第二十七話 第一席次(ディエグ・ウヌ)(Ⅱ)~滅びの理
「私が父、すなわちお前達の曽祖父たるエルシウス・フォルズから真実を聞かされたのは、10の誕生日を迎えたときだった。
そのようにして、早くから教育を施し、正しき絶対者としての思想を刷り込んでいくのが、代々フォルズ家で行われてきた儀式だった」
苦渋の表情を浮かべながらクリストファーは一度言葉を切り、さらに続けた。
「私も、20の歳を迎えるころには『模範的な』“第一席次”候補生としての知識と思想を持つに至っていた。遠からず父の跡目を継ぎ、サタナエルを維持し、大陸の安定を図ることを担うに、何の疑問も抱かなかった。
やがて妻リーザを迎え、アルベルトという子宝にも恵まれ、次代の準備も整っていた。
そんな時だった。私は司祭として任務を帯び、ノスティラスのノルン統侯領に赴いた。そこであまりに稀有な偶然にも――。任務先のある町に対する、将鬼レヴィアターク・ギャバリオンの手による大虐殺の現場に遭遇したのだ」
忌まわしい過去の名前を聞いたレエテは、はっと貌を上げてクリストファーを見た。確かに、レヴィアタークは過去数度に渡り、己に敵した皇国に攻撃を仕掛けたことがあると聞いていた。
「当時の“斧槌”ギルドの若い兵員の男が、酔った勢いでノルン統候の娘の美しい姉妹を乱暴した上に殺害したのだ。統候は激怒し兵をもって捕らえ、相手がサタナエルであることを知りながら激情により処刑してしまった。
これを知ったレヴィアタークが――どのような行動に出たのかは、レエテ、お前ならよく分かるだろう」
レエテは貌をしかめた。手に取るように分かる。己のギルド員を等しく息子と呼び、異常な愛情を傾けるレヴィアタークのこと。おそらくは怒髪天を突くほどに逆上し、自分と戦ったとき同様樹々をなぎ倒しながら町に押し寄せ、戦鎚デイルドラニウスによる怖気を震う破壊虐殺劇が行われたことであろう。
「その有様は凄惨を極めた。私は、己の信念の土台が大きく揺らぐのを感じた。正義と信ずるサタナエルが公然と悪を行い、悪を戒めた行為を個人の感情のままに力で踏みにじり憂さを晴らし沈黙させる。このような行いが、大陸を保つ安定を得る過程で当たり前のように起きている。ケテルが狂信的ながらも正義の意志のもとに統一してきたサタナエルも、200年近くが過ぎ代を経て、力が物を云う体制性質の中で、魔の集団に姿を変えている。
そう感じた私はずっと、父の死後“第一席次”の地位についてなお――。息子アルベルトに本来伝えるべき教育を施せなかった。
代わって、正しきハーミアの教えを学ぶように仕向けることしか、できなかった」
「……」
「やがて時は過ぎ、アルベルトは正しく清くハーミアの信徒として何も知らず成人し――。妻ルーテシアを迎え、シエイエス、お前が生まれた。
そんな時だった。レエテよ。サタナエル“魔人”となったばかりのお前の父、ノエルと出会ったのは」
「……お父さん……と?」
「そうだ。お前も一度会ったゆえ、分かるだろう。ノエルは、現在のサタナエルという組織にふさわしくない、慈悲深き崇高な人物だった。無意味な殺戮を忌諱し、我ら“七長老”の命にも毅然と反論し、不殺の意志を貫こうとした。
私はすぐに――彼と親子ほども離れた世代を超えし友となった。素晴らしい、男だった。まだ、サタナエル一族にもノエルのような男が生まれてくる希望がある。救いがあるのだ。そう思った。そして、サタナエルという組織を正そうと、私は邁進した」
「……」
「だが……もはや長年、腐敗した人間達によって爛れ、それが組織のあり方となっていたサタナエルに、手の施しようはなかった。どころか、我が父も、祖父も……それを知りながら、“第一席次”として何ら手を打たなかったこと。自らも私利私欲の行動に走っていた事実を知った。
私は、この時点において、決意した。我が祖先達は、過ちを犯した。これを一旦『滅ぼす』ことによってしか、救いは訪れない。私は、ノエルに、協働を持ちかけた。“魔人”の彼が同意してくれれば、事は容易に運ぶ。共に手を携えてくれぬか、と。全ての考えを話した。
しかし――ノエルはきっぱりと、私の考えを否定した。『それは間違っている。クリストファー。力ずくの歪んだ理によって滅ぼすことは許されない、考え直すんだ』、とな。
私は絶望し――ひとり、この計画を実行に移すべく動かざるを得なかった」
「……お父さん……」
「着々と準備を進め――ノエルがついに寿命を迎え、死したことを皮切りに、私は計画を本格的に実行に移した。
あとは――以前に話したとおりだ。レエテ、お前を“破壊者”と見定め、組織を憎み、組織に敵対し破壊を尽くすよう道筋を作った。大陸全土を巻き込んでな。内からでなく外から、大いなる歴史の流れとして滅びを達成する必要があったからだ。
同時にその過程で――シエイエス、お前とともに手を携え、二人でサタナエルを滅ぼすようにも仕向けた」
シエイエスはその言葉に目を鋭くした。
「レエテがノエルの娘だと知ったのは後の事だったが、クリシュナルと生き写しであることは知っていた。そしてシエイエス。お前の姿もまた、ケテル・デュメルスカールに生き写しであったこともな。
フォルズの祖にして全ての元凶である男の創造物は、同じフォルズの人間によって――そして同じ祖をもつサタナエル一族の者とともに破壊されるのが、最もふさわしく必要なことであると考えた。それに符合したのが、お前達だったということなのだ。
そのために私は一旦将鬼として表舞台に出、自らの死を演出し――。その過程や結果でルーテシアやアルベルトを殺し、ブリューゲルを狂わせることでシエイエス、お前とルーミスを巻き込んだ。
全ては――血を引きながらも誤った思想を受け継がぬ純粋なるお前達を、レエテの力としともに破壊を成し遂げさせるため」
最早すでに――シエイエスだけではない。
衝撃的事実に驚愕することしかできなかった彼らの意識は徐々に――。形容しがたい怒りに染まってきていた。レエテ、ルーミスも、サタナエル一員という異なる立場のレーヴァテインですらも――クリストファーに対する怒りの表情を隠さなかった。
「それはお前達の見事な力と愛情、凄絶な想念によってほぼ達成された。偉業を成し遂げてきたお前達を讃えたい。
あとは――『我々』二人だけだ。私と、“魔人”ヴェル。サタナエルの象徴たる最後の存在を斃すことによって、破壊は完全なる達成を得る。
まずは、この私を斃せ。勿論、只斃される気はない。全力を持って抗うこの私を斃し――ヴェルも同じく斃すが良い。そして、お前達の手で新たな世界を築き上げ――」
クリストファーの言葉は――。
眼前に突きつけられた、レエテの右結晶手によって、遮られた。
――速すぎた。誰の目にも、レエテが動き出したことすら、捉えられなかった。
瞬時に、10mは離れた場所に居たクリストファーの眼前に現れていたのだ。
――魂が吹き飛ばされるような、恐るべき憤怒の化身に姿を変えながら。
「――ふざ――けるなあああああああああああ!!!!!
この偽善者があああああ!!!!!」
「声」の一歩手前に届く、レエテの恐ろしい絶叫が周囲の空気をビリビリ……と存分に揺らした。
悪魔ですら恐怖に震えるだろうその叫びにも、クリストファーは眉一つ動かすことなく、微動だにしなかった。
「貴様は狂っている……!! どんな綺麗ごとを理由にしようが――全て!!! 絶対に!!! 決定的に!!!! 間違っている!!!!
気づかないのか……!? 貴様がやってきたことは、貴様が過ちだと断罪するケテルのしたことと、何一つ、変わっていない! その傲慢さ、人間性の放棄、流す血の膨大さ尊さについて!!! 何ひとつ!!! いや……むしろ、それよりももっとはるかに、罪深い!!!
シエルを……ルーミスを……よくも……!!! 人形のように……都合よく……!! 他にも……他にも!!!
マイエだって……ビューネイだって……ランスロットもキャティシアもホルストースも!!!! 貴様のお陰で一体どれだけ、苦しんだと思っている……!!! 苦しんで苦しんで、それでも希望をもって生きようとして……それを許されず死んだ!!! 死んだんだ!!!!
許せない……!!!! コロシテヤル……!!!!! 地獄の、底の底まで落ちて、未来永劫苦しめ……死んでしまエエエエエ!!!!!」
怒りのあまり半狂乱になったレエテを前に、クリストファーはむしろ満足そうに両目を閉じた。
「良いとも……殺せ。今のお前は私など及びもつかぬ強者。こうして刃を突き当てられた以上、殺すがいい。お前にはその権利があり――それが私の、望みだからな」
一瞬でクリストファーを貫くかと思われた結晶手はしかし――そこから動くことは、なかった。
レエテの右肩に恐れげなく手を触れ止めた――シエイエスによって。
レエテは震えて大きく荒く呼吸をしながら、ようやく悪魔から人間の貌に戻り、シエイエスを見た。
「……シエ……ル……!!」
シエイエスは優しい目でレエテを見詰め、大きく頷いた。
「レエテ……お前が手を汚すことは、ない。
この罪深き男に手を下すのは、呪われたフォルズ家のけじめとして、俺と――ルーミスがやるべきだ。
お前は、まっすぐに、向かうんだ。
お前が、お前自身がけじめをつけ、斃すべき、敵のもとに」
「……!!!」
「俺達のために怒ってくれて、ありがとう。そしてお前の云うとおり、この男のために苦しんで命を落とした、幾人もの大事な人達に対する思いは――怒りは、俺達も全く同じだ。
必ず、斃す。そして――必ず生きて、お前のもとに追いつく。
俺はお前と最後まで生きると――誓った。信用してくれ。そして――行くんだ」
レエテは――見る見るうちに悲しみを讃えた表情に変化し、目を潤ませた。
そして、結晶手を解除し、肩に置かれたシエイエスの手を愛おしそうに握りしめると、名残惜しそうに目で追いながらも、踵を返して「ある方角」を向いた。
かつて自分が生活した場所、そして宿敵が待つ、「家」の方角へと。
「シエル――約束よ。必ず、生きて私のところへ還ってきて。
それまで私も――死なないから。絶対に――」
「分かっている。俺は死なない。必ずお前のもとに、行く」
それを聞くと、レエテは瞬時に姿を消し、走り去った。
それを見定めたレーヴァテインも、一瞬クリストファーに侮蔑の視線を向けた後、恐るべきスピードでそれを追っていった。
クリストファーは――なにゆえか非常に強い怒りを含んだ視線で、シエイエスを睨み据えた。
そして低く、低く言葉を発した。
「余計なことを――シエイエス。
あのままレエテに止めを刺させていれば良かったと、後悔することになろうぞ。
お前もルーミスも成長したが、まだ私を超えるには至らぬ。苦しんだ挙げ句、敗北に至るのが関の山だ」
シエイエスは漆黒の双鞭を取り出し伸ばし、両手首の間から刃の骨を、脇腹から骨針の先端を、背中から第三の腕を発射する完全なる戦闘態勢を整えた。
そして、侮蔑の笑みを祖父に向けながら、云った。
「やはりな。クリストファー、貴方は超越者として振る舞おうとしているが、自身が紛れもない邪悪なる人間の欲望と想念に縛られている」
「……何?」
「貴方は心の奥底で、レエテに対し男として邪で淫らな欲望を抱いている。
その女に自身が殺されることを、倒錯した欲望として望んでいた。
だから、それを今邪魔されたことで、怒りが湧き上がっているんだ。違うか?」
「……シエイエス……貴様……」
「ルーミス。準備はいいか――?」
その言葉にクリストファーが視線を上げると、その先にはルーミスの姿が既にあった。
赤く膨張した肉体、逆だった髪、白目となった両眼――血破点開放の奥義である、鬼人化した状態でだ。
「勿論いいさ、兄さん……! オレの怒りも……我慢の限界を超えそうになっていたところだ……!
二人で、斃す。この外道を……。家族である、オレたちの手で、その責任において、必ず!!!」
「そう云ってくれると思っていた……。頼むぞ。俺達もいい加減、レエテに頼ってばかりでは男として立つ瀬がないからな。
生きて必ず勝つ!!! 行くぞ!!!!」
呪われた血族。その血縁同士の、血で血を洗う戦いが――。
シエイエスの異形の攻撃によって、幕を開けたのだった――。




