第六話 陰と陽の駆け引き【★挿絵有】
エストガレス王国、王都ローザンヌの中心に鎮座せし芸術品、ローザンヌ城。
その建造より約500年間、外敵の侵入を一切許しておらず、表向きは平穏に見えるその堅牢な佇まい。
しかしながらこの城では、その主がたった500年の間に47人も代替わりしている。
治世が平均10年ずつ程度しか続かないとはつまり――主である王が例外なく早逝という事であり、それも単なる病だけではない不慮の死が必然であることを意味している。
毒殺、刺殺、墜落死、告発による処刑などだ。国王がそうならば、他貴族でも同様の状況であることは推して知るべし、である。
数百年もの間権謀術数が繰り返されてきたこの場所で、生き残るためには単に高い能力や人望があるだけでは全く不足である。
現実主義者で、狡猾で、敵を作らないかまたは敵を排除できる強者に付き――。身辺の警戒を怠らない臆病さ。そして何より強運、というよりも悪運をもつ者が生き残るのである。
*
そんな城内の上階、天守閣の中に設けられた豪奢極まるファルブルク公爵専用の私室。すっかり夜も更けた刻限、暖炉の前に置かれた巨大な緑の対面ソファにそれぞれ腰掛けて談笑にふける男女の姿があった。
男は、ダレン=ジョスパン ファルブルク領公爵。対する女は、オファニミス第一王女兼ローザンヌ都司(知事)である。
先刻のオファニミスの要望に応えたダレン=ジョスパンが、ダリム公国デルエムのコロシアム剣闘大会の一件を語って聞かせていたところだったのだ。
「……それで、レエテ・サタナエルはコロシアムを後にし、お従兄さまも追手を差し向けることなく幕引きされましたのね!」
現場で見聞きした豊富な情報量で、まざまざと情景が浮かぶような的確でわかりやすい従兄の説明に、すっかり興奮し目を輝かせるオファニミス。
オファニミス相手だからか、極力残虐な描写をひかえ、時折話の内容を脚色するダレン=ジョスパン。それに大きく頷いたり、ジェスチャーを交えて相槌をうったり、素直に驚いて見せるオファニミスの反応はとても魅力的で、彼でなくともついサービス精神を発揮してしまうであろう。
「まあ、そんなところがこの話の全てだ。とても、実際に起きたとは思えぬほど劇的な話であろう? 余もしばらくは本当に現実のことであったのか自問自答したほどだ」
「本当に……! 素晴らしいお話でしたわ。ありがとう、お従兄さま! お聞きしてやはりわたくし、ますます思いを強くいたしましたわ。レエテ・サタナエルに実際に会って対話してみたいと!」
それを聞いて、やにわにダレン=ジョスパンの表情が曇った。が、すぐに両手を広げながら声をたてて笑う反応に切り替わる。
「本気ではないだろうな? いまのあやつの状況、どれほど危険だと? その生命を奪おうとする刺客に日々間をおかず襲われておる筈。普通の人間なら、ほんの一日共におるだけでもまず命はないであろう。冗談もほどほどにせよ」
オファニミスは表情をかえ、ソファから身を乗り出して真っ直ぐにダレン=ジョスパンに言葉を返す。
「あら、心外だわ。わたくしが単なる夢物語でこんなことを申し上げているとでも?
わたくし、早馬の情報を得てより後、方々に人をやって調べましたのよ。サタナエルのこと。
なかなか難しくはございましたわ……。けれど大方の背景はつかみ、そしてその情報をもとに、文献をあさって情報の根拠を求めましたの。これも覆い隠されてしまっていて容易ではありませんでしたけれど、知った上で調べれば、驚くほど彼らの歴史上での動きが明確に読み取れましたわ」
これを聞いたダレン=ジョスパンの表情も、変化した。曇ったり、眉間にシワを寄せたり、怒りを表現したわけではない。この城の内外での、大多数の人間に見せるこの男のいつもの表情、不自然なほどの口角の上がった笑みに変化したのである。
「今までわたくしのこと、お父様もお従兄さまも子供扱いなさって、なかなかこういったことを教えてくださらないようでしたけれど。
わたくしも、今や名前のとおり王都ローザンヌを治める都司の役目をお父様より拝命しましたのよ。日々勉強しておりますし、実際にこの半年ほどでいくつもの政策を実行し成功させておりますわ。民の意見も聞き理解を求め、何か行動を起こしてはその結果についてまた広く意見を求めるということを繰り返し、彼らの状況も理解できてきましたし。
その経験・調べた知識からわたくしの意見として申し上げると、サタナエルという組織の存在は『悪』であり、大陸から今すぐにでも廃すべきもの、と考えますの」
まっすぐにダレン=ジョスパンの目を見て話すオファニミスに対し、彼もまた真っ直ぐに視線を向けたまま一瞬沈黙した。
オファニミスの才については、ダレン=ジョスパンほど理解しているものはいない。早くに頭角を表すことも見抜いていたし、彼女の魅力も相まって才媛ともてはやされるのも当然と考えていた。またこのような真っ直ぐな性格も知り尽くしていたから、今回レエテの話を聞きたがったのも、彼女にしかできない何等かの政治的な行動に繋げたいのだろうとは見抜いていた。
しかしながらこの短時間で、誰もが彼女に真実を隠そうとしたであろう状況の中、ここまで核心に迫り自分の見解を持つに至るとは予想外だった。
少し考えた後ダレン=ジョスパンはゆっくりと言葉を返す。
「果たして本当にそうかな? この世には必要悪、という言葉もある。サタナエルという組織が大陸に混乱をもたらす暴君となるべき者を排してきたのも事実であるし、巨大な戦乱となりかねない火種も幾つも消してきた。彼らが出現してこの200年で滅亡した国が存在していないのも事実ではある」
オファニミスは頷きながら、相変わらずまっすぐに純真な眼差しで彼を見据え、明晰な言葉で返した。
「たしかに、滅びた国はないですわ。けれどノスティラス皇国のように、我らが領内から分離して独立したり、ドミナトス=レガーリアのように何もなかった場所に興こるなど、新しい国は生まれているでしょう?
混乱の火種はむしろ増えているのに対し、彼らはその分を増強した戦力で力任せに消しているように見えますわ。こんな方法では、結果的に犠牲になる者の数は増加し、いずれ戦乱と変わらなくなる。
いえ、そもそもどんな超人的な力を持とうが、一部の限られた人間の力で完全に世界の秩序を保とうなど、歪ですし思い上がった考えですわ。
世界は、そして国は民が、それを束ねる者がどうするか自ら考え、選択し、最良の道を歩んでいくもの。たとえ一時は混乱が生まれ、戦乱もなくならないとしても、その方法をとるべきだとわたくしは思いますの」
ダレン=ジョスパンは立ち上がり、オファニミスのソファにゆっくりと歩み寄った。
それに呼応してオファニミスも立ち上がり、はるか頭上にある彼の顔をまっすぐ見上げる。
「まったく、お主には驚かされる……! いつの間にそこまで成長した、オファニミス。この余ですら、そこまでの結論に達するにはもう少し齢を重ねる必要があった。
そこまで理解し考えておるのなら、余も態度を改めなければなるまいな。余も、お主と同じ考えなのだ、オファニミス。ラ=ファイエットとこれより動こうとしていることは、サタナエルを廃することが目的なのだ」
愛する従兄に最大限の賛辞に加え、信頼の証の秘密を打ち明けられ、オファニミスは、顔を染めて破顔し笑顔を向けた。
「……わかっていますわ。お従兄さまがわたくしと同じお考えでいらっしゃることは。その為にも、わたくしたちは徹底的にサタナエルを知る必要がある。レエテに、目的を同じくするわたくしたちの考えを理解してもらい、話を聞かなければ。わたくしは勇気ある行動を起こした彼女に敬意を表し、救い、できれば将来に向け力を貸してほしいと思っておりますの」
「素晴らしい考えだと思う。まあお主の望みを全て叶えてはやれぬだろうが。これだけ成長し、目的を同じくする同志となったからには、もう子供扱いはせぬと誓う。今後も知恵と力を貸してくれ。
さあ、もう夜も遅い。もう自室に戻り眠るがよい。また明日な、ニム」
そう云ってオファニミスの前髪をかきあげ、額にキスをするダレン=ジョスパン。
オファニミスの顔はさらに赤く染まり、態度もそわそわとしだした。
「お、お従兄さまも! おやすみなさい、また明日ね!」
慌てて部屋のドアに向かい、振り返りもせず小走りで部屋を後にするオファニミスを見送ると、ダレン=ジョスパンの口角はさらに急角度に上がった。
(すまぬな、ニム。たしかにお主と考えが同じ部分はあるが、それはごく一部にすぎぬ。
少し驚かされたのは事実だがまだまだお主は子供、まだ見えていないものがある。人間の欲望、業がもたらすものが真実どのようなものか。世はそう単純に出来てはおらぬのだ。
このままではいかに才があろうと、却ってそれゆえにこの先命を落とすことになろうな……守ってやらねば。
その分、利用させてもらうぞ。お主の才、人望、地位、全てをな……)




