第十八話 廃王女ナジード(Ⅲ)~女の意地と、愛
飛び出した下は――青空からの直射日光に照らされる、レンガ造りの屋根の上だった。
斜面ながら長さ50m以上に渡って続く面積をもち、下階にも階段状にある程度屋根が設けられている。
ただし――今いる屋根を突っ切ったその先は――。高台の崖の真上にあたる場所であり、そこから落ちれば500m級の落差を転落、怪物うごめくジャングルに屍体を提供する羽目になることは明白。
穴から外に飛び出し、シェリーディアと同じ屋根の上に降り立った、“第三席次”。
足を揃えて真っ直ぐに立ち、剣先を右斜め前に振りつつ、シェリーディアに向けて云った。
「形勢不利と見て、戦場を移動した訳か。その戦術眼は流石ではある。たしかに“投擲”の戦法を用いる貴方にとっては平地よりも、変則的な高低差があり距離も取りやすいこの場が有利だろう。
だとしても……良いのかな、これ以上戦闘を続行しても。
二度も経験あるこの私を、欺けるとでも思ったのか? 気付いているぞ。貴方が先程から、ごくわずかではあるが己の『腹をかばい』――。貌色も、青ざめていることを。必死に『吐き気』を堪えて」
「……!!!」
敵の指摘どおり悪かったシェリーディアの貌色は、その言葉を聞いてさらに青ざめた。
「居る、のだろう? 貴方のその腹の中には――。『赤子』が。
わが息子ダレン=ジョスパンとの子であり――このナジードの孫にあたるべき、赤子が」
シェリーディアは――何かを諦めたかのように、フッと笑いを漏らした。
それは、敵の言葉を暗に肯定するものに他ならなかった。
“第三席次”はさらに続ける。
「先程のダレン=ジョスパンの様子を見る限り、あやつは貴方の懐妊の事実を知らぬと見た。まだ隠していたのだろう?
どうなのかな……? 愛する男との間に授かった子を、万が一にも殺してしまうようなことになったら。その生命、守り通すのが母親の役目ではないのか?
私も、己の血を引く赤子をむざむざこの手で殺すマネはしたくない。貴方が赤子の命を優先し、大人しくこの『本拠』侵攻から手を引くのであれば、見逃してやってもよい」
その台詞を聞いたシェリーディアのブロンドの髪と、全身の闘気が――。
ぞわっ――と浮き上がるかのように感じられた。
次いで、青白い貌の中に、幾条もの血管をはりめぐらせ、ぞっとするような殺気を込めて敵を睨み据えた。
「はあ……? 母親の役目? 悪りいがその台詞、この世でテメエにだけは云われたくねえな、ナジード。
私は赤子を殺さず、ちゃんと生かして産みましたから、てか? ああ、そうだよな、それは事実だ。
だがよ……産んだ二人の子供を死よりも辛い目に遭わせ、生き地獄を味あわせたのは、どこのどいつだよ。ダレンも、マイエも……本来の愛も心の拠り所もなく、のたうち回りながら自分で自分なりの幸せを見つけた。自分のことしか考えてねえくせに一丁前に母親面して、ダレンとアタシの子の事に口出してんじゃねえよ。テメエにその資格はカケラもねえ!!!!」
叫びとともに、ボルトを“第三席次”の額に正確に合わせ、射出する。
“第三席次”は身を翻し何の苦もなくボルトを躱してみせる。
しかしその眼前には――ボルトを追いかけ眼前に迫ってきていたシェリーディアの姿があった。
そして、爆炎をまとった刃で打ち掛かられるのを、「蒼星剣」で受け切る“第三席次”。
そこから開始されるシェリーディアの怒涛の連撃。中段、下段、上段、水平、垂直、斜。あらゆる角度から繰り出される斬撃と刺突。
もとより通常の人間の域を軽く凌駕した筋力と、剣帝と剣聖に教えを受けた卓越した剣技をもつシェリーディアではあるが――。繰り出される攻撃は、先程までのそれと比較しても想像もつかぬ鋭さ。「蒼星剣」よりも数倍の重量をもつ得物を振るうにも関わらずだ。“第三席次”はシェリーディアに確実に押され、防戦一方になっていた。
これまでの彼女の体調不良が、あまりの激情による脳内物質の分泌で一時的に消え去ったことで、保たれていた均衡が崩れたかのようだった。
「アタシはな!! ダレンの信頼に応える義務がある! ダフネ、デレク、ビラブド、ザウアー。仲間の覚悟に応える義務がある!! 新しい友の力になる義務もある! その結果としてサタナエルを滅ぼす義務がある!!!
ここでアタシがその全部を放り出して、この子の命だけを優先して逃げちまったりなんかしたら、誇りをもってこの子の母親になんかなれねえんだよ!!!!
人して見りゃ間違ってようが、アタシは戦士としての人生に誇りを持ち――それを全うする! この子も死なせやしねえ! そして誇りをもって立派に育て上げる! それが! それだけの『覚悟』があってこそ!! 親ってもんだろがあああ!!!!」
そして打ち掛かる上段攻撃。その衝撃で、背中に走る激痛を自覚する“第三席次”。ありえない。打ち合う合数を重ねるごとに、剣撃が強力になっている。魔導力もだ。得意とする自分の魔導力は完全に殺されてしまっている。このままではまずい。シェリーディアにはまだ繰り出していない、実戦で編み出してきた必殺の技が幾つもある。戦場も敵に地の利がある。明らかに、旗色は悪くなってきている。
――逃げる、しかない。これだけの脅威の戦士、サタナエルの一員として滅ぼさねばならないが、それは今でなくとも良い。ここで命をかける必要はない。
“第三席次”は、周囲を見回した。幸い、屋根をつたって下階に逃げていけば、山肌の通路への近道だ。そこから山を登った先にある七長老居住区に逃走する。
自分を逃がせば、シェリーディアが向かう先はダレン=ジョスパンの背中であり、ジャングルに向かって降下していく。そうなれば、逃げ切れる。
だがそれを見透かしたように、シェリーディアが吠える。
「逃がすかよ!!! テメエはアタシの連撃から逃れることなく――そのままおっ死ね!!!」
本当に僅かな一瞬の間――シェリーディアの腰が落ち上体が下がり、“魔熱風”の刃が腰下後方に下げられた。そして柄の部分に手を添え、ある構えを取る。それは――。
(――抜刀術――!!!)
「赤影流断刃術 “紅蓮刃 昇陽の断”!!!!!」
鞘にこそ収まってはいないが、それはまさしく、抜刀術。
戦友ダフネに教えを受けた、凝縮された力を一気に解放する最強の斬撃。其の中でも最高の威力を誇るといわれる、下段から上段への、斬撃力の塊。
加えてシェリーディアの魔導戦士としての力を活かした、最大級の爆炎をまとった魔導剣撃。
そのスピードと爆発力は、元“剣”将鬼にして魔導剣士である“第三席次”をして、いかなる防御も回避も不可能であることを、一瞬にして悟らせた。
「ぐっ――!!!! お――のれ!!! 私が、私がこんなところでええ――!!!!」
無念の叫びを上げる“第三席次”、廃王女ナジード・エストガレスの身体は――。
奇しくも同士と同じく正中線を正確に刻まれる軌跡で身体を深く刻まれ――。
その傷口から業火を上げながら、炎の塊となりながら、宙空に大きく打ち上げられた。
そしてその身体は屋根の端に落ち、衝撃で屋根を崩させ――。
その向こうにある、奈落の崖下へと落ちていった。
悲鳴も上げることなく。おそらくは絶命したまま、ジャングルの中へと――。
「ううっ――!!! ハア、ハア――! うう――ええええええ――!!!!」
勝利の安堵と疲労感、一気に現実に戻ったことによる極限の悪心のぶり返しで、シェリーディアは激しく嘔吐した。
そしてゼエ、ゼエと肩で息をしながら、両の手で腹を撫で、語りかけた。
「――ごめんね、本当に。仕方なかったとはいえ、アンタのお祖母ちゃんにあたる人を、アタシはこの手で殺しちまった。この罪は、きっと、償うから――。
今はアンタもアタシも――こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。アンタのお父さんに――報告もしてないのに。きっと、喜んでくれるよ、アンタのこと。きっとね――」
脳裏に、先刻のレエテとノエルの感動の対面を思い出しつつ、シェリーディアは産前棟に向かった。
産前棟内に戻ったシェリーディアは、仲間たちの血の海で泣き崩れているダフネのもとに駆け寄った。
「――ダフネ! 皆は――皆は、どうなんだい……!!」
シェリーディアに向けて、左目からも、失った右目の眼窩からも涙を流しながら貌を向けるダフネ。
気丈な彼女がこんなにも弱々しく、悲しみを露わに泣いているのを見たのは初めてで、シェリーディアは胸を引き裂かれる思いだった。
「――ううう――うう、こんなの、ひどいよ……ひどすぎるよ……!
手持ちの止血灰をありったけ使った。デ、デレクはもう――バラバラだから駄目だけど――ビラブドならと、必死に。ザウアーにも……。
ザウアーは、まだ息をしてる。助かるかもしれない。けど、ビラブドは――。さっき、心臓が止まった――!!
二人は――ずっと、一緒だったんだ。死線を越えてきたんだ。それを一度に奪うなんて、神は――。あまりに、無慈悲だ――ひどすぎる――」
シェリーディアはダフネの肩を抱き寄せ、慰めた。
「すまない、ダフネ。アタシが、アンタらを巻き込んだばっかりに――。アタシのせいだ。
アンタほど付き合いが長くはなかったが、アタシも――心の底から、悲しい。彼らの、死が。
本当にすまない――」
「――いいや、お前の――せいなんかじゃない、シェリーディア――。
――こちらこそ、取り乱してしまって、すまない。私達は望んで公爵殿下に同行したのだし、軍人の身として、当然覚悟していたことだ。
ビラブドが時間を稼ぎ、デレクとザウアーが魔導と策をもって敵の隙をつくり、私が仕留めることができた。皆の勝利で――彼らも満足してくれていると信ずる」
涙をふき、ダフネはその手でシェリーディアの背中を軽く叩いた。
「お前は、行くんだろう? 公爵殿下の元へ。――その『お腹の子供』と一緒に。
私はザウアーについてないといけないし、私の実力ではここまでが限界だとも思う。
気をつけてくれ。怪物どもにも、残りのサタナエルにも、“魔人”にも、場合によってはアスモディウス師にも。
もう、お前一人の命じゃないんだからな」
それを聞いたシェリーディアは、ダフネの手をがっちりと両手で握り、かすかに微笑みながら、云った。
「ありがとう、ダフネ。アンタら“夜鴉”の犠牲は、絶対に無駄にはしない。アタシは必ず生き残り、ここへ戻ってくる。アンタも――ここはもう大丈夫とは思うが、十分気をつけてくれ」
そしてシェリーディアは決意の表情で立ち上がり、扉を開けて外へと向かった。
ダレン=ジョスパンに待ち受ける、最後の運命。それと共に戦い、あるいは見届けるために。
ダフネはその背中に、死相を見た気がした。
だが、彼女は自分よりずっと、強い。その運命がどれほどの確率かわからないが、信じた。必ず主とともに生きて帰って、新しい命とともに生きられることを――。




