第八話 絶対破壊者フレア(Ⅵ)~神の怒りの口にて
標高5000mの威容を天に届かせる巨峰、ラーヴァ=キャスム。
その山頂に向けて飛翔し続ける、白き点のように小さな、一対の人馬。
ペガサスの魔導生物ゼラーナと、それを従え騎乗するナユタ・フェレーインの姿だった。
すでに、彼女らが達している標高は4000mを軽く超えている。
この高さにおいては著しく酸素と気圧が不足する。そのような場所に徒歩ではなく飛行によって急激に入り込めば、通常は即座に重度の高山病に陥り大方は昏睡に陥るほどの状況となろう。
だがナユタは今や、酸素操作魔導の達人でもある。ゼラーナと自分の周囲に酸素を集約し、地上と変わらぬ酸素量と気圧を保っていた。
それは当然――この先の山頂に待つ標的の女も同様の力をもって備えているであろう。選ばれた魔導士のみが立ち入り、対決の場として許される正しく神の領域だ。
山頂に近づくにつれ、自分の魔力がどんどん上昇していくのが実感される。山頂に達したら、あまりの巨大な魔力に身体が破裂してしまうのではないかと思うほどだ。
やがて、ついに――。
目的地、山頂は姿を現した。
そこは、現世の風景であるとは到底思えぬ場所だった。
地獄の一層に迷いこんだとしか思われぬ、非現実的で禍々しい場所。
直径500mは優に超える広大な、岩石のフィールド。その中心に神代の魔物のように巨大な口を開けるのが、「火口」であった。
その大きさは、直径300mほど。神の怒りとも感じられるほどの、赤々と煮えたぎるマグマが噴き出し続け、この世のものとは思えぬ熱を発している。ナユタは酸素操作を継続しつつ、熱を遮蔽するべく氷結魔導による温度降下をも同時に行っていた。それでも膨大な余裕を持つ己の魔力は、もはや天井知らずと云って良いかもしれないほどのものだった。
火口の向こう側は、“死洋”。広大な海に向けて、全てのマグマは流れ落ちていた。噴煙も然りだ。
そして火口の手前に――たたずむ一匹のグリフォンと、一人の女。
グリフォンはまごうことなき魔導生物ベルフレイム。そして女は――。
フレア・イリーステスに間違いなかった。
腰に手を当てて火口を眺めていたフレアは、ナユタの到着を感じたのか、ゆっくりと振り向いた。
その貌は、愉悦をたたえ、不敵に笑っていた。
この灼熱地獄も、原子を操る彼女にとっては、爽やかな風吹く草原と何ら変わることはないようだ。
白いアルム絹のマントとローブ、ボンテージレザースーツの出で立ち、銀縁の知性的な眼鏡。
これら変わることのない、フレアのトレードマーク。目にしたナユタの肌は総毛立ち、貌は凶悪な笑みとなり目は見開かれ、噛み合わせた歯からは歯ぎしりが漏れた。
改めて、ナユタは実感する。自分は本当に魂の底からこの女が憎いのだ。やはり天地が引っ繰り返っても変わることのない、この世で一番、殺してやりたい相手なのだ。そして最悪の嫌悪感を感ずる、この世で最も相容れない存在なのだ。たとえそれが、相手ではなく自分の死によってだとしても、同時にこの世に存在し得ない同士なのだ。
ナユタは火口に自分を降ろすようゼラーナに命じた。
そして降り立った彼女は、数分間は保つように酸素固定と、低温効果を付加してやり、ゼラーナを解放した。彼女は悪夢から逃げ去るように、全速力で彼方へ飛び去っていった。
そしてナユタは、背負っていた大きなずた袋を地に降ろすとフレアに向かって歩き始めた。
じり、じりと歩みを進めるナユタを見て、ベルフレイムは飛び去り、火口を見下ろせる高い岩の上に止まった。彼の左目は、無残に潰されていた。おそらくシエイエス解放時に主人を諌めたことへの報復であろう。
そしてついに――地獄の風景の中、対峙する二つの、女の姿をした化物達。
最初に口を開いたのは、ナユタだった。
「よお……フレア。
エルダーガルドで会って以来だなあ。元気そうで、何よりだ」
フレアは、笑みを絶やすこと無く顎を突き出し、これに応える。
「ええ……おかげ様でね。あなたは少しやつれたんじゃないかしら、ナユタ。
人相が変わってるわ。ちょっと怖く感じてしまうほど」
「それこそ、おかげ様でな。どうだい、天辺を取り、てめえの望みどおり御山の大将に上り詰めた気分は?」
「悪くないわ。私がずっと――子供のときに売られ、ゾラドスで娼婦にさせられた地獄の時から夢に思い描いてきた、『支配』が実現したのだから。
あとは、貴方が私と手を携えてさえくれれば、最高の気分になれるのよ、ナユタ」
フレアの口調が熱を帯び、目も潤み始める。この言葉を聞いたナユタは、ピクッ、とこめかみを震わせた。
「このときを、待っていた。
私は、何としてでも貴方がほしいの、ナユタ。
私と肩を並べうる、ただ一人の存在。女の身で最上の魔導の才能を有し、最高の頭脳を有し、最良の決断力と行動力と器を有する。それに加えて本当に綺麗な髪の毛と貌と身体をもつ、私と並び立てる美しい容姿。素晴らしいわ。
私貴方のこと、本当にこれ以上ないほど高く評価しているのよ。
同じ不幸な生い立ち、同じ門下で学んだ仲、同じ力と真理への飽くなき追求欲をもつもの同士。必ず分かり合えるわ、私達。そしてかつてない偉大な存在に、ともに成ることができるわ。
最後のチャンスよ、ナユタ。
お願い、私とともに、来て――」
手のひらを上に向け、情熱的な様子でナユタに手を差し伸べるフレア。
サタナエル将鬼長という軛から放たれ、本来の自分に戻った状態での、本心からの望みとともに。
一つの目的を果たし終えた今、友を得るという更なる、真の目的を得るために。
だが――ナユタは、靴音高くフレアに歩み寄ると、渾身の力でその手を叩き横に払った。
ビリビリ……と痺れを感じる手の感覚とともに、表情を凍りつかせて眼の前の焦がれた相手を見つめるフレア。その眼前に立ったナユタの貌は、鬼神のごとき怒りの形相に変貌していた。
「ふざけんじゃ――ねえよ――」
魔力が、爆発的に噴き出す。フレアの背後で活動するマグマのごとき、いやあるいはそれ以上のエネルギーをもって。
「まだな、敵らしく不遜に振る舞ってくれたほうが万倍マシってもんだぜ――。
一体どの面を下げて、このあたしに『お友達になってください』なんて云ってやがんだ?
一体どの口が、『分かり合える』なんてクソみてえな台詞を垂れ流してやがる!?
――ふざけんじゃ、ねええええええええ!!!!!」
怒りの爆発とともに、ナユタの身体から再び発動する、9つの巨大な炎竜、“獄炎竜殲滅殺連撃”。
怒りは収まらず、ナユタはさらに続ける。
「てめえがどんだけ不幸な人生だったか知らねえが……てめえは完全完璧に『自分』しか見ちゃいねえんだよ。そして、人間として必要なもんが、ただの一個も備わっちゃいねえんだよ。かけらも自覚ねえだろうがな……!!
てめえが他人に打ち落としてきた幾万の地獄の不幸ってもんを、一瞬でも思ったことがあるか?
てめえが虫けらみてえに殺してきた、罪なき人々に思いを馳せたことが一瞬でもあるか?
ねえよなあああ!!!
罪の意識すら知らねえ真のクズ、人の世に生きてちゃいけねえ害毒。それがてめえだ、フレア!!! あたしは自分の大切なものを壊してきたてめえの『罪』を、それがもたらした恨みを、憎しみを!!! 今ここで晴らしてやる!!!!!」
叫びとともに――。
ナユタの感情を体現するがごとく、 9つの炎竜はフレアに襲いかかった。
鎌首をもたげ、上空に広がっていた恐怖の竜頭が、地上の小さき存在にその膨大なエネルギーを叩きつけたのだ。
巨大なエネルギーを有する業火は、それを防がんとする物質破壊の力、絶対破壊魔導の壁に阻まれる。
崩れ行く、竜頭。しかし、そのエネルギーを破壊し尽くすことは、できなかった。
生き残った4つの竜頭が生身のフレアに迫ると、彼女は耐魔を行使した。
現在この世で、ヴェルに次ぐ強力な耐魔を有するフレアが展開する防御壁は、炎竜自体は弾き飛ばし防ぎきった。
しかし衝撃力を防ぎ切ることは、できなかった。
「ぐううううううう!!!!」
呻き声を上げながら、後方に吹き飛ばされていく、フレア。
数mの距離を飛ばされたフレアは、熱く赤く大口を広げる火口に向けて落ちていくかと思われた。
しかし――。身体を丸めた体勢のまま、踏みとどまった。
フレアのブーツの踵が、あと数cmで落ちるところであった、ギリギリの場所で。
ナユタは勢いよく足下の岩石を踏みしめ、胸をそびやかし、右手指で真っ直ぐにフレアを指して云い放つ。
「この時を待ってたのはな、あたしも同じだ。いや――てめえ以上に待ち焦がれてた。
大導師門下最低最悪の裏切り者。大導師の仇。エティエンヌの仇。ヘンリ=ドルマン師兄を死の淵に追いやった、仇の一人。サタナエル元将鬼長として間接的に関わった、ランスロット、キャティシア、そしてホルスの、仇。
てめえを殺せる力を手にした今、満を持して宣言する。
フレア・イリーステス!!!! 今この場で!!!!
てめえをぶち殺し、地獄へ叩き落としてやる!!!!!」




