第十九話 残された宝
産前棟での激戦が行われている、その頃。
レエテら一行3名は、「施設」へと続く連絡通路の中をひた走っていた。
出生記録の中から思いがけず発見された、亡き親友ビューネイの忘れ形見の存在。
娘だというその子を、一刻も早く救い出さねばならない。
この一直線で殺風景な、長い石畳の廊下は――。かつて自分も赤子の折りに、双子の妹扱いであったビューネイとともに運ばれて通った道。記憶にあるわけではないものの、複雑な思いがレエテの胸を駆ける。
廊下の先には、重々しく、施錠された鉄の大扉が設置されていた。
この向こうに存在する「施設」から、大人でも決して油断できない腕力をもつ一族女子の脱出を防止する機能を果たすものだ。
通常であれば見張りの当直を受けもつ兵員が控えていると思われるが、そこに姿はなかった。
侵入者への対処に駆り出され、とうに殺されているのだろう。
レエテは迷うことなく結晶手を縦横に一閃させ、扉を切り裂いた。
人が通れるほどの穴を確保し、内部に入り込む。
そしてさらに続く回廊を少し走り、その先の木製大扉を開いて中に入ると――。
「……ああ……ここは……!
なんて、なんて懐かしい…………!!」
そこは、100m四方と思われる、広大な空間。
内部には、多数のテーブルや椅子が並び、奥には厨房らしき設備が備えられている。
真ん中のスペースには、訓練用と思われる木や藁でできた人形が並ぶ。
食堂と居間を兼ねたような機能をもつ場所なのだろう。
「私……いつも、あの端のテーブルで、アリアと一緒に……配給されたお粥を食べてた。最後の日は、肉料理や魚料理が山のように出てきて……。
皆も、ご飯のときは楽しみにしてて、一日で唯一くつろげる時間だった気がする……」
目を細め、身体を震わせて幼い日々を懐かしむレエテ。その様子をこんな時ではあるが微笑ましく見やる、シエイエスとルーミス。
しかし――記憶にある場所に到達したということは、ここから先は自分にとって勝手知ったる場所。
そう我に返ったレエテは、猛然と一つの扉に向かっていく。
走り出た扉の向こうには回廊があり、幾つもの角を曲がって迷うことなく、レエテは進んでいく。
そして――最奥部にあった大扉を勢いよく開いた瞬間――。
「きゃあああああ!!!!」
「なに、なに!? なんなのー!!??」
「いやあああ!! ひどいこと、しないでー!!!」
明らかに年端もいかない、多数の女児たちの悲鳴が響き渡る。その人数は、20名を越していた。
レエテは――それを見て、心からの安堵の表情を浮かべた。そして同時に、限りなく愛おしそうな笑顔を浮かべて――目一杯に涙をためて、云った。
「よかった……!!! あなたたち、無事だったのね……!! 本当によかった。
大丈夫? つらかったでしょう……? 私はね、レエテ・サタナエルっていうの。
あなたたちと同じ、一族の女の人よ。私もね、あなたたちみたいに、ここで育ったの。
あなたたちを、助けるために、来たの。安心して……」
そこは、石づくりのベッドが居並ぶ、30m四方ほどの空間。
レエテも10年近くの間寝起きした、一族女子の寝室だった。
そこから飛び上がり、恐怖にかられて逃げ惑い、部屋の隅に固まる女子たち。
同じ銀髪褐色の肌をした彼女らは、同じ黄金色の瞳を真っ直ぐにこちらに向けていた。
おそらく、「本拠」内が何やら騒然となったことで不安にかられていたところ、追い打ちをかけるように突然訪れた正体不明の侵入者に恐怖しているのだ。レエテは、一つの事実に気付いて、付け加えた。
「ああ、後ろの男のひとたちはね、大丈夫よ。サタナエルの人じゃあないの。とっても優しいひとたちよ。安心して……」
「そ、そんな――レエテ・サタナエル……!? “血の戦女神”の……!? どうして、よりによってここへ……!!」
部屋の反対側の隅から聞こえた、大人の女性の震え声に気付いて、レエテはハッとそちらの方を見た。
子供たちに会えたことですっかり気をとられ、存在に気付いていなかったが――。そこには、簡素なエプロン姿の20代半ばと思われる神経質そうな女が立っていた。
その女が何者なのか、レエテは良く分かっていた。
途端に、子供たちに向けていたのとは別人のような殺気のこもった目を向け、瞬時に女に迫り、その首に手をかけ締め上げた。
「ぐ……う、ひいいい……どうかお、お助けを……!! 私は、この子らに何も……」
「何も? していないのは確かだな。『教官』の男が日々この子たちに向ける暴力や虐待からな。見てみぬ振りをしてな。
お前は、『乳母』だな? 兵員から選ばれた。嫌々ながら、乳飲み子の状態の女子を劣悪な環境で見させられる存在だ。必要最低限の面倒を。ときには虐待もしている姿を、私は過去見ていたが?」
絶対の強者に恐るべき殺気を向けられた女は怯えきり、涙を流して首を振った。
「わ、私は、そんなこと……しておりません……! 本当です……! ちゃんと仕事を……」
「教官は、侵入者の対処に駆り出されたか。お前がこの子らと両方を見ていたのだな。
いずれにせよ、お前には案内してもらう。
奥にある、乳児室へな。私の探している子のもとへだ」
そうして手を放すと、女はかがみ込んで激しく咳き込んだ。そしてふらつきながら、乳児室へと向かおうとする。
レエテが子供たちを振り返ると、彼女らの目は先程以上の恐怖に満たされ、怯えきってしまっていた。
無理もない。怨念のこもった、強烈な殺気を放出して弱者を脅す姿を見せてしまった。同じ一族であろうが関係ない。もはや彼女らの目には、レエテは恐ろしい悪鬼羅刹にしか見えていないだろう。
いや、それが、それこそが――自分の真の姿なのかもしれない。いくらそれを否定し、美辞麗句を並べようとも。現に、暴力で虐げられていた弱者の怨念を、強者となった己の暴力によって晴らしているではないか。暴力で他者を思いのままにするという点において、サタナエルと何も違いは、しない。それが非情な、残酷な現実なのかもしれない。
哀しみを湛えた目で、レエテは子供たちに云った。
「ごめんね、あなたたち……。きっと私のこと、とても怖いだろうと思うけど、私は、あなたたちを必ず助けてあげるから……。だから大人しく、ここでじっとしていて。逃げたりなんてしようとしないで、しばらく待っていて」
そして乳母の後について、寝室を出た。
その後ろから、シエイエスが言葉をかける。
「レエテ……お前が今、何を考えているかは分かっているが、決して……」
だがレエテはその言葉を、手を上げて制止した。
「何も、云わないで。ありがとう、シエル。あなたが何を云いたいかも、分かってる。だけど、今の私は本当の、鬼よ。それを否定することなんてできない……」
シエイエスは視線を落として沈黙した。
そして廊下を歩いた先に、その部屋はあった。
近づいただけで、それとわかる。もう泣き声が響いてきているのが分かる。赤子のものだ。
部屋に入ると、石造りの粗末なベッドの上に、綿布団の上で寝かせられた、10人以上の乳児の姿が飛び込んできた。
泣いている子も、眠っている子もいる。いずれも銀髪褐色肌の特徴をもつ、まぎれもないサタナエル一族女子だ。
衛生状況はあまり良くなく、レエテの云うとおり必要最低限の世話しかしてもらえてはいないようだ。やや異臭がたちこめている状態だ。
シエイエスやルーミスは、悲痛な表情で貌をゆがめた。先程の子供たちといい、レエテから口伝てにしか聞いていなかったが、本当に行われていたのだ。このような人間の尊厳を無視した、家畜に対するがごとき非人道的行為が。それに対し憐憫の情と、怒りの情が同時に湧いていたのだった。
「この中に――。エイツェル、という子がいるはずだ。それは――どの子だ?」
乳母の女は、一番奥のベッドまで移動し、震える指を差した。
レエテは、そこまで歩みより――。そして緊張しつつ、赤子の貌を覗き込んだ。
その子は、むずがって、火がついたように泣いていた。とても元気な、大声だった。
貌を見たレエテは、身体を震わせてゆっくりと手を伸ばし――。赤子をその手に抱いた。
まだようやく首がすわったかどうか、という頃のようだ。おそらくは生後4~5ヶ月であろう。ビューネイの経緯を聞いた中での、推定出産時期とも合致する。
赤子は――抱き上げられてレエテの貌を見た瞬間、すぐさま、泣き止んだ。そして小さな両手を伸ばしながら、楽しそうに笑い始めたのだ。
レエテは――見る見るうちに涙を頬につたわらせ、心からの笑顔で赤子に語りかけた。
「――よしよし……本当に、いい子ね。かわいい、赤ちゃんだわ……。
ひと目で、わかるわ……。お母さんにそっくりな、美人さんね……あなた……。
ほら見て、シエル、ルーミス……この子が、エイツェルよ……。私のかわいいかわいい、『姪っ子』よ……! ビューネイに、そっくりでしょう? ……ああ、幸せ、本当に、幸せ。ビューネイの生まれ変わりみたい。エイツェル……あなたは、あなたは私の、大事な宝よ……」
声を震わせながら、赤子――エイツェルの額にキスをする、レエテ。その姿は、まるで高尚な一枚の神聖画に描かれた、聖母のようだった。
シエイエスは目を細め、ルーミスは涙ぐんでエイツェルを見た。ルーミスはエルダーガルド平原で、死の直前のビューネイの貌を一行で最も間近に見ており、言葉も交わしている。その彼から見ても、明らかだった。
「よかったな――レエテ……! 本当に、ビューネイにそっくりだ。間違いなく、彼女の子だ。この子がオマエに会えて、抱いてもらうことができて――ビューネイもきっと天国で喜んでいるだろう……!」
ルーミスのその言葉に、何度も頷く、レエテ。
そして、名残惜しそうに、エイツェルをゆっくりとベッドに戻して横たえる。
そしてまた、別人のような悪鬼の姿に戻り、乳母を睨みすえながら云う。
「私は、これからやるべきことがあって施設を出るが、必ずここへ戻ってくる。
お前はそれまでに、この部屋を掃除し――赤ちゃんや子供たちの面倒をしっかりと見ていろ。
万一この子たちに何かあったりしたら、その時は――分かっているな?」
今や最強の存在に手を届かせるまでになった、恐るべき化物の脅しを受け――。曲りなりにもサタナエルギルドの兵員たる戦闘者であるはずの乳母は、心の底から怯えきって、青黒い貌で跪いた。
「わ、分かっています――!! どうか、こ、ここ殺さないで!! 面倒をみます! 何でもいたします!! しっかりやりますから――どうか!!!」
それに目もくれず、部屋を後にするレエテ。
「シエル、ルーミス――。これで私達は、死ぬわけにはいかなくなった。
戦いではもちろん、私は寿命に対しても――存分に抗う。せめて、この子達を――エイツェルを無事に解放し、安全な場所に運ぶまでは、私は絶対に『衰弱期』に入ることを阻止してみせる。決して、決して負けはしない――!」
決意に満ちた表情で前を向くレエテの耳に――。
音が、聞こえた。自分の名を大声で呼ばわり、出てくることを要求している声だ。
加えて、芝を踏みしめ向かってくる、20人以上の人間――男たちの、足音も。
まるで、失った彼女の義妹、ターニアが乗り移ったかのような、極度に鋭敏な聴覚。それによって危機の襲来を察知したレエテは、シエイエスとルーミスを振り返った。
彼らも――レエテの表情で、全てを悟ったようで、大きく頷く。
「来たわ、奴らが――! 場所は、建物の外、訓練場。
望むところよ。手間が、省けた。こんな歪んだ、道を誤った狂信集団に深く加担し、なおも存続させようとする外道に――情け容赦は、いらない。
皆殺しにしてやる!! 行くわよ、二人とも!!!」
鬼気迫る表情で云うが早いか、走り出すレエテ。そしてそれを追う、シエイエスとルーミス。
彼女らの最後の運命を決する戦いも、今まさに幕を開けようとしていたのだった――。




