第九話 絶対破壊者フレア(Ⅶ)~崩れ行く拮抗
ナユタの決然たる宣戦布告を受け、フレアはゆっくりと、立ち上がった。
その貌は笑みこそ消えてはいたが、取り乱したり感情的になる様子は一切、なかった。
「何を、勘違いしているの、ナユタ――。貴方に振られたからといって、私が絶望に苛まれ小娘のようにめそめそ泣き崩れるとでも思って? 『貴方の大のお友達』レエテ・サタナエルのように?
そのようなことは、想定の範囲内。わたしは貴方をむしろ、力で屈服、服従させる方に賭けていてよ。ふざけているのはどちら? 多少の“限定解除”を経たからといって、私に勝てるなどと思い上がらないことね!」
フレアはすぐに絶対破壊魔導の発動体勢に入った。手の甲を相手に向け、両手を貌の前に突き上げる。即座に彼女の周囲に発生したのは、血のように赤い直径5mもの巨大な球体であった。
「――“次元断層”!!!!」
そのうち、右手を手刀のように上から下へ一気に振るった。
その瞬間。赤い球体の半分が急激に変形し、断層の下から噴き上がる間欠泉のように、薄い板のような赤く長い波となって――大地を這いナユタに襲いかかる!
ナユタは――目を大きく見開き、全力の耐魔を身にまといながら死に物狂いで攻撃を回避した。
すると――ナユタが居た場所に向かって赤い波が高速で通過し、大地を比喩ではなく完全に縦に両断。
100m以上の長さに渡って切り刻まれた大地は、低く見積もっても50m以上の深さまで寸断され、その隙間から、猛烈に溶岩が噴き上がった。
10m以上、爆炎魔導の反動も利用して退避に成功していたナユタは、図らずも恐怖に貌を青ざめさせた。
フレアの絶対破壊魔導は、この世のあらゆる物質を構成する原子を、自由自在に操る技。
原子の運動を活発にすることで物質を超高温にすることもできれば――。絶対破壊魔導の名の由来である、原子をバラバラに分解し、物質を事実上消滅させる技も行使できる。この世の理の最小単位を操るからこそ、爆炎魔導や氷結魔導のような自然現象を操るに過ぎない魔導とは一線を画す、最強の魔導なのだ。
今の技の恐ろしいところは、空気も岩石も溶岩も全てを消滅させる魔導の力を、紙より薄い面積に集中させたところにある。あたかも切り裂いたかのように触れた部分を、消滅させているのだ。仮にナユタが回避をとらず、爆炎魔導で迎撃するなどという愚に出ていたら、炎ごと身体を真二つにされるか、最悪エティエンヌと同じように霧散する憂き目に会っていたところだろう。
フレアは、先程と一転して、激しい怒りに貌を歪ませていた。
その強烈な感情は、「嫉妬」だ。先程自ら口に出してしまったレエテ・サタナエルその人に対しての、あまりに激しく狂おしい嫉妬。
「レエテ・サタナエル――。何なの、一体、あの女は!!!
私が狂おしく手に入れたい者からの親愛を、奴がことごとく得ているのは何故!? あんな犬猫と大差ない寿命しかない、利用される家畜、人間もどきの出来損ない如きが!!!!
シエルからは女としての愛情を、ナユタ、貴方からは無二の親友としての友情を――やすやすと得ている。すでに持っている。
理解に、苦しむわ。何かの間違いとしか思えない。何をどう見たって、私の方が優れていて価値もあって、親愛を得るに足る存在だというのに――! 一体!!! 何が違うというのよっ!!!! ふざけるんじゃないわあ!!!!!」
フレアは、全く普段の彼女らしくないヒステリックな激情を爆発させ、左手に残る赤球を攻撃に移行させる。
今度の攻撃は――「線」ではなく、「点」だった。
エルダーガルドで見せた、“原子壊灼烈弾”に近いといえるが、異なる。
円錐状の、ある程度の範囲を伴った攻撃とは異なる、究極の一点集中攻撃。
左手指先から照射される、恐るべき一点集中の破壊魔導。
「“光線破壊撃”!!!」
触れたものは、この世のいかなる物質も霧散させうるのではないか。そう感じさせるものであった。
赤い光線の如くにナユタを狙う、激情に任せた危険きわまりない攻撃。
狙撃された形のナユタは表情を極限に引き締め、重ね合わせた両手を突き出し、白魚のような白く細い指に力を込めて渾身の耐魔を展開した。
光線が突き当り、巨大なエネルギーを赤い光として周囲に拡散されていく、その様子。細かく砕かれた赤い光は方向を変えて岩石を消滅させたり、そのまま地中へと埋没していった。
「うううううう――おおおおおらあああ!!!!」
気合とともに全ての光線を散らしたナユタだったが、そのうちの霧散しきれなかった直径5mmほどの光線が貌の右を通過する。光線は頬に深い傷を作り、右の耳を――完全に、吹き飛ばした。
ナユタの貌の右側で鮮血が弾け跳び、赤い髪をさらに赤黒く濡らす。
だがナユタの表情は、痛みに歪んではいなかった。それとは別の――激怒に歪んでいたのだった。
「何だと、このクソ女――!
もう一度、云って見やがれ。あたしの、この世で一番大切な親友を――何て云いやがった、てめえはあ!!!!
犬猫だ? 家畜だ? 人間もどき!? そう、云いやがったのか!!??
あいつは、レエテは!!! 獣のてめえなんざ比べるのもおこがましい、誰より人間らしい人間だよ!!! 自分を犠牲にして他人を救おうとする! 素晴らしい、人なんだよ!!!!
分からねえようだな。てめえには――自分より大切な人間ってものがいねえからだ。
教えてやる!! 自分の命をかけても、守りたい人間がいる!! それこそが、人間であることの証明なんだよ!!!!」
そう叫ぶとナユタは、全身を業火に包み、後方へ爆炎を飛ばしてフレアに突進した。
破壊のエネルギーをまといながら、一瞬でフレアの眼前にまで到達し着地。炎をまとっていない右手を真っ直ぐに突き出し、魔導を発した。
「“元素固定拘束 ”!!!」
それは、忌まわしい森林地帯の戦いで悍ましい仇敵を沈めた、フレアのコピー技。
敵の魔導を利用し原子を固定し、動きを止める最強の搦手技。
全反射も耐魔もすり抜け、敵の動きも魔導も禁じ一切の行動をできなくさせる、成功しさえすれば必殺といえる手段。
ロブ=ハルスに放ったときは完全ではなかったが、今のナユタならば放てる。オリジナルの眼前の女と同じだけの、絶対の拘束の力を。
しかし――細く微細な魔導は、見事フレアの額に命中した段階で――。無表情のフレアの貌に吸い込まれるかのように、その力を失した。
冷や汗をかくナユタの口元は、口角が急激に上がり引きつった笑いに変わった。
「――賭けだったんだがなあ。そりゃ本家には通じねえよな、やっぱ。
なら、こいつだあああ!!!!」
そう云ってナユタは、右手に“暴漣滅死煉獄 ”、左手に“冷厳なる巨樹”を同時に発動させる。 一個大隊を殲滅させる力をもつ最強クラスの爆炎と氷結を、一度にしかも至近距離で炸裂させる。超高温の次に超低温が命中すれば、オリハルコンですら砂のように粉々にできるであろう、ある意味で“絶対破壊”と云い得る強撃。
凄まじい轟音を立てて、フレアに襲いかかる、直径20m以上の巨大な炎と氷の爆発。
目の前にいるものが、例えばフレア以外のサタナエル将鬼であったのならば、間違いなく仕留められているであろう必殺の魔導技。
しかし――相手は紛れもなく一つ次元の異なる、将鬼「長」。
フレアは、膝を着くほどに腰を低くし身体を丸め――己の周囲5mほどに、不気味な赤黒いエネルギーの力場を作り出す!
「“負極活性殺”!!!」
大きさに劣るその力場は、数倍の大きさにあたるナユタの大魔導を、何と原子のレベルで「殺し」、爆発を強制消滅。
不活性のために使用されたエネルギーの余剰が衝撃波を生み、それに吹き飛ばされるナユタの身体。
「ぐうおおおお!!??」
そして――巨大な火口、マグマの噴出する地獄へと、放り出された!
「ちいいいいっ!!!」
ナユタは爆炎を噴出して自らの落下の運動を弱めつつ、空いた手ですぐに氷の巨大な床を火口の淵にまで伸ばした。そしてその上に落下し、横倒しに倒れた。
落下の難は免れたが、この灼熱地獄では氷など数分ももたない。早く火口から逃れようともがくナユタに、冷徹なフレアの嘲笑が投げかけられる。
「ウフフ……。どうやってかは分からないけど、我が拘束魔導をものにしたようね。流石は私の見込んだ天才。
ということは、ロブ=ハルスを斃したのは貴方だったということね、ナユタ。意外だったわ。
どう、素晴らしいでしょう? 私の編み出した技は。この力があれば、あのケダモノはもちろん、ソガールやゼノンのような馬鹿げた腕力をもつ白兵戦王者であっても赤子同然なの。この力で私は彼らを屈服させ、将鬼長の地位を維持してきた。命を狙うサロメをも押さえつけてきた」
氷の上でようやく立ち上がったナユタは――。己の力が全てはねのけられた事実への動揺をどうにか拭い去り、笑みを浮かべて応えを返した。
「ああ。凄え技だってことは認めるよ。てめえが愛しの『シエル』ちゃんを捕らえた時の様子を、つぶさに見てた相棒の情報のおかげで身につけたんだ。
だがてめえのその虎の子の技も、ヴェルの野郎とドミノにだけは効かなかった。全てのサタナエル一族には効果がない。そう思って良さそうだな?」
狂おしい愛情を向ける男のことを茶化され、恐るべき怒りの眼光をナユタに向けるフレア。
両手に魔導の赤い光を湛え、ナユタの問に応える。
「……ええ、その通りよ。我が拘束魔導は、サタナエル一族には一切、効かない。
理由は分からないけれど、奴らの“核”が放つ特殊な波長が、外部からの魔力の操作を強力に妨害するのだと推測するわ。
だから私は、ヴェルを斃すことを諦めた。彼にだけは、どうあがいても勝てない。大人しい奴隷になって彼のゆるやかな死を待つしかない。身体を捧げ、いつか解放され得る時を夢見るしかない。
その夢を――シエルは見せてくれたの。『その後』の世界の夢を。魔導王の地位を手に入れた今、まとわり付く忌々しいあの女をぶち殺し、彼を私の元に迎え入れる積りなの。
――その私の思いを――侮辱する気? 消してほしいの、今すぐに? あのちっぽけな、貴方の昔の男のように。それが望みなら、そうしてあげるわ!!!」
そしてフレアは、エルダーガルドで一行を恐怖に陥れたあの技を、片手ずつ――。二発同時に、放った!
「“原子壊灼烈弾 ”!!!」
両手から放たれる、死の赤光に包まれた巨大な円錐。
恐るべきエネルギーの余波である赤い彗星を尾に引きながら、迫る絶対破壊魔導の象徴。
それを目前にし、極限の緊張に貌を引き締めるナユタ。
そのとき――彼女の脳裏には、父親代わりともいうべき、過去の偉大な師の貌が浮かんでいたのだった。
(アリストル――アリストル・ダキニ・クロムウェル大導師――。お師匠――!)
 




