第九話 エスカリオテの会戦(Ⅵ)~反逆の将鬼
ミナァンと同様に、愛する存在カールを奪われたヘンリ=ドルマンも――。身の毛もよだつような激怒の凶相で、充填を終えた魔導を放っていた。
「ヴェルゥゥゥウウウーーッ!!!!! 神雷審判災禍・収束――」
しかし今度は、ヴェルも完全に発動まで待つようなことはしなかった。
一気にヘンリ=ドルマンへの距離を詰め、右結晶手を上から下に向けて縦に薙いだ。
そして攻撃は交錯し――。
ヘンリ=ドルマンの、半分まで発動を果たした魔導はヴェルの左手左足を吹き飛ばし――。
ヴェルの結晶手の一撃は、ヘンリ=ドルマンの左半身を寸断していた!
「陛下!!!!! 陛下ああああああ!!!!!」
ようやく、戦車にまで到達したミナァンは即座に飛び乗り、ヘンリ=ドルマンに駆け寄った。
グチャグチャに寸断された左腕・左足を失った部分から夥しい出血をしているヘンリ=ドルマン。その部分に、必死の形相で氷雪魔導をかける。超低温により凍りついた傷口は、たちまち出血を止めた。
紙のように白くなった貌。しかしその紅い唇からは、確実に浅い息が漏れている。
まだ、生きているのだ。
そして続いて飛び乗ってきたイセベルグが、その魔工具の力で増強された筋力で、ヴェルに渾身の蹴りを加える。
さしものヴェルも、片側の手足を失った状態では不意打ちに対して本来の力を発揮できず、吹き飛ばされ戦車から突き落とされる。
それを見極めたミナァンは、皇国軍に向けてあらん限りの絶叫で宣言した。
「我が皇国軍に次ぐ!!!!! 全軍、退却!!!!! ローザンヌまで、退く!!!!!
我が軍の敗北である!!!!! 無事な隊は殿を果たせ!!!!!
そして早急に!!!!! 法力衛生兵の手配を!!!!!」
イセベルグは、即座に戦車の手綱を握り、馬を走らせて北西エストガレス方面に進路をとった。
彼らは必死だったが――。なぜか、最前からこの様子を傍観していたフレアは戦車を襲ったり、追跡する様子は全くなかった。
それにより、戦車はどうにか、危険域から逃れ得た。
小さくなっていくヴェルの姿から目を離し、ミナァンは車上の最愛の夫だったものに――目を向けた。
ヘンリ=ドルマンの側を離れることができない彼女は、大粒の涙を流し――断末魔の表情を浮かべる夫の貌を見つめ続けた。
「……カール……カール……。ううううう……」
そして――戦車が行き過ぎたのを見極め、片足となってもなお平然と地に立つヴェルの姿を見極め、フレアは突如謎の行動に出た。
天に大きく掌を突き出し、一直線に赤い光線を空に向けて放ったのだった。
すると、それが合図だったのか――。
戦場の西にあった山岳の中腹から、一個の飛翔物が飛来してきた。
恐ろしい速度で、巨大な羽音をさせつつ近づいてくる「それ」は、グリフォン。
フレアの魔導生物、ベルフレイムだった。
ベルフレイムは瞬く間にフレアの上空に到達し、背中の鞍に設置された魔工具のウインチからロープを垂らした。
フレアはそれに魔導を伝わらせ、巻き上げた。そして鞍にまたがる。
静かな眼差しでそのフレアを見上げる、ヴェル。フレアはまっすぐにその目を見据え、冷ややかに云った。
「“魔人”ヴェル。現在ただいまより、この将鬼長フレア・イリーステスは――。我が“魔導”ギルド兵員と副将、そして統括副将キケロ・キルケゴールとともに――。
サタナエルを見限り、組織を抜け、貴方のもとを去ることを宣言しますわ」
「……」
「これは10年以上前から、私が計画していたこと。このときを、待ち焦がれていましたわ――サタナエルが決定的に弱体化する、このときを。同時に大陸の大国も弱体化する、このときを。
そのために私はあらゆる権限と知略を行使し、この結果を誘導しておりました。
今この瞬間より、私はキケロを現王に据える『ボルドウィン魔導王国』の――国王となります。
これよりかの地に赴くにあたり、将鬼ロブ=ハルス・エイブリエルも同様に我が元に加わることをお伝えしておきますわ」
「……」
「今まで過大なお世話になり、感謝しておりますわ。私を取り立てて頂いたこともそうですし、貴方との夜伽の場、とても楽しいひとときでしたわ。フフフ……。
それでは、ごきげんよう!!!!」
それだけ云い終えると、フレアはベルフレイムとともに――。
西の方角に飛び去っていったのだった。
現在思うように跳躍することのできないヴェルは、その様子を見守る以外に手段を持ち得なかった。
*
そして――。ミナァンとイセベルグを敗走させ、それを追跡していたロブ=ハルスとレーヴァテインの父娘二人。
彼らの元に、大きな羽音が近づいてきた。
見上げた先に近づいてくるベルフレイム、その背のフレアを見て――。
ロブ=ハルスはニィィッ、と口角を吊り上げ愉悦の笑みを浮かべた。
そして隣に馬を進めるレーヴァテインに、手を差し伸べ、云った。
「聞きなさい、レーヴァテイン。手短に云います。
お前の魔導の師、フレアはたった今、サタナエルを裏切りました。
彼女はかねてからの計画にしたがい、“魔導”ギルド全員を率い、ボルドウィン魔導王国の王となるのです」
「――!!!」
「そして私はそれに賛同し、彼女の元に加わることに決めました。
恩義ある師、そして父。これらが立ち上げる勢力に、お前が加わらない道理はない、そう思いませんか?」
「……」
「まだ滅びはしないでしょうが、サタナエルはもはや完全に、大陸の絶対君主ではなくなりました。
ここに居続けても、未来はない。新たな思想、新たな組織のもとで新たな理想を追い求める。
素晴らしいことではないですか?
悪いことは云いません。お前も私たちと一緒に来なさい、レーヴァテイン。
フレアはきっと、お前にも然るべき地位を保証し、悪いようにはしないでしょう」
レーヴァテインは、突然に突きつけられた驚くべき事実を、数秒の間咀嚼した。
そして一旦目を閉じ、見開いたあと――。
強い決意に満ちた、同時に強い侮蔑を含んだまなざしを実の父に向け、決然と云い放った。
「悪いが――あたしは、あんたと一緒には行かない、親父。
あたしはサタナエルの一員であり、ヴェル様の親衛隊長だ。あの方を裏切るようなことは、決してしない」
ロブ=ハルスは――。意外だったのだろう。目を大きく見開いて娘に問うた。
「なんですと? それは、本気ですか?」
「本気だ。あたしは己の忠誠や矜持を曲げるようなことはしない、と云っている。
それに今――美辞麗句を並べてたが親父、あんた1ミリだって、フレアのそんな思想だの理想だのに共感なんてしてねえだろう?
あんたは、そんな人間なんかじゃない。どころか、人間の名に値しないクズ中のクズだ。
ただ、己の欲望のみに忠実に生きる存在。その為ならば、他人をどこまでも利用し踏み台にし続けられる、存在。
自分が、気ままに戦いを楽しみ、気ままにイイ女を沢山犯したい、ただそれだけのために安易で安全な場所を選んでいるだけだ。現にサタナエルに被害がなかったら、あんた裏切るのを止めたろ、違うか?」
「…………」
「そんな人間を、強いってだけでホイホイ受け入れ、裏で汚ねえ打算と謀を巡らしてるだろうフレアも、到底信用なんてできない。
あたしには、プライドがある。ヴェル様への、敬意がある。それだけだ。
沢山の、あんたのガキの中からあたしを大事に育ててくれたのだけは、感謝してる。
けど、ここでお別れだ。それでこの話は、終わりだ」
冷徹で、毅然とした、レーヴァテインの言葉。
ロブ=ハルスは、己に本気で反逆したことなどなかった娘の、正面からの侮蔑の言葉に額の血管を蟲のように浮き上がらせるほどに激怒した。
だがすぐに――今はそのような、娘に制裁を加えているような時間はないのだと思い返し、恐ろしく深い呼吸をして心を整えた。
「――わかりました。そこまで云うのならば、好きにするがいいでしょう。
この後は、我らは敵同士です。戦場で会うことがあれば、今の侮辱をすすぐ報いを受けさせることになります。覚悟しているがいいでしょう」
それだけ云うと、馬上から恐るベき跳躍をとげ――。
己の頭上にやってきたベルフレイムの鞍の上まで、10m近い高さを難なく飛び、フレアの後ろの鞍に騎乗したのだった。
突風だけを残し、今度はヴァーレンハイトの方向に飛び去っていくベルフレイムを、レーヴァテインは数秒の間目で追った。
がその後、興味はないとばかりに目を逸らし、己の主人のもとに向っていったのだった。
*
ベルフレイムの鞍の上で、フレアはチラリとロブ=ハルスをみやり、冷淡な声をかけた。
「どうやら、レーヴァテインの懐柔には失敗したようね。
まあ何となくわかっていたことだけど。貴方の娘に対するしつけがなってないというよりは、貴方自身の人望の問題なのでしょうね」
ロブ=ハルスは目を閉じ、この話には応じなかった。そして話題を変えた。
「今向っているのはヴァーレンハイトですか? あの男、を連行するために?
……まったく、恋する乙女のような行動、将鬼長フレアも焼きがまわりましたね。あ、失礼。元、将鬼長でした」
「……私の身体に触ったら、即振り落とすわよ。……私は、云った約束を確実に果たそうとしているだけよ。貴方のような無節操の輩と一緒にしないで、元、将鬼さん。
そういうことで悪いけれど、重量オーバーになるから貴方は、エグゼビアの国境付近の森で降りていただくわ。あとは自力でボルドウィンを目指して頂戴。キケロに話は通してある。
警告しておくと……。おそらく、30分もあれば必要十分にヴェルは身体を再生してしまう。彼の性格からして、落とし前のために一度は全力の追跡をしてくる。
逃げ切ることを、祈ってるわ。せいぜい、頑張って頂戴」
それを聞いて、ロブ=ハルスはゴクリ……と一度生唾を飲み込んだ。
そう、一度はヴェルの追跡を逃れなければならないのだ。
ロブ=ハルスのみならず将鬼は全員、ヴェルがいかに自分達など及びもつかない恐ろしい魔物であるか身にしみて知っている。教育した己の技術を師よりも使いこなしていく天才、そして天性の苛烈な性格、カリスマ。すべての次元が違うのだ。
フレアの計画でも、ヴェルを殺すことは想定の埒外であり、時間稼ぎによる寿命の到来を待つことになっているほどだ。
己の自業自得であるとはいえ、その修羅場を思いロブ=ハルスは気を引き締めるのだった。
*
その頃、レーヴァテインは王国軍とともにヴェルのもとに到達。
すでに敗走した皇国軍の追跡と、戦場の後処理を軍に命じて、彼女はヴェルの元に駆け寄った。
そしてひざまずき礼を取り、云った。
「“魔人”ヴェル。大陸最強魔導士ならびに、大陸最強の皇国軍に対する勝利、お見事でございました。
同時におわびを申し上げます。将鬼長フレアと、我が父、将鬼ロブ=ハルスの裏切りを止められませなんだことを」
ヴェルはすでに、自力で集めた己の手足を傷に当てて再生を待っているところだった。
想像を絶する、激痛であろうに、眉ひとつ動かさずに直立する姿。驚嘆せざるを得ない。
「勝利などと、呼べるものか。皇帝めは命をつないだ可能性がある。
裏切りに関しては、まずは我が元に残ってくれたお前に、礼を云っておこう、レーヴァテイン」
思いもかけず自分をねぎらう言葉をかけられ――。レーヴァテインは思わず、感動のあまり涙ぐんだ。
「は――ははっ!!! もったいなき――お言葉――!」
「フレアに関してはな。もとより俺にも組織にも心がないことは見抜いてはおった。お前の父の本性についてもな。このタイミングで裏切ることを予想できなかったことは、俺の力不足というべきだが」
「――! でしたら、なぜ、あの者たちに地位を与えたままにしておいたのです?」
「強く、有能だからだ。ほかに理由が必要か?」
「――!!」
「人間は多種多様なのだ。いかな者も責と共に従えることが、王者の資質の一つ。従えた者の諸々の問題についてはあくまで、統率する者が解決すべきものでしかない。
俺は力及ばずそれを解決できなかった。それだけに過ぎん」
レーヴァテインは眩しそうな目で、ヴェルを見た。
この方は――何と偉大な方なのだろうと。自分の目は、間違っていなかった。
だがよもや自分が、このような忠節を誰かに尽くすようになろうとは、思ってもみなかった。
どちらかと云えば、父と同じく気ままな人生を歩んできた自分。それが変わってきたのは、「あいつら」と戦ってからか――。いや、今は、考えるのはやめよう。
「大いなる損害は受けたが、まだサタナエルは戦力を有している。
本拠に戻り、“第三席次”めと今後の策を協議する。そして勢力の再結集を行う。一度大陸の勢力全てを招集する必要もあろう」
「はっ!! 仰せのままに」
「だが本拠に戻る前に――。裏切り者どもには一度は精算を果たしてもらわねばならぬ。
俺は身体が再生しだい、ボルドウィンに向う。
そしてフレアとロブ=ハルスを捕捉次第、これを討伐する。もしもボルドウィンに到達しても奴らを捕捉できなければ、本拠に戻る。これについては1週間を期日とする。
それまでの間、王国軍の撤収と後処理、本拠への連絡については、お前に一任する、レーヴァテイン。そのためにお前を、暫定将鬼長に任命することも、同時に申し伝えておく」
「は――ははっ!! ありがたき、幸せ! 必ずや、ヴェル様のご不在の間、滞りなく進めまする!」
深々と頭を垂れるレーヴァテインから目を離し、ヴェルは西の方角に目を向けた。
それは――その最果ての地にあるボルドウィン魔導王国はもちろんの事だが――。
その方角のいずれかに居るであろう、彼の血を分けた双子の妹。
レエテに対しても、怨嗟とともにその目を向けていたのだった――。




