第二十九話 狂気の起源
――二時間後。すでに日をまたいだ夜の帳の中。
アヴァロニア東部の森林地帯で、焚き火を囲んで休む、二人の女性の姿があった。
“夜鴉”としての任務を終えた、シェリーディアとダフネだった。
毛布の上に横になりながら、薪を火にくべるダフネの後ろ姿をぼんやり眺めていたシェリーディアは――。
突然、人間の気配を背後に感じ、電光石火の速さで“魔熱風”を手に取って起き上がり、構えた。
それを見極め、同じく構え、ブレードの柄に手をかけるダフネ。
「――誰だ。そこにいやがるのは! 姿を現せ!!」
殺気のこもった警告を受け、樹々の間から姿を現したのは――。
“夜鴉”たる彼女たちの主たる男、“狂公”ダレン=ジョスパンに他ならなかった。
「ダ――ダレン!? 来るなら、一言連絡ぐらい――」
あきらかにどぎまぎして目を輝かせたシェリーディアの口は、いきなり無言でそれを塞いできたダレン=ジョスパンの唇で塞がれた。
そして身体をまさぐられ、恍惚の表情になったシェリーディアを見て、ダフネは貌を真っ赤にしてすぐに踵を返し、云った。
「――し、失礼いたしました。公爵殿下! わ、私は、先立って城に帰投いたします!!」
そして音もなく去っていったダフネをよそに、ダレン=ジョスパンはシェリーディアを毛布の上に押し倒し、身体を重ねていった。
それから一時間後。
はだけた状態で衣服を身に着け直したシェリーディアは、焚き火の側で座り背を向けるダレン=ジョスパンの姿をじっと見つめていた。
シェリーディアは、恍惚の感情をたたえた艶やかな笑みを浮かべ、ダレン=ジョスパンに話しかけた。
「ねえ……ダレン。ファルブルク城を出て、ここへ来たっていうことは、うまく、いったってこと……?
アンタの望む、実験の成果とやらが、出たってことなの……?」
良い反応を期待してかけた言葉はしかし、ダレン=ジョスパンの表情を極端に曇らせた。
そして、怒りにも似た感情を察知して、シェリーディアは青ざめてうろたえた。
「ご……ごめん。ごめんね……? アタシ何か、気に障ること、云った……? ごめんなさい……そんなつもりじゃ……」
「端的に云えばな、シェリーディア。多くの、知識を得た。収穫そのものは極めて豊富にあった。だが余が最も望む結果、という側面でいえば、完全なる『失敗』だ」
「失敗……」
「そうだ……。
余が王都で得た思わぬ宝、一族のレ=サーク・サタナエルという男自体は、まさに理想の検体だった。
極めて優秀な肉体をもち、一族としても頑健。奴をくまなく調べ、色々なことが分かった。
サタナエル一族の肉体はな。頚椎にある『司令塔』、心臓そのものである『核』が全てを司る」
「『核』……?」
「妖しい光を放つ、生命エネルギーの塊であった。ほぼ無尽蔵といえるエネルギーを放出し、脊髄、筋肉、骨、神経、あらゆる器官を異常活性させる。奴らの肉体そのものはな、通常の人間とさほど大きな差異はない。ただ、あの『核』の存在のみが奴らを異常たらしめている。あれが生きている限り奴らは死なぬし、逆にいえば寿命が短いのは、『核』の活動期間が短いからなのだ」
「……」
「そして『核』を制御しているのが、頚椎内に赤い光とともに存在する『司令塔』。脳と直結したそれは『核』のエネルギーを全身に行き渡らせるのと同時に、肉体の情報を記録し、再生させる最大の鍵になっている。それがあるゆえに、レエテは脳を完全に失っても記憶などはそのままに再生することができているのだ」
シェリーディアの脳裏に、サロメに頭部を完全に吹き飛ばされたレエテの姿が思い出された。短時間で再生した彼女は、記憶を含め、脳に一切の障害を持っていなかった。
「結晶手は余が睨んだとおり、後天的に埋め込まれたものだ。現実にレ=サークに対して、手以外の別の部位にそれを埋め込むことに成功した。ただし一旦埋め込まれれば、遺伝により子孫に自動的に受け継がれることになる。
レエテの声は――あれだけは、あやつの独自の能力らしい。どこにも、それらしい器官や特徴を見出すことはできなかった。
レ=サークから聞き出したところによると、それを持ち得た存在が過去に一人だけいたらしい。かつ結晶手を生み出したのも、その存在であると。それが――“始祖”と呼ばれる女、サタナエル一族の始まりたる祖先、クリシュナル・サタナエルなのだそうだ」
「……」
「余はな、サタナエルの不死身の力を利用したいと考えていた。
物心ついたときには余は、異常者だった。周囲の人間はすべて紙のようにもろく、どのような動きも止まって見えた。余が走って陛下の王冠を奪っても、誰もそれに気づくことができなかった。どのように精強な兵士だろうが豪傑だろうが、子供の余はやすやすと、彼らの首筋に剣を突き付けることができた。たちまち余はバケモノの扱いを受け、誰一人人間として扱わず、遠巻きに呪詛を吐きかけられる汚物となったのだ」
「……」
「その力が何なのか、調べぬいて余は突き止めた。我が王国の創始者であるマーカス・エストガレスの詳細な伝記書物の中に、それを見出すことができた。それは――」
「……“純戦闘種”、だよね……?」
シェリーディアは哀愁を含んだ目で、小さく言葉を発した。
彼女はこれまでのダレン=ジョスパンとの行為の最中に、その証拠に触れていたのだ。
レエテやサロメと同じ、後頭部の円形に膨らんだ、アザを。
「そうだ……。余は己がそれだと知ってあきらめた。人でない能力に苦しみ、忌むものとしてきたが、捨てることができないのなら――。それを高みに押し上げてやる。余を異物扱いする者どもを踏み台にし、神をも殺せる力を手にしてやろうと。それは現実には、サタナエル“魔人”を殺し大陸最強となること。そしてその向うへと踏み出すこと。
そして今一つは――。余と同じ力を持つ同胞を、量産する術を見出してやろうと。そう考えた。
そのために余は、お主に見せた様なあらゆる実験を繰り返してきた」
「……」
「サタナエルが製造する、メフィストフェレス。あれはな、サタナエル一族の血液と、“触麻”と呼ばれるアトモフィス・クレーター由来の麻薬を調合した代物。事実皇国で蔓延したそれは、他ならぬレ=サークの血液で調合されたものだった。
製法を早くから掴んでいた余は、同じものを余の血液から製造できないかと考えていた。
お主も目にしたであろう出来損ないの人間もどきや、ドラゴンたちは、それらを投与したり、魔導法力により直接埋め込んだりしたもの。だがあれらは、いずれも期待を大きく下回る結果を残した。
ラ=ファイエットも、人体改造のついでにそのような処置をしたが、強化の幅は微々たるものだった。
コロシアムでレエテに討たれたアシッド・ドラゴンの失敗も目にし、余は同胞の製造をあきらめ、余自身を強化することに専念した」
「……それで……。感づいては、いたけど……」
「そうだ。サタナエル一族の秘密を暴き、その要素を我が体内に取り入れる。
そのためにこそ、史上初めて自由の身となり大陸に現れた一族――レエテを狙ったのだ。
結果的にそれは失敗に終わったが、王国が侵略され、サタナエルを討つに枷がなくなった余の前に、レ=サークが現れた。
昨日まで余は、一心不乱に打ち込んでいた。我が野望達成に向けて。
だが――いかに『核』や『司令塔』を利用しようとしても、何の効果ももたらさなかった。
何一つ、効果を得られないまま――レ=サークは死んだ」
「……」
「残る鍵は――本拠。そこにしかない。
余にはな、ただ一人、己を上回る力をもつ肉親が居た。
それが我が母、元王国第一王女、ナジード・ファーラ・エストガレスだ」
「……アンタの……母親……?」
「そう。ナジードは知勇を兼備した美女であり、今のオファニミス同様、女ながら国王の地位を嘱望された逸材だった。
とくに、勇――身体能力は群を抜いており、どのような男も寄せ付けなかったそうだ。
だが高慢かつ攻撃的な性格で著しく人望に欠け――結局弟のアルテマスに国王の座を奪われた。
そのショックからメフィストフェレスに溺れようとしたが――麻薬としての効果を得られなかった。
これがどういうことか、分かるな?」
「ナジードも……“純戦闘種”であり、メフィストフェレスによって、アンタに血が受け継がれた……」
「そうだ。ナジードはその後、手当たり次第に男たちと身体を重ねるようになり、結果余が生まれることになったのだ。ゆえに余は父親が誰かを知らぬ。知ろうとも思わぬが」
「……そんな……」
「余が二歳の頃まで、ナジードは王国にいた。遊び回る余を彼女は始終叱りつけ、ときに虐待した。望んだ子供でなかったのだから当然だがな。
そのときすでに余は“純戦闘種”の力を開眼していたが、ナジードはまさしく赤子の手をひねるように余を捕まえた。驚異的な強さだったのだ。
それがある日、忽然と、王国から姿を消してしまったのだ」
「……」
「行方は揺として知れず、王国としても厄介者のナジードが消えてくれたほうが都合が良いゆえ、生死不明として処理された。
余は成長してからその行き先を推理していたが――。
その先は、アトモフィス・クレーター以外に有り得ぬと睨んでいるのだ」
「……サタナエルに、誘われた、と?」
「おそらくな。そして将、もしくは生母として、新たに子供を設けた可能性が高い。
もしもサタナエル一族の子を産んでいるのなら――その子供が、新たな鍵を握る存在だ。
それを探るため、余は本拠に、赴くのだ。
そして最終的には――“魔人”ヴェルと相まみえることになるだろう」
ようやく、ダレン=ジョスパンの語りが終わった、そのとき――。
シェリーディアの心を占めていたのは、彼への深い深い憐れみと、愛おしさだった。
何て、可哀想な人なんだろう。同時に――何て愛おしいんだろう、と。
シェリーディアは――最前襲撃してきたアスモディウスの言葉を聞いてから、己の想いを整理していた。
そしてやはり――自分は、この男を愛しているのだと改めて気付かされた。
最初は、藁にもすがる思いで仕方なく選択した相手だった。弱みに付け込まれ身体を好きなようにされ、人体実験の狂気の側面も見て嫌悪感や憎しみの感情を抱くこともあった。
だが仕え、ともに長い時間を過ごすうち――。
最初はこの男の、自分など及びもつかぬ戦闘者および戦略家としての圧倒的能力への、尊敬。
次に、その異次元の能力ゆえ抱える、凄まじいまでの孤独感の存在に気づき――。ずっと人に愛されなかった、その飢餓感までも自分と共通していると感じてからは、急速に恋の感情が芽生えていったのだ。
今まさに耳にした告白で、それは裏付けられた。
己の矜持として、仲間と認識した者を裏切ることなどしないが――。
たとえ今ダレン=ジョスパンが、命令として己の元を離れレエテのところへ行って良いと告げたとしても、シェリーディアは従わないだろう。
彼を、愛しているから。ずっとずっと、共に居たいから。
その己の気持ちをもう、完全に自覚してしまったから。
シェリーディアは、決然とした口調で、云った。
「ダレン。アタシも、連れていってくれ。アンタの、本拠行きに」
「……」
「もとから、アンタがそう云うんじゃないかと思って――いっしょに行くべきだとは考えていたんだ。
これがサタナエルの終わりに繋がる戦いになるなら――アタシの力は、こんなところで燻らせていいものじゃないし、奴らとの因縁に決着をつける義務も、ある。
オファニミスにも確認して、ダフネ達の意志も確認できれば――“夜鴉”も連れていきたい。
どう、我が主君? 君命を、下してくれるかい?」
ダレン=ジョスパンはわずかに口角を上げ、頷いた。
「我らの足の差を考えれば同道は、不可能と思うが――。良かろう。付いて来たければ勝手にするがよい。
そして来るというなら、余の望みを叶えるに足る、働きを期待したいところだな」
「ああ……当然さ。アタシは必ず、アンタの役に、立ってみせる」




