第十六話 廃王女ナジード(Ⅰ)~格差と失望
王国廃王女、ナジード――。“第三席次”がその驚くべき正体を告白した。
それは、基本互いの素性を知らぬ七長老の同士、“第七席次”も初耳であったらしく、目を見開いて彼女を見ていた。
ダレン=ジョスパンはゆっくりと、腰の両刃レイピアを抜き放ち、左右に一振りする。
「この期に及んで母親面をし、知ったようなことを云ってくれる――。
それならば云ってみよ。余がこれまで何を思い、これより何を成そうとしておるのかを」
「お前を捨て、母にとって価値のない己という大きな傷を心に刻み、幼くして護るべき母親のいない、地獄の環境下に置き去りにしたことへの、怨念。
それを晴らそうと、この私を探し当て、復讐を果たすべくここまで来た。
そう理解している」
ダレン=ジョスパンはあまりに不気味な、口が裂けんばかりの嘲笑を貌に浮かべ、空気を切り裂きながらレイピアの先端を“第三席次”に向ける。
「正解、と云いたいところだが――。成そうとしておる部分についてが、著しく不十分であるな。
余はな、あまりに現世を超えた己の強さに絶望したのち――それをむしろ究極のものとすることによってのみ充足を得られるという結論に至った。
その為にまず、“魔人”ヴェルを足下に沈めること。そしてその後に必要な素体を求めてここへ参った。
折角のサタナエルの血を得た我が妹マイエが死んでおるなら、その遺体を――。さらに余と同じ血をもつ“純戦闘種”たるお主自身を素体とする。そういう、ことなのだ」
捻じ曲がった狂気を露わにさせる、息子。“第三席次”は、哀しみを湛えた憂いの眼差しでそれを見た。
「憐れな――。お前がそのようになってしまった責任は、きっと私にあるのだろう。
私はな……マイエを産んだ失望の最中、救われたのだ。“第一席次”に。
彼の助言で名をナジード・キリムと改めた私は、ソガール・ザークに座を譲るまで“剣”ギルドの将鬼となり――。その後七長老という大陸を操作する地位に就き、思いを遂げた。
そのとき私の中に湧き上がってきたのは――過去に不要なものと断じ、捨て去ったお前のことだった」
その言葉を聞いて、ダレン=ジョスパンの眉はピクリ、と大きく上下した。
「暗愚な我が弟アルテマスに憎まれ、狂公と呼ばれるにいたった迫害の経緯は耳にしていた。さぞかし、辛かったであろう。
しかし我が姪、オファニミスとのよき関係を聞くに至り――救われた気持ちになった。
許してくれ、とは云わぬ。ただ心より、すまなかったと思ってい――」
母のその言葉が終わるのを、ダレン=ジョスパンは待たなかった。
彼の姿は瞬時に、その場から霞のように「消えた」。
そして次の瞬間には――。
“第三席次”の背後で、彼女の首の後ろにレイピアを突きつけていた!
「――なっ――!!!」
驚愕するも、振り返ることができずに大量の冷や汗をにじませる“第三席次”。
その場では「レエテ以外の」――誰の目にも、ダレン=ジョスパンの動きを捉えられはしなかった。残像ですらも。
完全に、人の理を超えた瞬間移動にしか感じ様がないほどに。
そして――。一瞬にして憎き母の生殺与奪の権を握った息子。
その目は魂を射抜かれるかというほどの憤怒に燃え盛り――歯は大音量を立ててバリバリ……と噛み鳴らされていた。
が1秒、ほどで歯ぎしりを止め、鉄の理性でようやく言葉を発したのだ。
「云うに事欠いて――出てきた言葉がそれ、とはな……。貴様は、一体、一体どこまで余を――!!
――もう良いわ。
それに、同じ“純戦闘種”でも、もはや貴様と余の実力は天地の差と分かった、ナジード。幼児の頃の記憶を少しでも当てはめた余が愚かであった。地を這う弱者には、素体としての資格も、余が情けをかける価値もない」
ダレン=ジョスパンはそう云って凍りつく場を見渡し、真っ直ぐにシェリーディアを見据えて続けた。
「シェリーディア。罪深きこの女の始末は、お主にすべて任せる」
「――!!」
名指しされたシェリーディアは目を見開いてダレン=ジョスパンを見返した。
「この場でその資格があるのは、お主だけだ。
余が愛で慈しんだお主にならば、託すことができる」
「――えっ――!! ――!!! ええ――?」
こんな緊迫の場ではあるが、シェリーディアは口を押さえ耳まで真紅に染めて、うろたえた。目は潤み、身体が震えた。自分のことを――初めて、そんな風に。
(愛おしい……なんてそんなこと……アタシに……。それにそんな重大な役目、信じて、託してくれるっていうの……? ……すごい……嬉しい……!)
「もう会うことはあるまい、母よ。
あの女が、お前を殺す。それだけの力をもつ、余が信ずる刃だ。
余は、ヴェルを追う。その居場所の目星も、ついているゆえな――!!」
その言葉を最後に――。
ダレン=ジョスパンの姿は、またしても消え失せ――。今度は現れることは、なかった。
ほんの一瞬、凍りついた場。
“第三席次”はフッと口元に笑いを浮かべ、云った。
「――レエテ・サタナエル。それに、シエイエス・フォルズ、ルーミス・サリナス。
私は、貴方たちそれぞれの血縁者より、伝言を預かっています。
レエテ。“魔人”ヴェルは、貴方の『家』にて到着を待つ、と。
シエイエス、ルーミス。“第一席次”クリストファーは、“深淵”にて貴方がたを待つ、と。
私達は、貴方がた3名に対してはメッセンジャーであり、戦う気はありません。
行きなさい、すぐに」
それを聞いたレエテは、ほんの少しだけ、“第三席次”に複雑な感情のこもった目を向けた。
この女性は――。あのマイエを生んだ、母親なのだ。
無縁な相手ではないし、マイエを生んでくれたことに感謝したい気持ちはある。
だが、今の会話を聞く限り、この女性も、サロメと同じだ。
自分の栄誉と肥大したプライドにしか関心がなく、マイエを失敗作と考え、愛情の欠片も持っていないことは明らか。
思いを振り切り目をそらし、シエイエスとルーミスに、云った。
「行くわよ、二人とも――まずは『施設』、そしてそれぞれの、場所へ――!」
自分の脇をすりぬけ、扉を出て階段を下っていく3人を横目で見送り、“第三席次”はシェリーディアに向き直った。
「さて、シェリーディア・ラウンデンフィル。随分と、我が息子から深い寵愛と信頼を受けているご様子ですね……。
元統括副将にして、比類なき天才としてサタナエルに名を轟かせた貴方。相手にとって不足はないけれど、“純戦闘種”にして将鬼経験者である私を倒す自信がおあり?」
シェリーディアは――。完全に、戦闘者としての彼女へと切り換えを完了していた。
“魔熱風”を構え、斜に立ち、前に傾けた貌の中で、黒い帽子すれすれに見える鋭い眼光が殺気を放っている。
シェリーディアの短所は、他人への強い依存による心の脆さ。だがそれは、心を寄せる相手からひとたび信頼を向けられたとき、無類の強さを発揮する長所へと変貌する。
サロメを慕い、重用された“投擲”ギルド時代のように。
ダレン=ジョスパンの信頼、そして愛ともとれる言葉を得た今の彼女は、それ以上の強さを持ち得た状態だ。
「自信……? あるね。負ける訳がねえ。テメエみたいな情を履き違えたケダモノ女にはな。
ダレンが何故、アンタの台詞を聞いてあんなにブチ切れたのか、きっとカケラも分かっちゃいねえだろうな。
その労いや謝罪の心がたとえ本心からでも、あくまでそいつは、アンタのエゴのついでのついで。御身大事なだけだってのはバレバレなんだよ」
そして手にした“魔熱風”を強く上下に振る。硬い金属音とともに、安全装置が外され、連射用マガジンがセットされる。
「何故、後からでも迎えに行ってやらなかった? あのひとの能力は知っていたはずだ。ガキであってもサタナエルで通用する天才だった。……危惧、したんだよな? 自分が追い越されちまうことをさ。
そのお蔭で味あわされた、ダレンの長く暗い無間地獄と、死より辛い孤独。
まだ、サロメみてえに正直にクズ女で通してくれた方が良かった。中途半端な上辺の情だの謝罪だのは最悪だ。ましてや偉そうに軽々しく、あのひとにとって掛け替えのないオファニミスの名前を出しやがって……。
ダレンの心を、とことん傷つけやがったテメエは――。あのひとに代わってアタシが殺す!!!」
云うが早いか、シェリーディアは瞬時に大出力の爆炎魔導をボルトに込め――目前の床に向かって射出した!
爆炎よりも、衝撃力を重視した魔導が、ボルトの着弾とともに発動すると――。
赤い閃光とともに爆発音が響き、書物庫の一部の床が瓦解した!
「ぬうう!!!」
「うおおお!!??」
「くっ……ううう!!!」
その場で巻き込まれた、デレク、ビラブド、ダフネの声が響き渡る。
一同が瓦礫に混ざりながら落下した、下階。
それは運動場も兼ねた、50m四方はある広大な大広間であった。
シェリーディアはこの棟の構造を知っている。書物庫で襲撃を受けた場合、この対処を行うことを考えていたのであろう。
そして、鋭く“夜鴉”に指示を発する。
「ダフネ、デレク、ビラブド、ザウアー!!!! アンタらは協力して、何としても“第七席次”を仕留めるんだ!!!!」
敵は元将鬼2名という、これまでの戦歴から比較しても並外れた強敵。自分が、“純戦闘種”にしてマイエの母という鬼女を相手取り、残りの戦力を結集してもう一人の男を相手取るのが、ギリギリにして最善の戦術だ。
広間に膝を追って着地したシェリーディアは、早くも自分の目前に迫った敵の殺気を感知していた。
そして、高らかな金属音とともに敵の攻撃を受け切る。
シェリーディアの“魔熱風”の鍛造オリハルコンの刃が受けたのは、“第三席次”が先刻から構えていた、業物のロングソード。
材質は不明ながら、どうやら硬度は同格。条件は一つクリアした。
「――我が“蒼星剣”の一撃、よくぞ受けきった!!! だが、まだだ!!!!」
“第三席次”の叫びとともに、“蒼星剣”に充填される、青い色の、冷気の魔導。
そしてそれは、急激な低温とともに“魔熱風”の刃に絡みつこうとする。
「――!!! まずいっ!!!」
自らの爆炎魔導で高温にさらされた刃に、急激な低温を加えられれば刃が崩壊する恐れがある。
シェリーディアは下方から鋭い蹴りを放つ。それは“第三席次”の右手首を打ち、ロングソードの軌道を変えさせつつ体勢を崩させる。
その隙を見逃すことなく、シェリーディアは後方宙返りで距離を離し逃れ、着地と同時に準備の整った連射クロスボウのレバーを容赦ない怪力で作動させる。
「おおおおおおおおらあああああああっ!!!!」
雄叫びとともにほぼ同時といって良いタイミングで放たれる、爆炎をまとった10本のボルト。
“第三席次”の動作範囲を全てカバーした強力無比な攻撃はしかし――。
「“極光氷遮帯”!!!」
敵が万全の体勢で放つ、氷雪魔導とともに振るわれる横薙ぎの斬撃の前に、炎を消された上に撃ち落とされていった。
――クロスボウ10本を撃ち落とした敵は過去にもいたが、成長を遂げた自分の、爆炎を付加した攻撃全てが打ち破られるとは思わなかった。シェリーディアは冷や汗を流しながら腰を低くし次撃に向けて構えを取る。
「凄えな、テメエ……!! 素直に賞賛するぜ。ソガールとはまた違ったタイプの、魔導力に突出した魔導剣士。しかもアタシの炎に対して相反する氷とはね……! こりゃあ攻略のし甲斐もあるってもんだ」
“第三席次”も次撃に向けて備えながら、不敵な笑みをシェリーディアに返す。
「確かに面白いな。相容れぬ魔導の質もそうだが、それが我ら嫁姑の間で展開されようとは。どちらの力が上か競うに、これほど楽しめる状況もないというもの」
「嫁姑」、という言葉に、またしても激しく動揺するシェリーディア。貌を赤くしてしまい構えを崩しそうになった。
「よ――嫁だなんて――おかしなこと云うんじゃねえ!!! ア、アタシはまだそこまでは――受け入れられるだなんて……!
あああああ!!!! 違う、ヤメだ!!!
次は――避けきれると思うなよ!!! ナジード・エストガレス!!!」
精神面の攻防に若干の不安を残しながらも、シェリーディアは自らの能力の全てをぶつけ、愛を向ける男のため勝利を得るべく立ち向かうのだった――。




