第十五話 耐魔匠ロブ=ハルス(Ⅲ)~命をくれた大切な、家族(ひと)
ルーミスは――ついに将鬼としての全力を解放したロブ=ハルスの強撃によるショックで、意識が朦朧としていた。
今は、絶体絶命の危機だ。自分はこんなところで倒れている場合ではないのだ。すぐにナユタを助けに向かわねばならない。
ようやく、幹に身を委ねながら立ち上がるだけ立ち上がったルーミス。だが――前面から真っ二つに切断された“熾天使の手”は、イクスヴァに全力の法力を流し込んでも修復に時間を要する。これに頼らぬ他の手段を模索せねばならないが、頭が酸欠状態でうまく回らない。
額を押さえながらようやく前方に目を向けたルーミスの前に――ひとりの人物が佇んでいるのがうっすらと捉えられた。
その姿に――ルーミスは心底驚愕し、眼尻が避けんばかりに目を見開いた。
「と……父……さん……!!」
そう――。
そこに静かに佇んでいたのは、ルーミスの最愛の父――。
自分をかばい、まさにあのロブ=ハルスの凶刃によって切り裂かれ、命を奪い去られた父、アルベルト・フォルズに他ならなかった。
(ルーミス……。お前は……今、恐れているな)
「……え……?」
以前の父そのままに、厳かで優しい声。それがルーミスに語りかけてくる。細められた目は、溢れんばかりの慈愛に満ち満ちていた。
(お前は、誰か大事な仲間とともに闘うとき――。常に恐れている。失うのではないかと。この私と同じように)
「……そ……それは…………」
(お前が恐れるのと同じように――相手の仲間ももちろん、お前を失うことを恐れている。
だが――。彼女らは、強い。その思いを、勝利に向う気迫に変えている。
それが、いかなる絶望の淵であったとしてもな。あの女魔導士――ナユタのように)
「……」
(お前にも――それはできる。お前は――大人になった。強くなった。試練と闘いと、大切な女性との出会いと別離を経てな。
私や、シエイエスがいなくとも、自分の足で立ち、ブリューゲルを守り、仲間を守って来れているではないか。
心を、整えよ。前にも云った。お前は正しく強い子だ……。迷うな。信ずる道はもう、見えているはずだ……)
言葉を継ぐごとに――。アルベルトの姿はおぼろげなものとなり、ついには蜃気楼のようにあやふやなものに変化した。
「――いやだ、父さん……。行かないで……!」
(私は……常にお前を見守っている……愛している……ルーミス……)
「オレも……オレもだ……!! 父さん……!!!」
目頭に涙を浮かべ、左手で宙をあおぐように伸ばしたその先で――。
父の姿は完全に、消えた。
それに代わって、左手の先に現れたもの。
それは――大事な仲間と――悍ましい仇敵の、姿。
身体を縦に切り裂かれ身も顕に血をしたたらせるナユタ。そしてそれをいたぶる、ロブ=ハルス。
それを見た瞬間、ルーミスの混濁した意識は一気に現実に引き戻され、頭頂部へ突き抜ける激憤を感じた。
それと同時に、父の言葉を強く脳裏に残したルーミスの心は己でも不思議なほどに整えられ、冷静に次なる行動に移行していた。
“熾天使の手”を収納し、“聖照光”としての通常の大きさに戻す。
次いで、その割れた右手で喉笛を、左手で鳩尾を深々と突き刺し、体内を循環する法力を一気に集中させて流し込む。
「“鬼人霊統過活性”! 」
それは、レエテによってもたらされた情報によって再現した技――ゼノンが使用した絶技だった。
血破点打ちのような形状の変貌ではなく、鋼のような筋肉に変化しつつ身体の色が赤銅色に変化する。ついで髪が硬質化して立ち上がり、両眼の瞳が白く濁る鬼の双眸に変化する。
一気に絶大な力を全身にみなぎらせたルーミスは、矢のように飛び出し、ロブ=ハルスの背後から背を向けて体当たりで打ち掛かる!
「“鉄山”!!!!」
ゼノンの裡門に匹敵する体術の強撃は、怒りで集中力を欠いたロブ=ハルスの反応を僅かながら上回り――。
2mの巨体を側方に吹き飛ばして、ナユタの口と首から手を離させた。
ナユタは樹の幹を背に、ガックリとうなだれる。
「ナユタ!!!!」
ホルストースがナユタに駆け寄るのを横目で確認し、鬼人と化したルーミスは右手の手刀を振り上げてロブ=ハルスに襲いかかる。
しかし――身体を2つに折って下をうつむくロブ=ハルスの反応は、今度は余裕で間に合い、鋭い右手、“聖照光”の上段斬りの一撃を、左手のジャックナイフで完全に受け切る。
そして眼光鋭く、間断なく下段から振り上げられるジャックナイフのアッパーカット。
「ぐっ!!!!」
ルーミスは必死で左手で反応し、刃の柄を握るロブ=ハルスの右手拳を受け切る。
が――刃が当たらなくとも、拳によるアッパーカットだけで即死級の威力を誇る強撃は、体格で大きく劣るルーミスの身体を高く打ち上げた。
8mほど飛ばされたルーミスは身を翻し、受け身をとって着地するが――。そこへすでに難なく踏み込んできていたロブ=ハルスは、鬼気迫る表情でルーミスに連撃を繰り出す。
まるで――。巨大な連弩で打ち出された巨大な刃のように、数十のオリハルコンの刃が前方左右、上方下方斜めあらゆる角度からルーミスの身体に襲いかかる。
強化された視覚聴覚触覚すべてを駆使してどうにかそれを受け切ろうとする、ルーミス。
だが、第一に刃を両手に持つ敵に対して、右手が同じ鍛造オリハルコンの義手であるとはいえ素手、しかももとより比較にならぬほどのリーチ差というハンデ。
加えて、何よりもロブ=ハルスの圧倒的な凄みを帯びる域の、至高の体術。人間の限界などはるか下方に見下ろすような、魔の身体能力。それらがもたらす脅威の速度と手数で迫る、連撃の大物量。それでいて一撃一撃が必殺の威力を誇る突撃の完成度。
到底それらを受け切ることなどできず、一撃、二撃、三撃――。無数の刃を肩に、腕に、胸に、腹に、脚に受けて血を吹流していく、ルーミス。
「ぐ――ぐうおおおおおおおーーっ!!!!!」
うめきながら後方に飛び退るも、すぐに追いつかれ――。鬼人と化したルーミスの目に捉えることも困難な、絶技の回し蹴りが砲弾のようにルーミスの切り裂かれた胸部を捉え、陥没させた。
同時に衝撃でまたも直線的に吹き飛ばされ、今度は5m大の岩に激突し、岩を粉々に砕きながら――。大の字の姿で頭、そして身体のあらゆる傷から大量の血を吹き出す。
「があああああ!!! うぐううう……!!!!」
鬼人の体力で踏みとどまるも、あまりのダメージに膝を付いてしたたかに血を吐く、ルーミス。
やはり――将鬼。今の自分の実力を持ってしても、化け物と云わざるを得ない。メイガンを子供扱いしたルーミスだが、統括副将と将鬼の差は、あまりに大きかった。極限の強化をしている自分に対し、敵は基礎体術だけで圧倒しているのだから。
ロブ=ハルスはジャックナイフを持った両手を斜め下に広げ、直立して目を閉じ、大きく深呼吸をした後にルーミスを見下ろした。
この激烈な体術の応酬の中で、彼は先程の本性が顕になるほどの激怒から頭が冷え、完全に己を取り戻したようだった。
「――ふううう……。私としたことが、すっかり頭に血が上ってしまっていましたが、貴方のおかげで冷静さを取り戻すことができましたよ、ルーミス」
余裕の笑みさえ浮かべながら、ルーミスに向ってゆっくりと歩み寄ってくるロブ=ハルス。
「たしかにこのロブ=ハルスの最大の武器は、耐魔。慢心ではなく正真正銘、現世のどのように強力な魔導であろうと、このロブ=ハルスには塵ほども通用しない。現に先刻の皇国との会戦でも、相手の善戦を引き出すためあえて対しませんでしたが――。あの“紫電帝”ヘンリ=ドルマンの雷撃ですら、私は距離に関係なく弾くことができる。対魔導においてまさに絶対の、無敵。貴方が“光弾”などを使用しなかったのは賢明といえるでしょう。
ですが、だからといって――。物理攻撃でならば隙をつけるなどとは、思い上がりも甚だしい。私を一体何者だと? サタナエルの力の象徴、将鬼なのですよ?
まして貴方のその猿真似のゼノンの鬼人化。よくできてはいますが、残念ながらオリジナルには遠く及ばない。断言しますが、貴方の勝算は、ゼロ。せめて今すぐにでも、ホルストースとの共闘を勧めますが? まだ、続けますか?」
返す言葉も、ない。今の己では、対抗できる相手ではない。それは事実だ。
だが、ルーミスとて、無条件に己一人の力が通用する相手だと決めつけて闇雲に向って行っているわけではない。
彼は、流れた血で真っ赤に染まった貌の中で、口角を上げて不敵に笑った。
「――たしかに、オレ一人ではキサマを斃すことは不可能だ。それは認めよう。
だがキサマは甚だしい勘違いをしている。そもそもの最初から――オレたちが勝機をかけている存在は、常にたったの一人だ。
他に誰が、居る? あいつ以外に、本当の勝機を左右できるほどの存在がこの場に、居るか?
ナユタ、あいつの他に!!!」
その言葉を受け――ロブ=ハルスはハッとして背後のはるか後方に置き去りにした、ナユタの方を見た。
ナユタは、服をはだけたあられもない姿で、血まみれの姿でうなだれたままだった。
ホルストースが持ち出した止血灰によって傷は塞がったようだったが、失った血液はかなりの量だ。ナユタのような通常女性の体力では、意識を保つのも難しい状態のはずだ。
だが彼女が体幹から放つ得体のしれない魔力の動きを――。ロブ=ハルスは確実に感じていた。
何をする気かわからないが――不気味極まりない。何かが、不吉な尾を引くように引っかかる。
そしてナユタは――血の気の引く脳内で、ある大切な存在に思いをはせていた。
(ランスロット――)
遺跡の激戦で自らを犠牲にして彼女を救った、最高の友。身寄りのなかったナユタにとって、家族の一員と云っていいかけがえのない、存在。
(以前のあんたならオロオロして、あたしの指示がなきゃなんにもできなかったけど、段々と凄く頼もしくなって――。あたしの間違いを正してもらったり、奮起させられたりするほどの激励役にまでなってくれてた。
そのあんたがいなかったら、あたしは今この場にいない。
あんたが今この場にいたら――なんて云ってくれたのかなあ?
“大丈夫だ、ナユタ、君ならできる。必ずあの変態野郎に力を通用させ、目にもの云わせられるさ”
そう云って、励ましてくれたかい――?)
思考をめぐらせるうち、自然とナユタの身体は、足元から徐々に、ゆっくりとだが立ち上がっていった。
ホルストースがぐっと表情を引き締めて、ナユタに問うた。
「ナユタ……。『行けそう』なのか……?」
ナユタはゆっくりと、蒼白になった貌をしかし笑顔を浮かべながら上げ、ホルストースに返した。
「ああ、ホルス……。ここへ来て、あたしのランスロットが、力を与えてくれたよ。
『行ける』……。今なら、あの野郎にあたしの真価を発揮し、力を通用させられる――」
そして一度奥歯にぐっと力を込め、ロブ=ハルスに向けて彼女は叫んだ。
「ロブ=ハルス!!!! ちょっと時間はかかったが、あたしの『準備は整った』。
今こそ、宣言どおりあたしの魔導をもっててめえに死をもたらしてやる!!!!
かかってこい!!!! 遠慮はいらねえ、真っ直ぐにだ!!!! 直接対決と行こうじゃねえか!!??」




