第十九話 決死の犠牲
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「ホルス!!! この野郎、出てきやがれ!!! ここか、ここに居んのか!!!」
「ホルストース!!! お前、あれだけ云ったのに、またか!!!」
二人の男の怒声に、眠い目をこすりベッドで目覚めたホルストース。――この時、17歳。
次の瞬間、ベッドの前の大扉を叩き開けて、極めて見覚えのある二人の男は室内に乱入してきた。
「きゃああ!!!」
「いやあああ!!」
甲高い嬌声を上げたのは――ホルストースの両隣に全裸で密着していた、二人の美女。
前夜、インレスピータ宮廷で開催されたパーティで口説いたノスティラス人使節の美人姉妹。自分より年上の姉と、年下の妹という、タイプの違う最高の女性だった。
彼女らはシーツや枕を奪い合いながら身体を隠して、必死に着衣を身につける。
その痴態をよそに、乱入した男達――父国王ソルレオンと兄王子キメリエスは、荒々しくベッドの前まで詰め寄った。――ソルレオンだけは、だらしなく美女の裸体に目を奪われながらだが。
「ホルストース!!! あれほど云ったろう!! 王子たる者、国民の模範になるべき節度を保てと!!
国内ですら、宮廷内外でそこらじゅうの女に手を出し悪評極まるというのに――。とうとう国外の賓客にまで手を出しおって!! 我が国の品性を疑われる事態になったら、責任を取れるのか!」
堅苦しい態度で堅苦しい言葉を口にするいつもどおりの兄。ホルストースは全裸のまま上体を起こし、気怠そうに長髪をかきあげた。まったくもって、女性がみればゾクゾクするようなセクシーさに満ちた美男子だ。引っかかるのも無理はない。
「うるせえなあ……兄貴。あの女どもも楽しんだんだし、てめえらの恥になることを云いふらしゃあしねえって。セレイナ一筋の堅物の兄貴にゃ俺の事はわかんねえよ。なあ親父?」
「親父!! あんたからも一言云ってくれ!! 死んだ母さんの代わりだと思って!!」
ソルレオンは、キメリエスよりもさらに憤慨した様子で、ホルストースに云った。
「ホルス……!! てめえ、よくも……!!!
あの子たちは、この俺が目をつけてたってのに!!! 横からかっさらってイイ思い独り占めしやがって!!!」
――弟と同類の父に、話を振ったのが間違いだった。キメリエスは頭をかかえた。
だがソルレオンは興奮を鎮めながら、話を続けた。
「……ふうう……まあそれはそれとして、だな。俺もお前に説教すべきことはある。
ホルス。お前数えきれねえ位の女を抱いてきたろうが……その中に『惚れた女』は、一人もいねえだろう?」
「……だったら? どうなんだよ。所詮男と女なんて気持ちよく楽しんで、いずれ子供作って子孫を残しゃあいいだけの関係だろ? 好きだ惚れたと、云ってやりゃ女は気持ち良くなる。それで十分じゃねえのか?」
「……いいや。浅えな。そんな程度で終わるのぁガキのたわごとだ。
俺はお前の歳のときはな、お前の母さん一筋だった」
「ああ……?」
「まあそのうち、引く手あまたの女の誘惑に勝てずちょいちょい手出しちまって怒られはしたが……。母さんに惚れ抜いた俺の心は揺らがなかった。それが――俺の強さを生んだんだ。それがなかったら、ドミナトス=レガーリア連邦王国は実現してねえと断言できる」
「……」
「お前がそうなっちまったのは、甘やかした俺の責任でもある。母さんはな、死に際常々云ってた。子供達を、真の男にしてくれと。だから今云う。ホルス。お前も惚れた女がいなきゃいつまで経っても半人前だ。真に守りたい大切な女。それがあって始めて、男は一人前になれると知りやがれ――――」
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数日前。セルシェ山小屋での夜。
寝室の同じベッドの中で、ホルストースはナユタと愛し合った余韻に浸っていた。
「なあ……ナユタ」
「んん……何だい、ホルス?」
「俺はよ……やっぱりお前に惚れてる……愛してる……ナユタ」
「な……何さ、改まって……。よしてよ……は、恥ずかしいじゃない……さ……。
すごく……うれしい……けど」
「お前とこうなる前、ついこの間まで、レエテがその相手だと思ってた。だが、違った。
レエテでさえもまだ、真に惚れた、守りたい相手じゃなかった。まだ表面的な想いだったんだって気づいた。
ナユタ、お前が遺跡で『奴』に乱暴された、あのとき――。俺は生まれて初めて本当の、心の底からの悔恨ってやつを味わった。どうして守ってやれなかった。そして何て、俺は弱く無力なんだろうと。のたうち回りたいぐらい、胸がズタズタになる苦しみを味わったんだ」
「ホルス……」
「もう二度と、あんな思いはさせねえ。ともに戦う以上、危ない思いはさせるかもしれねえが、決定的なことには、二度とさせねえ。心の底から、そう誓った。
王国に入ってからの戦いでは守ってこれたと思ってるが――戦いは終わってねえ。俺はこれからも絶対、絶対に、お前を守る」
感情が昂ぶったホルストースは、ナユタの上に覆いかぶさり、その貌を、紅い髪をやさしく指でなぞった。
「……あ……ホル……ス……」
「普段は気が強えけど、本当はこんなにも可愛くて、傷つきやすくて……誰より愛情の深え優しい女。
この紅い髪も、茶色い目も、この唇も……全部愛おしくてたまらねえ……! 俺の……物……! もう、間違いねえ、分かったんだ……俺が本当に惚れた運命の女。
ああ……ナユタ……! 好きだ……好きだ! 本当に……愛してる……!!」
そして極限まで感情が昂ぶったホルストースは、その唇で再び荒々しくナユタの唇を貪った。
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俺は……。長い間本当の理想に、辿り着いてなかった。
サタナエルの悪行を知った。それに加担してると思ってた親父に反発し、反乱軍に加わり戦った。
その思いだって、偽物じゃあねえ。本気でぶち当たってきたつもりだったが――。
まだまだ、てめえの正義だとかそれを追求した姿に酔ってたとこは大きかったんだ。
レエテ、シエイエス、ルーミス、キャティシア、ランスロット。
お前らに会えて、一緒に戦ってきたことで、俺は本当の理想ってやつを見出した。
お前らが背負ってる重い宿命に比べれば、チンケなものかもしれねえが……。
てめえの浅え正義感じゃなく、大切な仲間の魂の思いに応え、助けるためにサタナエルを斃す。
それは間違いなく、俺が魂の底から望んで追求する理想となった。生まれて初めての。
そしてナユタ――。
お前は俺の人生で、唯一無二の大切な女になった。
お前を守り、ともに行くことは、俺の人生と同義になった。
ルーミスにも惚れていようが――それがお前の気持ちなら、いい。
俺は――どんなにサタナエルが強くなっていき、先行き絶望的な状況になろうが、逃げ帰ろうなんて1ミリも考えなかった。それは何故だと?
お前が居たからだ、ナユタ。お前を守るため。そのために俺は戦い続けることができたんだ。
今だって、そうだ。
ここで俺が負けたら、ヴェルの野郎はルーミスに、口を割らせようとする。
そして口を割らないルーミスを殺し今度は――お前を拷問にかけ、やがて口を割らないお前を殺すだろう。
馬鹿野郎――させるかよ、そんなこと。
絶対に、守ってみせる。
きっと俺は――今のまさにこの時のために、この世に生まれてきたんだ。
ここで、俺の生の全てを懸けてやる!
*
エグゼビア公国北部、森林地帯――。
初手の必殺の一撃をたやすく止められ、対するヴェルの返す初手の一撃で絶大なダメージを受けた、ホルストース。
左腕複雑骨折、胸骨と肋骨の骨折、肺、肝臓、胃、膵臓、脾臓の損傷または破裂。
自身が経験する中でも最大級の激痛が、彼に襲いかかってくる。
だが、生来のタフネスさに加え真の覚悟を決めたホルストースは、この痛みに耐え抜き勢いよく立ち上がった。
そして力強くドラギグニャッツオに歩み寄り、右手で地面から引き抜いた。
柄を抱え込み、構えを取る。
だがその姿は――。曲がった左腕、大きく陥没した胸、蒼白な貌、呼吸をし咳き込む度に吐き出される濁った血。
どのように見ても、これ以上何かができるとは思われない、瀕死の人間だ。
だがその両眼だけは――。恐るべき生気と闘気をたたえ、ヴェルを睨みすえた。
それを受けたヴェルの、無表情だった貌に、若干の変化が訪れていた。
目がやや開かれ、わずかだが口角が上がっている。
おそらくはこの後、倒れ動けなくなったところを拷問にかける腹積もりでいたのだろうが、相手の思わぬ強靭な肉体と精神力に――。明らかに「感嘆」している様子が現れたのだ。
ホルストースはぜえ……ぜえと息を荒げながらも、ヴェルに向けて云い放った。
「終わりだと……思ったか? ハッ! 悪りいがな、俺は相当にしぶといぜ……。
今の……一撃。俺に……吐かせる積りだったんだろうが、結晶手じゃなく……拳にしたことを後悔することに……なるぜ。
かかってきやがれ!! ……必ず、この俺のドラギグニャッツオを……てめえの急所に突き立ててやらあ!!!!」




