第四話 エスカリオテの会戦(Ⅰ)~史上最大の戦
ヘンリ=ドルマンは、夢想の中にいた。
眼の前にあるがごとく展開されているのは、彼が物心ついてからの時代を過ごしたランダメリア城塞の風景だ。
自分は、皇弟ラウドゥス統侯を父に、皇后の妹を母として生まれた極めて高貴なる出生だった。
しかし剛健な実力主義の皇国のこと、さほど特別扱いはされなかった。
城塞内には、自分と同じ貴族子女が無数にいて、共に学び遊んだが――。
違和感はすぐに感じた。男の子でなく、女の子と遊びたかった自分。
やがて成長していく中で、明らかに自分の精神は女であると悟った。
差別されるようなことはなかったが、自分の中にある「人とは違う、少数派である己」という事実は変えることはできない。周囲とは次元の異なる、己の才覚にも気づいてしまった。普通の人間しかいない城塞は、自分にはあまりにも居辛すぎた。殻に閉じこもりそうになった。
師として付いていたメディチはとても良くしてくれたが、自分は城塞を一時出ることを決断した。
15歳で皇帝にそれを申し出たヘンリ=ドルマンは許可され、大導師アリストルに弟子入りした。
女の心をもつ男であろうが、そこでは何の関係もない。だが同時に高貴な身分も、そこでは毛ほども効果を発しなかった。修行としてアリストルは、徹底的に苛烈に自分を責めぬいてきた。何度挫折し城塞に帰ろうと思ったか知れない。
だがそれは、アリストルが自分の驚異の天才を見抜いていたがゆえの、甘えを許さぬ愛の鞭だった。やがて自分は恐るべき頭角を現し、押しも押されぬ最強の一番弟子として君臨することになった。
そして28歳のとき皇帝が病死。統候会議による次期皇帝候補に自分は選出された。
最後に候補に残ったのは――。自分ともうひとり、皇帝の第一皇子、元帥カール・バルトロメウス・ノスティラス、33歳。
自分の従兄にあたる人物であり、国が国なら何の問題もなく皇帝となっている人物であり、十分に過ぎるほどの皇帝の器を持ち合わせてもいた。そして子供のころからの大親友。かつ密かに想いを寄せる相手でもあったカールとの争いに、自分は苦悩を抱えた。
しかし――最終争いの相手が従弟の自分であると知ったカールは、自ら候補の辞退を申し出たのだ。
従弟が己をはるかに超える器であることを、誰よりもよく知っていたカール。何の私欲も拘りもなく、大手を振って皇位を譲り、臣下に加わることを笑顔で宣言してくれた。それを聞いた自分は、涙が止まらなかった。
そして皇帝となり、自分は変わった。大国の舵をとり国民の安全と富を一身に背負う日々。その少数派としての強い劣等感により、人間嫌いの偏屈者であった自分にとっての一番大切なものは己から、己の子たる国民に変わった。心から自分を慕ってくれる臣下に変わった。
それから数年後にアリストルが暗殺されたことを聞いても――。彼の遺志を継ぐよりも国民と臣下を優先した。他の誰かが、大導師の遺志を継ぐ。自分のなすべきことは――。皇国の平安の維持と成長以外にない。
その目的を真に果たすための――。最後の障害である敵はすでに、目前に迫っている。
あと一歩なのだ。皇国民が真の平安を得るその一歩を、歴史的な一歩を、自分は踏み出す。
信頼できる仲間達とともに――。
「陛下!!!! ヘンリ=ドルマン陛下!!!!
来ました!!!! 敵軍にございます!!!!
前方――エスカリオテ王国軍!!!! 斥候によればその数――10万!!!!
南東の方角、国境線に沿って、展開を開始しております!!!!」
耳をつんざくような、敵襲報告。
その声で一瞬のうちにヘンリ=ドルマンは我に返り、現実へと帰還した。
報告は四騎士の――ランドルフだ。
ヘンリ=ドルマンは即座に、巨大な輿の上にあった玉座から立ち上がり、目を凝らした。
眼前には、エスカリオテ国境に展開する、20万の皇国軍の威容。
大平原のごとくに展開する無数の兵士達の帯の、はるか向うに――。
迫りくる軍勢の姿を、ヘンリ=ドルマンは視認した。
兵士達の鎧の色は、特徴的な赤銅色。その掲げる旗は、紋章こそ距離がありすぎ読み取れないが、色はサタナエルの臣下を表す漆黒。
間違いなく、エスカリオテ王国軍だ。
10万の軍勢とはいうが、それにはサタナエルの威信を賭けた頂点の勢力が中心に加わっているのだ。
その数は、30万の軍勢、いやそれ以上と思った方が良い。
己の皇国軍は20万だが、自分を始めとする超人的個人戦力を加算しても30万に到達はするまい。
だが多少の不利は承知の上だ。あくまで皇国には、自分がいる。奢りではない。サタナエルにおいてすら1,2を争うことができる強者である自分の力次第で、戦局は左右できる。
ヘンリ=ドルマンは、一度輿の上から周囲の頼もしき配下の貌を、改めて見渡した。
陣形の配置によって、今自分を囲むように陣取っている配下は、“三角江”の四騎士レオンとランドルフ、そして――。己の最も信頼する従兄にして親友にして――愛する人である、カール。
すでに闘気をみなぎらせてエスカリオテ王国軍を見据える彼ら。その頼もしすぎる横顔を見やり、微笑を浮かべて両眼を閉じる。
そして――。一転、皇帝ヘンリ=ドルマンの決意と殺気のこもった両眼は見開かれ、その喉から裂帛の宣言が放たれたのだ。
「我がノスティラス皇国軍に告ぐ!!!!!
只今この刻より、戦端を開く!!!!! 前進せよ!!!!!
中央の軍は展開を変え、妾を前方へ突出させよ!!!!!
エスカリオテを!!! サタナエルを滅ぼす!!!!! 命を捨てよ!!!!! その身を挺し、我らが偉大なるノスティラスに、勝利を!!!!!」
その堂々たる開戦宣言は――。
各軍団長、師団長、大隊長を通じ――。
大海の中の津波のように、20万の軍勢に波及していった。
それを受け、最高潮に達した士気を爆発させた将兵は、まるで轟音のような鬨の声を大地に響かせる。
「オオオオオオオーーーー!!!!!」
「万歳!!!!! ノスティラス!!!!! ノスティラス!!!!!」
「万歳!!!!! 大皇帝!!!! ヘンリ=ドルマン!!!!! 」
「勝利を!!!!! 勝利を!!!!!」
文字通り、大地を大きく揺るがす大音量と、異常な域に達した熱気と、うねるような殺気の大津波。
敵軍であるエスカリオテ王国軍が圧倒されている様が、手に取るように分る。世界最強ともいわれるノスティラス皇国軍。その歴史上類を見ない規模による全力を前にしているのだ。無理もない。
ノスティラス皇国軍が選択したのは、軍勢を横方向に3ブロックに分け、中央を厚くし突出させた「魚鱗の陣」。
中央突破を図る、短期決戦型の陣形。本来は数に勝る軍勢が用いる陣形ではない。しかも中央の軍勢は、号令どおり――総大将、ヘンリ=ドルマン本人を前方に配置するべく位置を変えようとしていた。
あらゆる面で、セオリーを無視した采配。しかし――すでに人間ではない人外の存在がひしめき合い、その力が戦局を左右するという時点で、この会戦は通常の戦のセオリーを大きく逸脱しているともいえた。
怒涛の進軍を続けるノスティラス。それを目前にしたエスカリオテ王国軍は、大きく遅れてようやく、陣形らしきものを取り始めた。
それは、敵皇国軍と同じ、「魚鱗の陣」。
中央突破の陣形同士がぶつかり合う、超々短期決戦の構えとなった。しかもそれは、数千の軍同士などという生易しい規模のものではない。20万対10万という空前の規模で展開される中での、前代未聞の戦局。もはや誰にも、趨勢を予想できる事態ではなくなっていた。
なだらかな二等辺三角形を描いた、ノスティラス皇国軍の陣形。その頂点の角部分に、ヘンリ=ドルマンの輿はあった。巨大で豪奢な戦車の上のその輿で玉座に己を固定したヘンリ=ドルマンは、すでに魔導の発動準備にとりかかっていた。
敵軍も距離を詰め始めている。その距離はぐんぐん縮まり、やがて50mほどにまで接近する。
雲霞のごとく押し寄せる、赤銅色の鎧の波の間際がそこまで近づいたことを確認したヘンリ=ドルマンは、一気に攻撃を解放した。すなわちそれが――この会戦の初撃となった。
「束高圧電砲!!!!」
――大規模破壊をもたらす雷撃災害が、ヘンリ=ドルマンの両掌から扇状に、エスカリオテ王国軍に襲いかかる。
まず直撃を受けた最前線の兵は、一度に数百人以上が消し炭となって「消えた」。
その後ろに行くにしたがって、威力は徐々に弱まっていったものの――。300m以上に渡って殺傷力を維持し続けた雷撃は、身体欠損、ショック死、最重度火傷の順に死者を量産。
おそらくは――今の全力の一撃で2000人あまりを死に追いやった、ヘンリ=ドルマンの神魔の魔導攻撃。
魔導の浸透していないエスカリオテゆえに、個々の兵士の耐魔力の弱さも影響し、電撃ゆえに長尺の金属武器を持つ者には遠方でも攻撃が飛び、被害が拡大した。
己の力に絶大な自信を寄せるがゆえの、戦法。一瞬で最前線に穴を穿ち、同時に自分を守護するべき将兵を「護る」という、大陸最強魔導士にしか選択できぬ戦術。
「今だ!!!!! 穴は穿たれた!!! 一気に攻め込め、突破せよ!!!! 中央を撃破すれば敵はまさに総崩れぞ!!!! 攻めよ!!! 攻めよ!!!!」
ヘンリ=ドルマンの脇に控える元帥カールの叱咤激励の指令によって、中央軍が雪崩をうって前方に走り出、恐慌状態に陥ったエスカリオテ王国軍の中央になだれ込む。
人智を遥かに凌駕した攻撃で一瞬にして友軍を討たれた、王国軍。生き残って負傷した兵も無数に居る中、体勢を立て直すことなどとてもできず、なすすべなく討ち取られていく。通常の戦であれば、これだけでも勝敗が決しているであろう決定的戦況であった。
一方的に押す展開となったノスティラス皇国軍中央だが――。
異変が起こるまで、さほど時間はかからなかった。
「な……なんだ? 何か妙な、ゾクゾクする気配が、せんか、レオン!!!」
ランドルフが獰猛に云った。
「ああ……俺も、感じる。間違いはないな。……『奴』だ。いよいよ、出てきたのだ……」
レオンが怨念のこもった鬼のような眼光を向けた先。
そこで、超常の現象が、起きていた。
彼らのいる場所からはおそらく、距離にして400mといったところだろう。だが、はっきりと視認できる。
ぼんやりと赤い光を放つ、魔導の球が、こちらに向ってきていたのだ。
死を、撒き散らしながら。
その赤い光は、人間を殺すのに「触れる」必要がなかった。
光の球の外から20mほどの距離に近づけば、例外なくその人間は同じ赤い光になって、次の瞬間には「霧散」していった。
それも、人間の肉体だけではない。乗馬している将は馬も、各自身につけている鎧も、携えている武器も――皆例外なく「霧散」していくのだ。
ノスティラスの将兵を触れず寄せ付けず、射られた矢も均等に霧散させていくその攻撃は、無人の野を歩くがごとくの中心に居る女が押し寄せることでじわじわと無数の虐殺を行っていく。
ヘンリ=ドルマンのような、明らかな高エネルギーによって「攻撃」されているという正の魔導に対して、同じだけのエネルギーでも極めて静かに「消去」されていくという負の魔導。
物質を構成する最小単位、原子の組成を自由自在に操り、それをバラバラにしてしまう技。それがどのような物質であろうが、隔たり無く分解することができる死そのもの。
己の“絶対破壊魔導”を身にまとった最悪最強の魔女、将鬼長フレア・イリーステスがついに攻め寄せて来たのだ。
カールは貌を激昂に歪め、手に握ったランスをひしゃげるほどに握りしめた。そして傍らのヘンリ=ドルマンに問う。
「あやつがフレア、だな? 話に聞いたままの“絶対破壊魔導”――。エティエンヌも……まさにあのような理不尽で無残きわまりない死を迎えたのだな……? ヘンリ=ドルマン」
険しい表情で前方から目を離さずに、ヘンリ=ドルマンが答える。
「まさに……その、とおりよ、カール。妾も今、その光景が頭に蘇って、怒りのあまり理性が消し飛びそうになるのを必死で抑えているところよ……! だから貴男も耐えてね、カール。今斃すべきはあやつではないから」
「……ああ、承知だ……!」
もはや戦うどころではない。高揚した戦意も一瞬で消し飛んだノスティラス皇国軍は我先にと逃げ、フレアに対して道を開けた。
そして海が割れた中を静かに歩くように、50mほどの距離まで近づいたフレアとヘンリ=ドルマンは遂に相対した。
そして眼鏡を指であげつつ、胸をそびやかしたフレアはかつての兄弟子に云いはなった。
「まったく……貴方の蛮勇と石頭は、昔とちっとも変わりませんことね、ヘンリ=ドルマン師兄。
やめておけばいいのに……。サタナエル討伐など狂気の沙汰。貴方の大事な皇国将兵をあたら無残に失う結果に終わるだけだと、少し考えれば分かりそうなものですけれど。そちらの元帥閣下や四騎士候を始めとしてね」
冷酷で侮蔑的で不遜な、フレアの台詞に、耐えきれず怒りを爆発させるランドルフとレオン。
「貴様アアアアーー!!!!! この魔女めが!!!!! 我らはエティエンヌの無念を晴らすべく来たのだァーー!!!!!」
「地獄へ堕ちろ!!!! 売女め!!!! 我らは貴様などの思うようにはならぬ!!!!!」
フレアはそれを鼻で笑い、いかにも蔑み尽くしたような目線で彼らを見た。
「おや、おや? 貴方たちのお仲間、エティエンヌ候の最期を陛下より聞いていないのかしら? あの御仁と五十歩百歩の貴方たちごときが、この偉大なる将鬼長の私に? 触れることすらできないのが理解できないのかしらね。身の程を知りなさい、虫けら」
その度を越した挑発に、カールまでもが飛び出しそうになった、その時――。
「フレア!!!!!」
ヘンリ=ドルマンの裂帛の叫び。そして一瞬の間も置かぬ、雷神の一撃。
天から予兆もなく降り注ぐ、有無をいわさせぬ大落雷。
それが凄まじい閃光と轟音とともに、まともにフレアの脳天に降り注いだのだ!
閃光と、巻き上げられた砂煙に包まれ、一時周囲の視界は遮られる。
そしてそれが晴れた時――。
そこに居たのは、何と――涼しい貌をした完全無傷のフレアと――。
枯れ木のようなローブの老人。“第二席次”の姿であった。
ヘンリ=ドルマンは苦々しく舌打ちした。
「――チッ、また会ったわね、御老体。貴殿が逃げずに闘うつもりというなら、もう一つの脅威というほかないわね。貴殿ら二人分の耐魔ならば防がれてもむべなるかな、といったところね」
フレアは余裕の表情でヘンリ=ドルマンに返した。
「いやはや……さすがは師兄。“巨下垂雷撃”、相変わらず恐ろしい威力です。私一人では確実に傷を負っていました。ゆえにまずは、私達二人が貴方のお相手をします。サタナエル1、2ともいうべき、我ら魔導士がね」
「上等だわ……。胸を貸してやる。かかってきなさいよ。
薄汚いアバズレと、墓に半分入ったようなジジイが、このアタシの相手になると、本気で思ってんの?
舐めるなあ!!!! 己等残さず消し炭にしてくれるわ!!!!」
大導師の弟子時代に下町で鳴らした、蓮っ葉な言葉で啖呵をきる、ヘンリ=ドルマン。
今ここに、大陸最強を争う魔導士が揃い踏み、地獄の魔導戦争を繰り広げようとしているのだった――。




