第二十三話 死すべし、卑獣(Ⅱ)~思い出との葛藤
襲撃者ドミノの将鬼を超越する実力を目にし、反撃の糸口をつかもうと、レエテへの攻撃を全力の集中で観察していたシエイエス。
彼は、その攻防の中でのレエテの心の動きを、早くも見抜いていた。
(悪魔の本性を隠し、自分と家族を陥れ、死と絶望の底に叩き落とした憎き仇でも――。まだなお、強く家族としての思慕を残して思い悩むのか。レエテ、お前はやはり、あまりにも純粋で優しすぎる。
それは、今のこの場面では命取りだ)
やはり、彼女にだけ任せてはおけない。少なくとも止めは自分が刺す心構えでいる必要がある。そして改めて、戦いに介入すべきだと考えを固めた。
変異魔導を発動できる体勢はすでに整っている。
シエイエスはドミノに声をかけた。
「ドミノ! 貴様らサタナエルはエスカリオテでの会戦に勝利したのだろう?
“参謀”という、幹部の一人である貴様は、本拠に戻るべきではないのか?
何故レエテを単独追ってここまで来た!」
その声にドミノは、一旦構えを解いてシエイエスをねめつけ、答えを返した。
「……決まってんだろ? あんたを始めとした一行の男ども。皇国の男ども。さっき戦で会った国王ソルレオン。どいつもこいつも、この女の貌やら身体やら性格やらに……すっかり骨抜きになっちまってさあ。
鼻垂れの小便垂れだったちっぽけな小娘が、そんな大層な傾国の美女になって、腹ワタが沸繰りかえらねエ女がこの世にいるってんなら、教えてもらいたいネエ……!
それにあたしは10年以上の昔から、こいつを殺したくて仕方なかったんだ。今じゃあマイエと同じぐらいに……。こいつがイイ目を見て生きてるって思っただけで、あたしは清々と残りの短い人生を楽しめないんだよ……!!
だからその小奇麗なお貌を、メタメタに切り刻んで殺してエ、それだけだ!!!!」
叫ぶとドミノは、地面を這うような体勢になりながら、シエイエスに向けて飛び出した。
「シエイエス!!!」
レエテが悲痛な叫びを上げる。下段を狙われたこの状態で、足腰が万全でないシエイエスは動きでドミノをかわすことは絶対にできない。とるべき方策は、一つだった。
「“骨針防壁”!!!」
身を低くした体勢から、膝、肋骨、肘の骨を異常伸長させ、細かな格子状の壁を全面に作り上げる。下部は大地に突き刺し固定している。
ドミノの超低空斬撃は、骨針の格子に止められて止まった。しかし彼女は、またも目に捉えきれぬアクションで大地に着いた両脚の力を身体のひねりで腕に伝え、反対側の結晶手で攻撃を加えてきた。
地に足を着いた構えからの強力にすぎる斬撃は、骨針二本を切り落とした。すでにシエイエスは動きに反応し、急いで骨針を戻そうとしていた所だったが、間に合わなかった。
「ぐあっ!! ああ……!!!」
斬られた骨針は、2本の肋骨が変形したものだった。シエイエスは走る激痛に脇腹を押さえながら、続くドミノの斬撃を、鞭の柄に仕込んだオリハルコンの短剣で受ける。
「シエイ――エスッ!!!!」
レエテは必死の形相で殺到し、横合いからドミノに斬撃を見舞う。難なくそれに反応したドミノは、レエテの斬撃を受けるまでもなく、易々とそれを後方に宙返りしてかわした。
そして着地と同時に大地を蹴り跳躍。高みの大樹の枝に再び戻る。
「シエイエス……あんたの変異魔導ごときであたしの相手になるなんて、勘違いするんじゃないよ。あんたが斃したカルカブリーナは、サタナエル内じゃ実力者かもしれないが、あたしのレベルじゃ到底ない雑魚なワケ。
そしてレエテ。あんたも学習してないようだケド、昔も今も、どうしたってあんたの攻撃があたしに届くことはない。大人しく、覚悟を決めな」
それを受け、相変わらず裡なる苦悶に貌を歪め続けるレエテが、ドミノを振り仰ぎ叫んだ。
「――ドミノ!! あなたは10年の間、あれだけ一緒に過ごしてきた家族の皆に、本当に――。本当に、一瞬たりとも愛情を感じたことはない、そう云うの!?
私は、今でも信じられない」
レエテは、目に涙すらにじませなら、続けた。
「覚えてる……? あれは私が15のときだった。
私は当時急激に成長して、マグノリアに勝つことができて……ちょっと自信過剰になってた。
それでサタナエル訓練の迎撃のメンバーにも入れてもらえて……さらに舞い上がっちゃって。
前に出すぎるな、ていうあなたの忠告を無視して副将に戦いを挑んだ結果、追い詰められて斜面を転がり落ち――。皆と引き離されてしまった」
「……」
「“剣”の副将だったそいつに、私は為す術なく追い詰められた。私は死ぬんだ。そう思ったら怖くて怖くて……大泣きしながら防戦一方になってた。助けて、助けてって……泣き叫んでた。
そこへ――あなたが助けに来てくれた。
凄いスピードの踏み込みと斬撃で、一撃で敵を仕留めたあなたの姿。本当に、カッコよかった。
私はお礼を云いながらも、云いつけを守らずこんな危険を冒したことで、凄く怒られると思った。
だけどあなたは……凄く、凄く優しい笑顔で、大丈夫か? って。そしてこう云った。
『あんたがこんな事するのは珍しいねエ。あたしはずっとそんな事してた悪ガキだったから責められないや。マイエには黙っててやるから安心しな。とにかく無事で本当よかった』って」
「……」
「あのときは本当に心から、嬉しくて、あなたが輝いて見えて……。それからよ、私が自分じゃあなく、小さな子たちを守れるようになりたい、て思ったのは。
マイエじゃないのよ。ドミノ、あなたのようになりたい、と思ってだったの。
あのときのあなたは涙さえ浮かべてて、心底私を心配してくれた!! 絶対そう。そうなんでしょう……!? ドミノッ!!!」
レエテはついに涙を流し、必死の思いで叫んだ。
本当に、尊敬していたのだ。愛していたのだ。
ほんの僅かでもいい。その相手である女性、ドミノの姿が本物であったと思いたい。そう願わずにはいられなかったのだ。
だが――現実は残酷であった。
ドミノは、腐ったものでも前にしたような、嫌悪感を顕にした表情で――。手に戻した左手の小指で耳をほじりながら、心底うんざりしたように云った。
「あのな、レエテ。あたしはもう前回で沢山なんだよ。聞きたくないんだよ。一言たりとも。あんたのその、良い子ぶりっ子の、ヘドがでそうな甘々ちゃんのたわ言はさああ!!!
そんなワケ、ないだろ? いい加減認めな。あたしはあんたの云うその時も、その前も、その後から今までも――あんたのこたあ大っ嫌いで、殺してやりたいとしか思ってないんだよ」
「――うっ!! ううう……!!!」
「あのときはな、よく考えてみな? 迎撃のリーダーはあたしがやってた。あそこであんたや他の奴が死んでもそこにはあたしの責任が生じる。マイエの女の中で免罪の部分が生じ、心へのダメージが軽減されちまう。『無事で良かった』のは完全にそれだけのことでしかないワケ。
あたしの日頃の目的は常に一つだった。あの女が苦しむ姿を見ることだ」
「……」
「だから良く観察してたよ。あんたらのことは。大人しいか喧嘩っ早いか、真面目かワルか。マイエからどんな風に接され、どんな期待や愛情を持たれてるか。それをもとに、例えばあいつと大喧嘩をした次の日に殺して悔いを残させる。明日が誕生日だって真面目な奴を狙って、前に出るようけしかける。愛情を持たれているターニアやあんたは、それをできるだけ醸成させて、後のほうで殺す。
わかるだろ? あんたらはあたしにとって、表現するなら『道具』、それ以上のものじゃあないんだよ――」
ドミノの下劣にすぎる内面の告白は――。突如伸び襲いかかってきたシエイエスの変形手のさらに先の鞭の先端によって、中断された。
ドミノは表情を変えることなく、易々と鞭の先端を結晶手によって振り払った。
シエイエスは、激怒していた。遺跡での、サロメのときと同じように。
あまりにもレエテが、哀れすぎる。なぜ彼女ばかりが、深い愛情を抱く相手に一方的に裏切られ、その心を深く傷つけられ続けなければならないのか。
「それ以上、レエテを、俺の『妻』となる女性を傷つけることは許さん、ドミノ……!!」
それを聞いたドミノは――侮蔑の嗤いの表情の中に太い血管をびっしりと浮き出させ、明らかに、激怒した。
「はははははっ!!! 正気かい、あんた!! 一族の女を嫁にだって!?
……正気だとしたら、そのクソ小娘が人並みに幸せになるなんてこと、あたしが許すとでも……!!??」
「貴様はな、外道にふさわしい甚だしい勘違いをしている。貴様はレエテの幸せを許せんというが、知ろうともすまい。彼女がどれだけ……貴様を始めとするサタナエルの外道どものおかげで地獄の底を見続けてきたのか。自ら地獄を歩む修羅道を進んできたのか。
貴様こそ、己の穢れきった欲望のままに生き、幸せではなかったのか? レエテらを踏みにじり欲を貪り、今では地位をも得、外界でのうのうと生きているにもかかわらず?
ふざけるな……!! レエテに代わりそっくり言葉を返してやる。貴様が幸福と欲を貪り、満足のまま天寿を全うすることこそ、許せん。今ここで、貴様にふさわしい地獄の底の底まで、惨めに墜ちるがいい!!!」
「それ以上口を利くんじゃねえ、小僧おお!!!!」
怒りを貌の全面に貼り付けたドミノは、樹上から仕掛けた。
今度は、さらに襲撃のスピードを上げて。シエイエスの目では――全く見えず、空気の動きが感じられるのみだ。
すると――レエテの結晶手が目前に差し出され、ドミノの突撃を間一髪で弾いた。
レエテはすでに、両眼を閉じて“沈黙探索”の構えに入っている。
「――シエイエス、あなたも!!!!」
云われてすぐにシエイエスは、両眼を閉じた。
そう、おそらくドミノは徐々に攻撃の速度密度を上げており――。この一回の攻撃では到底止むことがない事実を彼も感じていたからだ。
先ほど居た反対側の樹上に飛び移り、次撃をすぐに繰り出しているドミノ。
今度はシエイエスも反応し、変異魔導の変形によって攻撃をかわそうとするが――。
間に合わない。右肩口にあたる箇所を切り裂かれ、出血する。
そして今度はまた別の樹上へ。それを幾度となく繰り返し、今やこの森林は、巨大な無数の鎌鼬が縦横無尽に暴れまわる暴風の圏内と化した。
圧倒的スピードと手数の強襲の連続に、レエテもシエイエスも致命傷は避けつつも少しずつ身体を切り裂かれていく。
このままでは、いずれ二人ともやられる。
いったいどうすれば、風の精霊に匹敵するこの人外の殺人兵器を止めることができるのか。
あまりの暴虐な力の前にシエイエスは、未だ突破口を見いだせずにいたのだった。




