に、回転する巨大な光の刃が猛烈な勢いで迫った。
瞬時に“魔熱風”を抜き放ち、ボルト連射の手前までの構えを恐るべきスピードで完成させたシェリーディアの前で、回転体は人間の姿を取って地に直立した。
それを見たシェリーディアが、構えを解かずに言葉をかける。
「――久しぶりだなあ、レーヴァテイン・エイブリエル。
見違えたぜ? 親の七光で偉ぶってただけの勘違い娘が、随分立派になったもんじゃねえか」
それに対し、穏やかとさえいえる超然たる美しい貌で、シェリーディアを見据える敵。
レーヴァテイン・エイブリエルは、以前からは考えられない静かな澄んだ声色で、言葉を返してきた。
「シェリーディア・ラウンデンフィル。相変わらず好き勝手に云ってくれるねー。
確かに、あんたに手も足も出なかった昔と違い――。あたしは勝負できる力を身に着けた。
けど、今あんたとやり合う気もないし、その必要性は全く、ない。
そしてヴェル様に加勢する必要性は――さらに、ない。
それはあんたの立場からレエテに対しても、同じ。分かってるよね? 悪いことは云わない。その忌々しいクロスボウを降ろして、地上最強の存在同士の勝負の行方を大人しく見届けるのに集中しな」
シェリーディアは――微笑みを浮かべて“魔熱風”を降ろし、言葉を返した。
「たしかにな――アンタは正しい。アタシ達ごときが何をどう小賢しい真似をしようが、あの二人の勝負の行方の前には塵に等しい。
アタシはな――。死んだ自分の男に詫びてまで、レエテの行く末を見極めようとここまで来たんだ。
云われなくても、そうするさ」
その言葉を受け、背を向けて主の闘いの場に戻っていくレーヴァテイン。そして後を追い、自らも神代の闘いの場へと赴いていくシェリーディア。
(レエテ……。もうアンタは、アタシ達誰の手も届かない存在になっちまった。
願わくば……仇を、取って。ダレンの。
そしてアンタは生き残って……まだアタシ達と一緒に、生き続けて欲しい……)
炎を噴くような双眸で、ヴェルに向けて突進していく、レエテ。
ほぼ一足飛びの超常的なスピードで、ヴェルの手前20mほどに迫ったレエテが取った、攻撃方法。
それは――組み打ち合うことなく敵を破壊し、命を奪う遠距離攻撃。
「投擲」だった。
大地に根を降ろすように固定した鉄壁の下半身から、対照的にしならせた上半身と、腕。
腕の先の手には――握られて、いた。
「本拠」到達前に通過したエスカリオテ王国の町で入手した、鍛造オリハルコンの欠片が。
拳に握られるサイズに固められた白銀のオリハルコンを、袋に詰め持ってきたのだ。
両手のオリハルコン片は、上半身を消させるほどの猛烈なスピードで唸った上半身、先端の手から――。
放てられ、2つの彗星のような帯を描きながらヴェルに進撃していった!
頸部と、左胸。サタナエル一族の急所をわずかにも外すことなく襲い来る、死の弾丸。
それをヴェルは、全く表情を崩すことなく左右の結晶手で弾き飛ばす。
立てた結晶手の手の甲部分で跳ね返った弾丸は、周囲の樹を直撃し凄まじい破壊をもたらしていった。
――と、全く息つかせることなく、次なる弾丸が襲う。
このままでは固定砲台から狙い撃ちされる的であると己を認識したヴェルは、その弾丸を弾きながら一気に前に踏み出そうとする。
と、その彼の前に――。
巨大な物体が、一直線に飛来してきた。
それは、長さ4m、直径50cm以上に及ぶ――長大な樹の槍、だった。
自分が投げ飛ばされて破壊した樹々の中で、最も大きく長く鋭利な破片に目をつけたレエテが、異次元の怪力によって槍として投擲したのだ。
クロスボウのボルトという、頂点のトップスピードを誇る投擲武器をも上回る、スピードを伴って。
それが秘める膨大な慣性の力は、いかなヴェルでも片手で弾けるレベルのものではない。
ヴェルは下半身を大地に固定し、クロスさせた結晶手の間に樹の槍を受け、渾身のパワーで斜め上方に受け流した。
そして現れた前方に、レエテの姿は、なかった。
消えた――のではないことは、分かっていた。そこでガードを降ろさなかったヴェルの判断は、的を射ていた。
視界を誘導し、完全に死角となった直上から襲いかかる、刃の回転体。
縦の放物線状に放った“円軌翔斬”によって奇襲をかけてきた、レエテだった。
響き渡る鉱物の打ち合う音とともに、ガードによって弾き飛ばされたレエテは、前傾の低い姿勢で地に降り立ち片手を着いた。
しかしそこで距離を置いたり様子を見ることを一切せず、地を這うような低い跳躍によって再度ヴェルに向かって殺到する。
両手を手のひらで合わせて前方へ突き出し、2つの結晶手で突きかかるように襲いかかる、レエテ。
それを、変わることのない冷静そのものの見極めによってガードし弾く、ヴェル。
弾かれた形のレエテは――。その勢いを利用して上体を捻り、右結晶手とともに右腕を捻り――。
瞬時に溜めた全筋力を、幾度もの動作で完全に身についた完璧な挙動により、放った。
“螺突”を。
強烈な回転のかかった、右結晶手。母サロメを始め、幾人もの人外の強敵を地獄に落としてきた、レエテ最高の絶技と云って良い技。
しかし――何度も放ってきた弊害か、技の情報はサタナエル内をかけめぐり、ヴェルも十分にその情報を得ているようだった。
彼が繰り出した、“螺突”対策といえる返し技は――。
結晶手を用いない、伸長手だった。
上体を振り、大振りに放った下段正拳突き。その肩と肘の関節をリリースし、二倍以上に引き伸ばした拳撃は――。
“螺突”の直下を難なく潜り抜け――。
レエテの臍下、体幹の中心を強撃し、レエテの身体を吹き飛ばした。
「ぐはあっ――あああああああ!!!!」
低く重い叫びと吐血を撒き散らせて吹き飛んだ、レエテ。
どうにか片膝を着いた状態で地に着き持ちこたえ、強烈な悪心によって再び血を吐き出した。
「ハアッ、ハアッ、ハアア……!!
なぜ……だ。
これほどまでに……強く……! それでいて崇高な武人の心、まっとうな人間の心も持っていながら……!!
なぜ、父さんの思想に、お前は従うことが、できなかった……!!
力でねじふせ、従わせる、魔皇の道を選んでしまった!!??
お前なら、サタナエルを変えることもできたはずだ!!! それを選ばず……!! なぜ、マイエを感情と欲望の赴くままに手に入れようとし……死なせてしまったんだ!!!」
レエテの悲痛な叫びを受けてなお、表情を変えずにヴェルは返した。
「外から見ている女子のお前には、決してわからぬ。
サタナエルは、200年をかけて築かれた鉄壁の制度は、内から砕くことのできる脆いものなどではない。いかな力があろうと破壊や変革は不可能であると云って良い。父ノエルがそうであったようにな。
だがその事実の一方、俺はサタナエルが大陸にもたらす『功』を強く感じてもいた。この『本拠』で繰り広げられる暴力と犠牲に目をつぶれば、決定的な秩序の破壊と混沌から、大陸を守る存在で有り続けることを俺は信じている。
俺の代は貴様によってかき乱され、『本拠』外の多大な犠牲を出しもしたが、組織を未来も受け継いでいくことが正義だという考えは、今も変わっておらぬ」
「そんなものは、まやかしなんだ!!! その制度は、ケテルという男の歪んだ正義が創り出した、決して楽園にたどり着かない地獄、間違ったものだ!!!
私と、お前が今辿っている運命も、そのケテルが造ったフォルズ家の遺伝子を継いだ一人の男の狂気が生み出した計画に操られた結果でもあるんだ!!!
“第一席次”に!!!!」
その名を聞いたヴェルの眉間がかすかに動いた。
「“第一席次”、奴か……。
もとよりあの地位は古くから、サタナエルと俺達“魔人”を監視しいいように操る忌々しい存在。我らをそのように人形のごとく操る小賢しい策をこねておることなど、とうに承知だ。詳細は知らんが。
奴も、七長老も――いっさい関係は、ない。俺が、俺の思想が、サタナエルをこの世に必要な、存続させるべきものだと、云っている」
「“第一席次”は――彼と同じフォルズ家の血を引く私の仲間、シエイエスとルーミスに今頃斃されている!!!
そうなれば、組織サタナエルの要はもう――ヴェル、お前一人だけになる!!! それでもなのか!!!」
「それでも、だ。
このジャングルに潜む、貴様と同じ一族女子も居る。屍鬼や男子もいる。
このヴェルの力をもってして組織を守り、血を絶やすことさえなければ――サタナエルは問題なく存続する。エストガレスも、あのノスティラスですらもすでに沈黙している。フレアも小賢しい真似をしているようだが、恐れるに足らぬ。我らの数が一時減ったところで些末な問題でしかない」
「――!!! ――っ!!!!」
「どうした……この期におよんで何を薄甘い戯言を吐きおるか。
決心したのではないのか。怨念を、新たにしたのではないのか。
よもやここへ来て、闘えぬと、和解すべきなどという茶番を口にはすまいな。なれば……俺は貴様を許さぬぞ、レエテ。
来ぬというのなら、俺が行く!!! このヴェルの、全力の攻撃を、受けよ!!!!」
地響くような裂帛の叫びとともに、山は動いた。
この地上で最大にして最強の、破壊の王の本気の攻撃が開始されようとしていたのだった――。




