第十四話 真実の書(Ⅰ)~サタナエルの創生
父ノエルの面影と対面を果たし、その愛を感じ浸ったレエテ。
シェリーディアの先導で上階への螺旋階段を登り――最上階にある重々しい鉄扉の前にまで到達していた。
そしてシェリーディアがドアを開き、重々しい金属音とともに室内が露わになると、そこには――。
びっしりと居並ぶ、重々しい木造りの本棚。隙間がないほどの書物がそこには詰め込まれていた。
室内には、見覚えのある幾つかの貌が、あった。
まず手前の方で書物に目を通していた、“夜鴉”隊長ダフネ少佐と、デレク大尉。
その向こうで、書物よりも高級な調度品に目を奪われている、ビラブド中尉。脇の窓に止まる、デレクの魔導生物、隼のザウアー。
そして――最奥部の巨大な机の脇で、豪華絢爛な椅子に足を組んで座る、異様な存在感を持つ男。
青い高級軍装に身を包み、黒い手袋をした細い手で書物を持ち、素早くページをめくる男。柔らかな金髪の間から覗く、普段とは大いに異なる見開かれた目で内容に目を通し続ける男。
ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレス公爵その人に他ならなかった。
部屋に足を踏み入れたシェリーディアは、彼に向かって云った。
「ダレン。レエテ達を、連れてきたよ――」
後に続いて入ってきたレエテに向かって、目を書物から離さぬまま語りかける、ダレン=ジョスパン。
「ご苦労だった。
久しいな、レエテ。壮健で『本拠』までたどり着いてくれて、何よりだ。
シエイエス。お主も含め、我が国内戦の折りには大層な活躍だったと耳にしておる。礼を云う。成長したな」
レエテは一歩進み出て、ダレン=ジョスパンに言葉を返した。
「ダレン=ジョスパン……。エスカリオテや、宮殿の敵を一掃しておいてくれたことには礼を云っておく。
そうまでして……お前がこの『本拠』までやってきたのは、何が、目的なんだ?」
ダレン=ジョスパンは、書物からは決して目を離さずも、不敵な笑みを浮かべながら話しだした。
カンヌドーリアで、シェリーディアに語って聞かせた自らの狂気の起源について。
「そんな……お前も、“純戦闘種”? そんな目的で今まで私を、サタナエル一族を狙っていたのか……。
それに――。一族の始祖の女性が、私と同じ『声』の能力を――?」
ダレン=ジョスパンは、ようやく書物を閉じ、椅子から立ち上がった。そしてレエテの側まで歩み寄りながら、云った。
「そうだ。お前たちサタナエル一族の全ての祖先、人外の能力の血の始祖の女、クリシュナル・サタナエルがだ」
それを聞いたシエイエスが、疑問を口にする。
「ホールにあった歴代“魔人”の肖像画は、全て男のものだった。一族の始祖というほどの存在なら、その中になぜそのクリシュナルのものが無いんだ? 当然、神聖な存在として特別に扱われていそうなものだが」
ダレン=ジョスパンは意を得たようにその問に応える。
「表に掲げることが必ず良いとは限らぬ。隠すからこそ神聖たりうる、という見方もできるであろう。
あるいは、女子を最下層に虐げるサタナエルにとって、イメージの上で都合の悪い存在であったという事かもしれぬ。
――今の余には、後者の可能性が高いと見えるがな」
そう云うと、ダレン=ジョスパンは手に持った分厚い本をレエテに向かって投げた。
レエテがそれを受け取り広げると――。彼女の表情は驚愕に凍った。
横から覗き見た、シエイエスとルーミス、シェリーディアも同様だった。
そのページにあったのは、「クリシュナル・サタナエル」と題された、精密な肖像画だったのだ。
「こ……この女性が、クリシュナル……!? で、でも……これは、本当にまるきり――」
「そうだ、レエテ。まさしくお主と、『生き写し』。
お主そのものだ。
お主は、クリシュナルの遺伝子を何代もの隔世を経てほぼそのまま受け継いだ、彼女の生まれ変わりと云って良い存在だということだ。
万が一、虐げる女子の中にそれが現れてはまことに都合が悪かろう。ゆえに隠したのだ。シェリーディア。お主もサタナエルに居る間、始祖のことは聞かされていなかったであろう?」
「あ、ああ……」
生返事がやっとのシェリーディアの横で、レエテは今一度、息を呑みながらクリシュナルの肖像を見た。白銀の長い髪形といい、貌立ちといい、体つきといい――まさに鏡に写した自分自身だった。自分の容貌は母サロメに良く似ているが、むしろサロメが偶然クリシュナルに良く似た容貌だったということになろう。サロメの血を継いだゆえに、近づいた遺伝子がクリシュナルと瓜二つになったというのか。
「その本は、クリシュナル・サタナエルと、彼女を導いた夫の伝記的な記録だ。
それを信ずる限り彼女は、歴代のサタナエル“魔人”と比べても突出した、おそらく史上最強といえる化物だったようだ。単身エスカリオテを攻め落とした逸話しかり、一人でアトモフィス・クレーターの巨大獣を一日に20頭仕留めただとか――枚挙に暇がない。
だがその本が何より価値を持つのは、彼女と夫の人生すなわち、サタナエル創生の経緯が書かれていることだ」
レエテは貌を上げて、ダレン=ジョスパンを見た。そして、彼の語る物語に耳を傾けた。
*
それは、今より時を遡ること200年前――。
クリシュナル・サタナエルは、エストガレス王国中原に面した海岸に、ボロを身にまとった姿で流れ着いていた。気がついたら、そこでそうしていたのだ。
その時すでに成熟した女性の姿であった彼女は、それまでの記憶のほとんどを失ってしまっていた。
彼女を保護したのは、当時法王庁司祭の地位にあった22歳の男、ケテル・デュメルスカール。
海岸を散策していた彼の前に、呆然と海を眺めへたりこんでいるクリシュナルが姿を現したのだ。
ケテルはまず、クリシュナルの絶世の美貌に目を奪われた。そしてひと目で――恋に落ちた。
すぐに付近の自分の別荘に彼女を連れていき、話を聞いた。
クリシュナルが覚えていたのは、「自分の名前」、「年齢が17歳であること」、「人と違う肉体を持っていること」、「レムゴール大陸からやって来たこと」、「“ヴァレルズ・ドゥーム”なる何らかの名前」。それだけだった。他には何も覚えていなかった。
肉体については、手近にあった金属の破片で腕を切り裂いて証明した。わずか数秒で蒸気と音をたてて傷を再生してしまったあと、鋼鉄製と思われるその金属を指2本だけで折り曲げる怪力を見せた。
なぜそんな身体になったか聞くと、おぼろげではあるが何らかの感染性の病気にかかったのがきっかけだったような気がする、という曖昧な答えだった。
ケテルは驚いたが、クリシュナルに恋してしまった彼は迷わず自分で彼女を保護した。
大陸では異常に目立つ褐色の肌、輝く銀髪の彼女をおいそれと保守的な法王府に連れ込むわけにもいかないため、そのまま中原の別荘で養うこととなった。
そして心の交流を重ねていき、やがてケテルは恋愛感情を、想いを打ち明けた。助けてくれた恩と、好意も感じ始めていたクリシュナルはそれを受け入れ、二人は恋人同士となった。
ケテル・デュメルスカール自身は――。天才と呼ばれた頭脳、すぐれた決断力と行動力を有する人物かつ敬虔なるハーミア信者として、法王府では英雄視すらされるほどの人望を誇っていた。しかしながら実は、法王庁そのものの思想には極めて懐疑的な見解をもつ反乱分子であった。
彼は聖職者・聖騎士・エストガレスの将軍・有識者などに100名近い多数の同士を持ち、聖地たる法王府をクーデターにより手にする大胆な計画を立てていたのだ。
だが――裏切り者の密告によりそれは発覚し、ケテルは追われる身となった。
クリシュナルを連れ出そうと向かった別荘で、彼は聖騎士の精鋭とエストガレス王国軍計2000に取り囲まれる事態になり、恋人とともに死ぬことを覚悟した。
しかし――自分に任せてと別荘の外へ飛び出したクリシュナル。慌てて後を追ったケテルの目前に展開されていたのは――人智を超えた、虐殺の現場だった。
素手の手刀や蹴りで、藁人形でもあるかのごとく武装騎士たちを「破壊」していくクリシュナル。魔導ですら、易々と耐魔する。そして、集団に対して向けられる、神魔の声「音弾」。
絶叫を向けられた数百人の騎士は、兜の隙間から血を吐き目や耳からの大量の血を流し、悲鳴を上げて絶命した。それを数度繰り返された時点で、もはや軍は体をなさなくなり、やがて這々の体で退却していった。しかしクリシュナルは逃げる者にも容赦しなかった。恋人を傷つけようとするものは死に値したからだ。凄まじい走力で追いかけ、「音弾」をぶつけ、倒れ虫の息のものを素手で殺し尽くし、何と――2000の軍勢を「全滅」させてしまった。
「もう、大丈夫よ――」と、全身返り血まみれの姿で帰還してきた、恋人。
想像のはるか彼方にあった、恋人の女性の神魔の強さ。心臓を掴まれるかのような畏怖を感じると同時に、ケテルにはクリシュナルが神々しい女神に見えていた。
そして稲妻のような、神の啓示を彼は確かに感じたのだ。
彼女、クリシュナルとならば、自分の崇高なる理想を現実のものにできる、実現せよと。
ケテルがかねてより思い描く理想。
それは、怠惰で無力な法王庁に代わり、真の意味で大陸を救済する方策だった。
民から搾取し、己の権益や領土拡張に明け暮れる国家。乱れた秩序が生み出す野盗などの犯罪集団。その中で常に被害の対象となる一般の市井の人々。家族を引き裂かれ失い、苦痛に苛まれる人々。それらの中で失われていく、膨大な命。
それらを正しい方向に導き、救う方法は、一つしかない。
絶対的な正しい思想と鉄の戒律で行動する、圧倒的武力を持った組織が、大陸を監視し正す。国家のバックで影響力を行使し、誤った方向へ傾くことを防止し、ときには制裁も辞さない。そんな、少数精鋭の組織が大陸に君臨することが必要なのだと。全てを、秩序と正義のあるべき方向へ導く者として。
それを自分とクリシュナルは実現する義務がある、とケテルは強い想念に囚われた。
ケテルはまず、クリシュナルを説得した。すでに1年の蜜月を経てケテルを愛し抜いてしまっていたクリシュナルは、すぐに彼の思想に理解を示し、絶対の協力を約束してくれた。
これによってケテルは、地上で最強の存在を味方につけ、思想の実現をほぼ不動にする事に成功した。
そして、長年ケテルの思想に賛同してくれていた100人からの同士は、事の発覚によって半分の50人ほどに激減したものの、追跡を逃れて中原南のリーランドに集結することができた。
船を奪い、海路をもってエスカリオテ王国南に密かに上陸した彼らは――。この大陸で唯一、どのような国家からも勢力からも隔絶した、ある禁断の場所を目指した。
それこそが、アトモフィス・クレーター。
彼らは、太古の昔に掘られたものの、危険さゆえに封印されていた隧道を秘密裏に開通。その先にあった簡易な古代の砦を整備し、理想への始動に備えた。
そしてここで――ケテルは正式にクリシュナルを妻に迎え、ケテル・ デュメルスカール・サタナエルを名乗った。
さらに、決起した新組織にも妻の姓を冠し――「サタナエル」と名付けたのだ。
己が実質的なリーダーながら、神格化も目的に妻クリシュナルを指導者として立てた。
クリシュナルは益々使命感に燃え、苦痛を負うのを承知でクレーター内の鉱物を両手に埋め込み、後の一族最大の武器“結晶手”を生み出すに至った。
そしてサタナエルは、クリシュナルの力でエスカリオテ王国を隷属化し、地盤と体制を確立。強者を集めて精鋭化し――。
その手を各国にまで伸ばし、その影響力を徐々に不動のものにしていったのだった。
*
「そんな……。サタナエルの創始者が法王庁司祭で……。最初はそんな信仰に基づいた、崇高な意志のもとに結成された組織だったなんて」
衝撃に頭を振るルーミスに、レエテは厳しく静かに云った。
「いいえルーミス。信仰者であることは関係ない。そして一見正しく清い思想に見えるけれど、自分達が絶対に正しく他人が愚かだという、独善と傲慢に満ちた狂信だと思うわ。そのケテルという男が、サタナエルの諸悪の根源だったのよ。
クリシュナル自身は、愛する人の役に立てて幸せだったでしょうけど……。レムゴール大陸からやってきた、右も左も分からない女性を利用した時点で、ケテルの真の人間性も見えていると思うわ」
それを聞いたダレン=ジョスパンは、皮肉な笑いを口元に作りながら云った。
「お主の云いよう、昔聞いたオファニミスのそれにそっくりよな……。確かにお主の云うとおりだ、レエテ。創建当初はそれなりに正義を担う組織として高潔な行いもしていたかも知れぬが、すでにサタナエルが現在のような姿になることは必然の、偏った思想であることは否めん。
現在サタナエルが守り続ける戒律の多くも、魔人、七長老、将鬼、副将といった組織の構成もほとんどがケテルの時代に確立したもののようだ。法王府が奴らにとって不可侵という独特の戒律も、ハーミアの聖地としてケテルが尊重したゆえにであるようだな。
だがレエテよ。その本、最後のページを開いてみよ。そこに描かれているモノを見ても、お主は今と同じ台詞を吐けるものかな……?」
レエテは怪訝な表情で、ダレン=ジョスパンの云うとおりに最後のページを開いた。
そして――そこに描かれていた肖像画を見て、小さな悲鳴を上げながら息を呑んだ。
「はあぁ……! そんな、そんなことって……!!!」
目を見開き凍りつくレエテの脇から視線の先を見た者も、同様に驚愕に固まらざるを得なかった。
「そんな……バカな……!! これは……これは……『俺』……!?」
頭を押さえ、大量の汗を吹き出させるシエイエス。
そう、そのページに『ケテル・ デュメルスカール』と題されて描かれていた肖像画は――。
眼鏡こそかけておらず、髪もやや短いものの――。
白髪のくせ毛、肌の白い色、細く切れ長の知的な眼差しをもつ美男子――。シエイエスと瓜二つの姿だったからだ。
ダレン=ジョスパンが顎を上げて、嘲笑を含んだ言葉を投げかける。
「実に興味深いであろう? 他人の空似、というには、あまりに出来すぎた偶然だ。200年の時を経て、同じ姿をもつ男女が出会い、同じサタナエルをめぐる戦いに臨み、そして同じように結ばれる。ハーミアも、いかに悪戯をすることもあるとはいえ、ここまでの壮大な冗談を実際には行うまい。
だとすれば考えうる可能性は一つ。
詳細までは分からぬが――お主らは、同一の祖先をもつ者同士ということに他ならぬ」
あまりの衝撃に、身体を震わせることしかできぬレエテ等だった。




