第十三話 父の思い出
サタナエル「本拠」内部を熟知したシェリーディアの案内により、サタナエル一族の出生および訓練の場所である「施設」へ向かう一行。
「云うまでもないだろうが――武装解除はせず、周囲に十分気を配れ。空からだって突然何が襲ってくるかわからねえ場所だし、何より――。
アタシたちが始末したのはまだあくまで、兵員と副将レベルの奴らのみ。まだ七長老のほとんどの戦力と“幽鬼”“屍鬼”残党、“魔人”ヴェルという超大物、それら強敵は残ってる。いつどこで襲撃してくるか分からねえってことを忘れるな」
警告を発するシェリーディア。その言葉にしたがい、レエテら一行は一度解いていた武装を戻した。
そして山肌に掘られた隧道状の側道の中を歩き、「宮殿」の隣の高台にある目的地を目指す。
アトモフィス・クレーターの大地の海抜は、一度えぐり取られた大地が大きく隆起したがゆえに、およそ1000mと高い。
「宮殿」や「施設」は、その大地のジャングルの怪異から逃れ得るよう、数百mはある断崖絶壁の高台の上に立っているのだ。ちょうど反対側の隧道出口、エスカリオテ山岳の森林地帯の標高から考えれば、その海抜はおよそ1500m。
「宮殿」を出て自然の場所の一部を歩いていた一行の前に、一種異様な――。突き出すように高い巨大な岩場の上に建つ大型建築物が二棟、行く手に姿を現した。
「――施設、だわ――」
ようやく、記憶にある忌まわしくも懐かしい場所に辿り着いたレエテは、嘆息しながら云った。
シェリーディアがそれに頷き返しながら云う。
「そうだ、レエテ。あの右側のバカでかい建物が、アンタが10歳までの幼少期を過ごしたいわゆる『施設』だ。そして――“生母”がアンタら一族を腹にかかえた臨月から出産までを過ごす場所が、あの左の建物、産前棟。アンタが――サロメによって産み落とされた、場所だ。
書物庫は、あの産前棟の方にある。ダレンが居るのもすなわち、そこだ。まずはそっちに行くぜ」
どのように整備したものか、山肌の通路から断崖の上に建つ施設まで、頑強な橋が伸びている。
ルーミスが恐る恐る下を覗き込むと、風雨によって削りとられた切り立った細い岩が伸びており、それを土台にして造られた橋らしかった。
橋を渡り近づいて見ると、施設の建つ岩山の頂は想像以上に巨大であった。おそらく外周3kmには及ぶであろう。さもありなん、ちょうどローザンヌ城のような規模の産前棟はともかくとして、隣接してそびえたつ無骨な「施設」は、巨大な柵で囲まれたまさしく訓練場。それだけの面積がなければ要求される機能を果たせないであろうからだ。
ルートが左右に別れた道があり、一行は左に向かった。その中で唯一人、レエテだけは目を細めながら右側にある「施設」に目をやった。外側からこうして眺めるのは初めてのことだが、はっきりと実感できたからだ。ビューネイと、アリアと。10年の間一緒に苦楽をともにした、幼年期の思い出そのものの場所だということが。
(アリア――ビューネイ、みんな――。もう私ひとりだけに、なってしまったけれど――帰って、きたよ。ここへ)
そして道をたどった先に、産前棟はあった。
厳重な門扉の向こうに、さらに分厚い鉄の扉で封じられていたのがわかる。が、現在はそのどちらも精強な侵入者によって破られているのがわかった。
防備の厳重さは、内部からの妊婦の逃亡を防ぐ意味合いがあるのだろう。常ならば衛兵が控えているのだろうが、今は誰もいない。
シェリーディアに先導されるままに産前棟に足を踏み入れると、そこは石畳のひかれた広いエントランスホールだった。直径30mほどの円形の広間で、奥に階段が真っ直ぐに伸びている。
その広間の円形の壁の高い位置に――。
彫刻の施された豪華な額に入った、無数の肖像画がずらりと横並びに掛けられていた。
その数、20枚。描かれているのは全て――。きわめて精悍な表情をもつ、若く逞しい男性のもの。それも、白銀の髪と褐色の肌、黄金色の瞳をもった。
「これは――もしや“魔人”、なのか。歴代の――」
ルーミスが震え声でシェリーディアに質問する。彼がすぐにその答えに至ったのは――。もっとも端にある真新しい肖像画に、描かれていたからだ。自らがつい最近、心からの恐怖を味わった対象たる化け物。大切な仲間を奪った怪異“魔人”ヴェルが――。
「そういうことだ、小僧。この200年の間で代替わりした“魔人”たちさ。平均在位10年、てのはまるでどっかの大王国みてえだが――あそこと違うのは、暗殺や処刑されるんじゃなく単に寿命が短いから、て所だ。ちなみに、ヴェルの隣の父親、ノエルは在位20年、享年34歳という異例の長寿だった。地位に似つかわしくない平和主義者で――組織からは軽んじられたり死を望まれたりしたが、アタシは結構好きで、尊敬もしてたんだ。
ほらレエテ。あの人が、アンタのお父さんだよ。アンタが思いやりのある優しい性格になったのは、あの人の血を引いてるからだとアタシは思ってる」
シェリーディアの言葉を聞いたレエテは動悸を早めて緊張した。
思いがけず訪れた、絵画とはいえ亡き父親との対面。期待と不安の入り混じった感情とともにおずおずと“魔人”ノエルの肖像画を見上げた。
肖像画の中に居たのは、太い首、見るからに頑健な骨格をもつ、サタナエル一族男性だった。
銀髪はウェーブがかかり肩より長く、眉は細く、褐色の貌の造りは厳ついながらもかなりの美男子。親子ゆえ当然であるが、ヴェルによく似た面差しをはっきりと感じさせた。
だがその表情には歴然とした違いがあった。おそらくサロメの内面を引き継いだであろうヴェルの、冷酷非情な絶対王者といった背筋の凍るような威厳とは正反対の――。目元と口元を緩ませ、憂いを含みながらも慈愛に満ちた、限りなく優しい表情だった。見ているだけで温かさが伝わってくる。
シエイエスは、自分にとって義父となった男、ノエルの絵を奇妙な心持ちながら感慨深げに見ていた。そしてレエテに声をかけようと彼女を見ると――。
彼女は、泣いていた。大粒の涙を流していた。
そして、身体を震わせて、「驚愕」していたのだ。
「そんな……そんな……! あなたは、あのときの……“小父さん”――。完全に、記憶から消してしまってた――あなたの、ことを。あなたとの楽しかった、時を……! あなたが――ノエルだったなんて……!」
*
レエテの記憶は、9年前、12歳の時のジャングルの中に遡っていた。
当時はマイエの家族の一員として皆とすっかり馴染み、教育も受けて知恵もついてきた頃だった。
子供たちの中でも頭抜けて知的好奇心の高かったレエテは、本から得たりした色々な知識を確かめたくて仕方ない年頃。
年上の子が珍しい植物や花の話をしたり、山の麓にある雪や氷の話をしているのを聞くと、自分も行って確かめたくてたまらなかった。
ある日、狩りの訓練のためにマイエに連れられて遠出をしたレエテは、ついに我慢ができなくなり、マイエが目を離した隙に「脱走」を決行した。
北の方角にあるという雪や氷のある洞窟に、どうしても行ってみたかったのだ。
だが、ろくに経験もない子供にそのような冒険が可能なはずはなかった。
レエテはすぐに迷子となり、行くことも戻ることもできずに、怪物の鳴き声が飛び交うジャングルで孤立した。
一人樹の根本でへたりこんで、レエテはさめざめと泣いていた。
「マイエ……マイエ……ごめんなさい……わたし、もうこんなことしないから……お願い……助けて……」
そのレエテの正面に、突如として、巨大な気配が出現。
レエテは心臓が飛び出るかと思うほどに驚き、腰を抜かした。
「ひ……ひいいっ!!!」
しかし意外にも、その気配の元である存在は、優しげな男性の声で、こう云った。
「おお、そう怖がらなくてよい。俺はトロールやグラシャラボラスではない。人間だ。
お前と同じ、サタナエル一族だ。
お前のような女子の子供が、こんな所で一体何をしているのだ? 死にに来るようなものだぞ?」
まだ身長150cmほどしかなかったレエテにとって、見上げるような大男。
身長は、軽く2mを超えていた。岩を貼り付けているかのような途轍もない強靭で巨大な筋肉、銀の長髪を風になびかせる、厳ついシルエットの体躯。結晶手となった両手にはベッタリと血が付着している。おそらくは想像もできないような大物の怪物を仕留めてきたのだろう。
「う……あ……あああ……!!!」
レエテにとって、あまねくサタナエル女子にとって、「男」は怪物と同列、いやそれ以上の悪魔の化身だ。自分たちを虐殺する血も涙もない存在であり、遭遇したら全力で逃げるように教えられている。サタナエル一族の男子だというのなら、その目的は間違いなく「訓練」という名の女子の殺戮。相容れざる敵であることに何の疑いもない。
「お前、名は何というのだ、ん?」
男が身を低くし目線を合わせてレエテに問う。
近くで見る大きな貌に一瞬恐怖をつのらせたものの――。男の、深みのあるとても優しい黄金色の瞳を見て、警戒心が自然に解かれていくのを感じていた。
通ずるものが、あったからだ。マイエの持つ、強さの中にある確かな優しさと。
おずおずと、レエテは応えた。
「レエテ……サタナエル……」
その消え入るような名乗りを聞いた瞬間――男の目が見開かれ、その身体がかすかに震えるのをレエテは見た。そして彼は天を仰ぎ、小さく口の中で言葉を発していた。
「――ついに、見つけた――俺の――俺の――」
「え……?」
「ああ、いや、何でもない。気にするな。
レエテ・サタナエルよ。お前はどうして今、ここに一人で居るのだ?」
「……雪が、氷が、みたくて……一人だけで、走ってきたら……どこにもいけなくなっちゃって……マイエのところに、かえらないといけないのに……」
マイエの名を聞いて、男の目がやや細められた。マイエの名は、今やサタナエル中に畏怖をもって轟いていると聞いている。男も警戒心を強めているのだろうか。
ややあって、笑顔に戻った男は云った。
「わかった。マイエの元に帰れるよう、俺が送ってやろう。だが――せっかく会えた縁だ。
その前に、叶えてやる。お前の望みを。
雪と氷に覆われた洞窟まで、連れていってやろうじゃないか」
それを聞いたレエテの貌が、初めて笑顔に包まれた。
「……ほん……とうに!? 連れていってくれるの? ……うれしい。
その……ええと……」
「ああ、俺のことはな、“小父さん”とでも呼べ。さあ、俺が一緒ならば、恐れることは何もない。安心してついて来い」
そうして、“小父さん”を名乗る一族の男との、奇妙な短い旅が始まった。
ジャングルを歩きながら、色々なことを話した。自分の知識やマイエのこと、友達のこと、家族のこと。
“小父さん”はそれに相槌を返しながら、温かい言葉で返してくれた。しかし、レエテからの問には言葉を濁し、自分のことははぐらかして答えてはくれなかった。
――そのやりとりも、どことなく昔のマイエとの会話を思い出してレエテは嬉しくなった。
やがて、サイクロプスやグリフォンの群れとも遭遇した。レエテがまともに見たこともない強大な怪物ばかりだったが、“小父さん”の強さはマイエに劣らぬ突出したものだった。
全く問題にすることなく、瞬く間にそれらの化け物を屍体に変えていった。
途中、休憩した巨樹の根本で、切った蔦を器用に結び球状に編んだ“小父さん”。離れた場所に座っていたレエテに、それを投げつけた。球はレエテの頭に見事に当たり、地に落ちた。
「い、いたっ! なにするの、小父さん」
「そいつを投げ返してみろ、レエテ。投球遊びだ。……お前たち女子の間では流行らない遊びだったかな……?」
首をかしげて頭を掻いた小父さんの頭に、蔦の球が軽い音をたてて当たった。その視線の先に、抜群のセンスで投球を返したレエテの、満面の笑みの姿があった。
捕球した小父さんは、年齢にそぐわぬいたずらっ子のような表情で云った。
「こいつ! やったな! そういう悪い子には、こうだ――!」
そしてついに、目的地である北部山岳の洞窟へと辿り着いたのだ。
真っ暗な中に、松明をともして入っていく二人。
外との寒暖差がすさまじい。渡された毛皮に身をつつみ、震えるレエテ。
やがて――500mほど内部に入っていくと、小父さんの足は止まった。
「ここで、いい。もう少しだ、レエテ。あと多分何分かでお前に最高の景色を見せてやれる――」
そういうと小父さんは、いきなりレエテの身体を抱き上げると、自分に肩車をさせた。
2mを超す巨体の肩に乗ると、とてつもない高所に感じられる。
「わ、わわわわ! な、何をするの……?」
「高いところから見たほうが、いいからだ。……ほら、始まったぞ。よく見てろ……」
そう云われて前方を見たレエテの視界に――。信じられない光景が広がった。
上方のある一点に、強烈な光が差した。とても細い、直径5cmほどの光線のような光だ。
それが斜めに落ち、その先にある氷の結晶に反射した。
光は分裂と反射を無数に繰り返し――瞬く間に、洞窟の中をまばゆく照らし出した。
そこに展開されていたのは――。
レエテらが立つ崖の向こうに広大に広がる、周囲1kmはあるかと思われる巨大地底湖だった。
洞窟内の局所低温環境により、一面凍った湖面。その周囲や洞窟天井に展開する、無数の氷の結晶達。それらが反射する光はいかなる自然の奇跡か、七色の光を縦横に放出。ゆらめく虹に彩られる氷の洞穴を演出。この世のものとは思えない美しさを創り出していたのだった。
「う――わああああ――!! きれい!!! きれーい!!!! すごい、すごいよ! 小父さん!!! こんなキレイなの、私見たことないよ!!!!」
足をばたつかせて喜びはしゃぐレエテを見て、小父さんは心から嬉しそうに破顔し、手を伸ばしてレエテの頭を掴みなでた。そして言葉を返す。
「そうだろ、そうだろう!! 想像もできない綺麗さだろう!?
天井のあそこにな、ほんの小さな、大空に開く穴がある。正午になると、一日の今このときだけ、太陽の光が光線のように差し、このような奇跡の光景が生まれるのだ」
「ほんとにすごい! 小父さんも、すごいよ。あんなに強くて、こうやってすごいこと何でも知ってて、そうしてこんなに優しい。私、小父さんとずっと居たいなあ」
それを聞いた小父さんは、思わずなのか、あまりの嬉しさに叫んでしまった。
「本当か!!! ……嬉しい、本当に俺は嬉しい。お前に、そう云ってもらえるなんて……」
そうして半日を過ごした二人の姿は、出会った元の場所よりやや南よりの場所に戻っていた。
レエテは小父さんの真っ黒なローブの裾を掴み、この上なく名残惜しそうに云った。
「ねえ、どうしても、行っちゃうの……? 私、どうしてか分からないけど……小父さんとはなれたく、ない。
いっしょに、行こう、私と。マイエも、私がせつめいしてあげればきっと分かってくれるよ。ねえ……?」
小父さんはそれを聞いて、ゆっくりとまたレエテに目線を合わせた。その目は――こぼれそうな涙に、潤んでいたのだ。
「レエテ……それは、できないんだ……。俺とお前は、棲む世界があまりに違う。
ずっと――ずっと、探していた。施設の記録をたどり、お前の存在を知ってから。
生まれてくれていたことを知ってからずっと。そして――奇跡がおきた。ハーミアが、罪深きこの俺に、たった一度の慈悲を与えたのかも知れぬ。
嬉しい、本当に――。俺が愛したただ一人の女性に、そっくりに育ってくれた。そしてこんな地獄の場所で、生きてたくましく、美しく育ってくれていた。それを見れ得ただけでも――俺はこの奇跡に感謝したい。短かい間だったが、俺は幸せだった。
お前を連れて帰りたいが、天地が覆っても不可能だ。もちろん俺がお前についていっても、お前や仲間が大いなる不幸に陥るだけだ」
そして、小父さん――“魔人”ノエル、ノイエマール・サタナエルは、娘レエテの両肩に手を置き、ついに涙を流しながら云った。
「いいか、レエテ。今日ここで、俺と会ったことは全力で、忘れるんだ。誰にも、このことは云うな。マイエにもだ。云えば、お前やマイエ、仲間の命は凄まじい危険にさらされる。……わすれ、るんだ……。
これから先、俺はお前のことを忘れない。ずっと、想っている。だからお前は、忘れろ。
俺はマイエと戦わぬし、極力、お前たちに危害が及ばぬよう努力することを誓う。
――さらばだ、死ぬなよ。達者でな――! ――愛している――――」
最後はかすかにしか聞き取れなかったが、それだけを云い残すと――。ノエルは巨体に似ぬ神速で、瞬く間に樹々の間に消えていってしまった。
お別れを、云う暇もなかった。
やがて――レエテを死に物狂いで探していたマイエと仲間たちに、無事再会することができた。
マイエは一人で勝手なことをしたレエテを叱りつけたが、最後は目を潤ませて彼女を抱きしめた。
一緒に来ていたビューネイも、罵声を浴びせながら大泣きしてレエテに抱きついた。
レエテは――結局、マイエにも誰にも、“小父さん”との邂逅、その後の楽しかった一時のことを云いだすことは、なかった。
云えば彼が云った危険が、現実のものになることが、なぜか理屈抜きで分かったからだ。
そして、自分がそんな状況に陥ってしまったことが、なんだかとても悪いことをしたような罪の意識として覆いかぶさり――。
記憶そのものに蓋をし、10年近い時が経った今の今まで、完全に忘れ去ってしまっていたのだった。
*
「父親だなんて、そんなこと、一言も云ってなかった。
私の名を知ってたの……なら……! 施設の記録を調べて私に、会いに来てくれてたっていうの……?
そこまで、私なんかに……娘の私に会おうとして……探し回って……。
そうして、助けてくれた上にあんな素晴らしい経験まで……!」
レエテは――。
あまりの感動にうち震え、膝を折って石畳に崩れおちた。そして、ノエルの絵を見上げ、嗚咽を漏らしながら、云った。
「ありがとう……ありがとう……『お父さん』……!! ありがとう……ほんとうに……ううう……。私も、愛してる……お父さん……」
その様子に、シェリーディアは図らずももらい泣きし、涙を流す自分に気がついた。
母の事といい、どうしてか、レエテと自分は似通った近い運命を持っているようだ。シェリーディア自身も、父の死後、向けられていた自分への愛情を知るに至った。それを思い出し、レエテの気持ちを思いやりこみ上げるものがあったのだ。
父に死後も愛情を向ける、ルーミスも同様。
そしてシエイエスは――レエテに近づき、優しくその肩を抱いた。
「……レエテ。良かったな、本当に……。
お前のことを心から愛してくれた家族が、いた。お前が生まれたことを心から喜んでくれていた家族がいたんだ。
それを知って、俺も何かとても救われた気持ちだ。お前に逢い、愛情を注ぎ、思い出を作ってくれたお前の父上に――心から感謝したい」
レエテはそのシエイエスの身体を抱きしめ返し、云った。
「ありがとう……そう云ってもらえて嬉しい。今の家族であるあなたに。本当にありがとう、“シエル”――」
――妻として、ついに夫シエイエスを愛称で呼んだ、レエテ。
生きてここにたどり着き、確かな伴侶を得て愛を確かめ合う、幸せな娘の姿を――。
肖像画の中の父ノエルは、より強い慈愛の表情をもって、レエテを見詰めているかのように見えたのだった――。




