第六話 エスカリオテの会戦(Ⅲ)~王者と毒婦、そして二人の暗殺者
その頃――。西側と対をなす東側ブロックでの、激突の場――。
東側の総大将は、ドミナトス=レガーリア連邦王国の第一王子キメリエス・インレスピータ。四騎士と同格の暫定の将軍位を与えられている彼は、王太子にふさわしい統率力、弟ホルストースに劣らぬ勇猛さでもって戦を優位にすすめていた。
だが彼の指揮と実力もさることながら――。それにはもう一つの要因があった。
エストガレスのファルブルク侯爵領に助勢した後、東方より駆けつけていたドミナトス=レガーリア王国軍の力も大きかったのだ。
ドミナトス=レガーリア王国軍はたった1000人の小勢だが、この場にいるどの兵士も子供扱いするほどに勇猛だった。
そして――。先頭を切って、馬上より輝く長剣を縦横無尽に振り回す、大将にして最大の戦力。ドミナトス=レガーリア連邦王国国王、ソルレオン。
彼の戦力としての脅威が最大の要因だった。ソルレオンの超一流の剣術と体力も背景に、敵の命をことごとく奪っていく、アダマンタイン製の神剣アレクト。どんな鎧も盾も切り裂く神の業物の前には、エスカリオテ王国軍も劣勢に立たざるを得なかった。
齢55になるとは思えぬ勇猛さで、敵陣深くまで切り込んでいくソルレオンと、彼の配下たち。
数千以上の敵兵を討ち取ったかと思えた、その時。
ソルレオンは――。首筋に無数の針が刺すような激烈な殺気を、感じた。
その直後――。彼に付き従っていた背後の蛮族の戦士たち数十人の首や胴が、一瞬で弾け飛び――命を奪われたことを肌で感じとった。
大いなる人外の脅威が自分の背後に迫ったことを実感し、戦慄するソルレオン。
「おおおおおらあああっ!!!!!」
裂帛の気合とともに、アレクトを背後に向って振るう。
刺客として迫る人外の存在は、賢明にその攻撃を受けずして逃れた。
そして着地した場所でまっすぐ立ち上がった、猛々しくも、麗しい姿。
「これは、これは……同じサタナエルでも『一族』の、それもこんな別嬪さんに狙われるとは、俺もまだまだ捨てたもんじゃねえ罪な男、てことか? 嬉しいねえ。
俺は連邦王国国王、ソルレオンだ。美しいお嬢さん、お名前を伺っても?」
鋭い眼光を保ちつつも相好を崩したソルレオンの、視線の先の女性は――“参謀”ドミノ・サタナエルその人だった。
数十の猛者たちの命を瞬時に奪った両手の結晶手は、血で真紅に染まり上げられている。
ドミノは蔑むように胸をそびやかし顎を上げ、一抹の好奇心に目を輝かせてこれに応えた。
「あたしはネエ、ドミノ・サタナエル。確かにお歳の割にはとっても魅力的な男なのは認めるケド、おじ様。このあたしと付き合えるほど体力に自信がおありなワケ? だったら考えてみようかなア……?」
「ああ……保証する。まだまだ若いモンには負けねえ。十分夢ぇ見させてやれるぜ……。
たとえば――こんな風になあ!!!」
叫ぶなり、ソルレオンは馬上から跳躍し、アレクトの軌跡を走らせた。
――疾い。アレクトの威力も相乗すれば、副将程度までなら一瞬で脳天から割られているであろう鮮やかに過ぎる剣技だ。
完璧な一閃はドミノの眼前にまで迫り、取ったかに思えたが――。
ドミノは余裕の表情で左手結晶手を振り、アレクトの刃を受けずして己の刃で左側へ流し、ソルレオンの体勢を崩させた。
流石の立て直しで相手の後方に着地したソルレオン。それを振り返り、哄笑とともに罵声を浴びせるドミノ。
「プッ!!! ハァーハッハッハッハァーー!!! 駄目駄目、全然ダメ、大々期待ハズレ。そんな程度じゃ途中で折れて終わるのが関の山。最初のモノだけ立派で後は見掛け倒し。典型的なガッカリ男だわ、あんた。ヒャハハハ!!!」
品性は下劣なようだが、敵の強烈な知性と――絶対の自信に相応しい魔物的な強さを、今の競り合いで感じ取ったソルレオン。
まともにやりあっては、アレクトの優位性をもってしても勝ち目はない。戦慄に冷や汗を流しながらも、作戦を脳内で巡らせる。
「ハッ!! ……前言撤回だ。見間違いだった。やっぱよく見たらとんでもねえブス女だったわ、お前。
同じ一族でもな。バレンティンで見た、この世で一番の女神みてえな、最高の別嬪女。
あのお嬢さんに比べたら外も中も、本当足元にも及ばねえドブスだよ。あーあ。俺もとんでもねえ貧乏クジ引いちまったもんだぜ」
レエテを引き合いに出した、その挑発を聞いたドミノは――。一瞬貌を青黒く変色させるほどに、激怒した。
ドミノは、レエテの絶世の美貌にずっと以前から嫉妬し、劣等感を抱き続けてきたのだ。
マイエはともかく――。取るにたらないこんな小娘ふぜいが、明らかに自分を凌駕する美貌と魅力的な肢体を持ち合わせている。
昔からレエテの姿を見る度、ドス黒い気分になった。たまの享楽に溺れる宮殿でも、レエテと比較して陰口を叩かれているのを知っていた。
ドミノは、悪鬼羅刹の表情のまま、弩級の黒い矢となってソルレオンに襲いかかった。
そのプレッシャーは――地の底から幾重もの巨大な闇が覆いかぶさってきたかのようだった。
百戦錬磨のソルレオンも思わず心臓を掴まれるような恐怖を感じたが、これは彼の狙いどおりの展開だった。
怒りで我を忘れ、一直線に向ってくる敵の攻撃は、神剣にとっては飛んで火に入る夏の虫だ。
軌道を合わせ、大上段から一気にアレクトを振り抜く。隙だらけの敵には、まずかわしようのない完璧な斬撃だ。武器ごと、鎧兜ごとすべてを両断する。
しかし――。
その刃がドミノの脳天に達しようとしたとき、驚くべきことが起きた。
刃が――強制的に、止まったのだ。急激に停止させられたため、ソルレオンの身体は己の力の慣性によって前方につんのめった。
驚愕の表情で前方に目を向けたソルレオンの視界にあったのは――。
何と、「片手で掴んで止められた」アレクトの刃。
その向うにある、嗜虐的嗤いに彩られた悪鬼の貌だった。
刀身を通じて感じるのは、「一族」の桁違いの筋力。見た目は指でつまんでいるだけだが、おそらく100kgクラス以上の万力で固定されたのと同義。振り切ることは不可能だった。
「残! 念! でした!!! ギャハハハハハハ!!! 小賢しい策をどう巡らせようが、あんたとこのあたしの天地の実力差の前にはゴミ同然なワケ。大人しくここでおっ死にな。あんたの大事な王国の命運とともにネエ!!!」
動きを封じられたソルレオン。その無防備な身体に向けて、利き腕の左結晶手を振り斬りかかるドミノ。
ソルレオンの脳髄を、迫る確実な死の実感が氷矢のように突き抜けた。
(ホルス……。すまねえ……な)
脳裏に浮かぶ、去っていった息子の貌。
思考を止め、死を待つばかりになったソルレオンの耳に、声が聞こえた。
それはもう一人の――。
「親父!!!! 危ない!!!!」
絶叫とともに、横合いから馬上のランスでドミノに突きかかる一騎。
それはソルレオンの長子、キメリエスの姿だった。
それに気を取られ、ドミノの攻撃の軌道はやや後方にずれた。
脳天から叩き切るはずだった結晶手は、浅く入っていく。右目ごと貌を縦に深く切り裂き、その下の鎧を裂き、胴体をも深くえぐった。さらにその下にある右手の動脈も切り裂き血を噴出させたが――左手は、意地でもアレクトを手放さなかった。
直後キメリエスのランスはドミノを捉えたが、攻撃を終えたドミノの左手は、難なくランスの先端を掴み取った。
キメリエスはそれに対し――いっさいの迷いなく、ランスから手を放し放り捨てた。
そしてドミノに目もくれず、鞍から身を乗り出してソルレオンに手を伸ばし、彼の身体を自らの馬上にすくい上げる。
そのあまりにも鮮やかな手際は、キメリエスの超一流の馬術と強い筋力を感じさせた。
主君であり父である国王を救い出した彼は、全速力で馬を東の方向に走らせ、叫んだ。
「ドミナトス=レガーリア連邦王国軍に告ぐ!!!!! 全力で東に退却!!!!! 国境線を目指せ!!!! サタナエル一族が居る!!! これ以上の進撃は不可能だ!!!!
ノスティラス皇国軍に告ぐ!!!!! 最前線の隊が殿となり、5km先の平原北端まで一旦退避せよ!!!!! そしてすぐさま、法力衛生兵の手配を!!!!! ソルレオン国王が斬られた!!!!! お命が危うい!!!!! 早く!!!!!」
それを云い終えるとキメリエスは、必死の形相で父に語りかけた。
「親父!!!! 頼む、しっかりしてくれ!!! 死ぬな!!! もう少しで衛生兵が来る!!!」
片目を失い、とてつもない深手を負ったソルレオンは、浅く早く息をしていた。そしてキメリエスの腕を掴んで、力なく笑った。
「キメ……リエス……。おまえ……最高の……せがれだよ……。
石頭とかうるせぇとか……今まで辛くあたって、わるかったなあ……。俺がくたばっても……おまえがいりゃ……安心だ……。
王国と……ホルスのこと……よろしくな……」
キメリエスの貌からは普段の冷徹な表情は完全に消え、目からは大粒の涙がこぼれていた。
「馬鹿なこと云うな!!! 俺が助ける!!! 絶対に死なせない!!!!
あんたは必要な人なんだ!! 俺にも王国にも、ホルストースにも!!! 必ず生きてあいつに会わせる!! 必ず!!!!」
そして巧みな手綱さばきにより全力疾走する馬は、またたく間に遥か遠方までの逃走に成功していた。
それを見送るしかないドミノは、大きく舌打ちした。
逃げられたのは忌々しい。だがあれに追いつくのは骨が折れるし、大将たるソルレオンには瀕死の重傷を負わせた。わざわざ息の根を止めに行くほどのことでもない。
敵を退かせるという目的は果たしたゆえ、あとは残存勢力を掃討しながら戦が集結するのを待てばよかろう。
「やることはやった。深追いはしない。これでいいんだろ……『主』。
それにしても……レエテの女……小娘。
行く先々でイイ男どもを虜にして……相変わらずお美しいコトで!!! ……その上一丁前に色づきやがって、クソが。
それでいて、私自覚ないんですって面していい子ぶって……ソックリだぜ、マイエのクソ女とよ!!!
絶対ぇに許せねえ……その取り澄ましたキレイな面、生きたままグチャグチャに切り刻んでから殺してやる……! あんたの愛する男の前でネエ……!!」
邪悪な想念をにじませる、ドミノ。
嫉妬に狂った悪魔の毒婦のつぶやきは、しばらくの間続いたのだった。
*
その頃――ミナァン率いる西側ブロックを見下ろす位置にある、高台。
そこでは一人の痩せた老人が、漆黒の大業物の弓を構えていた。
それは、会戦に参加している“七長老”の一角、“第六席次”だ。
30年前まで“投擲”ギルド将鬼であった、人外の手練。その特性を活かすべく、狙撃兵としてこの場に陣取ったのだ。
彼は片目を閉じて狙いをすませる。数百mは離れているであろう標的を見定めると、極限まで張り詰めた弦を一気に解放する。
鋭く風を切る音。「かまいたち」が現実に起きれば、これこそがその発する音声であろう。
恐るべき飛距離と正確さを内包したその矢。すでに手元を離れた瞬間から標的を抹殺し得たことを実感させる。
彼はすでにこのようにして、ノスティラス皇国軍の大隊長クラス以上の将校を10人以上は仕留めていた。陰ながら戦局を支配する、静かなる暗殺者だ。
軽く息を吐き出し、次の標的を見極める。
先程、レーヴァテインとロブ=ハルスの親子が総大将の前まで攻め入ったことは目視で確認している。おかげで魔導兵の壁が崩れ、重要標的までの道が開けた。
次の標的は――もちろん西側の総大将、“氷雪女帝”ミナァンだ。
ロブ=ハルスとの交戦に入ったイセベルグに対し、ミナァンは再度レーヴァテインとの交戦に入っている。
中遠距離の射程で闘う魔導士のミナァンは、戦闘中でも動きが少ない。標的としては非常に狙いやすい相手だ。
標的を視界に捉え、弓に矢をつがえようとした“第六席次”だったが――。
抑えられたかすかな「殺気」を背後に感じ、振り返らずに声を発する。
「このワシの背後に迫るとは……仲々の手練よな。
ワシは“七長老”が一人“第六席次”。貴様の名を聞こうか、若いの」
それを聞いて、音を消すことをやめ、一歩を踏み出した言葉通りの若い男。
彼は、強敵に肉薄しているにも関わらず、腰に帯びた剣に手をかけてもいなかった。
それどころか、刺々しい魔工具を装着した両手を広げて肩をすくめる仕草をする。
「この俺の気配を感じ取るとは――さすがは幹部クラス、てところか。
俺は“三角江の四騎士”の一人、サッド・エンゲルス。
皇帝陛下からは、あんたと同じ役割を仰せつかってる。暗殺者、てやつさ。
ここに来るまでにおたくらの副将、とやらに相当するだろう連中を5人、葬ってきたぜ」
“第六席次”の片眉がピクリと動く。
それが事実だとするなら甚だしい被害であり、由々しき事態だ。
同時に自分に迫る暗殺者の実力の脅威の程も実感される。
“第六席次”は腰に下げた漆黒のブーメラン二丁を取り出し、ゆっくりとサッドの方に向けて振り返った。
「嘗めてかかって良い相手ではないようだな……。しかし貴様、よくワシがここから狙っていることを嗅ぎ取ったな」
「ああ、それか。西の総大将のミナァン卿とは以前、『お相手』の栄誉に浴した仲でな……。
カール元帥閣下の手前抑えてるが、俺はあの方を一人の女として……お慕い申し上げてるんだ。
ま、そういう訳で『惚れた女』を守りたい男の、鋭い神通力が働いたってことだろうと思うぜ」
「ふん……たばかりおって……。ワシの暗殺者としての実力、色恋の勘なんぞに遅れをとるわけがないわ」
それだけ云うと“第六席次”は、完全に戦闘態勢に入った。
サッドとの距離は、およそ8mほど。中近距離という射程は、彼にとって不得手ではない。
老齢で身体能力の衰えはあるが、それでもまだ統括副将クラスであるという自負はある。
静かに敵を沈める暗殺者同士の対決。敵の得物は腰の剣でないことは見抜いている。何を隠し持っているかは分からぬが、そのような闘い、自分はごまんとくぐり抜け勝利してきた。今回も同様だ。
そしてついに――“第六席次”が右手のブーメランを万全の構えで投擲し、戦端を開いた――。その瞬間!
サッドが広げていた両手を大きく捻りながら、上体を大きく前傾させて手と手を交差させる神速の動作を行った。
すると――何かがピィィン、と張り詰めるような音がかすかに聞こえ――。“第六席次”の全身に、細く熱い無数の何かが通り抜ける感触が駆け巡った。
そして静かに――意識が真っ暗な闇の中に溶け込み、永久に閉じていった。
サッドの前で、全身に赤い格子状の筋を発生させた“第六席次”の身体は――。筋に沿って、細切れの肉片に解体されて、膨大な血液とともに地に落ちていった。
その地には、同じく細切れにされたブーメランの破片も落ちていたのだった。
人の形を失った“第六席次”がいた空間に残る、数条の血。
それは――目に見えず、光も反射しない、無数の「糸」に滴っているものだった。
己の周囲に張り巡らされたこの糸に刻まれたことにより――“第六席次”は存在を失ったのだった。
「“斬血糸”。これが俺の武器だ、爺さん。
この十本の指に装着した魔工から、数百mの糸を俺は打ち出せる。さっき背後に迫ってから会話してる間、あんたの斜め後ろ両方に固定針を音もなく打ち込んでた。
そして蜘蛛の巣のように張り巡らせた強化イクスヴァ繊維のこいつで、一気にあんたを切り刻んだって訳だ」
つぶやきながら、糸を高速で巻取り魔工具に戻すサッド。それが跳ね上げる返り血をわずかに貌にうけながら、今度は下方向の激戦の場に視線を移す。
「さて、外野の虫は全部払った。あとはいよいよ……助けにいかねえとな。俺の愛しい女を。
ミナァン卿、無事でいてくださいよ――」
そうつぶやくが早いか、サッドは全速力で高台を駆け下りていったのだった。




