第十六話 耐魔匠ロブ=ハルス(Ⅳ)~醜き淫魔の、終焉
ナユタは、グラン=ティフェレト遺跡での戦い以来、ずっと考えていた。
一体どうしたら、自分の魔導の力でロブ=ハルスを斃し復讐を果たすことができるのかを。
ロブ=ハルスは保有する魔力も膨大であり、それだけでもナユタに勝機はないぐらいだが、さらに耐魔とはセンスや経験がものを云う、技術の結晶でもある。
強大な魔力に、絶対に並ぶもののない途方もない技術をプラスしているからこそ、現世のいかなる魔導も跳ね返されてしまうのだ。
壁を打ち破るのに、その壁が大きく硬いからといって叩き破るハンマーをより巨大に硬くしさえすればいいという様な発想は、この場合非効率である云々以前に「通用しない」。ハンマーを1トンにしようがアダマンタインにしようが、壁を破ることはできない事実を出発点にしなければならない。
ならば壁を破らずして、すり抜ける方法を探す以外になかった。考えに考え抜いた結果、その糸口になりうると目星をつけたのが、フレアの存在だった。
彼女はナユタと同じ魔導士でありながら、将鬼長の地位についている。力が絶対の基準であるサタナエルにおいてその地位にあるからには、配下たる他の将鬼との一対一の状況下で勝利できることは最低限の条件であるはず。その証拠にこれまでに斃してきた将鬼でフレアに逆らうものは誰もおらず、例外のサロメも口だけで正面から破ろうとはしていなかったと見えた。
ロブ=ハルスがフレアに己の上に立つことを許し、反逆共謀の一件においても主導権を奪われているのならば、彼もまたフレアに勝利することはできないのだ。
フレアの絶対破壊魔導は現世のあらゆる魔導の中で最強といえる特異な魔導ではあるが、耐魔も、その最高技術の全反射も、基本的に問題なく通用はするはず。酸素操作魔導も同じ。
にも関わらず勝利できないのならば、耐魔などが通用しない他の何らかの特殊な戦法・技をフレアは持っており、それゆえロブ=ハルスは彼女に屈服しているはずなのだ。
それは一体何なのか……。
「クックック……! 何を考えているのかは知りませんがその言葉、紛れもなく本気のようですね……。
面白い。貴方のその挑戦、受けましょう。そして見届けてやりましょう。攻撃の一切が完全に通用しない私を正面から迎え入れて、一体貴方ごときゴミに何ができるのかをね!!!」
その言葉とともに――。
ロブ=ハルスは貌に極限の気合と狂気を貼り付け、岩盤を崩し飛び散らせるほどの蹴り足によって――。
一直線に、ナユタに向って襲撃を開始した!
それを捉えたナユタの双眸は極限の集中力とともに鋭利さを極め、奥歯は音を立てるほどに噛み締められた。
ロブ=ハルスがフレアに屈する要因である「何か」。つい先頃、それを類推する決定的な情報をナユタは掴んだ。
それは――。王都でフレアがシエイエスを捕らえた瞬間の、クピードーによる詳細な目撃情報だった。
シオンに勝利した直後にシエイエスは、一瞬にして身体の自由を奪われ倒れた。
その際に姿を現した術者フレアから発されていたのは――。
強力な魔導士に成長を遂げた上非常に用心深い性格のシエイエスの動きを完全に止める、という大業には程遠い程度の魔力だった。
この事実が、ナユタの脳天に稲妻のような衝撃を打ち、理解させたのだ。
相手が強敵ならば、それを無理やり上回るのではなく――逆転の、発想。
『相手の魔力を利用する』のだということを。
「“元素固定拘束”!!!」
広げた右掌より放たれた、少量ながら細く鋭い、目に見えぬ魔導の波。
ナユタまであと数mの時点でそれをようやく捉えたロブ=ハルスは、瞬時に顔面蒼白となり、突進を急停止させる。
しかし――。ナユタの魔導は、ロブ=ハルスの肉体をギリギリで捕らえることに成功していた。
目に見えぬ魔導が彼の体内に入った瞬間――。
ロブ=ハルスの四肢と首より上は完全に麻痺し、彼は大の字になって前のめりに地面に倒れ伏した!
そして小刻みに、動けぬ身体を震わせつつかろうじて言葉を発したのだ。
「き…………さま……!! フ……レア……の……技……を!!!」
その言葉を受け、ナユタは蒼白な貌に大量の脂汗を流しながら、ニイィッ――と口角を上げて笑った。
“耐魔匠”を名乗る強敵についに通じた、決定的な技。
そう――。ロブ=ハルスがフレアに決して勝てぬ、訳。
それが、この拘束魔導――。おそらくは、絶対破壊魔導の元素操作の力をもとにフレアが自己研鑽の末生み出した技の存在ゆえにだ。
フレアは、幾多のギルドの中で自分と最悪の相性を持つ“短剣”をねじ伏せるためにこの技を編み出し、強化してきたのであろう。
この拘束魔導は、敵の魔導のエネルギーを攻撃の糧として、敵の身体を構成する元素を固定する。己のエネルギーそのものをぶつける通常の魔導と大きく異なり、術者の放つ魔力自体は極めて微弱となる。
耐魔をすり抜け、その防御対象にもならぬほどに。
「……が……ああああ……ああ………おの……れ!!!!」
しかしロブ=ハルスは――王都でのシエイエスとは異なり、わずかずつではあるが、倒れた身体を動かしながら、立ち上がろうとしている。明らかに彼の抵抗が功を奏しており、状況の違いを見せている。
無理もない。ナユタは技の原理は見破った。それを操れる才能も十分である自負はあり、見事に成功させた。しかしそれでも、一週や数日という短時間では到底完全に身につけることなどできない。
巨大なハンデを埋めるため、先程あえてロブ=ハルスの怒りを誘い、己の身体に触れさせていた。
そうすることで、ロブ=ハルスの魔力の「形」を体感し掴み、技の的中率を上げるという補助を必要とした。大きなリスクを伴う行為までしてようやく、実現できているに過ぎないのだ。
またこの技は、100m先から針の孔を通すような――凄絶な集中力を伴う精密さを要求する。その作業は、術者の脳神経に凄まじい負荷を与える。当然それに逆らわれ、逆干渉などされようものなら負荷は加速度的に増大する。
云い方を変えれば敵の「神経を乗っ取る」に等しいこの技。相手を支配下にできているうちはいいが、不完全な状態で逆らわれた上でそれを抑え込むことは――敵と術者、互いの体内での「戦い」に姿を変えると云って良かった。
「ふっ――う……おおおおおお――!!! おおおおおおおおーー!!!!」
「ぐぬうううう…………ああああああああーー!!!!」
両眼を充血させ、まるで“背教者”のように貌中と首に太い血管を走らせて苦痛の絶叫を上げるナユタ。
それに対して、全身を痙攣させながら辛うじて立ち上がり、こちらも凄まじい気合の形相で目を剥きながらスローモーションでナユタに近付こうとするロブ=ハルス。
二人の間数mの空間では、通常の魔導対決のように目に見えはせず、魔力の波動としてはっきり感じることもできはしないものの――。紛れもない高次元の魔導戦が、行われていたのだ。
すでに出血多量で意識も危うい中、限界を超えて神経と精神を消耗させて体内物質を過剰分泌、苦痛の地獄の中ロブ=ハルスを抑え込もうとするナユタ。
全身をふるわせ、気迫と肉体の力で強引にナユタの魔導を打ち破ろうと死にものぐるいの、ロブ=ハルス。
二人の異様極まりない対決を、ホルストースは歯を食いしばり、両手をもみ絞って見守っていた。
拘束魔導が万一にでも切れれば即反撃を受けるリスクはあるものの――ホルストースが横槍を入れてしまえば、ロブ=ハルスを討ち取ることはできるかもしれない。
だが事前に、手を出さないように云われていたナユタとルーミスの強い意志を尊重したいこと。加えて実は――戦闘終了後にナユタとルーミスを抱えてヴェルから逃走するという重要任務も負っているホルストースは、迂闊に手を出し負傷のリスクを発生することは許されないのだ。
ロブ=ハルスはじり……じり……と確実に、ナユタとの距離を詰めている。
ナユタは、すでに壮絶な状態に陥っていた。
完全に赤く充血した眼球の淵から出血を始め、大量の血の涙を流している。
こめかみから頬に浮き出たものを始め、無数の血管が大きく破裂し、血を吹き出している。
折角止血した正中線への斬撃による傷からも、再び噴血し始めていた。
外から見ると一見、拮抗状態に見えるものの――。拘束魔導はロブ=ハルスに対し、苦痛は与えているがダメージは全く与えられていない。相手を屈服させるか失敗するかというこの戦いでダメージを負っているのは、皮肉にも術者たるナユタだけなのだ。
心臓は張り裂けそうに早鐘をうち続け、頭、身体、四肢全てが切り裂かれるように、痛い。細胞の破壊を誘発している証左だ。出血のダメージに加え、相手の身体を支配するのに要求される身体へのダメージの総量は、とうに限界を超えていた。
これまでの長い戦いの中でも、最大の苦痛と死への試練が、ナユタに降り掛かっていた。
そしてこれほどの犠牲を払って死力を尽くしているのに――。確実に近づいてきているロブ=ハルスは、両手に持ったジャックナイフをナユタに突き立てようと、構えをとっていたのだ。
その距離はついに――2m以内にまで縮まった。すなわちそれは――ロブ=ハルスという戦闘者の外しようもない完全な射程範囲内である。
彼はぎこちないながらも右手ジャックナイフを振り上げ、ナユタの頭上に高々と振り上げた。
そして必死の形相の中に、確実に勝利を確信したかのような笑みを浮かべて、言葉を発した。
「…………どう……やら……! 私の……気迫勝ちのようだ……!!
てこずらせ……おって……いい加減に……地獄へ、落ちるが……良い!!!」
そして、確実に力を込められたジャックナイフは、ゆっくりとではあるが、ナユタの脳天へと攻撃を開始した。
自分に近づいてくる白刃を肌で感じ取るナユタ。出血と苦痛で限界突破の朦朧状態にあるナユタの脳内で、弱音に近い想念があふれ始める。
(ダメ……なのか……? 所詮あたしの力では、将鬼を斃すことなんて……夢のまた、夢だったってこと……なのか。……お笑い、草だ……そんな程度で、世界最強の魔導士になろうなんざ……ほざいてたなんてさ……!)
時間の流れが異なるかのように高速で回転しはじめたナユタの脳内では、想念が続く。
(ランスロットには……申し開きしようもない。トリスタンにだって、エティエンヌにだって……。形は違えど、あたしがここで死んじまったら、みんなのその死が無駄になっちまうも同然だっていうのに……。
あたしを大切な娘って呼んでくれて……。帰りを待ってくれてる、おばちゃん。今度は――あたしの旦那になる男だよ、て云ってホルスを紹介しなきゃいけないのに――。帰れなかったら、きっと、悲しんでくれるんだろうけど、そんな辛い思いを、させちまう――)
そこまで想いが及んだところで――。
ナユタはギリッ……と奥歯を大きく鳴らした。
(冗談じゃ、ねえ……。今もう、このナユタ・フェレーインの命はあたし一人だけのものじゃあない……。
皆にとうてい申し訳が立たねえばかりか、そもそもここであたしが殺され拘束魔導が解ければ、ルーミスも……ホルスも命がなくなる。復活したこのゲス野郎に命を奪われる。場合によっちゃあ、たぶん足腰立たなくなったシエイエスを抱えてるだろうレエテにまで、ゆくゆく危険を負わせることになる。
そんなことは……)
ナユタの血に染まった両眼が、彼女を愛するホルストースにすら巨大な戦慄を覚えさせるほどの、驚異の気迫による光を放った!
「そんなことは――させねえええええええええ――!!!!!」
そして――ジャックナイフの切っ先がわずか脳天10cmの距離にまで到達した、ギリギリのタイミングで――。
叫びとともに想念が通じたとばかりに、切っ先は急停止し――。
完全に硬直したロブ=ハルスの身体は、ナユタの身体を避けるように右斜め前に、うつ伏せに倒れていった。
「がっ――なあああ!!??」
今度は――。
完全に、動かない。指の先をピクリと動かすことさえも、できない。
勝利したのだ――。ナユタが。ここに至りロブ=ハルスの肉体を完全に拘束魔導の支配下に置いたのだ。
そしてもはや――敵が僅かの抵抗を試みることもできなくなった以上、ナユタの身体に過大な負荷がかかることも、ない。
ナユタは残された最大限の力を込めて、ロブ=ハルスの丸く禿げ上がった頭をブーツの踵で踏みつけた。
「ぬうううう!! ……おおおおおおお!!!!」
「ハア……ハア……ハッ! ……気分は……どうだい、ゲス野郎……!
てめえの強大な魔力がまさに仇となり……文字通り全ての自由を奪われ――このあたしの……完全な奴隷に成り下がった気分は……!!!」
「がああ……てめえ……てめええええ……!!! ……クソ女がああ……!!!」
「ハア、ハア……またそのクソみてえな本性を引っ張り出せて……満足だ。てめえに相応しい、みっともねえ姿をさらしたまま、地獄へ行きやがれ……!
因みにその役目はな……ハア……ハッ……残念ながらあたしじゃ、ねえ……。
最もその役目……死刑執行人に相応しい男が、担う……。てめえに……最愛の父親を殺された、ルーミスがねえ!!!」
ハッとして眼球だけを後方に向けたロブ=ハルスの視線の先に――。
ルーミスは立っていた。
赤銅色の肌と、白い眼球の鬼人の状態を維持したまま――。
損傷し激痛を伴う内臓を抱え、足を引きずりながら――ようやく到達していたのだ。
待ちに待った、仇敵に止めを刺せる、まさに絶好の位置にまで。
その両眼は――鬼人化しているからではない。差し引いても恐るべき怨念に満たされ、いかなる慈悲も行う意志がないことは明らかであった。
「ロブ=ハルス――!!! 本来ならナユタに譲るべきところだが、キサマに対してだけは――!!! このオレも、自分の手で止めを刺す欲求を止められそうにない。
覚悟、しろ――。ついに来たのだ。神の正統なる裁きのもと、キサマという淫魔が本来居るべき地獄に落とされ罰を受ける時が!!!!
許しはしない――。レエテの家族を殺し――。ナユタの身体を穢し――ランスロットを死に追いやったキサマ。オレの、父さんの命を! 奪ったキサマを!!! 今ここで殺し、復讐を果たす!!!!!」
復讐鬼・ルーミスの右手は、その極大の怒りに比例して増大し、“熾天使の手”へと変貌を遂げていた。
ルーミスは、高々伸ばしたその巨大で禍々しい手一杯に――法力の光を宿した後、憎悪を込めて一気にそれを振り下ろした!
「“熾天使の手” “過活性放出”!!!!!」
そしてその手がまさに己の頭に降りかかる寸前――。
淫魔は、飛び出しそうにギラついた邪悪すぎる目を白目にし――。最後の抵抗か「一瞬だけ」信じがたい力を発揮し、拘束魔導を破り、右手のジャックナイフを水平に振り抜いたのだ!
「俺様ヒトリだけでええええええ!!!! 死にやしねええええ!!!! てめえらも道連れダアああああああああああああああ!!!!!」
その最後の反撃が、ルーミスの両脚を寸断し、かつナユタの脇腹を削り取るのと――。
“熾天使の手”の放出する極大法力が上空からロブ=ハルスの頭部と胴体を叩き潰し砕き尽くし、血と脳漿と内臓に分解するのとは、ほぼ同時だった!
「ぐあっ!!!!」
「うぐ……あああっ!!!!」
ルーミスとナユタは、同時に苦悶に満ちた悲鳴を上げた。
ルーミスは地に立つ脚を失い地面に落下し、ナユタは拘束魔導の解放と深刻な重傷により、一気に力を失って両膝を地に付いた。
「ルーミス!!!!! ナユタあああ!!!!!」
ホルストースが絶叫し、二人の救護に向かおうとする。
大きく息を継ぎながら、削られた脇腹とふらつく頭を押さえるナユタ。
もうあと数秒とはもたずに意識を失うだろうことは、間違いなく自覚していた。
振り返り、茫漠とした視界の中に、必死の形相の最愛の男の姿を捉えたナユタ。
(ホルス……。――ッ!!! ――!!!!!)
意識を失うその直前。
ナユタは、見た。信じがたい、見ては、いけないものを。
ホルストースの背後、数m先に――。
その存在は、居た。漆黒の巨大な影、森林の風景にできた、巨大なシミのようなその巨凶の、姿が、あった。
2mを超える、およそ人間に付け得るものとは信じられない、岩石のような、鋼の束のような、筋肉に覆われた、巨体。
褐色の肌を黒い、豪華な刺繍で覆われたボディスーツとマント――かなりボロボロになってはいたが――で覆う。短い銀髪の頭部の中央にある貌は、黄金色に輝く闘気に漲りきった両眼と深い肌の険によって、いかなる戦士も瞬時に萎縮させる極限の威厳を周囲に降り注がせている。
その姿を目にしたのは初めてだが、どうして何者か分からぬ事があるだろうか。この世に一人しか居ない存在だ。
遂に、追いつかれてしまったのだ。淫魔を仕留めきったものの、後に続くこの災厄、地上最強の神魔の追跡を振り切ることはできなかったのだ。
「“魔人”――ヴェ――ル――!!!!!」
絶望の表情で一言、発したその後に――。
ナユタの意識は、己の地に崩れ行く身体とともに、彼方へと遠のいていったのだった――。




