第二十話 「俺は生きた、お前を護るために」
ホルストースの、絶望的な状況下での宣戦布告。
通常の敵ならば、一笑に付すだろう。だが、ヴェルは違う。
「見上げた心意気だ。だが俺は、相手がどのような状態にあろうが一切の手心を加えん。
俺の目的たる、レエテの居所を貴様に吐かせるための最短距離を行くまで」
そう云うと、ついに彼は繰り出した。両の手の、結晶手を。
黒曜石のような、黒光りする鉱石のような独特の刃。やはりその部分に関しても男性と女性の違いがあるのか、見慣れているレエテのそれよりも二回り以上も大きく長い。ヴェルの長いリーチを考えれば、“剣”に匹敵する射程範囲を持つであろう。
そのまま一気に距離を詰めたヴェル。先程見たロブ=ハルスと比較しても桁違いに速い踏み込みだ。
狙う先は――。左脚。あわよくば、両脚とも。
左側から結晶手を振り抜こうとする。
が――。高らかな金属音とともに、ヴェルの右結晶手は、縦に防御の構えがとられたドラギグニャッツオの柄に当たり、阻まれた。
ホルストースはもちろん、アダマンタインの刀身に当てることを狙ったが、直前で気づいたヴェルがわずかに軌道を変えたのだ。
だが何より驚異的なのは、ホルストースが攻撃を堪えていること。
ヴェルも、ホルストースを殺してはならないことや、相手が右腕一本だということもあって相応の腕力にセーブはしていた。
だがそれを差し引いても――強烈な腕力。まるで本気のサロメや、鬼人化したゼノンのような怪力だ。
見ると――。ホルストースは、右腕と、折れた左腕の、使用できる「肘」を柄に当てて攻撃を堪えていた。
さらに、凄まじい形相だ。血を吐きながら、貌中に血管を張り巡らせ、目を向いた魔の形相。おそらく、万全の状態でも出しえない腕力を、今この男は引き出しているのだ。将鬼に匹敵する、力を。
このまま力任せに振り抜いても良いが――。この男の凄まじい精神力を考えれば、心を折るよりも身体のダメージを優先すべきと思い直したヴェルは――。
左手の結晶手を水平に振りかぶり、同じく水平に振り戻し――ホルストースの左腕を肩の下から切断した!
「ぐうおおおおおおおお!!!!」
「ホルストース!!! くそっ――くそおおお!!! ナユタ!!! 目を覚ましてくれ!! 早く!! くっついてくれ!!! この足がああ!!!」
ホルストースの悲鳴と、ルーミスの悲痛な叫びが交錯する。ルーミスは身体を前屈させた状態で、左手をナユタの脇腹の傷、右手を己の断たれた両足に交互に添えて、全力の法力治療を行っていた。ナユタの出血は止まっているが、いかに血破点開放を使用するルーミスでも、ロブ=ハルスとの闘いでの消耗を抱えたままでは治療スピードも鈍る。
ホルストースは左腕を失い出血しつつも、剛槍を持った右腕をまんじりとも動かさず、防御を継続していた。あまりに凄まじい、精神力だ。
当然ながら押されていく一方だったが、敵ヴェルは次なる攻撃に移った。
空いた左結晶手で、ホルストースの右肋骨付近を軽く突き刺したのだ。
すると――それをされた側のホルストースに、激烈な変化が訪れた。
「があああああああああーーっ!!!!! ぐあああああああああああっ!!!!!」
貌を天に向け、絶叫したのだ。その表情は、極限の激痛に歪みきっていた。
「どうだ? これは人体の全身の中でも、最大の苦痛をもたらす血破点、“震点”だ。
俺が痛みの耐性鍛錬のため毎日己に突き刺し、今の貴様と同じ苦痛を味わっているものだ。
少しは話す気になったか? レエテの居所を」
声も出し尽くし、あえぐばかりになったホルストースを見て、ルーミスはついに涙を流してヴェルに向かって叫んだ。
「もういい!!! もうやめてくれ!!! “魔人”ヴェル!!!
オレが話す!!! 話すから!! ホルストースを助けてやってくれ!!!」
しかし――これを聞いた瞬間、ホルストースは恐ろしい形相で目を剥き、ルーミスに云ったのだ。
「ルーミス……!!! バカ……なこと……すんじゃねえ……!!!
しゃべったらな……てめえ……殺すぞ……!!!!」
それを聞いたルーミスは、ぐっ……と歯を食いしばり、耐えた。
ホルストースはその鬼気迫る表情のまま、ヴェルに押さえられたままのドラギグニャッツオに力を込め、ヴェルに刀身の先端を向ける。
「殺せ……よ。どうしたよ……びびった……のか? “魔人”ヴェルともあろう……者がよお……。
云ったろ……俺は……相当しぶてえって……。そして死んでも……レエテの居所……は吐かねえ……。殺さなけりゃあ……俺の……槍が……てめえに届いちまう……ぜ?
どおした!!! 迷ってんじゃねえ!!! 殺せ!!! 決着つけやがれええええ!!!!!」
壮絶すぎる痛みに耐え抜き、倒れることも、力を緩めることもなく戦い続けるホルストース。
それを見たヴェルは――何と、はっきりと口角を上げて、「微笑んだ」のだ。
ヴェルは己でも、殆どそれをした記憶がない。そしてする時は――例外なく、「闘いにおける満足」が得られた場合のみだった。
「ホルストース・インレスピータ……。その凄まじい気迫、貴様は俺が出会った敵の中でも、最大の勇士だ。
敬意を、払いたい。それに相応しいのは――。大陸頂点の存在が放つ、全力の一撃での決着であろう」
そう云うとヴェルは、“震点”からも、ドラギグニャッツオからも結晶手を放し、一旦二歩ほど後方に下がった。
急激に力を放され、よろめきながら体を開く体勢となる、ホルストース。
そしてヴェルは初めて、構えに入った。
腰を低く落とし、右結晶手を大きく後方に引く。その構えは、右手を捻ってはいないものの、彼の妹レエテの技“螺突”に近いものだ。
そして――足のつま先を起点とし、全身の力を上方に。太腿から腰へ。腰から肩へ。肩から腕に到達させ、一撃を放つ!
「覇っ!!!!」
裂帛の気合とともに、正拳のフォームではなった右腕は――。
関節を外し、飛距離を伸ばし――。
伸長した結晶手は、砲弾のようにホルストースの胴の全面に向け到達する!
到達の直前――全てを悟ったように、ホルストースの貌から険が消え、穏やかな表情の中の両眼は静かに、閉じられた。
(健闘を、祈るぜ、みんな――本当に、ありがとうな。そしてナユタ――心から、愛してる――)
唇が動いていた。その最後の思いは――ルーミスにははっきりと、伝わっていた。
そして到達した伸長結晶手は――。
オリハルコン製の重装鎧を紙のように切り裂き――。
恐ろしい衝撃音とともに、胸を完全に貫通した。
結晶手の大きさを遥かに超える、直径50cmの「面」を削り取った一撃は――。
その大きさの風穴を開けた後方――。
ルーミスとナユタに向けて、彼の臓物の残骸と、大量の血を押しやった!
ナユタの身体に降り注ぐと同時に――。自身の身体に降り注いだ、仲間の大量の血を浴びて――。
ルーミスは、貌を歪めて絶叫した。
「うああああああああ!!!!! ああああああああああ!!!!! ホルストース!!! ホルストースーーッ!!!!!」
それを合図のように――。ヴェルは伸長手を戻し、構えを解く。
そして厳かな表情で、ホルストースに近づく。
一瞬で絶命した、ホルストースの表情は――。彼の死の直前の思いを形作る、極めて穏やかなものであり、閉じられた両眼も、そのままだった。
何より驚嘆すべきなのは――死してなお倒れず、仁王立ちで直立し続けていることだった。右手に握ったドラギグニャッツオも、取り落とすことなく。
「ホルストース・インレスピータ……俺は戦士としての貴様を、心から讃え――」
ホルストースに1~2mほどの距離にまで近づいたヴェルの言葉が、途中で止まった。
ドスッ――という鈍い音と、ともに。
ヴェルが視線を落とすと――。
亡骸となったホルストースが突き出した右手。そこに握られたドラギグニャッツオの刀身が、深々と、ヴェルの胴体に突き刺さっていた!
「――!!」
「な……なん……だって……!?」
攻撃を受けたヴェルも、それを目にした返り血まみれのルーミスも――。
ただただ、驚愕に目を見開いた。
そして痛みを苦痛と感じぬヴェルも、はっきりと感じた。
刀身の先端が、わずかながらも己の心臓を傷つけていることを。
「ぐ……ふっ!」
ヴェルは驚愕の表情のまま、小さく吐血し――刀身から己の身体を引き抜いて、よろめいた。
「ああ……!」
何と、いうことか。大陸最強の魔皇、実際にその天の高みの強さを目にしたルーミスの目前で、その存在が傷つきダメージを受けている。
その様子を信じられない、という表情で見つめるルーミス。
ヴェルは己の身体を久々に襲う悪心に耐えながら、左胸の傷を押さえて、云った。
「そうか……貴様はこれを、狙っていたのか」
おそらくは、その神器の槍に埋め込まれた魔石。それに死ぬ直前の己の想念を込めていた。ヴェルの心臓を断つ、という。そして魔石はそのとおりにホルストースの肉体を動かし、最後に近づいてくると分かっていたヴェルの心臓を、狙ったのだ。
ヴェルは再び、満足に満ちた微笑を浮かべた。そして云った。
「今少し力が強ければ、俺の命は危うかったかもしれぬ。全くもって恐るべき、男。そして何と偉大なる、勇士か。
ホルストース・インレスピータ。俺はその名を決して、忘れぬだろう。マイエに匹敵する、強敵、勇士として。
ルーミス・サリナス。次に貴様らを尋問することも、殺すこともたやすいが――。ホルストースに免じ、俺は退く。レエテもフレアも今は全てを諦め、一度本拠へ戻る積りだ。
貴様もこの男の生き様、死に様を記憶し世に伝えるがいい。
今見た俺の技もな……フフ、これも狙っておったのだな。
さらばだ。また再び相まみえるべく、本拠にて待つと、レエテに伝えるが良い――」
それだけ云い残すと、しっかりした足取りに戻ったヴェルは、一瞬にして跳躍し、その不吉な黒い巨体を森林の中へと消し去っていった。
ルーミスは、しばらく呆然と、ヴェルの去った後を見続けていた。
そして徐々に気を取り直すと――。彫像のように直立したままの、偉大な仲間の亡骸に目を移した。
目に、止めようもない涙が浮かぶ。
「ホルストース……オマエは……オマエは本当に――」
――凄い、男だ。
言葉どおりに、ヴェルに刀身を突き立てた。あわや命を奪うかというほどまで。
そして何より――仲間を、最も大切な愛する女を、守りきった。最強の存在から。たった一人で。
もとより、男として自分など足元にも及ばぬ存在として、密かに尊敬の念を抱いていた。
それは間違いでなかったどころか――。遥かに男としても、戦士としても、偉大な男だった。
しかし――今ルーミスの心を支配しているのは、悲しみ、だった。
仲間を、あまりに巨大な存在を喪った、悲しみ。
そしてこの後目を覚ましたナユタが経験するであろう、愛し抜いた男を喪った、身を引き裂かれる深い悲しみ。それに馳せた思い。
「うっ……うううううう……ううう……」
血に塗れ、暗く影を落としたルーミスとナユタの姿の中で――。
継続される法力が放つ淡い光だけが、それを消し去ることもできすに虚しく光り続けるのだった。




